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第五十三帖 手習

薫君の大納言時代二十七歳三月末頃から二十八歳の夏までの物語

第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる

第一段 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病

 そのころ、横川に、なにがし僧都とか言ひて、いと尊き人住みけり。八十余りの母、五十ばかりの妹ありけり。古き願ありて、初瀬に詣でたりけり。

  Sonokoro, Yokaha ni, Nanigasi-Soudu to ka ihi te, ito tahutoki hito sumi keri. Yasodi amari no Haha, isodi bakari no imouto ari keri. Huruki gwan ari te, Hatuse ni maude tari keri.

 そのころ、横川に、某僧都とか言って、たいそう尊い人が住んでいた。八十歳過ぎの母と、五十歳ほどの妹とがいたのであった。昔からの願があって、初瀬に詣でたのであった。

 そのころ比叡ひえ横川よかわ某僧都なにがしそうずといって人格の高い僧があった。八十を越えた母と五十くらいの妹を持っていた。この親子の尼君が昔かけた願果たしに大和やまと初瀬はせ参詣さんけいした。

1 そのころ横川になにがし僧都とか言ひて 『完訳』は「「そのころ--けり」の常套的な巻頭形式で、新たな話題を拓く」。横川は比叡山三塔の一つ。「なにがし僧都」は実名をぼかした呼称。『河海抄』は源信(『往生要集』の著者、恵信僧都)を指摘、その妹願西(願証尼・安養尼)も著名。

 睦ましうやむごとなく思ふ弟子の阿闍梨を添へて、仏経供養ずること行ひけり。事ども多くして帰る道に、奈良坂と言ふ山越えけるほどより、この母の尼君、心地悪しうしければ、「かくては、いかでか残りの道をもおはし着かむ」ともて騷ぎて、宇治のわたりに知りたりける人の家ありけるに、とどめて、今日ばかり休めたてまつるに、なほいたうわづらへば、横川に消息したり。

  Mutumasiu yamgotonaku omohu desi no Azari wo sohe te, Hotoke kyau kuyauzuru koto okonahi keri. Koto-domo ohoku si te kaheru miti ni, Narasaka to ihu yama koye keru hodo yori, kono Haha-no-Amagimi, kokoti asiu si kere ba, "Kakute ha, ikadeka nokori no miti wo mo ohasi tuka m." to mote-sawagi te, Udi no watari ni siri tari keru hito no ihe ari keru ni, todome te, kehu bakari yasume tatematuru ni, naho itau wadurahe ba, Yokaha ni seusoko si tari.

 親しく重んじている弟子の阿闍梨を連れて、仏やお経を供養することを行うのであった。いろいろなことをたくさんして帰る道中で、奈良坂という山を越えたころから、この母の尼君が、気分が悪くなったので、「こんなでは、どうして帰りの道を行きつけようか」と大騒ぎして、宇治の辺りに知っていた人の家があったので、そこにとどめて、今日一日お休め申したが、依然としてひどく苦しがっているので、横川に消息を出した。

 僧都は親しくてよい弟子でしとしている阿闍梨あじゃりを付き添わせてやったのであって、仏像、経巻の供養を初瀬では行なわせた。そのほかにも功徳のことを多くして帰る途中の奈良坂ならざかという山越えをしたころから大尼君のほうが病気になった。このままで京へまで伴ってはどんなことになろうもしれぬと、一行の人々は心配して宇治の知った人の家へ一日とまって静養させることにしたが、容体が悪くなっていくようであったから横川へしらせの使いを出した。

2 奈良坂と言ふ山越えけるほどより 奈良街道の大和国と山城国の境にある山。

3 かくてはいかでか 以下「おはし着かむ」まで、妹尼一行の心配。

 山籠もりの本意深く、今年は出でじと思ひけれど、「限りのさまなる親の、道の空にて亡くやならむ」と驚きて、急ぎものしたまへり。惜しむべくもあらぬ人ざまを、みづからも、弟子の中にも験あるして、加持し騒ぐを、家主人聞きて、

  Yamagomori no ho'i hukaku, kotosi ha ide zi to omohi kere do, "Kagiri no sama naru oya no, miti no sora nite naku ya nara m?" to odoroki te, isogi monosi tamahe ri. Wosimu beku mo ara nu hitozama wo, midukara mo, desi no naka ni mo gen aru site, kadi si sawagu wo, ihearuzi kiki te,

 山籠もりの本願が強く、今年は下山しまいと思っていたが、「晩年の状態の母親が、道中で亡くなるのだろうか」と驚いて、急いでいらっしゃった。惜しむほどでもない年齢の人だが、自分自身でも、弟子の中でも効験のある者をして、加持し大騒ぎするのを、家の主人が聞いて、

 僧都は今年ことしじゅう山から降りないことを心に誓っていたのであったが、老いた母を旅中で死なせることになってはならぬと胸を騒がせてすぐに宇治へ来た。ほかから見ればもう惜しまれる年齢でもない尼君であるが、孝心深い僧都は自身もし、また弟子の中の祈祷きとうの効験をよく現わす僧などにも命じていたこの客室での騒ぎを家主は聞き、

4 山籠もりの本意深く 源信の山籠もりの故事として、九年の山籠もりの後、母親を見取った話(今昔物語集)や千日籠もりで妹を蘇生させた話(古事談)などが知られている。

5 限りのさまなる親の 以下「亡くやならむ」まで、横川僧都の心中の思い。

6 人ざまを 大島本は「人さまを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人のさま」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「人ざま」とする。

 「御獄精進しけるを、いたう老いたまへる人の、重く悩みたまふは、いかが」

  "Mitakesauzi si keru wo, itau oyi tamahe ru hito no, omoku nayami tamahu ha, ikaga?"

 「御嶽精進をしたが、たいそう高齢でおいでの方が、重病でいらっしゃるのは、どうしたものか」

 その人は御嶽みたけ参詣のために精進潔斎しょうじんけっさいをしているころであったため、高齢の人が大病になっていてはいつ死穢しえの家になるかもしれぬ

7 御獄精進しけるを 以下「いかが」まで、家主の詞。

 とうしろめたげに思ひて言ひければ、さも言ふべきことぞ、いとほしう思ひて、いと狭くむつかしうもあれば、やうやう率てたてまつるべきに、中神塞がりて、例住みたまふ方は忌むべかりければ、「故朱雀院の御領にて、宇治の院と言ひし所、このわたりならむ」と思ひ出でて、院守、僧都知りたまへりければ、「一、二日宿らむ」と言ひにやりたまへりければ、

  to usirometageni omohi te ihi kere ba, samo ihu beki koto zo, itohosiu omohi te, ito sebaku mutukasiu mo are ba, yauyau wi te tatematuru beki ni, NakaGami hutagari te, rei sumi tamahu kata ha imu bekari kere ba, "Ko-Suzaku-win no go-ryau nite, Udi-no-win to ihi si tokoro, kono watari nara m." to omohiide te, Winmori, Soudu siri tamahe ri kere ba, "Hitohi, hutuka yadora m." to ihi ni yari tamahe ri kere ba,

 と不安そうに思って言ったので、そうも言うにちがいないことを、気の毒に思って、ひどく狭くむさ苦しい所なので、だんだんお連れ申せるほどになったが、中神の方角が塞がって、いつも住んでいらっしゃる所は避けなければならなかったので、「故朱雀院の御領で、宇治院といった所が、この近辺だろう」と思い出して、院守を、僧都は知っていらっしゃったので、「一、二日泊まりたい」と言いにおやりになったところ、

 と不安がり、迷惑そうにかげで言っているのを聞き、道理なことであると気の毒に思われたし、またその家は狭く、座敷もきたないため、もう京へ伴ってもよいほどに病人はなっていたが、陰陽道おんようどうの神のために方角がふさがり、尼君たちの住居すまいのほうへは帰って行かれぬので、おかくれになった朱雀すざく院の御領で、宇治の院という所はこの近くにあるはずだと僧都は思い出し、その院守いんもりを知っていたこの人は、一、二日宿泊をさせてほしいと頼みにやると、

8 さも言ふべきことぞ 大島本は「ことそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことと」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことぞ」とする。僧都の心中の思い。

9 例住みたまふ方は忌むべかりければ 大島本は「すミ給方ハいむへかりけれは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「所は忌むべかりけるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「方は忌むべかりければ」とする。

10 故朱雀院の 以下「このわたりならむ」まで、僧都の推量。『完訳』は「源氏の兄。実在の朱雀院も重ねた表現。宇治院は朱雀院の別荘として伝領」と注す。

11 宇治の院 『集成』は「史上の朱雀院が行幸した記録があり、実在した邸宅である」と注す。

12 一二日宿らむ 僧都の伝言の主旨。

 「初瀬になむ、昨日皆詣りにける」

  "Hatuse ni nam, kinohu mina mawiri ni keru."

 「初瀬に、昨日皆詣でてしまいました」

 ちょうど昨日初瀬へ家族といっしょに行った

13 初瀬になむ昨日皆詣りにける 大島本は「まいりに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「詣でに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「まいりに」とする。院守の返事。使者が伝える。

 とて、いとあやしき宿守の翁を呼びて率て来たり。

  tote, ito ayasiki Yadomori no okina wo yobi te wi te ki tari.

 と言って、ひどくみすぼらしい宿守の老人を呼んで連れて来た。

 と言い、貧相な番人のおきなを使いは伴って帰って来た。

14 呼びて率て来たり 僧都の使者が院守のもとで留守を預かっている宿守を呼び出して連れて帰ってきた。

 「おはしまさば、はや。いたづらなる院の寝殿にこそはべるめれ。物詣での人は、常にぞ宿りたまふ」

  "Ohasimasa ba, haya. Itadura naru Win no sinden ni koso haberu mere. Mono-maude no hito ha, tuneni zo yadori tamahu."

 「いらっしゃるなら、早いほうがよい。誰も使っていない院の寝殿でございますようです。物詣での方は、いつもお泊まりになります」

 「おいでになるのでございましたらがらっとしております寝殿をお使いになるほかはございませんでしょう。初瀬や奈良へおいでになる方はいつもそこへお泊まりになります」

15 おはしまさばはや 以下「宿りたまっふ」まで、宿守の詞。

 と言へば、

  to ihe ba,

 と言うので、

 と翁は言った。

 「いとよかなり。公所なれど、人もなく心やすきを」

  "Ito yoka' nari. Ohoyakedokoro nare do, hito mo naku kokoroyasuki wo."

 「実に結構なことだ。公の建物だが、誰もいなくて気楽な所だから」

 「それでけっこうだ。官有のやしきだけれどほかの人もいなくて気楽だろうから」

16 いとよかなり 以下「心やすきを」まで、僧都の詞。

17 公所なれど 朱雀院の別荘なので公領、初瀬詣での人々が宿泊した。蜻蛉日記の作者右大将道綱母も利用している。公共的宿泊所となっている。

 とて、見せにやりたまふ。この翁、例もかく宿る人を見ならひたりければ、おろそかなるしつらひなどして来たり。

  tote, mise ni yari tamahu. Kono okina, rei mo kaku yadoru hito wo minarahi tari kere ba, orosoka naru siturahi nado site ki tari.

 と言って、様子を見におやりになる。この老人、いつもこのように泊まる人を見慣れていたので、簡略な設営などをして戻って来た。

 僧都はこう言って、また弟子を検分に出した。番人の翁はこうした旅人を迎えるのにれていて、短時間に簡単な設備を済ませて迎えに来た。

18 おろそかなるしつらひ 一通りの設営。

第二段 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う

 まづ、僧都渡りたまふ。「いといたく荒れて、恐ろしげなる所かな」と見たまふ。

  Madu, Soudu watari tamahu. "Ito itaku are te, osorosige naru tokoro kana!" to mi tamahu.

 まず、僧都がお越しになる。「とてもひどく荒れて、恐ろしそうな所だな」と御覧になる。

 僧都は尼君たちよりも先に行った。非常に荒れていて恐ろしい気のする所であると僧都はあたりをながめて、

19 いといたく荒れて恐ろしげなる所かな 僧都の感想。

20 見たまふ 大島本は「見給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見たまひて」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見給」とする。

 「大徳たち、経読め」

  "Daitoko-tati, kyau yome."

 「大徳たち、読経せよ」

 「坊様たち、お経を読め」

21 大徳たち経読め 僧都の詞。

 などのたまふ。この初瀬に添ひたりし阿闍梨と同じやうなる、何事のあるにか、つきづきしきほどの下臈法師に、火ともさせて、人も寄らぬうしろの方に行きたり。森かと見ゆる木の下を、「疎ましげのわたりや」と見入れたるに、白き物の広ごりたるぞ見ゆる。

  nado notamahu. Kono Hatuse ni sohi tari si Azyari to onazi yau naru, nanigoto no aru ni ka, tukidukisiki hodo no gerahu hohusi ni, hi tomosa se te, hito mo yora nu usiro no kata ni iki tari. Mori ka to miyuru konosita wo, "Utomasige no watari ya!" to miire taru ni, siroki mono no hirogori taru zo miyuru.

 などとおっしゃる。この初瀬に付いていった阿闍梨と同じような者が、何事があったのか、お供するにふさわしい下臈の法師に、松明を灯させて、人も近寄らない建物の後ろの方に行った。森かと見える木の下を、「気持ち悪い所だ」と見ていると、白い物が広がっているのが見える。

 などと言っていた。初瀬へついて行った阿闍梨と、もう一人同じほどの僧が何を懸念けねんしたのか、下級僧にふさわしく強い恰好かっこうをした一人に炬火たいまつを持たせて、人もはいって来ぬ所になっている庭の後ろのほうを見まわりに行った。森かと見えるほどしげった大木の下の所を、気味の悪い場所であると思ってながめていると、そこに白いもののひろがっているのが目にはいった。

22 何事のあるにか 『完訳』は「挿入句。後述の内容を先取りする」と注す。

23 うしろの方に 宇治院の建物の後方。

 「かれは、何ぞ」

  "Kare ha, nani zo?"

 「あれは、何だ」

 あれは何であろう

24 かれは何ぞ 僧の詞。

 と、立ち止まりて、火を明くなして見れば、物の居たる姿なり。

  to, tatitomari te, hi wo akaku nasi te mire ba, mono no wi taru sugata nari.

 と、立ち止まって、松明を明るくして見ると、何かが座っているような格好である。

 と立ちどまって炬火を明るくさせて見ると、それはすわった人の姿であった。

 「狐の変化したる。憎し。見現はさむ」

  "Kitune no hengwe si taru. Nikusi. Mi arahasa m."

 「狐が化けた物だ。憎い。正体を暴いてやろう」

 「きつねが化けているのだろうか。不届な、正体を見あらわしてやろう」

25 狐の変化 以下「見現はさむ」まで、僧の詞。

 とて、一人は今すこし歩み寄る。今一人は、

  tote, hitori ha ima sukosi ayumi yoru. Ima hitori ha,

 と言って、一人はもう少し近寄る。もう一人は、

 と言った一人の阿闍梨は少し白い物へ近づきかけた。

 「あな、用な。よからぬ物ならむ」

  "Ana, youna'. Yokara nu mono nara m."

 「まあ、よしなさい。よくない物であろう」

 「およしなさい。悪いものですよ」

26 あな用なよからぬ物ならむ もう一人の僧の詞。

 と言ひて、さやうの物退くべき印を作りつつ、さすがになほまもる。頭の髪あらば太りぬべき心地するに、この火ともしたる大徳、憚りもなく、奥なきさまにて、近く寄りてそのさまを見れば、髪は長くつやつやとして、大きなる木のいと荒々しきに寄りゐて、いみじう泣く。

  to ihi te, sayau no mono sirizoku beki in wo tukuri tutu, sasugani naho mamoru. Kasira no kami ara ba hutori nu beki kokoti suru ni, kono hi tomosi taru Daitoko, habakari mo naku, aunaki sama nite, tikaku yori te sono sama wo mire ba, kami ha nagaku tuyatuya to si te, ohoki naru ki no ito araarasiki ni yori wi te, imiziu naku.

 と言って、そのような物が引き下がるような印を作りながら、そうは言ってもやはり見つめている。頭の髪があったら太くなりそうな気がするが、この松明を灯した大徳は、恐れもせず、深い考えもなく様子で、近寄ってその様子を見ると、髪は長く艶々として、大きな木の根がとても荒々しくある所に寄りかかって、ひどく泣いている。

 もう一人の阿闍梨はこう言ってとめながら、変化へんげを退ける指の印を組んでいるのであったが、さすがにそのほうを見入っていた。髪の毛がさかだってしまうほどの恐怖の覚えられることでありながら、炬火を持った僧は無思慮に大胆さを見せ、近くへ行ってよく見ると、それは長くつやつやとした髪を持ち、大きい木の根の荒々しいのへ寄ってひどく泣いている女なのであった。

27 さやうの物退くべき印を作りつつ 大島本は「しりそくへき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「退(しぞ)くべき」と「り」を削除する。『新大系』は底本のまま「退(しりぞ)くべき」とする。『完訳』は「変化退散には、不動の印を結び、陀羅尼などを読む」と注す。

28 頭の髪あらば太りぬべき心地するに 恐怖感をいう。僧侶は髪を剃っているので、諧謔を交えた表現。

29 大きなる木の 大島本は「おほきなる木の」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「大きなる木の根の」と「根の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「大きなる木の」とする。

30 寄りゐて 木の根にもたれかかって座っているさま。

 「珍しきことにもはべるかな。僧都の御坊に御覧ぜさせたてまつらばや」

  "Medurasiki koto ni mo haberu kana! Soudu no go-bau ni goranze sase tatematura baya!"

 「珍しいことでございますな。僧都の御坊に御覧に入れましょう」

 「珍しいことですね。僧都様のお目にかけたい気がします」

31 珍しきことにもはべるかな 以下「たてまつらばや」まで、僧の詞。

 と言へば、

  to ihe ba,

 と言うと、


 「げに、妖しき事なり」

  "Geni, ayasiki koto nari."

 「なるほど、不思議な事だ」

 「そう、不思議千万なことだ」

32 げに妖しき事なり 僧の詞。

 とて、一人はまうでて、「かかることなむ」と申す。

  tote, hitori ha maude te, "Kakaru koto nam." to mausu.

 と言って、一人は参上して、「これこれしかじかです」と申し上げる。

 と言い、一人の阿闍梨は師へ報告に行った。

33 かかることなむ 僧の詞。間接話法。

 「狐の人に変化するとは昔より聞けど、まだ見ぬものなり」

  "Kitune no hito ni hengwe suru to ha mukasi yori kike do, mada mi nu mono nari."

 「狐が人に化けるということは昔から聞いたが、まだ見たことがないものだ」

 「狐が人に化けることは昔から聞いているが、まだ自分は見たことがない」

34 狐の人に 以下「見ぬものなり」まで、僧都の詞。

 とて、わざと下りておはす。

  tote, wazato ori te ohasu.

 と言って、わざわざ下りていらっしゃる。

 こう言いながら僧都は庭へおりて来た。

35 わざと下りておはす 主語は僧都。『完訳』は「寝殿から裏庭へ。高徳の僧ながら好奇心旺盛で、柔軟な人柄」と注す。

 かの渡りたまはむとすることによりて、下衆ども、皆はかばかしきは、御厨子所など、あるべかしきことどもを、かかるわたりには急ぐものなりければ、ゐ静まりなどしたるに、ただ四、五人して、ここなる物を見るに、変はることもなし。

  Kano watari tamaha m to suru koto ni yori te, gesu-domo, mina hakabakasiki ha, midusidokoro nado, aru bekasiki koto-domo wo, kakaru watari ni ha isogu mono nari kere ba, wi sidumari nado si taru ni, tada si, gonin site, koko naru mono wo miru ni, kaharu koto mo nasi.

 あちらにお越しになろうとしたところで、下衆どもで、役に立ちそうな者は皆、御厨子所などで、準備すべきことをいろいろと、こちらではかかりきりでいたので、ひっそりしていたので、わずか四、五人で、ここにいる物を見るが、変化する様子も見えない。

 尼君たちがこちらへ移って来る用意に召使の男女がいろいろの物を運び込む騒ぎの済んだあとで、ただ四、五人だけがまた庭の怪しい物を見に出たが、さっき見たのと少しも変わっていない。

36 かの渡りたまはむとすることによりて 尼君一行が宇治院に移ってくるということで。

 あやしうて、時の移るまで見る。「疾く夜も明け果てなむ。人か何ぞと、見現はさむ」と、心にさるべき真言を読み、印を作りて試みるに、しるくや思ふらむ、

  Ayasiu te, toki no uturu made miru. "Toku yo mo ake hate nam. Hito ka nani zo to, mi arahasa m." to, kokoro ni sarubeki Singon wo yomi, in wo tukuri te kokoromiru ni, siruku ya omohu ram,

 不思議に思って、一時の移るまで見る。「早く夜も明けてほしい。人か何物か、正体を暴こう」と、心中でしかるべき真言を読み、印を作って試みると、はっきり見極めがついたのであろうか、

 怪しくてそのまま次の刻に移るまでもながめていた。「早く夜が明けてしまえばいい。人か何かよく見きわめよう」と言い、心で真言しんごんじゅを読み、印を作っていたが、そのために明らかになったか、僧都は、

37 時の移るまで 一時は二時間。ここは長い時間の意。

38 疾く夜も 以下「見現はさむ」まで、僧たちの心中の思い。『完訳』は「妖怪変化は、夜明けとともに、退散するか、力を失うとされる」と注す。

39 しるくや思ふらむ 挿入句。語り手の想像を介入した叙述。

 「これは、人なり。さらに非常のけしからぬ物にあらず。寄りて問へ。亡くなりたる人にはあらぬにこそあめれ。もし死にたりける人を捨てたりけるが、蘇りたるか」

  "Kore ha, hito nari. Sarani hizau no kesikara nu mono ni ara zu. Yori te tohe. Nakunari taru hito ni ha ara nu ni koso a' mere. Mosi si ni tari keru hito wo sute tari keru ga, yomigaheri taru ka?"

 「これは、人である。まったく異常なけしからぬ物ではない。近寄って問え。死んでいる人ではないようだ。もしや死んだ人を捨てたのが、生き返ったのだろうか」

 「これは人だ。決して怪しいものではない。そばへ寄って聞いてみるがよい。死んではいない。あるいはまた死んだ者を捨てたのが蘇生そせいしたのかもしれぬ」

40 これは人なり 以下「蘇りたるか」まで、僧都の詞。

41 死にたりける人 大島本は「しにたりける人」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「死にたる」と「りけ」を削除する。『新大系』は底本のまま「死にたりける」とする。

 と言ふ。

  to ihu.

 と言う。

 と言った。

 「何の、さる人をか、この院の内に捨てはべらむ。たとひ、真に人なりとも、狐、木霊やうの物の、欺きて取りもて来たるにこそはべらめと、不便にもはべりけるかな。穢らひあるべき所にこそはべめれ」

  "Nani no, saru hito wo ka, kono win no uti ni sute habera m. Tatohi, makotoni hito nari tomo, kitune, kodama yau no mono no, azamuki te tori mote ki taru ni koso habera me to, hubin ni mo haberi keru kana! Kegarahi aru beki tokoro ni koso habe' mere."

 「どうして、そのような人を、この院の邸内に捨てましょうか。たとい、ほんとうに人であったとしても、狐や木霊のようなものが、たぶらかして連れて来たのでございましょうと、不都合なことでございますなあ。穢れのある所のようでございます」

 「そんなことはないでしょう。この院の中へ死人を人の捨てたりすることはできないことでございます。真実の人間でございましても、狐とか木精こだまとかいうものが誘拐ゆうかいしてつれて来たのでしょう。かわいそうなことでございます。そうした魔物の住む所なのでございましょう」

42 何のさる人をか 以下「こそはべめれ」まで、僧の詞。

43 この院の内に 宇治院の邸内。

44 はべらめと 大島本は「侍らめと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべらめ」と「と」を削除する。『新大系』は底本のまま「侍らめと」とする。

45 不便にもはべりけるかな 『完訳』は「病気の尼を連れて来ようとしているのに、この女が死んだら死の穢れに触れて不都合」と注す。

 と言ひて、ありつる宿守の男を呼ぶ。山彦の答ふるも、いと恐ろし。

  to ihi te, arituru yadomori no wonoko wo yobu. Yamabiko no kotahuru mo, ito osorosi.

 と言って、先程の宿守の男を呼ぶ。山彦が答えるのも、まことに恐ろしい。

 と一人の阿闍梨は言い、番人の翁を呼ぼうとすると山響やまびこの答えるのも無気味であった。

第三段 若い女であることを確認し、救出する

 妖しのさまに、額おし上げて出で来たり。

  Ayasi no sama ni, hitahi osi-age te ideki tari.

 変な恰好に、烏帽子を額の上に押し上げて出て来た。

 翁は変な恰好かっこうをし、顔をつき出すふうにして出て来た。

46 額おし上げて 『完訳』は「烏帽子を上へずり上げた恰好。宿守の老人のやや滑稽なさまが、緊張した雰囲気をやわらげる」と注す。

 「ここには、若き女などや住みたまふ。かかることなむある」

  "Koko ni ha, wakaki womna nado ya sumi tamahu? Kakaru koto nam aru."

 「ここには、若い女などが住んでいるのか。このようなことがある」

 「ここに若い女の方が住んでおられるのですか。こんなことが起こっているが」

 とて見すれば、

  tote misure ba,

 と言って見せると、

  と言って、見ると、

 「狐の仕うまつるなり。この木のもとになむ、時々妖しきわざなむしはべる。一昨年の秋も、ここにはべる人の子の、二つばかりにはべしを、取りてまうで来たりしかど、見驚かずはべりき」

  "Kitune no tukaumaturu nari. Kono ki no moto ni nam, tokidoki ayasiki waza nam si haberu. Wototosi no aki mo, koko ni haberu hito no ko no, hutatu bakari ni habe' si wo, tori te maude ki tari sika do, mi odoroka zu haberi ki."

 「狐がしたことだ。この木の下に、時々変なことをします。一昨年の秋も、ここに住んでいました人の子で、二歳ほどになったのを、さらって参ったが、驚きもしませんでした」

 「狐のわざですよ。この木の下でときどき奇態なことをして見せます。一昨年おととしの秋もここに住んでおります人の子供の二歳ふたつになりますのを取って来てここへ捨ててありましたが、私どもはれていまして格別驚きもしませんじゃった」

47 狐の仕うまつるなり 大島本は「つかうまつる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「仕まつる」と「う」を削除する。『新大系』は底本のまま「仕うまつる」とする。以下「見驚かずはべりき」まで、宿守の詞。

48 わざなむしはべる 大島本は「わさなむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「わざ」と「なむ」を削除する。『新大系』は底本のまま「わざなむ」とする。

49 ここにはべる人の子の 『集成』は「この院に仕えています人の子で」。『完訳』は「この辺におります者の子供で」と注す。

50 まうで来たりしかど 大島本は「きたりしかと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「来たりしかども」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「来たりしかど」とする。

 「さて、その稚児は死にやしにし」

  "Sate, sono tigo ha si ni ya si ni si?"

 「それでは、その子は死んでしまったのか」

 「その子供は死んでしまったのか」

51 さてその稚児は死にやしにし 僧の詞。

 と言へば、

  to ihe ba,

 と問うと、


 「生きてはべり。狐は、さこそは人を脅かせど、ことにもあらぬ奴」

  "Iki te haberi. Kitune ha, sa koso ha hito wo obiyakase do, koto ni mo ara nu yatu."

 「生きております。狐は、そのように人を脅かすが、何ということもないやつです」

 「いいえ、生き返りました。狐はそうした人騒がせはしますが無力なものでさあ」

52 生きてはべり 以下「あらぬ奴」まで、宿守の詞。

53 人を脅かせど 大島本は「人を」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人は」と校訂する。『新大系』は底本のまま「人を」とする。

 と言ふさま、いと馴れたり。かの夜深き参りものの所に、心を寄せたるなるべし。僧都、

  to ihu sama, ito nare tari. Kano yobukaki mawiri mono no tokoro ni, kokoro wo yose taru naru besi. Soudu,

 と言う態度は、とても物慣れたさまである。あちらの深夜に食事の準備している所に、気を取られているのであろう。僧都は、

 なんでもなく思うらしい。「夜ふけに召し上がりましたもののにおいをいで出て来たのでしょう」

54 いと馴れたり ありふれたさまでいる。

55 夜深き参りものの所に 深夜の食事の準備をしている御厨子所。

56 心を寄せたるなるべし 語り手の推測を交えた叙述。

 「さらば、さやうの物のしたるわざか。なほ、よく見よ」

  "Saraba, sayau no mono no si taru waza ka. Naho, yoku miyo."

 「それでは、そのような物がしたことかどうか。やはり、よく見よ」

 「ではそんなものの仕事かもしれん。まあとっくと見るがいい」

57 さらばさやうの 以下「よく見よ」まで、僧都の詞。

 とて、このもの懼ぢせぬ法師を寄せたれば、

  tote, kono mono-odi se nu hohusi wo yose tare ba,

 と言って、この恐いもの知らずの法師を近づけると、

 僧都は弟子たちにこう命じた。初めから怖気おじけを見せなかった僧がそばへ寄って行った。

 「鬼か神か狐か木霊か。かばかりの天の下の験者のおはしますには、え隠れたてまつらじ。名のりたまへ。名のりたまへ」

  "Oni ka Kami ka kitune ka kodama ka? Kabakari no amenosita no genza no ohasimasu ni ha, e kakure tatematura zi. Nanori tamahe. Nanori tamahe."

 「鬼か神か狐か木霊か。これほどの天下第一の験者がいらっしゃるのには、隠れ申すことはできまい。正体を名のりなさい。正体を名のりなさい」

 「幽鬼おにか、神か、狐か、木精こだまか、高僧のおいでになる前で正体を隠すことはできないはずだ、名を言ってごらん、名を」

58 鬼か神か 以下「名のりたまへ」まで、僧の詞。

 と、衣を取りて引けば、顔をひき入れていよいよ泣く。

  to, kinu wo tori te hike ba, kaho wo hikiire te iyoiyo naku.

 と、衣を取って引くと、顔を隠してますます泣く。

 と言って着物の端を手で引くと、その者は顔をえりに引き入れてますます泣く。

 「いで、あな、さがなの木霊の鬼や。まさに隠れなむや」

  "Ide, ana, sagana no kodama no oni ya? Masani kakure na m ya?"

 「さてもまあ、何と、たちの悪い木霊の鬼だ。正体を隠しきれようか」

 「聞き分けのない幽鬼おにだ。顔を隠そうたって隠せるか」

59 いであな 以下「隠れなむや」まで、僧の詞。

 と言ひつつ、顔を見むとするに、「昔ありけむ目も鼻もなかりける女鬼にやあらむ」と、むくつけきを、頼もしういかきさまを人に見せむと思ひて、衣を引き脱がせむとすれば、うつ臥して声立つばかり泣く。

  to ihi tutu, kaho wo mi m to suru ni, "Mukasi ari kem me mo hana mo nakari keru meoni ni ya ara m?" to, mukutukeki wo, tanomosiu ikaki sama wo hito ni mise m to omohi te, kinu wo hiki-nugase m to sure ba, utubusi te kowe tatu bakari naku.

 と言いながら、顔を見ようとすると、「昔いたという目も鼻もなかった女鬼であろうか」と、気味悪いが、頼もしく威勢のよいところを人に見せようと思って、衣を脱がせようとすると、うつ臥して声を立てるほどに泣く。

 こう言いながら顔を見ようとするのであったが、心では昔話にあるような目も鼻もない女鬼めおにかもしれぬと恐ろしいのを、勇敢さを人に知らせたい欲望から、着物を引いて脱がせようとすると、その者はうつ伏しになって、声もたつほど泣く。

60 目も鼻もなかりける 大島本は「なかりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「なかりけん」と校訂する。『新大系』は底本のまま「なかりける」とする。

 「何にまれ、かく妖しきこと、なべて、世にあらじ」

  "Nani ni mare, kaku ayasiki koto, nabete, yo ni ara zi."

 「何にあれ、このような不思議なことは、普通、世間にはない」

 何にもせよこんな不思議な現われは世にない

61 何にまれ 以下「世にあらじ」まで、僧の心中の思い。

 とて、見果てむと思ふに、

  tote, mi hate m to omohu ni,

 と言って、見極めようと思っていると、

 ことであるから、どうなるかを最後まで見ようと皆の思っているうちに

 「雨いたく降りぬべし。かくて置いたらば、死に果てはべりぬべし。垣の下にこそ出ださめ」

  "Ame itaku huri nu besi. Kakute oi tara ba, sini hate haberi nu besi. Kaki no moto ni koso idasa me."

 「雨がひどく降って来そうだ。こうしておいたら、死んでしまいましょう。築地塀の外に出しましょう」

 雨になり、次第に強い降りになってきそうであった。「このまま置けば死にましょう。垣根かきねの所へまででも出しましょう」

62 雨いたく降りぬべし 以下「出ださめ」まで、僧の詞。

63 垣の下にこそ出ださめ 宇治院の築地塀の外に捨てよう、そうすれば死の穢れに触れずにすむ。

 と言ふ。僧都、

  to ihu. Soudu,

 と言う。僧都は、

 と一人が言う。

 「まことの人の形なり。その命絶えぬを見る見る捨てむこと、いといみじきことなり。池に泳ぐ魚、山に鳴く鹿をだに、人に捕へられて死なむとするを見て、助けざらむは、いと悲しかるべし。人の命久しかるまじきものなれど、残りの命、一、二日をも惜しまずはあるべからず。鬼にも神にも、領ぜられ、人に逐はれ、人に謀りごたれても、これ横様の死にをすべきものにこそあんめれ、仏のかならず救ひたまふべき際なり。

  "Makoto no hito no katati nari. Sono inoti taye nu wo miru miru sute m koto, ito imiziki koto nari. Ike ni oyogu iwo, yama ni naku sika wo dani, hito ni torahe rare te sina m to suru wo mi te, tasuke zara m ha, ito kanasikaru besi. Hito no inoti hisasikaru maziki mono nare do, nokori no inoti, hitohi, hutuka wo mo wosima zu ha aru bekara zu. Oni ni mo Kami ni mo, ryauze rare, hito ni oha re, hito ni hakarigota re te mo, kore yokozama no sini wo su beki mono ni koso anmere, Hotoke no kanarazu sukuhi tamahu beki kiha nari.

 「ほんとうに人の姿だ。その命が今にも絶えてしまいそうなのを見ながら放っておくことは、もっての外のことだ。池で泳ぐ魚、山で鳴く鹿でさえ、人に捕えられて死にそうなのを見て、助けないのは、まことに悲しいことだろう。人の命は長くはないものだが、残りの命の、一、二日を惜しまないものはない。鬼にもあれ神にもあれ、取り憑かれたり、人に追出されたり、人に騙されたりしても、これらは横死をするにちがいないものだが、仏が必ずお救いになるはずの人である。

 「真の人間の姿だ。人間の命のそこなわれるのがわかっていながら捨てておくのは悲しいことだ。池の魚、山の鹿しかでも人に捕えられて死にかかっているのを助けないでおくのは非常に悲しいことなのだから、人間の命は短いものなのだからね、一日だって保てる命なら、それだけでも保たせないではならない。鬼か神に魅入みいられても、また人に置き捨てにされ、悪だくみなどでこうした目にあうことになった人でも、それは天命で死ぬのではない、横死おうしをすることになるのだから、御仏みほとけは必ずお救いになるはずのものなのだ。

64 まことの人の形なり 「言ふ限りにあらず」まで、僧都の詞。

65 いといみじきことなり 大島本は「いといみしき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いみじき」と「いと」を削除する。『新大系』は底本のまま「いといみじき」とする。

66 池に泳ぐ魚山に鳴く鹿をだに 典拠未詳。深い慈悲心をいう。

67 死なむとするを見て 大島本は「しなむとするをみて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見つつ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「見て」とする。

68 残りの命、一、二日をも惜しまずはあるべからず 『完訳』は「母の重病に駆けつけたゆえん」と注す。

69 人に逐はれ人に謀りごたれても 『集成』は「悪人とか継母の奸計といったことが想像される」と注す。

70 ものにこそあんめれ 大島本は「こそあんめれ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こそはあめれ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「こそあんめれ」とする。

 なほ、試みに、しばし湯を飲ませなどして、助け試みむ。つひに、死なば、言ふ限りにあらず」

  Naho, kokoromi ni, sibasi yu wo noma se nado si te, tasuke kokoromi m. Tuhini, sina ba, ihu kagiri ni ara zu."

 やはり、試みに、しばらく薬湯を飲ませたりして、助けてみよう。結局、死んでしまったら、しかたのないことだ」

 生きうるか、どうかもう少し手当をして湯を飲ませなどもして試みてみよう。それでも死ねばしかたがないだけだ」

 とのたまひて、この大徳して抱き入れさせたまふを、弟子ども、

  to notamahi te, kono Daitoko site idaki ire sase tamahu wo, desi-domo,

 とおっしゃって、この大徳に抱いて中に入れさせなさるのを、弟子どもは、

 と僧都そうずは言い、その強がりの僧に抱かせて家の中へ運ばせるのを、弟子たちの中に、

 「たいだいしきわざかな。いたうわづらひたまふ人の御あたりに、よからぬ物を取り入れて、穢らひかならず出で来なむとす」

  "Taidaisiki waza kana! Itau wadurahi tamahu hito no ohom-atari ni, yokara nu mono wo toriire te, kegarahi kanarazu ideki na m to su."

 「不都合なことだなあ。ひどく患っていらっしゃる方のお側近くに、よくないものを近づけて、穢れがきっと出て来よう」

 「よけいなことだがなあ。重い病人のおられる所へ、えたいの知れないものをつれて行くのではけがれが生じて結果はおもしろくないことになるがなあ」

71 たいだいしきわざかな 以下「出で来なむとす」まで、僧の詞。

72 いたうわづらひたまふ人 僧都の母尼。

73 よからぬ物を 「物」は霊力をもったもの、の意。

 と、もどくもあり。また、

  to, modoku mo ari. Mata,

 と、非難する者もいる。また、

 と非難する者もあった。また、

 「物の変化にもあれ、目に見す見す、生ける人を、かかる雨にうち失はせむは、いみじきことなれば」

  "Mono no hengwe ni mo are, me ni misu misu, ike ru hito wo, kakaru ame ni uti-usinahase m ha, imiziki koto nare ba."

 「変化の物であれ、目前に見ながら、生きている人を、このような雨に打たれ死なせるのは、よくないことなので」

 「変化へんげのものであるにせよ、みすみすまだ生きている人をこんな大雨に打たせて死なせてしまうのはあわれむべきことだから」

74 物の変化にもあれ 以下「いみじきことなれば」まで、僧の詞。

 など、心々に言ふ。下衆などは、いと騒がしく、物をうたて言ひなすものなれば、人騒がしからぬ隠れの方になむ臥せたりける。

  nado, kokorogokoro ni ihu. Gesu nado ha, ito sawagasiku, mono wo utate ihinasu mono nare ba, hito sawagasikara nu kakure no kata ni nam huse tari keru.

 などと、思い思いに言う。下衆などは、たいそう騒がしく、口さがなく言い立てるものなので、人の大勢いない隠れた所に寝かせたのであった。

 こう言う者もあった。しもの者は物をおおぎょうに言いふらすものであるからと思い、あまり人の寄って来ない陰のほうの座敷へ拾った人を寝させた。

第四段 妹尼、若い女を介抱す

 御車寄せて降りたまふほど、いたう苦しがりたまふとて、ののしる。すこし静まりて、僧都、

  Mi-kuruma yose te ori tamahu hodo, itau kurusigari tamahu tote, nonosiru. Sukosi sidumari te, Soudu,

 お車を寄せてお下りになる時、ひどくお苦しがりなさると言って、大騒ぎする。少し静まって、僧都が、

 尼君たちの車が着き、大尼君がおろされる時に苦しがると言って皆は騒いだ。少し静まってから僧都は弟子に、

75 御車寄せて降りたまふほど 尼君一行が宇治院に。

76 いたう苦しがりたまふ 主語は母尼。

 「ありつる人、いかがなりぬる」

  "Arituru hito, ikaga nari nuru?"

 「先程の人は、どのようになった」

 「あの婦人はどうなったか」

77 ありつる人いかがなりぬる 大島本は「ありつる人」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ありつる人は」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ありつる人」とする。僧都の詞。

 と問ひたまふ。

  to tohi tamahu.

 とお尋ねになる。

 と問うた。

 「なよなよとしてもの言はず、息もしはべらず。何か、物にけどられにける人にこそ」

  "Nayonayo to si te mono iha zu, iki mo si habera zu. Nanika, mono ni kedora re ni keru hito ni koso."

 「なよなよとして何も言わず、息もしません。いやなに、魔性の物に正体を抜かれた者でしょう」

 「なよなよとしていましてものも申しません。確かによみがえったとも思われません。何かに魂を取られている人なのでしょう」

78 なよなよとして 以下「人にこそ」まで、僧の詞。

79 もの言はず 大島本は「物いはす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ものも言はず」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「物言はず」とする。

80 何か物に--人にこそ 『集成』は「軽くあしらってみせる語気」と注す。

 と言ふを、妹の尼君聞きたまひて、

  to ihu wo, imouto no AmaGimi kiki tamahi te,

 と言うのを、妹の尼君がお聞きになって、

 こう答えているのを僧都の妹の尼君が聞いて、

 「何事ぞ」

  "Nanigoto zo?"

 「何事ですか」

 「何でございますの」

81 何事ぞ 妹尼の詞。

 と問ふ。

  to tohu.

 と尋ねる。

 と尋ねた。こんなことがあったのだと僧都は語り、

 「しかしかのことなむ、六十に余る年、珍かなるものを見たまへつる」

  "Sikasika no koto nam, rokuzihu ni amaru tosi, meduraka naru mono wo mi tamahe turu!"

 「これこれしかじかの事を、六十歳を過ぎた年齢になって、珍しい物を拝見しました」

 「自分は六十何年生きているがまだ見たこともないことにあった」

82 しかしかのことなむ 大島本は「ことなむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことをなむ」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ことなむ」とする。以下「見たまへつる」まで、僧都の詞。

83 六十に余る年 僧都自身の年齢。

 とのたまふ。うち聞くままに、

  to notamahu. Uti-kiku mama ni,

 とおっしゃる。それを聞くなり、

 と言うのを聞いて、尼君は、

 「おのが寺にて見し夢ありき。いかやうなる人ぞ。まづそのさま見む」

  "Onoga tera nite mi si yume ari ki. Ikayau naru hito zo? Madu sono sama mi m."

 「わたしが寺で見た夢がありました。どのような人ですか。早速その様子を見たい」

 「まあ、私が初瀬はせでおこもりをしている時に見た夢があったのですよ。どんな人なのでしょう、ともかく見せてください」

84 おのが寺にて 以下「そのさま見む」まで、妹尼の詞。長谷寺に参籠中に見た夢。

 と泣きてのたまふ。

  to naki te notamahu.

 と泣いておっしゃる。

 泣きながら尼君は言うのであった。

 「ただこの東の遣戸になむはべる。はや御覧ぜよ」

  "Tada kono himgasi no yarido ni nam haberu. Haya goranze yo."

 「ちょうどこの東の遣戸の所におります。早く御覧なさい」

 「すぐその遣戸やりどの向こう側に置きましたよ。すぐ御覧なさい」

85 ただこの 以下「御覧ぜよ」まで、僧都の詞。

 と言へば、急ぎ行きて見るに、人も寄りつかでぞ、捨て置きたりける。いと若ううつくしげなる女の、白き綾の衣一襲、紅の袴ぞ着たる。香はいみじう香うばしくて、あてなるけはひ限りなし。

  to ihe ba, isogi yuki te miru ni, hito mo yorituka de zo, sute oki tari keru. Ito wakau utukusige naru womna no, siroki aya no kinu hitokasane, kurenawi no hakama zo ki taru. Ka ha imiziu kaubasiku te, ate naru kehahi kagirinasi.

 と言うので、急いで行って見ると、誰も側近くにおらずに、放置してあった。とても若くかわいらしげな女で、白い綾の衣一襲に、紅の袴を着ている。香はたいそう芳ばしくて、上品な感じがこの上ない。

 兄の言葉を聞いて尼君は急いでそのほうへ行った。だれもそばにいず打ちやられてあった人は若くて美しく、白いあやの服一重ねを着て、紅のはかまをはいていた。薫香くんこうのにおいがかんばしくついていてかぎりもなく気品が高い。

 「ただ、わが恋ひ悲しむ娘の、帰りおはしたるなめり」

  "Tada, waga kohi kanasimu musume no, kaheri ohasi taru na' meri."

 「まるで、わたしが恋い悲しんでいた娘が、帰っていらしたようだ」

 自分の恋い悲しんでいる死んだ娘が帰って来たのであろう

86 ただわが恋ひ悲しむ 以下「おはしたるなめり」まで、妹尼の詞。

 とて、泣く泣く御達を出だして、抱き入れさす。いかなりつらむとも、ありさま見ぬ人は、恐ろしがらで抱き入れつ。生けるやうにもあらで、さすがに目をほのかに見開けたるに、

  tote, nakunaku gotati wo idasi te, idaki ire sasu. Ikanari tu ram tomo, arisama mi nu hito ha, osorosigara de idaki ire tu. Ike ru yau ni mo ara de, sasugani me wo honokani mi ake taru ni,

 と言って、泣きながら年配の女房たちを使って、抱き入れさせる。どうしたことかとも、事情を知らない人は、恐がらずに抱き入れた。生きているようでもなく、それでも目をわずかに開けたので、

 と尼君は言い、女房をやって自身のへやへ抱き入れさせた。発見された場所がどんな無気味なものであったかを知らない女たちは、恐ろしいとも思わずそれをしたのである。生きているようでもないが、さすがに目をほのかにあけて見上げた時、

87 御達を出だして 妹尼に仕えている年配の女房を遣戸口の外に。

 「もののたまへや。いかなる人か、かくては、ものしたまへる」

  "Mono notamahe ya. Ikanaru hito ka, kakute ha, monosi tamahe ru?"

 「何かおっしゃいなさい。どのようなお人か、こうして、いらっしゃるのは」

 「何かおっしゃいよ。どんなことでこんなふうになっていらっしゃるのですか」

88 もののたまへや 以下「ものしたまへる」まで、妹尼の詞。

 と言へど、ものおぼえぬさまなり。湯取りて、手づからすくひ入れなどするに、ただ弱りに絶え入るやうなりければ、

  to ihe do, mono oboye nu sama nari. Yu tori te, tedukara sukuhi ire nado suru ni, tada yowari ni taye iru yau nari kere ba,

 と尋ねるが、何も分からない様子である。薬湯を取って、ご自身ですくって飲ませなどするが、ただ弱って死にそうだったので、

 と尼君は言ってみたが、依然失心状態が続く。湯を持って来させて自身から口へ注ぎ入れなどするが、衰弱は加わっていくばかりと見えた。

 「なかなかいみじきわざかな」とて、「この人亡くなりぬべし。加持したまへ」

  "Nakanaka imiziki waza kana!" tote, "Kono hito nakunari nu besi. Kadi si tamahe."

 「かえって大変な事になりました」と言って、「この人は死にそうです。加持をしなさい」

 「この人を拾うことができて、そしてまた死なせてしまう悲しみを味わわなければならぬだろうか」と尼君は言い、「この人は死にそうですよ。加持をしてください」

89 なかなかいみじきわざかな 妹尼の詞。『集成』は「なまじこれは大変な心配をしょいこみました。亡き娘の身代りと喜んでみたものの、この人の命を危ぶむ」と注す。

90 この人亡くなりぬべし加持したまへ 妹尼の詞。

 と、験者の阿闍梨に言ふ。

  to, genza no Azari ni ihu.

 と、験者の阿闍梨に言う。

 と初瀬へ行った阿闍梨あじゃりへ頼んだ。

 「さればこそ。あやしき御もの扱ひ」

  "Sareba koso. Ayasiki ohom-monoatukahi."

 「それだから言ったのに。つまらないお世話です」

 「だからむだな世話焼きをされるものだと言ったことだった」

91 さればこそあやしき御もの扱ひ 大島本は「御ものあつかひ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御ものあつかひなり」と「なり」を補訂する。『新大系』は底本のまま「御ものあつかひ」とする。僧の詞。

 とは言へど、神などのために経読みつつ祈る。

  to ha ihe do, Kami nado no tame ni kyau yomi tutu inoru.

 とは言うが、神などの御ためにお経を読みながら祈る。

 この人はつぶやいたが、きもののために経を読んで祈っていた。

92 神などのために経読みつつ 大島本は「ために」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御ために」と「御」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ために」とする。『集成』は「神分といって、祈祷の前に『般若心経』を読む。悪神邪神を退け、善神の加護を願う趣旨」と注す。

第五段 若い女生き返るが、死を望む

 僧都もさしのぞきて、

  Soudu mo sasi-nozoki te,

 僧都もちょっと覗いて、

 僧都もそこへちょっと来て、

 「いかにぞ。何のしわざぞと、よく調じて問へ」

   "Ikani zo? Nani no siwaza zo to, yoku teuzi te tohe."

 「どうですか。何のしわざかと、よく調伏して問え」

 「どうかね。何がこうさせたかをよく物怪もののけを懲らして言わせるがよい」

93 いかにぞ 以下「調じて問へ」まで、僧都の詞。

 とのたまへど、いと弱げに消えもていくやうなれば、

  to notamahe do, ito yowage ni kiye mote iku yau nare ba,

 とおっしゃるが、ひどく弱そうに死んで行きそうなので、

 と言っていたが、女は弱々しく今にも消えていく命のように見えた。

 「え生きはべらじ。すぞろなる穢らひに籠もりて、わづらふべきこと」

  "E iki habera zi. Suzoro naru kegarahi ni komori te, wadurahu beki koto."

 「生きられそうにない。思いがけない穢れに籠もって、厄介なことになりますこと」

 「むずかしいらしい。思いがけぬ死穢しえに触れることになって、

94 え生きはべらじ 以下「見苦しきわざかな」まで、僧たちの詞。

95 すぞろなる穢らひに籠もりて 大島本は「すそろ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「すずろ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「すぞろ」とする。死穢は三十日間の忌籠もりとなる。

 「さすがに、いとやむごとなき人にこそはべるめれ。死に果つとも、ただにやは捨てさせたまはむ。見苦しきわざかな」

  "Sasugani, ito yamgotonaki hito ni koso haberu mere. Sini hatu tomo, tadani yaha sute sase tamaha m. Migurusiki waza kana!"

 「そうは言っても、とても高貴な方でございましょう。死んだとしても、普通の人のようにはお捨て置きになることはできまい。面倒なことになったな」

 われわれはここから出られなくなるだろうし、身分のある人らしく思われるから、死んでもそのまま捨てることはならないだろう。困ったことにかかり合ったものだ」

 と言ひあへり。

  to ihi ahe ri.

 と言い合っていた。

 弟子たちはこんなことを言っているのである。

 「あなかま。人に聞かすな。わづらはしきこともぞある」

  "Anakama! Hito ni kikasu na. Wadurahasiki koto mo zo aru."

 「お静かに。人に聞かせるな。厄介なことでも起こったら大変です」

 「まあ静かにしてください。人にこの人のことは言わないでくださいよ。めんどうが起こるといけませんから」

96 あなかま 以下「こともぞある」まで、妹尼の詞。

 など口固めつつ、尼君は、親のわづらひたまふよりも、この人を生け果てて見まほしう惜しみて、うちつけに添ひゐたり。知らぬ人なれど、みめのこよなうをかしげなれば、いたづらになさじと、見る限り扱ひ騷ぎけり。さすがに、時々、目見開けなどしつつ、涙の尽きせず流るるを、

  nado kutigatame tutu, AmaGimi ha, oya no wadurahi tamahu yori mo, kono hito wo ike hate te mi mahosiu wosimi te, utitukeni sohi wi tari. Sira nu hito nare do, mime no koyonau wokasige nare ba, itadura ni nasa zi to, miru kagiri atukahi sawagi keri. Sasugani, tokidoki, me mi ake nado si tutu, namida no tuki se zu nagaruru wo,

 などと口封じしながら、尼君は、親が患っていらっしゃるのよりも、この人を生き返らせてみたく惜しんで、もうすっかりこちらに付きっきりになっていた。知らない人であるが、顔容姿がこの上なく美しいので、死なせまいと、見る人びとも皆でお世話した。そうは言っても、時々、目を開けたりなどして、涙が止まらず流れるのを、

 と口固めをしておいて、尼君は親の病よりもこの人をどんなにしても生かせたいということで夢中になり、親身の者のようにじっと添っていた。知らない人であったが、容貌ようぼうが非常に美しい人であったから、このまま死なせたくないと惜しんで、どの女房も皆よく世話をした。さすがにときどきは目をあけて見上げなどするが、いつも涙を流しているのを見て、

97 うちつけに添ひゐたり 『集成』は「もうすっかりこちらに付ききりでいる。「うちつけ」は、唐突の意。態度を豹変させて、という感じ」と注す。

98 をかしげなれば 大島本は「おかしけなれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「をかしければ」と「な」を削除する。『新大系』は底本のまま「おかしければ」とする。

99 見る限り 尼君一行の女房たち。『集成』「その場の人は皆」と注す。

 「あな、心憂や。いみじく悲しと思ふ人の代はりに、仏の導きたまへると思ひきこゆるを。かひなくなりたまはば、なかなかなることをや思はむ。さるべき契りにてこそ、かく見たてまつらめ。なほ、いささかもののたまへ」

  "Ana, kokorou ya! Imiziku kanasi to omohu hito no kahari ni, Hotoke no mitibiki tamahe ru to omohi kikoyuru wo. Kahinaku nari tamaha ba, nakanaka naru koto wo ya omoha m. Sarubeki tigiri nite koso, kaku mi tatematura me. Naho, isasaka mono notamahe."

 「まあ、お気の毒な。たいそう悲しいと思う娘の代わりに、仏がお導きなさったとお思い申し上げていたのに。亡くなってしまわれたら、かえって悲しい思いが加わることでしょう。こうなるはずの宿縁で、こうしてお会い申したのでしょう。ぜひ、少しは何とかおっしゃってください」

 「まあ悲しい。私の恋しい死んだ子の代わりに仏様が私の所へ導いて来てくだすった方だと思って私は喜んでますのに、このままになってはかえって以前にました物思いをする私になるでしょう。宿縁があればこそこうして出逢うことになったあなたと私に違いないのですよ。なんとか少しでもものをお言いなさいよ」

100 あな心憂や 以下「もののたまへ」まで、妹尼の詞。

101 人の代はりに 亡き娘の代わりに。

102 仏の導きたまへると 長谷寺の観音。

103 かく見たてまつらめ 大島本は「みたてまつらめ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見たてまつるらめ」と「る」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見たてまつらめ」とする。

 と言ひ続くれど、からうして、

  to ihi tudukure do, karausite,

 と言い続けるが、やっとのことで、

 こう長々と言われたあとで、やっと、

 「生き出でたりとも、あやしき不用の人なり。人に見せで、夜この川に落とし入れたまひてよ」

  "Iki ide tari tomo, ayasiki huyou no hito nari. Hito ni mise de, yoru kono kaha ni otosi ire tamahi te yo."

 「生き返ったとしても、つまらない無用の者です。誰にも見せないで、夜にこの川に投げ込んでくださいまし」

 「生きることができましても、私はもうこの世にいらない人間でございます。人に見せないでこの川へ落としてしまってください」

104 生き出でたりとも 以下「落とし入れたまひてよ」まで、浮舟の詞。

 と、息の下に言ふ。

  to, iki no sita ni ihu.

 と、息の下に言う。

 低い声で病人は言った。

 「まれまれ物のたまふをうれしと思ふに、あな、いみじや。いかなれば、かくはのたまふぞ。いかにして、さる所にはおはしつるぞ」

  "Maremare mono notamahu wo uresi to omohu ni, ana, imizi ya! Ikanare ba, kaku ha notamahu zo? Ikani si te, saru tokoro ni ha ohasi turu zo?"

 「やっとのこと何かおっしゃるのを嬉しいと思ったら、まあ、大変な。どうして、そのようなことをおっしゃるのですか。なぜ、あのような所にいらっしゃったのですか」

 何にもせよ珍しくものを言いだしたことをうれしく尼君は思った。「悲しいことを、まあどうしてそんなことをお言いになりますの、どうしてそんな所に来ておいでになったの」

105 まれまれ物のたまふを 以下「おはしつるぞ」まで、妹尼の詞。

 と問へども、物も言はずなりぬ。「身にもし傷などやあらむ」とて見れど、ここはと見ゆるところなくうつくしければ、あさましく悲しく、「まことに、人の心惑はさむとて出で来たる仮のものにや」と疑ふ。

  to tohe domo, mono mo iha zu nari nu. "Mi ni mosi kizu nado ya ara m?" tote mire do, koko ha to miyuru tokoro naku utukusikere ba, asamasiku kanasiku, "Makoto ni, hito no kokoro madohasa m tote ideki taru kari no mono ni ya?" to utagahu.

 と尋ねるが、何もおっしゃらなくなってしまった。「身体にもしやおかしなところなどがあろうか」と思って見たが、これと思える所はなくかわいらしいので、驚き呆れて悲しく、「ほんとうに、人の心を惑わそうとして出て来た仮の姿をした変化の物か」と疑う。

 と尋ねても、もうそれきり何も言わなかった。身体からだにひょっと傷でもできているのではないかと思って調べてみたが、きずらしい疵もなく、ただ美しいばかりであったから、心は驚きに満たされ、さらに悲しみを覚え、実際兄の弟子たちの言うように、変化へんげのものであってしばらく人の心を乱そうがためにこんな姿で現われたのではないかと疑われもした。

106 身にもし傷などやあらむ 妹尼の心中の思い。『集成』は「からだにあるいは不具のところでもあるのか。若い女のことなので気をまわす。「疵」は、欠陥の意」。『完訳』は「身体的欠陥。一説には怪我」と注す。

107 まことに 以下「仮のものにや」まで、妹尼の思い。

第六段 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る

 二日ばかり籠もりゐて、二人の人を祈り加持する声絶えず、あやしきことを思ひ騒ぐ。そのわたりの下衆などの、僧都に仕まつりける、かくておはしますなりとて、とぶらひ出で来るも、物語などして言ふを聞けば、

  Hutuka bakari komori wi te, hutari no hito wo inori kadi suru kowe taye zu, ayasiki koto wo omohi sawagu. Sono watari no gesu nado no, Soudu ni tukamaturi keru, kakute ohasimasu nari tote, toburahi idekuru mo, monogatari nado si te ihu wo kike ba,

 二日ほど籠もっていて、二人の女性を祈り加持する声がひっきりなしで、不思議な事件だと思ってあれこれ言う。その近辺の下衆などで、僧都にお仕え申していた者が、こうしてお出でになっていると聞いて、挨拶に出て来たが、世間話などして言うのを聞くと、

 一行は二日ほどここに滞留していて、老尼と拾った若い貴女きじょのために祈りをし、加持をする声が絶え間もなく聞こえていた。宇治の村の人で、僧都に以前仕えたことのあった男が、宇治の院に僧都が泊まっていると聞いてたずねて来ていろいろと話をするのを聞いていると、

108 二人の人を 母尼と浮舟。

109 あやしきことを思ひ騒ぐ 『集成』は「奇妙ないきさつに心を痛める。身許の知れぬ意識不明の女までかかえ込んで、一喜一憂するといった感じ」と注す。

110 かくておはしますなり 僧都がここに滞在している。「なり」伝聞推定の助動詞。

 「故八の宮の御女、右大将殿の通ひたまひし、ことに悩みたまふこともなくて、にはかに隠れたまへりとて、騷ぎはべる。その御葬送の雑事ども仕うまつりはべりとて、昨日はえ参りはべらざりし」

  "Ko-Hati-no-Miya no ohom-musume, Udaisyau-dono no kayohi tamahi si, koto ni nayami tamahu koto mo naku te, nihakani kakure tamahe ri tote, sawagi haberu. Sono ohom-sausou no zahuzi-domo tukaumaturi haberi tote, kinohu ha e mawiri habera zari si."

 「故八の宮の姫君で、右大将殿がお通いになっていた方が、特にご病気になったということもなくて、急にお亡くなりになったと言って、大騒ぎしております。そのご葬送の雑事類にお仕え致しますために、昨日は参上することができませんでした」

 「以前の八の宮様の姫君で、右大将が通って来ておいでになった方が、たいした御病気でもなしににわかにおかくれになったといってこの辺では騒ぎになっております。そのお葬式のお手つだいに行ったりしたものですから昨日は伺うことができませんでした」

111 故八の宮の御女 以下「参りはべらざりし」まで、下衆の詞。『完訳』は「ここで瀕死の女が浮舟であることが明確となる」と注す。

112 仕うまつりはべりとて 大島本は「侍り」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍り」とする。

 と言ふ。「さやうの人の魂を、鬼の取りもて来たるにや」と思ふにも、かつ見る見る、「あるものともおぼえず、危ふく恐ろし」と思す。人びと、

  to ihu. "Sayau no hito no tamasihi wo, oni no tori mote ki taru ni ya?" to omohu ni mo, katu miru miru, "Aru mono to mo oboye zu, ayahuku osorosi." to obosu. Hitobito,

 と言う。「そのような人の魂を、鬼が取って持って来たのであろうか」と思うにも、一方では見ながら、「生きている人とも思えず、危なっかしく恐ろしい」とお思いになる。人びとは、

 こんなことも言っている。そうした貴女の霊魂を鬼が奪って持って来たのがこの人ではあるまいかと思われた尼君は、今は目に見ているが跡形もなく消えてしまう人のように思われ、危うくも恐ろしくも拾った姫君を思った。女房らが、

113 さやうの人の 以下「取りもて来たるにや」まで、僧都の心中の思い。

114 あるものともおぼえず危ふく恐ろし 僧都の心中の思い。

 「昨夜見やられし火は、しかことことしきけしきも見えざりしを」

  "Yobe miyara re si hi ha, sika kotokotosiki kesiki mo miye zari si wo."

 「昨夜見やられた火は、そのように大げさなふうには見えませんでしたが」

 「昨夜ここから見えたはそんな大きい野べ送りの灯とも見えなんだけれど」

115 昨夜見やられし火は 以下「見えざりしを」まで、尼君一行の人々の詞。

 と言ふ。

  to ihu.

 と言う。

 と言うと、

 「ことさら事削ぎて、いかめしうもはべらざりし」

  "Kotosara kotosogi te, ikamesiu mo habera zari si."

 「格別に簡略にして、盛大ではございませんでした」

 「わざわざ簡単になすったのですよ」

116 ことさら事削ぎていかめしうもはべらざりし 下衆の詞。

 と言ふ。穢らひたる人とて、立ちながら追ひ返しつ。

  to ihu. Kegarahi taru hito tote, tati nagara ohikahesi tu.

 と言う。死穢に触れた人だからというので、立ったままで帰らせた。

 こんな説明をした。死穢に触れた男であるから病人の家に近づかせてはならないと言い、立ち話をさせただけで追い返した。

117 穢らひたる人とて 死穢に触れた人ということで。

118 立ちながら追ひ返しつ 死穢に触れないため、庭先に立たせたままで、室内に上げない、座らせない。「追ひ返す」は早々に帰らせた意。

 「大将殿は、宮の御女持ちたまへりしは、亡せたまひて、年ごろになりぬるものを、誰れを言ふにかあらむ。姫宮をおきたてまつりたまひて、よに異心おはせじ」

  "Daisyau-dono ha, Miya no ohom-musume moti tamahe ri si ha, use tamahi te, tosigoro ni nari nuru mono wo, tare wo ihu ni ka ara m? Hime-Miya wo oki tatematuri tamahi te, yo ni kotogokoro ohase zi."

 「大将殿は、宮の姫君をお持ちになっていたのは、お亡くなりになって、何年にもなったが、誰を言うのでしょうか。姫宮をさし置き申しては、まさか浮気心はおありでない」

 「大将さんが八の宮の姫君を奥様にしていらっしゃったのは、おくなりになってもうだいぶ時がたっていることだのに、だれのことをいうのだろう。姫宮と結婚をしておいでになる方だから、そんな隠れた愛人などをお持ちになるはずもないことだし」

119 大将殿は 以下「よに異心おはせじ」まで、女房たちの詞。

120 宮の御女持ちたまへりしは 宇治八宮の大君。

121 年ごろになりぬる 死後三年目。『集成』は「亡くなったのは年立の上では四年前(通説、三年前)のこと」と注す。

122 姫宮をおきたてまつり 女二宮。薫の正室。

 など言ふ。

  nado ihu.

 などと言う。

 とも尼君は言っていた。

第七段 尼君ら一行、小野に帰る

 尼君よろしくなりたまひぬ。方も開きぬれば、「かくうたてある所に久しうおはせむも便なし」とて帰る。

  AmaGimi yorosiku nari tamahi nu. Kata mo aki nure ba, "Kaku utate aru tokoro ni hisasiu ohase m mo binnasi." tote kaheru.

 尼君がよくおなりになった。方角も開いたので、「このような嫌な所に長く逗留されるのも不都合である」と言って帰る。

 大尼君の病気はえてしまった。それに方角のさわりもなくなったことであるから、こうした怪異めいたことを見る所に長くいるのはよろしくないといって、僧都の一行は帰ることになった。

123 方も開きぬれば 方塞がりも解けた。

 「この人は、なほいと弱げなり。道のほどもいかがものしたまはむと、心苦しきこと」

  "Kono hito ha, naho ito yowage nari. Miti no hodo mo ikaga monosi tamaha m to, kokorogurusiki koto."

 「この人は、依然としてとても弱々しそうだ。道中もいかがでいらっしゃろうかと、おいたわしいこと」

 拾った貴女はまだ弱々しく見えた。途中が心配である、いたいたしいことである

124 この人は 以下「心苦しきこと」まで、女房たちの詞。

125 いかがものしたまはむと 大島本は「いかゝ物し給ハんと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ものしたまはん」と「と」を削除する。『新大系』は底本のまま「物し給はんと」とする。

 と言ひ合へり。車二つして、老い人乗りたまへるには、仕うまつる尼二人、次のにはこの人を臥せて、かたはらにいま一人乗り添ひて、道すがら行きもやらず、車止めて湯参りなどしたまふ。

  to ihi ahe ri. Kuruma hutatu site, oyibito nori tamahe ru ni ha, tukaumaturu ama hutari, tugi no ni ha kono hito wo huse te, katahara ni ima hitori nori sohi te, mitisugara yuki mo yara zu, kuruma tome te yu mawiri nado si tamahu.

 と話し合っていた。車二台で、老人がお乗りになったのには、お仕えする尼が二人、次のにはこの人を寝かせて、側にもう一人付き添って、道中もはかどらず、車を止めて薬湯などを飲ませなさる。

 と女房たちは言い合っていた。二つの車の一台の僧都と大尼君の乗ったのにはその人に奉仕している尼が二人乗り、次の車には尼夫人が病の人を自身とともに乗せ、ほかに一人の女房を乗せて出た。車をやり通させずに所々でとめて病人に湯を飲ませたりした。

126 仕うまつる尼二人 母尼と女房の尼二人が乗る。

127 いま一人乗り添ひて 浮舟と妹尼の他にもう一人の女房の尼が乗る。

 比叡坂本に、小野といふ所にぞ住みたまひける。そこにおはし着くほど、いと遠し。

  Hie Sakamoto ni, Wono to ihu tokoro ni zo sumi tamahi keru. Soko ni ohasi tuku hodo, ito tohosi.

 比叡の坂本で、小野という所にお住みになっていた。そこにお着きになるまで、まことに遠い。

 比叡ひえ坂本さかもとの小野という所にこの尼君たちの家はあった。そこへの道程みちのりは長かった。

128 比叡坂本に小野といふ所 比叡山の西坂本の小野。

 「中宿りを設くべかりける」

  "Nakayadori wo mauku bekari keru."

 「休憩所を準備すべきであった」

 途中で休息する所を考えておけばよかった

129 中宿りを設くべかりける 一行の詞。普通の旅では不要。病人が出たので必要性を感じた。

 など言ひて、夜更けておはし着きぬ。

  nado ihi te, yo huke te ohasi tuki nu.

 などと言って、夜が更けてお着きになった。

 と言いながらも小野の家へ夜ふけになって帰り着いた。

 僧都は、親を扱ひ、娘の尼君は、この知らぬ人をはぐくみて、皆抱き降ろしつつ休む。老いの病のいつともなきが、苦しと思ひたまへし遠道の名残こそ、しばしわづらひたまひけれ、やうやうよろしうなりたまひにければ、僧都は登りたまひぬ。

  Soudu ha, oya wo atukahi, musume no AmaGimi ha, kono sira nu hito wo hagukumi te, mina idaki orosi tutu yasumu. Oyi no yamahi no itu to mo naki ga, kurusi to omohi tamahe si tohomiti no nagori koso, sibasi wadurahi tamahi kere, yauyau yorosiu nari tamahi ni kere ba, Soudu ha nobori tamahi nu.

 僧都は、母親を世話し、娘の尼君は、この知らない女を介抱して、みな抱いて降ろし降ろしして休む。老人の病気はいつということもないが、苦しいと思っていた遠路のせいで、少しお疲れになったが、だんだんとよくおなりになったので、僧都は山にお登りになった。

 僧都は母を、尼君はこの知らぬ人を世話して皆抱きおろして休ませた。老いた尼君はいつもすぐれた健康を持っているのではない上、遠い旅をしたあとであったから、その後しばらくはわずらっていたもののようやく快癒かいゆしたふうの見えたために僧都は横川よかわの寺へ帰った。

130 はぐくみて 『集成』は「「はぐくむ」は、親が子を大事に育てる意。妹尼の気持が出ている」と注す。

131 僧都は登りたまひぬ 僧都は比叡山の横川に帰山。

 「かかる人なむ率て来たる」など、法師のあたりにはよからぬことなれば、見ざりし人にはまねばず。尼君も、皆口固めさせつつ、「もし尋ね来る人もやある」と思ふも、静心なし。「いかで、さる田舎人の住むあたりに、かかる人落ちあふれけむ。物詣でなどしたりける人の、心地などわづらひけむを、継母などやうの人の、たばかりて置かせたるにや」などぞ思ひ寄りける。

  "Kakaru hito nam wi te ki taru." nado, hohusi no atari ni ha yokara nu koto nare ba, mi zari si hito ni ha maneba zu. AmaGimi mo, mina kutigatame sase tutu, "Mosi tadune kuru hito mo ya aru?" to omohu mo, sidugokoro nasi. "Ikade, saru winakabito no sumu atari ni, kakaru hito oti ahure kem. Monomaude nado si tari keru hito no, kokoti nado wadurahi kem wo, mamahaha nado yau no hito no, tabakari te oka se taru ni ya?" nado zo omohiyori keru.

 「このような女を連れて来た」などと、法師の間ではよくないことなので、知らなかった人には事情を話さない。尼君も、みな口封じをさせたが、「もしや探しに来る人もいようか」と思うと、気が落ち着かない。「何とか、そのような田舎者の住む辺りに、このような方がさまよっていたのだろうか。物詣でなどした人で、気分が悪くなったのを、継母などのような人が、だまして置いていったのであろうか」と推測してみるのだった。

 身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは僧としてよいうわさにならぬことであったから、初めから知らぬ人には何も話さなかった。尼君もまた同行した人たちに口固めをしているのであって、もし捜しに来る人もあったならばと思うことがこの人を不安にしていた。どうしてあの田舎人ばかりのいる所にこの人がこぼされたように落ちていたのであろう、初瀬へでも参詣さんけいした人が途中で病気になったのを継母ままははなどという人が悪意で捨てさせたのであろうと、このごろではそんな想像をするようになった。

132 かかる人なむ率て来たる 瀕死の女を連れて来た、ということ。

133 見ざりし人には 宇治院での出来事を知らない僧侶には。過去助動詞「き」、体験的ニュアンス。『完訳』は「立ち会っていなかった者には」と注す。

134 まねばず 『集成』は「事情を話さない」と注す。

135 いかでさる田舎人の 以下「置かせたるにや」まで、妹尼の心中の思い。

136 かかる人 『集成』は「こんな身分ありげな美しく若い女性がみじめな姿でいたのだろう」と注す。

 「川に流してよ」と言ひし一言より他に、ものもさらにのたまはねば、いとおぼつかなく思ひて、「いつしか人にもなしてみむ」と思ふに、つくづくとして起き上がる世もなく、いとあやしうのみものしたまへば、「つひに生くまじき人にや」と思ひながら、うち捨てむもいとほしういみじ。夢語りもし出でて、初めより祈らせし阿闍梨にも、忍びやかに芥子焼くことせさせたまふ。

  "Kaha ni nagasi te yo." to ihi si hitokoto yori hoka ni, mono mo sarani notamaha ne ba, ito obotukanaku omohi te, "Itusika hito ni mo nasi te mi m." to omohu ni, tukuduku to si te okiagaru yo mo naku, ito ayasiu nomi monosi tamahe ba, "Tuhini iku maziki hito ni ya?" to omohi nagara, uti-sute m mo itohosiu imizi. Yumegatari mo siide te, hazime yori inora se si Azyari ni mo, sinobiyakani kesi yaku koto se sase tamahu.

 「川に流してください」と言った一言以外に、何もまったくおっしゃらないので、とても分からなく思って、「はやく人並みの健康にしよう」と思うと、ぐったりとして起き上がる時もなく、まことに心配な容態ばかりしていらっしゃるので、「結局は生きられない人であろうか」と思いながら、放っておくのもお気の毒でたまらない。夢の話もし出しては、最初から祈祷させた阿闍梨にも、こっそりと芥子を焼くことをおさせになる。

 かわへ流してほしいと言った一言以外にまだ今まで何も言わないのであったからたよりなく思った。そのうち健康じょうぶにさせて手もとで養うことにしたいと尼君は願っているのであるが、いつまでも寝たままで起き上がれそうにもなく、重態な様子でその人はいたから、このまま衰弱して死んでしまうのではなかろうかと思われはするものの無関心にはなれそうもなかった。初瀬で見た夢の話もして、宇治で初めから祈らせていた阿闍梨にも尼君はそっと祈祷きとうをさせていた。

137 川に流してよ 浮舟が前に言った詞。

138 ものもさらにのたまはねば 主語は浮舟。『完訳』は「女への敬語の初出。身分ある女と察する妹尼の気持の反映。逆に妹尼に敬語がつかないのは、彼女の心中に即した語り口による」と注す。

139 いつしか人にもなしてみむ 妹尼の心中の思い。

140 つくづくとして 浮舟の様子。

141 つひに生くまじき人にや 妹尼の心中の思い。

142 夢語りもし出でて 長谷寺で見た夢の話。妹尼がなぜこんなに大切に世話をするのか理由が人々に初めて明かされる。

143 芥子焼くこと 『集成』は「密教の修法で護摩を焚くこと。その火で一切の悪業を焼き滅ぼすという」と注す。

第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活

第一段 僧都、小野山荘へ下山

 うちはへかく扱ふほどに、四、五月も過ぎぬ。いとわびしうかひなきことを思ひわびて、僧都の御もとに、

  Utihahe kaku atukahu hodo ni, Si, Gogwati mo sugi nu. Ito wabisiu kahinaki koto wo omohiwabi te, Soudu no ohom-moto ni,

 ずっとこうしてお世話するうちに、四月、五月も過ぎた。まことに心細く看護の効のないことに困りはてて、僧都のもとに、

 それでもはかばかしくないことに気をもんで尼君は僧都の所へ手紙を書いた。

144 四五月も過ぎぬ 浮舟の入水未遂事件は三月末、それから小野で二月を経過した。季節は夏、猛暑のころとなる。

 「なほ下りたまへ。この人、助けたまへ。さすがに今日までもあるは、死ぬまじかりける人を、憑きしみ領じたるものの、去らぬにこそあめれ。あが仏、京に出でたまはばこそはあらめ、ここまではあへなむ」

  "Naho ori tamahe. Kono hito, tasuke tamahe. Sasugani kehu made mo aru ha, sinu mazikari keru hito wo, tuki simi ryauzi taru mono no, sara nu ni koso ame re. Aga Hotoke, kyau ni ide tamaha ba koso ha ara me, koko made ha ahe na m."

 「もう一度下山してください。この人を、助けてください。何といっても今日まで生きていたのは、死ぬはずのない運命の人に、取り憑いて離れない物の怪が去らないのにちがいありません。どうかあなた様、京にお出になるのは無理でしょうが、ここまでは来てください」

 ぜひ下山してくださいまして私の病人を助けてくださいまし。重態なようでしかも今日まで死なずにいることのできた人には、何かがきっといていてわざわいをしているものらしく思われます。私の仏のお兄様、京へまでお出になるのはよろしくないかもしれませんが、ここへまでおいでくださるだけのことはおこもりにさわることでもないではございませんか。

145 なほ下りたまへ 以下「あへなむ」まで、妹尼から兄僧都への手紙文。

146 憑きしみ領じたるものの 物の怪が深くとり憑いて正気を失わせている。

147 あが仏 僧都に対して懇願した呼びかけ。

148 こそはあらめ 大島本は「こそハあらめ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こそあらめ」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「こそはあらめ」とする。

 など、いみじきことを書き続けて、奉りたまへれば、

  nado, imiziki koto wo kaki tuduke te, tatematuri tamahe re ba,

 などと、切なる気持ちを書き綴って、差し上げなさると、

 などと、切な願いを言い続けたものであった。

149 奉りたまへれば 大島本は「たてまつり給へれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「奉れ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「奉り」とする。

 「いとあやしきことかな。かくまでもありける人の命を、やがてとり捨ててましかば。さるべき契りありてこそは、我しも見つけけめ。試みに助け果てむかし。それに止まらずは、業尽きにけりと思はむ」

  "Ito ayasiki koto kana! Kaku made mo ari keru hito no inoti wo, yagate tori sute te masika ba. Sarubeki tigiri ari te koso ha, ware simo mituke keme. Kokoromi ni tasuke hate m kasi. Sore ni todomara zu ha, gou tuki ni keri to omoha m."

 「まことに不思議なことだな。こんなにまで生きている人の命を、そのまま見捨ててしまったら。そうなるはずの縁があって、わたしが見つけたのであろう。ためしに最後まで助けてやろう。それでだめなら、命数が尽きたのだと思おう」

 不思議なことである、今までまだ死なずにおられた人を、あの時うちやっておけばむろん死んだに違いない、前生の因縁があったからこそ、自分が見つけることにもなったのであろう、試みにどこまでも助けることに骨を折ってみよう、それでとめられない命であったなら、その人の業が尽きたのだとあきらめてしまおう

150 いとあやしきことかな 以下「と思はむ」まで、僧都の心中の思い。

151 とり捨ててましかば 大島本は「とりすてゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うち棄てて」と校訂する。『新大系』は底本のまま「とり捨てて」とする。

152 それに止まらずは 大島本は「とゝまらすハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とまらずは」と「ゝ」を削除する。『新大系』は底本のまま「とどまらずは」とする。

 とて、下りたまひけり。

  tote, ori tamahi keri.

 と思って、下山なさった。

 と僧都は思って山をおりた。

153 下りたまひけり 大島本は「おり給けり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「下りたまへり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「下り給けり」とする。

 よろこび拝みて、月ごろのありさまを語る。

  Yorokobi wogami te, tukigoro no arisama wo kataru.

 喜んで拝して、いく月日の間の様子を話す。

 うれしく思った尼君は僧都を拝みながら今までの経過を話した。

154 よろこび拝みて 主語は妹尼。

 「かく久しうわづらふ人は、むつかしきこと、おのづからあるべきを、いささか衰へず、いときよげに、ねぢけたるところなくのみものしたまひて、限りと見えながらも、かくて生きたるわざなりけり」

  "Kaku hisasiu wadurahu hito ha, mutukasiki koto, onodukara aru beki wo, isasaka otorohe zu, ito kiyoge ni, nedike taru tokoro naku nomi monosi tamahi te, kagiri to miye nagara mo, kaku te iki taru waza nari keri."

 「このように長い間患っている人は、見苦しい感じが、自然と出て来るものですが、少しも衰弱せず、とても美しげで、ひねくれたところもなくいらっしゃって、最期と見えながらも、こうして生きていることです」

 「こんなに長わずらいをする人というものはどこかしら病人らしい気味悪さが自然にでてくるものですが、そんなことはないのでございますよ。少しも衰えたふうはなくて、きれいで清らかなのですよ。そうした人ですから危篤にも見えながら生きられるのでしょうね」

155 かく久しう 以下「わざなりけり」まで、妹尼の詞。

156 むつかしきこと 『集成』は「むさくるしい感じ」。『完訳』は「疎ましい感じ」と注す。

 など、おほなおほな泣く泣くのたまへば、

  nado, ohonaohona nakunaku notamahe ba,

 などと、本気になって泣きながらおっしゃるので、

 尼君は真心から病人を愛して泣く泣く言うのであった。

 「見つけしより、珍かなる人のみありさまかな。いで」

  "Mituke si yori, meduraka naru hito no mi-arisama kana! Ide."

 「見つけた時から、めったにいないご様子の方であったな。さあ」

 「はじめ見た時から珍しい美貌びぼうの人だったね。どんなふうでいます」

157 見つけしより 以下「いで」まで、僧都の詞。

 とて、さしのぞきて見たまひて、

  tote, sasi-nozoki te mi tamahi te,

 と言って、さし覗いて御覧になって、

 と言い、僧都は病室をのぞいた。

 「げに、いと警策なりける人の御容面かな。功徳の報いにこそ、かかる容貌にも生ひ出でたまひけめ。いかなる違ひめにて、損はれたまひけむ。もし、さにや、と聞き合はせらるることもなしや」

  "Geni, ito kyauzaku nari keru hito no ohom-youmei kana! Kudoku no mukuyi ni koso, kakaru katati ni mo ohiide tamahi keme. Ikanaru tagahime nite, sokonahare tamahi kem. Mosi, sa ni ya, to kiki ahase raruru koto mo nasi ya!"

 「なるほど、まことに優れたご容貌の方であるなあ。功徳の報恩で、このような器量にお生まれになったのであろう。どのような行き違いで、ひどいことにおなりになったのであろう。もしや、それか、と思い当たるような噂を聞いたことはありませんか」

 「実際この人はすぐれた麗人だね。前生での功徳くどくの報いでこうした容姿を得て生まれたのだろうが、また宿命の中にどんなさわりがあってこんな目にあうことになったのだろう。何かほかから思いあたるような話を聞きましたか」

158 げにいと警策なりける 以下「こともなしや」まで、僧都の詞。

159 いかなる違ひめにて 『完訳』は「どんなまちがいで。本来の宿世にはよらぬ不幸だとする」と注す。

160 損はれたまひけむ 大島本は「そこなはれ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かくそこなはれ」と「かく」を補訂する。『新大系』は底本のまま「損はれ」とする。

 と問ひたまふ。

  to tohi tamahu.

 と尋ねなさる。


 「さらに聞こゆることもなし。何か、初瀬の観音の賜へる人なり」

  "Sarani kikoyuru koto mo nasi. Nanika, Hatuse no Kwanon no tamahe ru hito nari."

 「まったく聞いたことありません。何の、初瀬の観音が授けてくださった人です」

 「少しもございません。そんなことを考える必要はないと思います。私へ初瀬はせの観音様がくだすった人ですもの」

161 さらに聞こゆることもなし 以下「人なり」まで、妹尼の詞。そうした噂を一向に聞かない。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃるので、

 と尼君は言う。

 「何か。それ縁に従ひてこそ導きたまはめ。種なきことはいかでか」

  "Nanika. Sore en ni sitagahi te koso mitibiki tamaha me. Tane naki koto ha ikadeka."

 「いや何。宿縁によってお導きくださったものでしょう。因縁のないことはどうして起ころうか」

 「それにはそれの順序がありますよ。虚無から人の出てくるものではないからね」

162 何かそれ縁に 以下「いかでか」まで、僧都の詞。

163 いかでか 反語表現。下に「導きたまはむ」などの語句が省略。

 など、のたまふが、あやしがりたまひて、修法始めたり。

  nado, notamahu ga, ayasigari tamahi te, suhohu hazime tari.

 などと、おっしゃるのが、不思議がりなさって、修法を始めた。

 などと僧都そうずは言い、不思議な女性のために修法を始めた。

164 のたまふが 大島本は「の給か」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「のたまひ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「の給が」とする。

第二段 もののけ出現

 「朝廷の召しにだに従はず、深く籠もりたる山を出でたまひて、すぞろにかかる人のためになむ行ひ騷ぎたまふと、ものの聞こえあらむ、いと聞きにくかるべし」と思し、弟子どもも言ひて、「人に聞かせじ」と隠す。僧都、

  "Ohoyake no mesi ni dani sitagaha zu, hukaku komori taru yama wo ide tamahi te, suzoroni kakaru hito no tame ni nam okonahi sawagi tamahu to, mono no kikoye ara m, ito kikinikukaru besi." to obosi, desi-domo mo ihi te, "Hito ni kikase zi." to kakusu. Soudu,

 「朝廷のお召しでさえお受けせず、深く籠もっている山をお出になって、わけもなくこのような人のために修法をなさっていると、噂が聞こえた時には、まことに聞きにくいことであろう」とお思いになり、弟子どももそう意見して、「人に聞かせまい」と隠す。僧都、

 宮中からのお召しさえ辞退して山にこもっている自分が、だれとも知らぬ女のために自身で祈祷きとうをしていることが評判になっては困ることであると僧都も思い、弟子たちも言って、修法の声を人に聞かすまいと隠すようにした。いろいろと非難がましく言う弟子たちに僧都は、

165 朝廷の召しにだに 以下「いと聞きにくかるべし」まで、妹尼の心中の思い。

166 すぞろに 大島本は「すそろに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「すずろに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「すぞろに」とする。

 「いで、あなかま。大徳たち。われ無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけて、まだ誹りとらず、過つことなし。六十に余りて、今さらに人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ」

  "Ide, anakama! Daitoko-tati. Ware muzan no hohusi nite, imu koto no naka ni, yaburu kai ha ohokara me do, womna no sudi ni tuke te, mada sosiri tora zu, ayamatu koto nasi. Rokuzihu ni amari te, imasara ni hito no modoki oha m ha, sarubeki ni koso ha ara me."

 「まあ、お静かに。大徳たち。わたしは破戒無慚の法師で、戒律の中で、破った戒律は多かろうが、女の方面ではまだ非難されたことなく、過ったこともない。年齢も六十を過ぎて、今さら人の非難を受けるのは、前世の因縁なのであろう」

 「静かにするがよい。自分は無慚むざんの僧で、御仏みほとけの戒めを知らず知らず破っていたことも多かったであろうが、女に関することだけではまだ人のそしりを受けず、みずから認める過失はなかった。年六十を過ぎた今になって世の非難を受けてもしかたのないことに関与するのも、前生からの約束事だろう」

167 いであなかま 以下「こそはあらめ」まで、僧都の詞。

168 六十に余りて 大島本は「六十にあまりて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「齢六十にあまりて」と「齢」を補訂する。『新大系』は底本のまま「六十にあまりて」とする。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃると、

 と言った。

 「よからぬ人の、ものを便なく言ひなしはべる時には、仏法の瑕となりはべることなり」

  "Yokara nu hito no, mono wo binnaku ihinasi haberu toki ni ha, Buppohu no kizu to nari haberu koto nari."

 「口さがない連中が、何か不都合な事にとりなして言いました時には、仏法の恥となりますことです」

 「悪口好きな人たちに悪く解釈され、評判が立ちますればそれが根本の仏法のきずになることでございましょう」

169 よからぬ人の 以下「ことなり」まで、弟子の詞。

170 仏法の瑕となりはべることなり 『完訳』は「僧都が世間に知名の高僧だけに、仏法の恥になるという」と注す。

 と、心よからず思ひて言ふ。

  to, kokoroyokara zu omohi te ihu.

 と、不機嫌に思って言う。

 快く思っていない弟子はこんな答えをした。

 「この修法のほどにしるし見えずは」

  "Kono suhohu no hodo ni sirusi miye zu ha."

 「この修法によって効験が現れなかったら」

 自分のする修法の間に効験のない場合には

171 この修法のほどにしるし見えずは 僧都の詞。『完訳』は「二度と加持祈祷はすまい、ぐらいの非常の決意で修法にあたる」と注す。

 と、いみじきことどもを誓ひたまひて、夜一夜加持したまへる暁に、人に駆り移して、「何やうのもの、かく人を惑はしたるぞ」と、ありさまばかり言はせまほしうて、弟子の阿闍梨、とりどりに加持したまふ。月ごろ、いささかも現はれざりつるもののけ、調ぜられて、

  to, imiziki koto-domo wo tikahi tamahi te, yo-hito-yo kadi si tamahe ru akatuki ni, hito ni kari utusi te, "Naniyau no mono, kaku hito wo madohasi taru zo?" to, arisama bakari ihase mahosiu te, desi no Azyari, toridorini kadi si tamahu. Tukigoro, isasaka mo arahare zari turu mononoke, teuze rare te,

 と、非常な決意をなさって、夜一晩中、加持なさった翌早朝に、人に乗り移らせて、「どのような物の怪がこのように人を惑わしていたのであろう」と、様子だけでも言わせたくて、弟子の阿闍梨が、交替で加持なさる。何か月もの間、少しも現れなかった物の怪が、調伏されて、

 と非常な決心までもして夜明けまで続けた加持のあとで、他の人に物怪もののけを移し、どんなものがこうまで人を苦しめるかと話をさせるため、弟子の阿闍梨あじゃりがとりどりにまた加持をした。そうしていると先月以来少しも現われて来なかった物怪が法に懲らされてものを言いだした。

172 人に駆り移して 物の怪を憑坐に駆り移す。

173 何やうのもの、かく人を惑はしたるぞ 大島本は「なにやうのもの」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「何やうのものの」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「何やうのもの」とする。僧都の心中の思い。

 「おのれは、ここまで参うで来て、かく調ぜられたてまつるべき身にもあらず。昔は行ひせし法師の、いささかなる世に恨みをとどめて、漂ひありきしほどに、よき女のあまた住みたまひし所に住みつきて、かたへは失ひてしに、この人は、心と世を恨みたまひて、我いかで死なむ、と言ふことを、夜昼のたまひしにたよりを得て、いと暗き夜、独りものしたまひしを取りてしなり。されど、観音とざまかうざまにはぐくみたまひければ、この僧都に負けたてまつりぬ。今は、まかりなむ」

  "Onore ha, koko made maude ki te, kaku teuze rare tatematuru beki mi ni mo ara zu. Mukasi ha okonahi se si hohusi no, isasaka naru yo ni urami wo todome te, tadayohi ariki si hodo ni, yoki womna no amata sumi tamahi si tokoro ni sumituki te, katahe ha usinahi te si ni, kono hito ha, kokoro to yo wo urami tamahi te, ware ikade sina m, to ihu koto wo, yoru hiru notamahi si ni tayori wo e te, ito kuraki yo, hitori monosi tamahi si wo tori te si nari. Saredo, Kwanon tozamakauzama ni hagukumi tamahi kere ba, kono Soudu ni make tatematuri nu. Ima ha, makari na m."

 「自分は、ここまで参って、このように調伏され申すべき身ではない。生前は、修業に励んだ法師で、わずかにこの世に恨みを残して、中有にさまよっていたときに、よい女が大勢住んでいられた辺りに住み着いて、一人は失わせたが、この人は、自分から世を恨みなさって、自分は何とかして死にたい、ということを、昼夜おっしゃっていたのを手がかりと得て、まことに暗い夜に、一人でいらした時に奪ったのである。けれども、観音があれやこれやと加護なさったので、この僧都にお負け申してしまった。今は、立ち去ろう」

 「自分はここへまで来て、こんなに懲らされるはずの者ではない。生きている時にはよく仏の勤めをした僧であったが、少しのうらみをこの世にのこしたために、成仏ができずさまよい歩くうちに、美しい人の幾人もいる所へ住みつくことになり、一人は死なせてしまったが、この人は自身から人生を恨んで、どうしても死にたいということを夜昼言っていたから、自分の近づくのに都合がよくて、暗い晩に一人でいたのを取って来たのだ。けれども観音がいろいろにして守っておられるため、とうとうこの僧都に負けてしまった。もう帰る」

174 おのれは 以下「今はまかりなむ」まで、物の怪の詞。

175 昔は行ひせし法師の 物の怪が生前の正体を語る。

176 恨みをとどめて 『完訳』は「女人への執着でもあったか」と注す。

177 よき女のあまた住みたまひし所に 宇治の八宮邸。

178 かたへは失ひてしに 『集成』は「大君のこと。大君に物の怪のとりついた形跡はない。この巻で、事情をこの物の怪の言ったようなことに作りかえたのである」と注す。

179 この人は心と 浮舟は自分から。

180 たよりを得て 手がかりを得て。物の怪が付け入る理由。

181 観音 長谷寺の観音。

 とののしる。

  to nonosiru.

 と声を立てる。

 叫ぶようにこれは言われたのである。

 「かく言ふは、何ぞ」

  "Kaku ihu ha, nani zo?"

 「こう言うのは、何者だ」

 「そう言う者はだれか」

182 かく言ふは何ぞ 僧都の詞。

 と問へば、憑きたる人、ものはかなきけにや、はかばかしうも言はず。

  to tohe ba, tuki taru hito, mono-hakanaki ke ni ya, hakabakasiu mo iha zu.

 と問うが、乗り移らせた人が、力のないせいか、はっきりとも言わない。

 と問うたが、移してあった人が単純な者でわきまえの少なかったせいか、それをつまびらかに言うことをなしえなかった。

第三段 浮舟、意識を回復

 正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて見回したれば、一人見し人の顔はなくて、皆、老法師、ゆがみ衰へたる者のみ多かれば、知らぬ国に来にける心地して、いと悲し。

  Sauzimi no kokoti ha sahayakani, isasaka mono oboye te mimahasi tare ba, hitori mi si hito no kaho ha naku te, mina, oyihohusi, yugami otorohe taru mono nomi ohokare ba, sira nu kuni ni ki ni keru kokoti si te, ito kanasi.

 ご本人の気分はさわやかになって、少し意識がはっきりして見回すと、一人も見たことのある顔はなくて、皆、老法師か腰の曲がった者ばかり多いので、知らない国に来たような気がして、実に悲しい。

 浮舟うきふねの姫君はこの時気分がなおり、意識が少し確かになって見まわすと、一人として知った顔はなく、皆老いた僧、顔のゆがんだ尼たちだけであったから、未知の国へ来た気がして非常に悲しくなった。

183 正身の心地は 浮舟の気分。

184 者のみ多かれば 大島本は「物のミ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「者どものみ」と「ども」を補訂する。『新大系』は底本のまま「物のみ」とする。

185 知らぬ国に来にける心地して 『完訳』は「別世界に蘇生した不安な感じ」と注す。

 ありし世のこと思ひ出づれど、住みけむ所、誰れと言ひし人とだに、たしかにはかばかしうもおぼえず。ただ、

  Arisi yo no koto omohiidure do, sumi kem tokoro, tare to ihi si hito to dani, tasikani hakabakasiu mo oboye zu. Tada,

 以前のことを思い出すが、住んでいた所、何という名前であったかさえ、確かにはっきりとも思い出せない。ただ、

 以前のことを思い出そうとするが、どこに住んでいたとも、何という人で自分があったかということすらしかと記憶から呼び出すことができないのであった。ただ

186 誰れと言ひし人とだに 自分が何という名であったかさえ。

 「我は、限りとて身を投げし人ぞかし。いづくに来にたるにか」とせめて思ひ出づれば、

  "Ware ha, kagiri tote mi wo nage si hito zo kasi. Iduku ni ki ni taru ni ka?" to seme te omohiidure ba,

 「自分は、最期と思って身を投げた者である。どこに来たのか」と無理に思い出すと、

 自分は入水じゅすいする決心をして身を投げに行ったということが意識に上ってきた。そしてどこへ来たのであろうとしいて過去を思い出してみると、

187 我は 以下「来にたるにか」まで、浮舟の心中の思い。

 「いといみじと、ものを思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風は烈しう、川波も荒う聞こえしを、独りもの恐ろしかりしかば、来し方行く先もおぼえで、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くべき方も惑はれて、帰り入らむも中空にて、心強くこの世に亡せなむと思ひ立ちしを、『をこがましうて人に見つけられむよりは、鬼も何も食ひ失へ』と言ひつつ、つくづくと居たりしを、いときよげなる男の寄り来て、『いざ、たまへ。おのがもとへ』と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のしたまふ、とおぼえしほどより、心地惑ひにけるなめり。知らぬ所に据ゑ置きて、この男は消え失せぬ、と見しを、つひにかく本意のこともせずなりぬる、と思ひつつ、いみじう泣く、と思ひしほどに、その後のことは絶えて、いかにもいかにもおぼえず。

  "Ito imizi to, mono wo omohi nageki te, minahito no ne tari si ni, tumado wo hanati te ide tari si ni, kaze ha hagesiu, kahanami mo arau kikoye si wo, hitori mono-osorosikari sika ba, kisikata yukusaki mo oboye de, sunoko no hasi ni asi wo sasi-orosi nagara, yuku beki kata mo madoha re te, kaheri ira m mo nakazora nite, kokoroduyoku konoyo ni use na m to omohitati si wo, 'Wokogamasiu te hito ni mituke rare m yori ha, oni mo nani mo kuhi usinahe.' to ihi tutu, tukuduku to wi tari si wo, ito kiyoge naru wotoko no yoriki te, 'Iza, tamahe. Onoga moto he.' to ihi te, idaku kokoti no se si wo, Miya to kikoye si hito no si tamahu, to oboye si hodo yori, kokoti madohi ni keru na' meri. Sira nu tokoro ni suwe oki te, kono wotoko ha kiye use nu, to mi si wo, tuhini kaku ho'i no koto mo se zu nari nuru, to omohi tutu, imiziu naku, to omohi si hodo ni, sono noti no koto ha taye te, ikanimo ikanimo oboye zu.

 「とてもつらいことよと、悲しい思いを抱いて、皆が寝静まったときに、妻戸を開けて外に出たが、風が烈しく、川波も荒々しく聞こえたが、独りぼっちで恐かったので、過去や将来も分からず、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くはずの所も迷って、引き返すのも中途半端で、気強くこの世から消えようと決心したが、『馬鹿らしく人に見つけられるよりは鬼でも何でも喰って亡くしてくれよ』と言いながら、つくづくと座っていたが、とても美しそうな男が近寄って来て、『さあ、いらっしゃい。わたしの所へ』と言って、抱く気がしたが、宮様と申し上げた方がなさる、と思われた時から、意識がはっきりしなくなったようだ。知らない所に置いて、この男は消えてしまった、と見えたが、とうとうこのように目的も果たせずになってしまった、と思いながら、ひどく泣いている、と思ったときから、その後のことはまったく、何もかも覚えていない。

 生きていることがもう堪えがたく悲しいことに思われて、家の人の寝たあとで妻戸をあけて外へ出てみると、風が強く吹いていて川波の音響も荒かったため、一人であることが恐ろしくなり、前後も考えて見ず縁側から足を下へおろしたが、どちらへ向いて行ってよいかもわからず、今さら家の中へ帰って行くこともできず、気強く自殺を思い立ちながら、人に見つけられるような恥にあうよりは鬼でも何でも自分を食べて死なせてほしいと口で言いながらそのままじっと縁側によりかかっていた所へ、きれいな男が出て来て、「さあおいでなさい私の所へ」と言い、抱いて行く気のしたのを、宮様と申した方がされることと自分は思ったが、そのまま失心したもののようであった。知らぬ所へ自分をすわらせてその男は消えてしまったのを見て、自分はこんなことになって、目的とした自殺も遂げられなかったと思い、ひどく泣いていたと思うがそれからのことは何も記憶にない。

188 いといみじと 以下「かくて生き返りぬるか」まで、浮舟の心中の思い。当夜の経緯を回想。

189 来し方行く先もおぼえで 大島本は「きしかたゆくさき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「行く末」と校訂する。『新大系』は底本のまま「行く先」とする。

190 足をさし下ろしながら 『完訳』は「決行しかねて、しばらく躊躇」と注す。

191 帰り入らむも中空にて 部屋に引き返すのも中途半端な気持。

192 鬼も何も食ひ失へ 大島本は「くいうしなへ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「食ひて失ひてよ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「食い失へ」とする。

193 つくづくと居たりしを 『完訳』は「行動に踏み切れぬ心に、次の幻覚が浮ぶ。前の物の怪が女に憑いた話とも照応しよう」と注す。

194 抱く心地のせしを宮と聞こえし人の 『集成』は「「宮と聞こえし人」という言い方は、浮舟の記憶がまだ完全にもどっていないことを示す」。『完訳』は「浮舟には、匂宮が宇治川を渡って連れ出した時の、官能的な陶酔感が鮮やかに残っている。誘う美男を幻視するゆえん」と注す。

195 知らぬ所に据ゑ置きてこの男は消え失せぬと見しを 美しい男が自分を誘い出して知らない所に置き去りにした、と見た。宇治院の大きな樹木の下。

196 本意のこともせずなりぬる 入水の目的。

197 いみじう泣く、と思ひしほどに 樹木の下で泣いていた様。自分の中にもう一人の自分がそのさまを見ている、心中思惟の叙述。

 人の言ふを聞けば、多くの日ごろも経にけり。いかに憂きさまを、知らぬ人に扱はれ見えつらむ、と恥づかしう、つひにかくて生き返りぬるか」

  Hito no ihu wo kike ba, ohoku no higoro mo he ni keri. Ikani uki sama wo, sira nu hito ni atukaha re miye tu ram, to hadukasiu, tuhini kaku te ikikaheri nuru ka?"

 人が言うのを聞くと、たくさんの日数を経てしまった。どのように嫌な様子を、知らない人にお世話されたのであろう、と恥ずかしく、とうとうこうして生き返ってしまったのか」

 今人々の語っているのを聞くとそれから多くの日がたったようである。どんなに醜態を人の前にさらした自分で、どんなに知らぬ人の介抱かいほうを受けてきたのかと思うと恥ずかしく、そしてしまいには今のように蘇生そせいをしてしまったのである

198 多くの日ごろも経にけり 失踪したのが三月の末、その後、小野で四月五月が過ぎた。

199 いかに憂きさまを知らぬ人に 『完訳』は「記憶のないまま他人に介抱されてきた身を恥ずかしく思う。若い女らしい羞恥心」と注す。

200 つひにかくて生き返りぬるか 浮舟の思い。

 と思ふも口惜しければ、いみじうおぼえて、なかなか、沈みたまひつる日ごろは、うつし心もなきさまにて、ものいささか参る事もありつるを、つゆばかりの湯をだに参らず。

  to omohu mo kutiwosikere ba, imiziu oboye te, nakanaka, sidumi tamahi turu higoro ha, utusigokoro mo naki sama nite, mono isasaka mawiru koto mo ari turu wo, tuyu bakari no yu wo dani mawira zu.

 と思うのも残念なので、ひどく悲しく思われて、かえって、沈んでいらした日ごろは、正気もない様子で、何か食物も少し召し上がることもあったが、露ほどの薬湯でさえお飲みにならない。

 と思われるのが残念で、かえって失心状態であった今日までは意識してではなくものもときどきは食べてきた浮舟の姫君であったが、今は少しの湯さえ飲もうとしない。

201 沈みたまひつる 大島本は「給ひつる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりつる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給ひつる」とする。

202 ものいささか参る事 大島本は「まいること」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「まゐるをり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「まいること」とする。

第四段 浮舟、五戒を受く

 「いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどしたまへることは冷めたまひて、さはやかに見えたまへば、うれしう思ひきこゆるを」

  "Ikanare ba, kaku tanomosige naku nomi ha ohasuru zo. Utihahe nurumi nado si tamahe ru koto ha same tamahi te, sahayakani miye tamahe ba, uresiu omohi kikoyuru wo."

 「どうして、このように頼りなさそうにばかりいらっしゃるのですか。ずっと熱がおありだったのは下がりなさって、さわやかにお見えになるので、嬉しくお思い申し上げていましたのに」

 「どうしてそんなにたよりないふうをばかりお見せになりますか。もうずっと発熱することもなくなって、病苦はあなたから去ったように見えるのを私は喜んでいますのに」

203 いかなればかく 以下「思ひきこゆるを」まで、妹尼の詞。

 と、泣く泣く、たゆむ折なく添ひゐて扱ひきこえたまふ。ある人びとも、あたらしき御さま容貌を見れば、心を尽くしてぞ惜しみまもりける。心には、「なほいかで死なむ」とぞ思ひわたりたまへど、さばかりにて、生き止まりたる人の命なれば、いと執念くて、やうやう頭もたげたまへば、もの参りなどしたまふにぞ、なかなか面痩せもていく。いつしかとうれしう思ひきこゆるに、

  to, nakunaku, tayumu wori naku sohi wi te atukahi kikoye tamahu. Aru hitobito mo, atarasiki ohom-sama katati wo mire ba, kokoro wo tukusi te zo, wosimi mamori keru. Kokoro ni ha, "Naho ikade sina m." to zo omohi watari tamahe do, sabakari nite, iki tomari taru hito no inoti nare ba, ito sihuneku te, yauyau kasira motage tamahe ba, mono mawiri nado si tamahu ni zo, nakanaka omoyase mote-iku. Itusika to uresiu omohi kikoyuru ni,

 と、泣きながら、気を緩めることなく付き添ってお世話申し上げなさる。仕える女房たちも、惜しいお姿や容貌を見ると、誠心誠意惜しんで看病したのであった。内心では、「やはり何とかして死にたい」と思い続けていらしたが、あれほどの状態で、生き返った人の命なので、とてもねばり強くて、だんだんと頭もお上げになったので、食物を召し上がりなさるが、かえって容貌もひきしまって行く。はやく好くなってほしいと嬉しくお思い申し上げていたところ、

 こう言って、尼夫人という緊張した看病人がそばを離れず世話をしていた。他の女房たちも惜しい美貌びぼうの浮舟の君の恢復かいふくを祈って皆真心を尽くして世話をした。浮舟の心では今もどうかして死にたいと願うのであったが、あのあぶない時にすら助かった人の命であったから、望んでいる死は近寄って来ず、恢復のほうへこの人は運ばれていった。ようやく頭を上げることができるようになり、食事もするようになったころにかえって重い病中よりも顔のせが見えてきた。この人の命を取りとめえたことがうれしく、そのうち健康体になるであろうと尼君は喜んでいるのに、

204 ある人びとも 妹尼のもとに仕えている人々。

205 心にはなほいかで死なむとぞ 浮舟は親切に感謝しながらも、やはり内心では死を切望する。

206 思ひわたりたまへど 『完訳』は「このあたりから、浮舟に敬語が多用。妖怪じみた風姿が消えて、あらためて女主人公を印象づける」と注す。

207 さばかりにて 呆然とした状態で二か月以上を経過。

208 いと執念くて 『完訳』は「若い生命力の強さで回復。このころは食事もとる」と注す。

209 なかなか面痩せもていく 『集成』は「かえって顔がほっそりなってゆく。回復期の人の様子がよく写されている」と注す。

210 いつしかとうれしう思ひきこゆるに 主語は妹尼。

 「尼になしたまひてよ。さてのみなむ生くやうもあるべき」

  "Ama ni nasi tamahi te yo. Sate nomi nam iku yau mo aru beki."

 「尼にしてください。そうしたら生きて行くようもありましょう」

 「尼にしてくださいませ、そうなってしまえば生きてもよいという気になれるでしょうから」

211 尼になしたまひてよ 以下「生くやうもあるべき」まで、浮舟の詞。出家を懇願。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃるので、

 と言い、浮舟は出家を望んだ。

 「いとほしげなる御さまを。いかでか、さはなしたてまつらむ」

  "Itohosige naru ohom-sama wo. Ikadeka, saha nasi tatematura m."

 「あたら惜しいお身を。どうして、そのように致せましょう」

 「いたいたしいあなたをどうしてそんなことにされますか」

212 いとほしげなる御さまを 以下「なしたてまつらむ」まで、妹尼の詞。

 とて、ただ頂ばかりを削ぎ、五戒ばかりを受けさせたてまつる。心もとなけれど、もとよりおれおれしき人の心にて、えさかしく強ひてものたまはず。僧都は、

  tote, tada itadaki bakari wo sogi, gokai bakari wo uke sase tatematuru. Kokoromotonakere do, motoyori oreoresiki hito no kokoro nite, e sakasiku sihite mo notamaha zu. Soudu ha,

 と言って、ただ頂の髪だけを削いで、五戒だけを受けさせ申し上げる。不安であるが、もともとはきはきしない性分で、さし出て強くもおっしゃらない。僧都は、

 と尼君は言い、頭の頂の髪少しを切り、五戒だけを受けさせた。それだけで安心はできないのであるが、さかしげにしいてそれを実現させてくれとも言えなかった。山の僧都は、

213 ただ頂ばかりを削ぎ五戒ばかりを受けさせたてまつる 『集成』は「正式の尼は髪を肩を過ぎるあたりまでに切る」。『完訳』は「延命のためで、正式の出家ではない」。「五戒」は在家の人が受ける戒律。殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒。

214 もとよりおれおれしき人の心にて 浮舟の性分。

 「今は、かばかりにて、いたはり止めたてまつりたまへ」

  "Ima ha, kabakari nite, itahari yame tatematuri tamahe."

 「今はもう、このくらいにしておいて、看病して差し上げなさい」

 「もう大丈夫です。このくらいのところで快癒を御仏におすがりすることはやめたらいいでしょう」

215 今は、かばかりにて 以下「たてまつりたまへ」まで、僧都の詞。

 と言ひ置きて、登りたまひぬ。

  to ihi oki te, nobori tamahi nu.

 と言い置いて、山へ登っておしまいになった。

 と言い残して寺へ帰った。

第五段 浮舟、素性を隠す

 「夢のやうなる人を見たてまつるかな」と尼君は喜びて、せめて起こし据ゑつつ、御髪手づから削りたまふ。さばかりあさましう、ひき結ひてうちやりたりつれど、いたうも乱れず、解き果てたれば、つやつやとけうらなり。一年足らぬ九十九髪多かる所にて、目もあやに、いみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふも、危ふき心地すれど、

  "Yume no yau naru hito wo mi tatematuru kana!" to AmaGimi ha yorokobi te, semete okosi suwe tutu, migusi tedukara keduri tamahu. Sabakari asamasiu, hiki-yuhi te uti-yari tari ture do, itau mo midare zu, toki hate tare ba, tuyatuya to keura nari. Hitotose tara nu tukumogami ohokaru tokoro nite, me mo ayani, imiziki tennin no ama kudare ru wo mi tara m yau ni omohu mo, ayahuki kokoti sure do,

 「夢に見たような人をお世話申し上げることだわ」と尼君は喜んで、無理に起こして座らせながら、お髪をご自身でお梳かしになる。あのように驚きあきれ、結んでおいたが、ひどくは乱れず、解き放ってみると、つやつやとして美しい。白髪の人の多い所なので、目もあざやかに、美しい天人が地上に下りたのを見たように思うのも、不安な気がするが、

 予期もせぬ夢のような人が現われたものであるというように尼君は恢復期の浮舟を喜んで、しいて勧めて起こし、髪を自身でいてやった。長い病中打ちやられてあった髪であるが、はなはだしくは乱れていないで、まもなくもつれもほぐれてきおろされてしまうと、つやつやと光沢が出てきれいに見えた。「百年ももとせに一とせ足らぬ九十九髪つくもがみ」というような人たちの中へ、目もくらむような美しい天女が降って来たように見えるのも、跡なくかき消される姿ではないかという危うさを尼君に覚えさせることになった。

216 夢のやうなる人を見たてまつるかな 妹尼の心中の思い。『集成』は「思いもかけぬ人を」。『完訳』は「夢のお告げさながらの人を」と注す。

217 さばかりあさましうひき結ひて 病臥中は髪を元結で束ねておき、櫛けずることもしない。

218 一年足らぬ九十九髪 『源氏釈』は「百年に一年たらぬつくも髪我を恋ふらし面影に見ゆ」(伊勢物語)を指摘。

 「などか、いと心憂く、かばかりいみじく思ひきこゆるに、御心を立てては見えたまふ。いづくに誰れと聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ」

  "Nadoka, ito kokorouku, kabakari imiziku omohi kikoyuru ni, mi-kokoro wo tate te ha miye tamahu. Idukuni tare to kikoye si hito no, saru tokoro ni ha ikade ohase si zo."

 「どうして、とても情けなく、こんなにたいそうお世話申し上げていますのに、強情をはっていらっしゃるのですか。どこの誰と申し上げた方が、そのような所にどうしておいでになったのですか」

 「なぜあなたに人情がわからないのでしょう。私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、物隠しをしてばかりおいでになりますね。どこの何という家の方で、なぜ宇治というような所へ来ておいでになりましたの」

219 などか、いと心憂く 以下「おはせしぞ」まで、妹尼の詞。

220 いづくに誰れと聞こえし人の 浮舟に対していう。どこのどなた。

 と、せめて問ふを、いと恥づかしと思ひて、

  to, semete tohu wo, ito hadukasi to omohi te,

 と、しいて尋ねるのを、とても恥ずかしいと思って、

 尼君から熱心に聞かれて浮舟の姫君は恥ずかしく思った。

 「あやしかりしほどに、皆忘れたるにやあらむ、ありけむさまなどもさらにおぼえはべらず。ただ、ほのかに思ひ出づることとては、ただ、いかでこの世にあらじと思ひつつ、夕暮ごとに端近くて眺めしほどに、前近く大きなる木のありし下より、人の出で来て、率て行く心地なむせし。それより他のことは、我ながら、誰れともえ思ひ出でられはべらず」

  "Ayasikari si hodo ni, mina wasure taru ni ya ara m, ari kem sama nado mo sarani oboye habera zu. Tada, honokani omohiiduru koto tote ha, tada, ikade konoyo ni ara zi to omohi tutu, yuhugure goto ni hasi tikaku te nagame si hodo ni, mahe tikaku ohoki naru ki no ari si sita yori, hito no ideki te, wi te iku kokoti nam se si. Sore yori hoka no koto ha, ware nagara, tare to mo e omohiide rare habera zu."

 「意識を失っている間に、すっかり忘れてしまったのでしょうか、以前の様子などもまったく覚えておりません。ただ、かすかに思い出すこととしては、ただ、何とかしてこの世から消えたいと思いながら、夕暮になると端近くで物思いをしていたときに、前の近くにある大きな木があった下から、人が出て来て、連れて行く気がしました。それ以外のことは、自分自身でも、誰とも思い出すことができません」

 「重くわずらっておりましたうちに皆忘れてしまったのでしょうか、どんなふうにどこにいたかを少しも覚えていないのですよ。ただね、私は夕方ごとに庭へ近い所に出て寂しい景色けしきをながめていたらしゅうございます。そんな時に近くにあった大木のかげから人が出て来まして私をつれて行ったという気がします。それ以外のことは自分ながらも、だれであるかも思い出されないのですよ」

221 あやしかりしほどに 以下「え思ひ出でられはべらず」まで、浮舟の詞。

222 ただほのかに思ひ出づることとては 『完訳』は「以下、前の記憶とやや異なる。素姓を知られたくなく、昇天近いころのかぐや姫が端近に出て物思いに屈したのを装う」と注す。

223 我ながら誰れともえ思ひ出でられはべらず 自分ながら自分が誰であるか思い出せない。

 と、いとらうたげに言ひなして、

  to, ito rautageni ihinasi te,

 と、とてもかわいらしげに言って、

 と姫君は可憐かれんなふうで言い、

224 いとらうたげに言ひなして 『集成』は「いかにも無邪気そうな口ぶりで言って。記憶がはっきりしないという嘘を見破られまいとする用意」。『完訳』は「実は浮舟の記憶はもとに戻っている」と注す。

 「世の中に、なほありけりと、いかで人に知られじ。聞きつくる人もあらば、いといみじくこそ」

  "Yononaka ni, naho ari keri to, ikade hito ni sira re zi. Kiki tukuru hito mo ara ba, ito imiziku koso."

 「この世に、やはり生きていたと、何とか人に知られたくない。聞きつける人がいたら、とても悲しい」

 「私がまだ生きているということをだれにも知られたくないと思います。それを人が知ってしまっては悲しゅうございます」

225 世の中に 以下「いみじうこそ」まで、浮舟の詞。

 とて泣いたまふ。あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけむ竹取の翁よりも、珍しき心地するに、「いかなるものの隙に消え失せむとすらむ」と、静心なくぞ思しける。

  tote nai tamahu. Amari tohu wo ba, kurusi to obosi tare ba, e toha zu. Kaguya-Hime wo mituke tari kem Taketori-no-Okina yori mo, medurasiki kokoti suru ni, "Ikanaru mono no hima ni kiye use m to su ram." to, sidugokoro naku zo obosi keru.

 と言ってお泣きになる。あまり尋ねるのを、つらいとお思いなので、尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも、珍しい気がするので、「どのような何かの機会に姿が消え失せてしまうのか」と、落ち着かない気持ちでいた。

 と告げて泣いた。あまり聞かれるのが苦しいふうであったから尼君はそれ以上を尋ねようとしなかった。かぐや姫を竹の中に見つけたおきなよりも貴重な発見をしたように思われるこの人は、どんなすきから消えていくかもしれぬということが不安に思われてならぬ尼夫人であった。

226 かぐや姫を 『完訳』は「かぐや姫は天上で罪を得て地上に降った神女。浮舟は、地上の愛執の罪に傷ついた女。彼女の消失を危惧する妹尼の意識を超えて、浮舟はかぐや姫に照応し合う」と注す。

第六段 小野山荘の風情

 この主人もあてなる人なりけり。娘の尼君は、上達部の北の方にてありけるが、その人亡くなりたまひてのち、娘ただ一人をいみじくかしづきて、よき君達を婿にして思ひ扱ひけるを、その娘の君の亡くなりにければ、心憂し、いみじ、と思ひ入りて、形をも変へ、かかる山里には住み始めたりけるなり。

  Kono aruzi mo ate naru hito nari keri. Musume no AmaGimi ha, kamdatime no kitanokata nite ari keru ga, sono hito nakunari tamahi te noti, musume tada hitori wo imiziku kasiduki te, yoki kimdati wo muko ni si te omohi atukahi keru wo, sono Musume-no-Kimi no nakunari ni kere ba, kokorousi, imizi, to omohiiri te, katati wo mo kahe, kakaru yamazato ni ha sumi hazime tari keru nari.

 ここの主人も高貴な方であった。娘の尼君は、上達部の北の方であったが、その方がお亡くなりになって後、娘をただ一人大切にお世話して、立派な公達を婿に迎えて大切にしていたが、その娘が亡くなってしまったので、情けない、悲しい、と思いつめて、尼姿になって、このような山里に住み始めたのであった。

 この家の人も貴族であった。若いほうの尼君は高級官吏の妻であったが、良人おっとに死に別れたあとで、一人よりない娘を大事に育てていて、よい公達きんだちを婿にすることができ、その世話を楽しんでしていたのであるが、娘は病になって死んだ。それを非常に悲しみ尼になってこの山里へ移って来たのである。

227 この主人も 小野山荘の主人、老母尼君。

228 娘の尼君は 横川僧都の妹尼。

229 住み始めたりけるなり 大島本は「たりける也」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たるなりけり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「たりける也」とする。

 「世とともに恋ひわたる人の形見にも、思ひよそへつべからむ人をだに見出でてしがな」、つれづれも心細きままに思ひ嘆きけるを、かく、おぼえぬ人の、容貌けはひもまさりざまなるを得たれば、うつつのことともおぼえず、あやしき心地しながら、うれしと思ふ。ねびにたれど、いときよげによしありて、ありさまもあてはかなり。

  "Yo to tomoni kohi wataru hito no katami ni mo, omohi yosohe tu bekara m hito wo dani miide te si gana!", turedure mo kokorobosoki mama ni omohi nageki keru wo, kaku, oboye nu hito no, katati kehahi mo masari zama naru wo e tare ba, ututu no koto to mo oboye zu, ayasiki kokoti sinagara, uresi to omohu. Nebi ni tare do, ito kiyogeni yosi ari te, arisama mo atehaka nari.

 「歳月とともに恋い慕っていた娘の形見にでも、せめて思いよそえられるような人を見つけたい」と、所在ない心細い思いで嘆いていたところ、このように、思いがけない人で、器量や感じも優っているような人を得たので、現実のこととも思われず、不思議な気がしながらも、嬉しいと思う。年は召しているが、とても美しそうで嗜みがあり、態度も上品である。

 忘れる時もなく恋しい娘の形見とも思うことのできる人を見つけたいとつれづれなあまりに願っていた人が、意外な、容貌ようぼうも様子も死んだ子にまさった姫君を拾いえたのであったから、現実のことともこれを思うことができず、変わりなしにこの幸福の続いていくかどうかをあやぶみながらもうれしく思っている尼君であった。年はいっているがきれいで、品がよく、身のとりなしにも気高けだかいところがあった。

230 世とともに 以下「心地しながらうれし」あたりまで、妹尼の心中に即した叙述。

231 恋ひわたる人の形見にも 妹尼の亡き娘。

232 見出でてしがな 大島本は「見いてゝしかな」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見出でてしがなと」と「と」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見出でてしかな」とする。「かな」を清音とする。

233 おぼえぬ人の 浮舟。

234 まさりざまなる 浮舟がわが亡き娘以上に。

235 ねびにたれど 妹尼。五十歳ほど。

 昔の山里よりは、水の音もなごやかなり。造りざま、ゆゑある所、木立おもしろく、前栽もをかしく、ゆゑを尽くしたり。秋になりゆけば、空のけしきもあはれなり。門田の稲刈るとて、所につけたるものまねびしつつ、若き女どもは、歌うたひ興じあへり。引板ひき鳴らす音もをかしく、見し東路のことなども思ひ出でられて。

  Mukasi no yamazato yori ha, midu no oto mo nagoyaka nari. Tukurizama, yuwe aru tokoro, kodati omosiroku, sensai mo wokasiku, yuwe wo tukusi tari. Aki ni nariyuke ba, sora no kesiki mo ahare nari. Kadota no ine karu tote, tokoro ni tuke taru mono manebi si tutu, wakaki womna-domo ha, uta utahi kyouzi ahe ri. Hita hiki narasu oto mo wokasiku, mi si Adumadi no koto nado mo omohiide rare te.

 昔の山里よりは、川の音も物やわらかである。家の造りは、風流な所の、木立も趣があり、前栽なども興趣あり、風流をし尽くしている。秋になって行くと、空の様子もしみじみとしている。門田の稲を刈ろうとして、その土地の者の真似をしては、若い女房たちが、民謡を謡いながらおもしろがっていた。引板を鳴らす音もおもしろく、かつて見た東国のことなども思い出されて。

 ここは浮舟のいた宇治の山荘よりは水の音も静かで優しかった。庭の作りも雅味があって、木の姿が皆よく、前の植え込みの灌木かんぼくや草も上手じょうずに作られてあった。秋になると空の色も人の哀愁をそそるようになり、門前の田は稲を刈るころになって、田舎いなからしい催し事をし、若い女はうたを高声に歌ってはうれしがっていた。引かれる鳴子の音もおもしろくて浮舟は常陸ひたちに住んだ秋が思い出されるのであった。

236 昔の山里よりは 宇治山荘。『完訳』は「以下、浮舟の目と心に即した叙述」と注す。

237 水の音も 高野川の川音。

238 ゆゑある所 大島本は「ゆへある所」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ゆゑある所の」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ゆへある所」とする。

239 前栽もをかしく 大島本は「せむさいも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「前栽なども」と「など」を補訂する。『新大系』は底本のまま「前栽も」とする。

240 秋になりゆけば 暦は七月、初秋、物思う季節となる。

241 空のけしきもあはれなり 大島本は「あはれなり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あはれなるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「あはれなり」とする。

242 ものまねびしつつ 農民の真似をして。

243 若き女どもは 小野草庵に仕えている若い女たち。

244 引板ひき鳴らす音もをかしく 大島本は「おかしく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「をかし」と「く」を削除する。『新大系』は底本のまま「おかしく」とする。

245 見し東路のことなども思ひ出でられて 『完訳』は「昔暮した常陸国。傷心の今になって、幼時が懐かしまれる趣」と注す。下文に続かず、余情を残して文が切れる。

 かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは、今すこし入りて、山に片かけたる家なれば、松蔭茂く、風の音もいと心細きに、つれづれに行ひをのみしつつ、いつとなくしめやかなり。

  Kano Yuhugiri no Miyasumdokoro no ohase si yamazato yori ha, imasukosi iri te, yama ni kata kake taru ihe nare ba, matukage sigeku, kaze no oto mo ito kokorobosoki ni, turedure ni okonahi wo nomi si tutu, itu to naku simeyaka nari.

 あの夕霧の御息所がおいでになった山里よりは、もう少し奥に入って、山の斜面に建ててある家なので、松の木蔭が鬱蒼として、風の音もまことに心細いので、することもなく勤行ばかりして、いつとなくひっそりとしている。

 同じ小野ではあるが夕霧の御息所みやすどころのいた山荘などよりも奥で、山によりかかった家であったから、松影が深く庭に落ち、風の音も心細い思いをさせる所で、つれづれになってはだれも勤行ばかりをする仏前の声が寂しく心をぬらした。

246 かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは 『集成』は「夕霧の巻で亡くなったので、こう呼んだもの。落葉の宮の母、一条の御息所」と注す。『弄花抄』は「双紙の詞なるへし浮舟の事を云ことはにはつゝかす」と指摘。

247 松蔭茂く 大島本は「まつかせしけく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「松蔭」と校訂する。『新大系』は底本のまま「松風」とする。

248 いつとなく 大島本は「いつとなく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いつともなく」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いつとなく」とする。

第七段 浮舟、手習して述懐

 尼君ぞ、月など明き夜は、琴など弾きたまふ。少将の尼君などいふ人は、琵琶弾きなどしつつ遊ぶ。

  AmaGimi zo, tuki nado akaki yo ha, kin nado hiki tamahu. Seusyau-no-Amagimi nado ihu hito ha, biha hiki nado si tutu asobu.

 尼君は、月などの明るい夜は、琴などをお弾きになる。少将の尼君などという女房は、琵琶を弾いたりして遊ぶ。

 尼君は月の明るい夜などに琴をいた。少将の尼という人は琵琶びわを弾いて相手を勤めていた。

 「かかるわざはしたまふや。つれづれなるに」

  "Kakaru waza ha si tamahu ya? Turedure naru ni."

 「このようなことはなさいますか。何もすることがないので」

 「音楽をなさいますか。でなくては退屈でしょう」

249 かかるわざはしたまふやつれづれなるに 妹尼の詞。

 など言ふ。昔も、あやしかりける身にて、心のどかに、「さやうのことすべきほどもなかりしかば、いささかをかしきさまならずも生ひ出でにけるかな」と、かくさだ過ぎにける人の、心をやるめる折々につけては、思ひ出づるを、「あさましくものはかなかりける」と、我ながら口惜しければ、手習に、

  nado ihu. Mukasi mo, ayasikari keru mi nite, kokoro nodokani, "Sayau no koto su beki hodo mo nakari sika ba, isasaka wokasiki sama nara zu mo ohiide ni keru kana!" to, kaku sada sugi ni keru hito no, kokoro wo yaru meru woriwori ni tuke te ha, omohiiduru wo, "Asamasiku mono hakanakari keru." to, ware nagara kutiwosikere ba, tenarahi ni,

 などと言う。昔も、賤しかった身の上で、のんびりと、「そのようなことをする境遇でもなかったので、少しも風流なところもなく成長したことよ」と、このように盛りを過ぎた人が、心を晴らしているような時々につけては、思い出すが、「何とも言いようのない身の上であった」と、自分ながら残念なので、手習いに、

 と尼君は姫君に言っていた。昔も母の行く国々へつれまわられていて、静かにそうしたものの稽古けいこをする間もなかった自分は風雅なことの端も知らないで人となった、こんな年のいった人たちさえ音楽の道を楽しんでいるのを見るおりおりに浮舟うきふねの姫君はあわれな過去の自身が思い出されるのであった。そして何の信念も持ちえなかった自分であったとはかなまれて、手習いに、

250 昔もあやしかりける身にて 以下地の文が次第に心中文へと競り上がっていく。「生ひ出でにけるかな」まで、浮舟の心中の思い。

251 思ひ出づるを 大島本は「思ひいつるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひ出づ」と「るを」を削除する。『新大系』は底本のまま「思ひ出づるを」とする。

252 あさましくものはかなかりける 浮舟の心中の思い。

 「身を投げし涙の川の早き瀬を
  しがらみかけて誰れか止めし」

    "Mi wo nage si namida no kaha no hayaki se wo
    sigarami kake te tareka todome si

 「涙ながらに身を投げたあの川の早い流れを
  堰き止めて誰がわたしを救い上げたのでしょう」

  身を投げし涙の川の早き瀬に
  しがらみかけてたれかとどめし

253 身を投げし涙の川の早き瀬を--しがらみかけて誰れか止めし 浮舟の独詠歌。『異本紫明抄』は「流れ行く我は水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ」(大鏡)を指摘。

 思ひの外に心憂ければ、行く末もうしろめたく、疎ましきまで思ひやらる。

  Omohi no hoka ni kokoroukere ba, yukusuwe mo usirometaku, utomasiki made omohiyara ru.

 思いがけないことに情けないので、将来も不安で、疎ましいまでに思われる。

 こんな歌を書いていた。よいことの拾い出せない過去から思えば将来も同じ薄命道を続けて歩んで行くだけであろうと自身がうとましくさえなった。

 月の明かき夜な夜な、老い人どもは艶に歌詠み、いにしへ思ひ出でつつ、さまざま物語などするに、いらふべきかたもなければ、つくづくとうち眺めて、

  Tuki no akaki yonayona, oyibito-domo ha en ni uta yomi, inisihe omohiide tutu, samazama monogatari nado suru ni, irahu beki kata mo nakere ba, tukuduku to uti-nagame te,

 月の明るい夜毎に、老人たちは優雅に和歌を詠み、昔を思い出しながら、いろいろな話などをするが、答えることもできないので、つくづくと物思いに沈んで、

 月の明るい夜ごとに老いた女たちは気どった歌をんだり、昔の思い出話をするのであったが、その中へ混じりえない浮舟の姫君はただつくづくと物思いをして、

254 月の明かき夜な夜な 『完訳』は「「夕暮ごとに--」「月など明き夜は--」とともに、昇天近いかぐや姫を思わせる」と注す。

255 老い人どもは艶に歌詠みいにしへ思ひ出でつつ 妹尼や少将の尼君ら。『集成』は「これも彼女たちの昔の生活の名残」と注す。

256 さまざま物語 大島本は「さま/\物かたり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「さまざまの」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「さまざま」とする。

 「我かくて憂き世の中にめぐるとも
  誰れかは知らむ月の都に」

    "Ware kaku te uki yononaka ni meguru tomo
    tarekaha sira m tuki no miyako ni

 「わたしがこのように嫌なこの世に生きているとも
  誰が知ろうか、あの月が照らしている都の人で」

  われかくて浮き世の中にめぐるとも
  たれかは知らん月の都に

257 我かくて憂き世の中にめぐるとも--誰れかは知らむ月の都に 浮舟の独詠歌。「めぐる」「月」縁語。「月の都」はかぐや姫をも連想させる。

 今は限りと思ひしほどは、恋しき人多かりしかど、こと人びとはさしも思ひ出でられず、ただ、

  Ima ha kagiri to omohi si hodo ha, kohisiki hito ohokari sika do, koto hitobito ha sasimo omohiide rare zu, tada,

 今を最期と思い切ったときは、恋しい人が多かったが、その他の人びとはそれほども思い出されず、ただ、

 こんな歌も詠まれた。自殺を決意した時には、もう一度逢いたく思った人も多かったが、他の人々のことはそう思い出されもしない。

258 今は限りと思ひしほどは 大島本は「思し程ハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひはてしほどは」と「はて」を補訂する。『新大系』は底本のまま「思し程は」とする。

 「親いかに惑ひたまひけむ。乳母、よろづに、いかで人なみなみになさむと思ひ焦られしを、いかにあへなき心地しけむ。いづくにあらむ。我、世にあるものとはいかでか知らむ」

  "Oya ikani madohi tamahi kem? Menoto, yoroduni, ikade hito naminami ni nasa m to omohiira re si wo, ikani ahenaki kokoti si kem. Iduku ni ara m? Ware, yo ni aru mono to ha ikadeka sira m?"

 「母親がどんなにお嘆きになったろう。乳母が、いろいろと、何とか一人前にしようと一生懸命であったが、どんなにがっかりしたろう。どこにいるのだろう。わたしが、生きていようとはどうして知ろう」

 母がどんなに悲しんだことであろう。乳母めのとがどうかして自分に人並みの幸福を得させたいとあせっていたかしれぬのにあの成り行きを見て、さぞ落胆をしたことであろう、今はどこにいるだろう、自分がまだ生きていると知りえようはずがない、

259 親いかに 以下「いかでか知らむ」まで、浮舟の心中の思い。母親や乳母の悲嘆を思う。

260 いづくにあらむ 大島本は「いつく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いづこ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「いづく」とする。

261 いかでか知らむ 『完訳』は「ここまでの心中叙述が、直接、地の文に連なる文脈」と注す。

 同じ心なる人もなかりしままに、よろづ隔つることなく語らひ見馴れたりし右近なども、折々は思ひ出でらる。

  Onazi kokoro naru hito mo nakari si mama ni, yorodu hedaturu koto naku katarahi minare tari si Ukon nado mo, woriwori ha omohiide raru.

 同じ気持ちの人もいなかったが、何事も隠すことなく相談し親しくしていた右近なども、時々は思い出される。

気の合った人もないままに、主従とはいえ隔てのない友情を持ち合ったあの右近うこんのこともおりおりは思い出される浮舟であった。

262 右近なども折々は思ひ出でらる 『集成』は「浮舟の乳母子。この右近の思い出は、地の文の形で結ばれる。ただ「思ひ出でらる」と敬語がなく、浮舟の心事に密着した書き方」と注す。「らる」は自発の助動詞。

第八段 浮舟の日常生活

 若き人の、かかる山里に、今はと思ひ絶え籠もるは、難きわざなりければ、ただいたく年経にける尼、七、八人ぞ、常の人にてはありける。それらが娘孫やうの者ども、京に宮仕へするも、異ざまにてあるも、時々ぞ来通ひける。

  Wakaki hito no, kakaru yamazato ni, imaha to omohi taye komoru ha, kataki waza nari kere ba, tada itaku tosi he ni keru ama, siti, hatinin zo, tune no hito nite ha ari keru. Sorera ga musume mago yau no mono-domo, kyau ni miyadukahe suru mo, kotozama nite aru mo, tokidoki zo ki kayohi keru.

 若い女で、このような山里に、もうこれまでと思いを断ち切って籠もるのは、難しいことなので、ただひどく年をとった尼、七、八人が、いつも仕えていた人であった。その人たちの娘や孫のような者たちで、京で宮仕えするものや、結婚している者が、時々行き来するのであった。

 若い女がこうした山の家に世の中をあきらめて暮らすことは不可能なことであったから、そうした女房はいず、長く使われている尼姿の七、八人だけが常の女房であった。その人たちの娘とか孫とかいう人らで、京で宮仕えをしているのも、また普通の家庭にいるのも時々出て来ることがあった。

263 若き人の 浮舟をさす。

264 異ざまにてあるも 女房生活以外、すなわち結婚生活など。

 「かやうの人につけて、見しわたりに行き通ひ、おのづから、世にありけりと誰れにも誰れにも聞かれたてまつらむこと、いみじく恥づかしかるべし。いかなるさまにてさすらへけむ」

  "Kayau no hito ni tuke te, mi si watari ni iki kayohi, onodukara, yo ni ari keri to tare ni mo tare ni mo kika re tatematura m koto, imiziku hadukasikaru besi. Ikanaru sama nite sasurahe kem?"

 「このような人がいることにつけて、以前見た近辺に出入りして、自然と、生きていたとどちら様にも聞かれ申すことは、ひどく恥ずかしいことであろう。どのような様子でさすらっていていたのだろう」

 そうした人が宇治時代の関係者の所へ出入りすることもあって、自分の生きていることが宮にも大将にも知れることになったならきわめて恥ずかしいことである、

265 かやうの人につけて 以下「あやしかるべき」まで、浮舟の心中の思い。地の文が浮舟の心中文へと競り上がっていく叙述。『完訳』は「見しわたりに」以下を、「浮舟の心中に即した文脈」と注す。

266 誰れにも誰れにも聞かれたてまつらむこと 匂宮や薫に。

 など、思ひやり世づかずあやしかるべきを思へば、かかる人びとに、かけても見えず。ただ侍従、こもきとて、尼君のわが人にしたりける二人をのみぞ、この御方に言ひ分けたりける。みめも心ざまも、昔見し都鳥に似たるはなし。何事につけても、「世の中にあらぬ所はこれにや」とぞ、かつは思ひなされける。

  nado, omohiyari yoduka zu ayasikaru beki wo omohe ba, kakaru hitobito ni, kakete mo miye zu. Tada Zizyuu, Komoki tote, AmaGimi no waga hito ni si tari keru hutari wo nomi zo, kono Ohom-Kata ni ihiwake tari keru. Mime mo kokorozama mo, mukasi mi si miyakodori ni ni taru ha nasi. Nanigoto ni tuke te mo, "Yononaka ni ara nu tokoro ha kore ni ya?" to zo, katuha omohinasa re keru.

 などと、想像されて並外れたみすぼらしい有様を思うにちがいないのを思うと、このような人びとに、少しも姿を見せない。ただ、侍従と、こもきといって、尼君が私的に使っている二人だけを、この御方に特別に言って分けておいたのだった。容貌も気立ても、昔見た都人に似た者はいない。何事につけても、「世の中で身を隠す所はここであろうか」と、一方では思われるのであった。

 ここへ来た経路についてどんな悪い想像をされるかもしれぬ、過去において正しく踏みえた人の道ではなかったのであるからと思う羞恥しゅうち心から、姫君は京の人たちには決して姿を見せることをしなかった。尼君は侍従という女房とこもきという童女を姫君付きにしてあった。容貌も性質も昔日の都の女たちにくらべがたいものであった。何につけても人の世とは別な世界というものはこれであろうと思われる。

267 思ひやり世づかずあやしかるべきを 『集成』は「(薫や匂宮が)想像されることも、並みはずれたみじめな有様を考えられるにちがいないと思うので。身分卑しい男とのかかわりなど想像されては、という女らしい気遣い」と注す。

268 侍従こもきとて 侍従は女房、こもきは女童。

269 わが人にしたりける 大島本は「したりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「したる」と「りけ」を削除する。『新大系』は底本のまま「したりける」とする。

270 この御方に 浮舟に。

271 言ひ分けたりける 大島本は「いひわけたりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「言ひわきたる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「言ひわけたりける」とする。

272 みめも心ざまも 侍従とこもき。

273 昔見し都鳥に 『異本紫明抄』は「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人ありやなしやと」(古今集羇旅、四一一、在原業平)を指摘。都の女房と比較。

274 似たるはなし 大島本は「ゝ(に)たるハなし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「似たることなし」と校訂する。『新大系』は底本のまま「似たるはなし」とする。

275 世の中にあらぬ所はこれにや 大島本は「これにや」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「これにやあらむ」と「あらむ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「これにや」とする。浮舟の心中の思い。『花鳥余情』は「世の中にあらぬところも得てしがな年ふりにたるかたち隠さむ」(拾遺集雑上、五〇六、読人しらず)を指摘。

 かくのみ、人に知られじと忍びたまへば、「まことにわづらはしかるべきゆゑある人にもものしたまふらむ」とて、詳しきこと、ある人びとにも知らせず。

  Kaku nomi, hito ni sira re zi to sinobi tamahe ba, "Makotoni wadurahasikaru beki yuwe aru hito ni mo monosi tamahu ram." tote, kuhasiki koto, aru hitobito ni mo sirase zu.

 こうしてばかり、人には知られまいと隠れていらっしゃるので、「ほんとうに厄介な理由のある人でいらっしゃるのだろう」と思って、詳しいことは、仕えている女房にも知らせない。

 こんなふうに人にかくれてばかりいる浮舟を、この人の言うとおりにめんどうなつながりを世間に持っていて、それからのがれたい理由わけが何ぞあるのであろうと尼君も今では思うようになって、くわしいことは家の人々にも知らせないように努めていた。

276 まことにわづらはしかるべきゆゑある人にもものしたまふらむ 妹尼の心中の思い。

第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る

第一段 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問

 尼君の昔の婿の君、今は中将にてものしたまひける、弟の禅師の君、僧都の御もとにものしたまひける、山籠もりしたるを訪らひに、兄弟の君たち常に登りけり。

  AmaGimi no mukasi no muko no Kimi, ima ha Tiuzyau nite monosi tamahi keru, otouto no Zenzi-no-Kimi, Soudu no ohom-moto ni monosi tamahi keru, yamagomori si taru wo toburahi ni, harakara no Kimi-tati tuneni nobori keri.

 尼君の亡き娘の婿の君で、今は中将におなりになっていたが、その弟の禅師の君は、僧都のお側にいらっしゃったが、その山籠もりなさっているのを尋ねるために、兄弟の公達がよく山に登るのであった。

 尼君の昔の婿は現在では中将になっていた。弟の禅師が僧都の弟子になって山にこもっているのをたずねに兄たちはよく寺へ上った。

277 尼君の昔の婿の君 妹尼の娘婿、中将。

278 弟の禅師の君 中将の弟。

279 兄弟の君たち 中将の弟たち。

 横川に通ふ道のたよりに寄せて、中将ここにおはしたり。前駆うち追ひて、あてやかなる男の入り来るを見出だして、忍びやかにおはせし人の御さまけはひぞ、さやかに思ひ出でらるる。

  Yokaha ni kayohu miti no tayori ni yose te, Tiuzyau koko ni ohasi tari. Saki uti-ohi te, ateyaka naru wotoko no iri kuru wo miidasi te, sinobiyakani ohase si hito no ohom-sama kehahi zo, sayakani omohiide raruru.

 横川に通じる道のついでにかこつけて、中将がここにいらした。前駆が先払いして、身分高そうな男が入ってくるのを見出して、ひっそりとしていらしたあの方のご様子が、くっきりと思い出される。

 横川よかわへ行く道にあたっているために中将はときどき小野の尼君を訪ねに寄った。前払さきばらいの声が聞こえ、品のよい男が門をはいって来るのを、家からながめて浮舟の姫君は、いつでも目だたぬふうにしてあの宇治の山荘へ来たかおるの幻影をさやかに見た。

280 ここに 小野の草庵。

281 見出だして 主語は浮舟。内から外を見出だす。

282 忍びやかにおはせし人の御さまけはひぞ 大島本は「しのひやかに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「忍びやかにて」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のまま「しのびやかに」とする。『集成』は「人目を忍ぶようにして(宇治に)通っていらした方(薫)のご様子、振舞いが、ありありと思い出される」と注す。

 これもいと心細き住まひのつれづれなれど、住みつきたる人びとは、ものきよげにをかしうしなして、垣ほに植ゑたる撫子もおもしろく、女郎花、桔梗など咲き始めたるに、色々の狩衣姿の男どもの若きあまたして、君も同じ装束にて、南面に呼び据ゑたれば、うち眺めてゐたり。年二十七、八のほどにて、ねびととのひ、心地なからぬさまもてつけたり。

  Kore mo ito kokorobosoki sumahi no turedure nare do, sumituki taru hitobito ha, mono-kiyogeni wokasiu si nasi te, kakiho ni uwe taru nadesiko mo omosiroku, wominahesi, kikyau nado saki hazime taru ni, iroiro no kariginusugata no wonoko-domo no wakaki amata site, Kimi mo onazi sauzoku nite, minamiomote ni yobi suwe tare ba, uti-nagame te wi tari. Tosi nizihusiti, hati no hodo nite, nebi totonohi, kokotinakara nu sama mote-tuke tari.

 ここもまことに心細い住まいの所在なさであるが、住み馴れた人びとは、どことなくこぎれいに興趣深くして、垣根に植えた撫子が美しく、女郎花や、桔梗などが咲き初めたところに、色とりどりの狩衣姿の男どもの若い人が大勢して、君も同じ装束で、南面に迎えて座らせたので、あたりを眺めていた。年齢は二十七、八歳くらいで、すっかり立派になって、嗜みのなくはない態度が身についていた。

 心細い家ではあるが住みなれた人は満足して、きれいにあたりが作ってあって、かきに植えた撫子なでしこも形よく、女郎花おみなえし桔梗ききょうなどの咲きそめた植え込みの庭へいろいろの狩衣かりぎぬ姿をした若い男たちが付き添い、中将も同じ装束ではいって来たのであった。南向きの座敷へ席が設けられたのでそこへすわり、沈んだふうを見せてその辺を見まわしていた。年は二十七、八で、整った男盛りと見え、あさはかでなく見せたい様子を作っていた。

283 垣ほに植ゑたる撫子も 『異本紫明抄』は「あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子」(古今集恋四、六九五、読人しらず)を指摘。「垣ほ」は「垣根」の歌語。

284 君も 中将。

285 南面に 寝殿の南廂。正客を迎える作法。

286 年二十七八のほどにて 『完訳』は「薫や匂宮とほぼ同年齢」と注す。

 尼君、障子口に几帳立てて、対面したまふ。まづうち泣きて、

  AmaGimi, sauziguti ni kityau tate te, taimen si tamahu. Madu uti-naki te,

 尼君、襖障子口に几帳を立てて、お会いなさる。何より先に泣き出して、

 尼君は隣室の襖子からかみの口へまで来て対談した。少し泣いたあとで、

287 障子口に几帳立てて 母屋と南廂の間の襖障子を開けて、中将との間に几帳を立てて会う。

 「年ごろの積もるには、過ぎにし方いとど気遠くのみなむはべるを、山里の光になほ待ちきこえさすることの、うち忘れず止みはべらぬを、かつはあやしく思ひたまふる」

  "Tosigoro no tumoru ni ha, sugi ni si kata itodo kedohoku nomi nam haberu wo, yamazato no hikari ni naho mati kikoye sasuru koto no, uti-wasure zu yami habera nu wo, katuha ayasiku omohi tamahuru."

 「何年にもなりますと、過ぎ去った当時がますます遠くなるばかりでございますが、山里の光栄としてやはりお待ち申し上げております気持ちが、忘れず続いておりますのが、一方では不思議に存じられます」

 「過ぎた月日の長くなりましたことで、あの時代といいますものが遠い世のような気がいたされながら、おいでくださいますのを山里に添えられる光明のように思われまして、今でもあなたをお待ちすることが心から離れませんのを不思議に思っております」

288 年ごろの積もるには 大島本は「つもる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「積もり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「積もる」とする。以下「思ひたまふる」まで、妹尼の詞。

289 いとど気遠くのみなむ 妹尼の娘が亡くなって五六年を経過。

290 うち忘れず止みはべらぬを 主語は妹尼。中将の訪問を待ち続ける気持ち。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃると、

 と言うのを聞いて、中将は湿った気持ちになり、

 「心のうちあはれに、過ぎにし方のことども、思ひたまへられぬ折なきを、あながちに住み離れ顔なる御ありさまに、おこたりつつなむ。山籠もりもうらやましう、常に出で立ちはべるを、同じくはなど、慕ひまとはさるる人びとに、妨げらるるやうにはべりてなむ。今日は、皆はぶき捨ててものしたまへる」

  "Kokoro no uti ahareni, sugi ni si kata no koto-domo, omohi tamahe rare nu wori naki wo, anagati ni sumi hanare gaho naru ohom-arisama ni, okotari tutu nam. Yamagomori mo urayamasiu, tuneni idetati haberu wo, onaziku ha nado, sitahi matohasa ruru hitobito ni, samatage raruru yau ni haberi te nam. Kehu ha, mina habuki sute te monosi tamahe ru."

 「心の中ではしみじみと、過ぎ去った当時のことが、思い出されないことはないが、ひたすら俗世を離れたご生活なので、ついご遠慮申し上げまして。山籠もり生活も羨ましく、よく出かけてきますので、同じことならなどと、同行したがる人びとに、邪魔されるような恰好でおりました。今日は、すっかり断って参りました」

 「昔のことの思われない時もないのですが、世の中から離脱したことを標榜ひょうぼうしておいでになるような今の御生活に対して、古いことにとらわれている自分が恥ずかしくって、お訪ねいたすのも怠りがちになってしまいました。山ごもりをしている弟もまたうらやましくなり、僧都そうずのお寺へはよくまいるのですが、ぜひ同行したいという人が多いものですから、お寄りするのを妨げられる結果になりまして、失礼もしましたが、今日は都合よくその連中を断わって来ました」

291 心のうちあはれに 以下「ものしたまへる」まで、中将の詞。

292 山籠もりもうらやましう 弟の禅師の君の出家生活。『完訳』は「亡妻の冥福を祈る気持のあることをも暗に言う」と注す。

293 ものしたまへる 大島本は「物し給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ものしはべりつる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「物し給へる」とする。

 とのたまふ。

  to notamahu.

 とおっしゃる。

 と言っていた。

 「山籠もりの御うらやみは、なかなか今様だちたる御ものまねびになむ。昔を思し忘れぬ御心ばへも、世に靡かせたまはざりけると、おろかならず思ひたまへらるる折多く」

  "Yamagomori no ohom-urayami ha, nakanaka imayoudati taru ohom-monomanebi ni nam. Mukasi wo obosi wasure nu mi-kokorobahe mo, yo ni nabika se tamaha zari keru to, oroka nara zu omohi tamahe raruru wori ohoku."

 「山籠もり生活のご羨望は、かえって当世風の物真似のようです。故人をお忘れにならないお気持ちも、世間の風潮にお染まりにならなかったと、一方ならず厚く存じられます折がたびたびです」

 「山ごもりをおうらみになったりしては、かえって近ごろの流行かぶれに思われますよ。昔をお忘れにならないお志は現代の風潮と変わったありがたいことと、おうわさを聞いて思うことが多うございます」

294 山籠もりの 以下「折多く」まで、妹尼の詞。

295 今様だちたる御ものまねびに 『完訳』は「山籠りは今日ではかえって軽薄な流行、と軽くからかう言辞」と注す。

296 昔を思し忘れぬ御心ばへ 故人すなわち妹尼の娘を。

 など言ふ。

  nado ihu.

 などと言う。

 などと言うのは尼君であった。

第二段 浮舟の思い

 人びとに水飯などやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうのもの出だしたれば、馴れにしあたりにて、さやうのこともつつみなき心地して、村雨の降り出づるに止められて、物語しめやかにしたまふ。

  Hitobito ni suihan nado yau no mono kuhase, Kimi ni mo hasu no mi nado yau no mono idasi tare ba, nare ni si atari nite, sayau no koto mo tutumi naki kokoti si te, murasame no huri iduru ni tome rare te, monogatari simeyakani si tamahu.

 供の人びとに水飯などのような物を食べさせ、君にも蓮の実などのような物を出したので、昵懇の所なので、そのようなことにも遠慮のいらない気がして、村雨が降り出したのに引き止められて、お話をひっそりとなさる。

 ついて来た人々に水飯すいはん饗応きょうおうされ、中将にははすの実などを出した。そんな間食をしたりすることもここでは遠慮なくできる中将であったから、おりから俄雨にわかあめの降り出したのにも出かけるのをとめられて尼君となおもしみじみとした話をかわしていた。

297 人びとに 中将の供人たち。

298 蓮の実などやうのもの 『集成』は「間食ないし酒の肴とする。いわゆる「くだもの」と総称される中に入る」と注す。

299 馴れにしあたりにて 『集成』は「昔なじみの所なので」。『完訳』は「昔は通いなれていた妻の里方のこととて」と訳す。

300 さやうのことも 食事や酒肴の接待をさす。

301 村雨の降り出づるに--しめやかに 『完訳』は「涙をも暗示するか」と注す。

302 止められて 大島本は「とめられて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とどめられて」と校訂する。『新大系』は底本のまま「とめられて」とする。

 「言ふかひなくなりにし人よりも、この君の御心ばへなどの、いと思ふやうなりしを、よそのものに思ひなしたるなむ、いと悲しき。など、忘れ形見をだに留めたまはずなりにけむ」

  "Ihukahinaku nari ni si hito yori mo, kono Kimi no mi-kokorobahe nado no, ito omohu yau nari si wo, yoso no mono ni omohinasi taru nam, ito kanasiki. Nado, wasuregatami wo dani todome tamaha zu nari ni kem?"

 「亡くなってしまった娘のことよりも、この婿君のお気持ちなどが、実に申し分なかったので、他人と思うのが、とても悲しい。どうして、せめて子供だけでもお残しにならなかったのだろう」

 娘を失ったことよりも情のこまやかであったこの婿君を家の人でなくしてしまったことが、より以上尼君に悲痛なことであって、娘はなぜ忘れ形見でも残していかなかったか

303 言ふかひなくなりにし人よりも 以下「なりにけむ」まで、妹尼の心中の思い。亡き娘よりも。

304 この君の御心ばへ 中将の厚志。

305 忘れ形見を 中将と娘の間に子供を。『集成』は「「忘れ難み」に「形見」を掛けた語。歌語であろう」と注す。

 と、恋ひ偲ぶ心なりければ、たまさかにかくものしたまへるにつけても、珍しくあはれにおぼゆべかめる問はず語りもし出でつべし。

  to, kohi sinobu kokoro nari kere ba, tamasakani kaku monosi tamahe ru ni tuke te mo, medurasiku ahareni oboyu beka' meru tohazugatari mo si ide tu besi.

 と、恋い偲ぶ気持ちなので、たまたまこのようにお越しになったのにつけても、珍しくしみじみと思われるような問わず語りもしてしまいそうである。

 とそれを歎いている心から、たまさかにこうして中将の訪問を受けるのは非常なよろこびであったから、大事な秘密としていることもつい口へ出てしまうことになりそうであった。

306 問はず語りもし出でつべし 『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の推測による」と注す。

 姫君は、我は我と、思ひ出づる方多くて、眺め出だしたまへるさま、いとうつくし。白き単衣の、いと情けなくあざやぎたるに、袴も桧皮色にならひたるにや、光も見えず黒きを着せたてまつりたれば、「かかることどもも、見しには変はりてあやしうもあるかな」と思ひつつ、こはごはしういららぎたるものども着たまへるしも、いとをかしき姿なり。御前なる人びと、

  HimeGimi ha, ware ha ware to, omohiiduru kata ohoku te, nagame idasi tamahe ru sama, ito utukusi. Siroki hitohe no, ito nasakenaku azayagi taru ni, hakama mo hihadairo ni narahi taru ni ya, hikari mo miye zu kuroki wo kise tatematuri tare ba, "Kakaru koto-domo mo, mi si ni ha kahari te ayasiu mo aru kana!" to omohi tutu, kohagohasiu iraragi taru mono-domo ki tamahe ru simo, ito wokasiki sugata nari. Omahe naru hitobito,

 姫君は、わたしはわたしと、思い出されることが多くて、外を眺めていらっしゃる様子、とても美しい。白い単衣で、とても風情もなくさっぱりとしたものに、袴も桧皮色に見倣ったのか、色艶も見えない黒いのをお着せ申していたので、「このようなことなども、昔と違って不思議なことだ」と思いながらも、ごわごわとした肌触りのよくないのを何枚も着重ねていらっしゃるのが、実に風情ある姿なのである。御前の女房たちも、

 浮舟の姫君は昔について尼君とは異なった悲しみを多く覚え、庭のほうをながめ入っている顔が非常に美しい。同じ白といってもただ白い一方でしかない、目に情けなく見える単衣ひとえに、はかま檜皮ひはだ色の尼の袴を作りなれたせいか黒ずんだ赤のを着けさせられていて、こんな物も昔着た物に似たところのないものであると姫君は思いながら、そのこわごわとしたのをそのまま着た姿もこの人だけには美しい感じに受け取れた。女房たちが、

307 姫君は 『集成』は「中将の相手役に偽せられているこの場面にふさわしい呼び方」。『完訳』は「浮舟の呼称として「姫君」は初出。恋物語の女主人公の趣」と注す。

308 ならひたるにや 語り手の推測を交えた叙述。

309 かかることどもも 以下「あるかな」まで、浮舟の心中の思い。

 「故姫君のおはしたる心地のみしはべりつるに、中将殿をさへ見たてまつれば、いとあはれにこそ。同じくは、昔のさまにておはしまさせばや。いとよき御あはひならむかし」

  "Ko-HimeGimi no ohasi taru kokoti nomi si haberi turu ni, Tiuzyau-dono wo sahe mi tatemature ba, ito ahareni koso. Onaziku ha, mukasi no sama nite ohasimasa se baya! Ito yoki ohom-ahahi nara m kasi."

 「亡き姫君が生き返りなさった気ばかりがしますので、中将殿までを拝見すると、とても感慨無量です。同じことなら、昔のようにおいで願いたいものですね。とてもお似合いのご夫婦でしょう」

 「このごろはおかくれになった姫君が帰っておいでになった気がしているのに、中将様さえも来ておいでになってはいよいよその時代が今であるような錯覚が起こりますね。できるならば昔どおりにこの姫君と御夫婦におさせしたい、よくお似合いになるお二人でしょう」

310 故姫君の 以下「御あはひならむかし」まで、女房の詞。

311 おはしたる 大島本は「おハしたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはしまいたる」と「まい」を補訂する。『新大系』は底本のまま「おはしたる」とする。

312 しはべりつるに 大島本は「侍つるに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つるに」とする。

 と言ひ合へるを、

  to ihi ahe ru wo,

 と話し合っているのを、

 こんなことを言っているのも浮舟の耳にはいった。

 「あな、いみじや。世にありて、いかにもいかにも、人に見えむこそ。それにつけてぞ昔のこと思ひ出でらるべき。さやうの筋は、思ひ絶えて忘れなむ」と思ふ。

  "Ana, imizi ya! Yo ni ari te, ikanimo ikanimo, hito ni miye m koso. Sore ni tuke te zo mukasi no koto omohiide raru beki. Sayau no sudi ha, omohi taye te wasure na m." to omohu.

 「まあ、大変な。生き残って、どのようなことがあっても、男性と結婚するようなことは。それにつけても昔のことが思い出されよう。そのようなことは、すっかり断ち切って忘れよう」と思う。

 思いも寄らぬことである、普通の女の生活に帰って、どんな人とにもせよ結婚をすることなどはしようと思わない、それによって自分はただ昔を思うばかりの人になるであろうから、もうそうした身の上には絶対になるまい、そして昔を忘れたいと浮舟の姫君は思った。

313 あないみじや 以下「忘れなむ」まで、浮舟の心中の思い。

314 人に見えむこそ 結婚すること。係助詞「こそ」の下に「あるまじけれ」などの語句が省略。

第三段 中将、浮舟を垣間見る

 尼君入りたまへる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて、少将と言ひし人の声を聞き知りて、呼び寄せたまへり。

  AmaGimi iri tamahe ru ma ni, Marauto, ame no kesiki wo mi wadurahi te, Seusyau to ihi si hito no kowe wo kiki siri te, yobiyose tamahe ri.

 尼君が奥にお入りになる間に、客人は、雨の様子に困って、少将といった女房の声を聞き知って、呼び寄せなさった。

 尼君が内へ引っ込んだあとで、中将は降りやまぬ雨をながめることに退屈を覚え、少将といった人の声に聞き覚えがあってそばへ呼び寄せた。

315 客人 中将。

316 少将と言ひし人の かつて少将の君という女房名で仕えていた尼女房。

 「昔見し人びとは、皆ここにものせらるらむや、と思ひながらも、かう参り来ることも難くなりにたるを、心浅きにや、誰れも誰れも見なしたまふらむ」

  "Mukasi mi si hitobito ha, mina koko ni monose raru ram ya, to omohi nagara mo, kau mawiri kuru koto mo kataku nari ni taru wo, kokoroasaki ni ya, tare mo tare mo minasi tamahu ram."

 「昔見た女房たちは、みなここにいられようか、と思いながらも、このようにやって参ることも難しくなってしまったのを、薄情なように、皆がお思いになりましょう」

 「昔のなじみの人たちは今も皆ここにおられるのであろうかと、思ってみる時があっても、こうした御訪問も自然できなくなってしまっている私を、薄情なようにも皆さんは思っておられるでしょう」

317 昔見し人びとは 以下「見なしたまふらむ」まで、中将の詞。見知っている女房たち。

318 心浅きにや誰れも誰れも見なしたまふらむ 『完訳』は「自分(中将)が薄情な男ゆえと。こう言って相手の考えをさぐる」と注す。

 などのたまふ。仕うまつり馴れにし人にて、あはれなりし昔のことどもも思ひ出でたるついでに、

  nado notamahu. Tukaumaturi nare ni si hito nite, ahare nari si mukasi no koto-domo mo omohiide taru tuide ni,

 などとおっしゃる。親しくお世話してくれた女房なので、恋しかった当時のことが思い出される折に、

 こんなことを中将は言った。親しく中将にも仕えていた女房であったから、昔の妻についての思い出話をしたあとで、

319 思ひ出でたるついでに 主語は中将。

 「かの廊のつま入りつるほど、風の騒がしかりつる紛れに、簾の隙より、なべてのさまにはあるまじかりつる人の、うち垂れ髪の見えつるは、世を背きたまへるあたりに、誰れぞとなむ見おどろかれつる」

  "Kano rau no tuma iri turu hodo, kaze no sawagasikari turu magire ni, sudare no hima yori, nabete no sama ni ha aru mazikari turu hito no, utitaregami no miye turu ha, yo wo somuki tamahe ru atari ni, tare zo to nam mi odoroka re turu."

 「あの渡廊の端の所で、風が烈しかった騷ぎに、簾の隙間から、並々の器量ではなかった人で、打ち垂れ髪が見えたのは、出家なさった家に、いったい誰なのかと驚かされました」

 「私がさっき廊の端を通ったころに、風がひどく吹いていて、すだれが騒がしく動く紛れに、その合い間から、普通の女房とは思われない人の後ろへ引いた髪が見えたから、尼様たちのお住居すまいにだれが来ておられるのかと驚きましたよ」

320 かの廊のつま入りつるほど 以下「見おどろかれつる」まで、中将の詞。

321 なべてのさまにはあるまじかりつる人 浮舟。

 とのたまふ。「姫君の立ち出でたまへるうしろでを、見たまへりけるなめり」と思ひ出でて、「ましてこまかに見せたらば、心止まりたまひなむかし。昔人は、いとこよなう劣りたまへりしをだに、まだ忘れがたくしたまふめるを」と、心一つに思ひて、

  to notamahu. "HimeGimi no tati-ide tamahe ru usirode wo, mi tamahe ri keru na' meri." to omohiide te, "Masite komakani mise tara ba, kokoro tomari tamahi na m kasi. Mukasibito ha, ito koyonau otori tamahe ri si wo dani, mada wasure gataku si tamahu meru wo." to, kokoro hitotu ni omohi te,

 とおっしゃる。「姫君が立って出て行かれた後ろ姿を、御覧になったようだ」と思って、「これ以上に詳細に見せたら、きっとお心がお止まりになろう。故人は、とても格段に劣っていらっしゃったのさえ、今だに忘れがたく思っていらっしゃるようだから」と、独り決めにして、

 と中将が言いだした。姫君が立って隣室へお行きになった後ろ姿を見たのであろうと少将は思い、まして細かに見せたなら多大に心のかれることであろう、あの方に比べれば昔の方はずっと劣っておいでになったのであるが、まだ忘られぬように恋しがっている人であるからと少将は心に思い、ひとり決めではなやかに事の発展していくことを予期して、

322 姫君の 以下「なめり」まで、少将尼の心中の思い。

323 立ち出でたまへる 大島本は「たちいて給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりつる」と「りつ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「給へる」とする。

324 思ひ出でて 大島本は「おもひいてゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひて」と「いて」を削除する。『新大系』は底本のまま「思ひ出でて」とする。

325 ましてこまかに 以下「たまふめるを」まで、少将尼の心中の思い。

326 昔人は 亡き姫君。

327 劣りたまへりし 亡き姫君は浮舟に数段劣る。

 「過ぎにし御ことを忘れがたく、慰めかねたまふめりしほどに、おぼえぬ人を得たてまつりたまひて、明け暮れの見物に思ひきこえたまふめるを、うちとけたまへる御ありさまを、いかで御覧じつらむ」

  "Sugi ni si ohom-koto wo wasure gataku, nagusame kane tamahu meri si hodo ni, oboye nu hito wo e tatematuri tamahi te, akekure no mimono ni omohi kikoye tamahu meru wo, utitoke tamahe ru ohom-arisama wo, ikade goranzi tu ram?"

 「亡くなったお方のことを忘れがたく、慰めかねていらっしゃるようだったころ、思いがけない女性をお手に入れ申されて、明け暮れの慰めにお思い申し上げていらっしゃったようですが、寛いでいらっしゃるご様子を、どうして御覧になったのでしょうか」

 「おかくれになった姫君のことがお忘れになれませんで困っていらっしゃいます時に、思いがけぬ姫君をお見つけになりまして、今では明け暮れの慰めにして奥様がお世話をしておいでになるのですが、そのお姿を不思議にお目におとめになりましたのでございますね」

328 過ぎにし御ことを 以下「御覧じつらむ」まで、少将尼の詞。

329 忘れがたく慰めかねたまふめりし 主語は妹尼君。

330 おぼえぬ人を 浮舟。

331 うちとけたまへる御ありさまを 浮舟のくつろいでいる姿を。

332 いかで御覧じつらむ 大島本は「いかて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかでか」と「か」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかで」とする。

 と言ふ。「かかることこそはありけれ」とをかしくて、「何人ならむ。げに、いとをかしかりつ」と、ほのかなりつるを、なかなか思ひ出づ。こまかに問へど、そのままにも言はず、

  to ihu. "Kakaru koto koso ha ari kere." to wokasiku te, "Nanibito nara m? Geni, ito wokasikari tu." to, honoka nari turu wo, nakanaka omohiidu. Komakani tohe do, sono mama ni mo iha zu,

 と言う。「このようなことがあるものだ」と興味深くて、「どのような人なのだろう。なるほど、実に美しかった」と、ちらっと垣間見たのを、かえって思い出す。詳しく尋ねるが、すっかりとは答えず、

 こう語った。そんなおもしろい事実があったのかと興味のわいてきた中将は、どうした家の娘であろう、それとなく今少将が言うとおりに美しい人らしくほのかに見ただけの人からかえって深い印象の与えられたのを中将は感じた。くわしく聞こうとするのであるが、少将は事実をそのまま告げようとはせずに、

333 かかることこそはありけれ 中将の心中の思い。過去助動詞「けれ」詠嘆の意。『完訳』は「以下、中将の心に即した叙述。意外な所に意外な美女が、の思い」と注す。

334 何人ならむげにいとをかしかりつ 中将の心中の思い。

 「おのづから聞こし召してむ」

  "Onodukara kikosimesi te m."

 「自然とお分かりになりましょう」

 「そのうちおわかりになるでしょう」

335 おのづから聞こし召してむ 少将尼の詞。

 とのみ言へば、うちつけに問ひ尋ねむも、さま悪しき心地して、

  to nomi ihe ba, utituke ni tohi tadune m mo, sama asiki kokoti si te,

 とばかり言うので、急に詮索するのも、体裁の悪い気がして、

 とだけ言っているのに対して、にわかに質問をしつこくするのも恥ずかしくなり、従者が、

 「雨も止みぬ。日も暮れぬべし」

  "Ame mo yami nu. Hi mo kure nu besi."

 「雨も止んだ。日も暮れそうだ」

 「雨もやみました。日が暮れるでしょうから」

336 雨も止みぬ日も暮れぬべし 供人の詞。

 と言ふにそそのかされて、出でたまふ。

  to ihu ni sosonokasa re te, ide tamahu.

 と言うのに促されて、お帰りになる。

 とうながす声のままに中将は出かけようとするのであった。

第四段 中将、横川の僧都と語る

 前近き女郎花を折りて、「何匂ふらむ」と口ずさびて、独りごち立てり。

  Mahe tikaki wominahesi wo wori te, "Nani nihohu ram?" to kutizusabi te, hitorigoti tate ri.

 お庭先の女郎花を手折って、「どうしてここにいらっしゃるのだろう」と口ずさんで、独り言をいって立っていた。

 縁側を少し離れた所に咲いた女郎花おみなえしを手に折って「何にほふらん」(女郎花人のもの言ひさがにくき世に)と口ずさんで立っていた。

337 何匂ふらむ 中将の詞。『源氏釈』は「ここにしも何匂ふらむ女郎花人のものいひさがにくき世に」(拾遺集雑秋、一〇九八、僧正遍昭)を指摘。

 「人のもの言ひを、さすがに思しとがむるこそ」

  "Hito no monoihi wo, sasugani obosi togamuru koso."

 「人の噂を、さすがに気になさるとは」

 「人から何とか言われるのをさすがに恐れておいでになるのですね」

338 人のもの言ひを 以下「とがむるこそ」まで、老尼女房の詞。

 など、古代の人どもは、ものめでをしあへり。

  nado, kotai no hito-domo ha, mono-mede wo si ahe ri.

 などと、古風な老人たちは、誉めあっていた。

 などと古めかしい人らはそれをほめていた。

 「いときよげに、あらまほしくもねびまさりたまひにけるかな。同じくは、昔のやうにても見たてまつらばや」とて、

  "Ito kiyogeni, aramahosiku mo nebi masari tamahi ni keru kana! Onaziku ha, mukasi no yau nite mo mi tatematura baya!" tote,

 「とても美しげで、理想的にご成人なさったことよ。同じことなら、昔のようにお世話したいものだ」と思って、

 「ますますきれいにおなりになってりっぱだね。できることなら昔どおりの間柄になってつきあいたい」と尼君も言っているのであった。

339 いときよげに 以下「見たてまつらばや」まで、『集成』は、尼たちの詞、『完訳』は、妹尼君の詞とする。

 「藤中納言の御あたりには、絶えず通ひたまふやうなれど、心も止めたまはず、親の殿がちになむものしたまふ、とこそ言ふなれ」

  "Tou-Tiunagon no ohom-atari ni ha, tayezu kayohi tamahu yau nare do, kokoro mo todome tamaha zu, oya no tonogati ni nam monosi tamahu, to koso ihu nare."

 「藤中納言のお所には、今も通っていらっしゃるようだが、ご執心でもなく、親の邸にいらっしゃりがちだと言っているようだが」

 「とう中納言のおうちへは始終通っておいでになると見せておいでになって、気に入った奥さんでないらしくてね、お父様のおやしきに暮らしておいでになることのほうが多いということだね」

340 藤中納言の 以下「こそ言ふなれ」まで、妹尼君の詞。中将は現在、藤中納言の娘のもとに婿として通っている。この藤中納言は系図不詳の人。

341 絶えず通ひたまふやうなれど 『完訳』は「夫婦仲の絶えない程度に」と注す。

 と、尼君ものたまひて、

  to, AmaGimi mo notamahi te,

 と、尼君もおっしゃって、

 こんな話も女房相手にしてから、浮舟へ、

 「心憂く、ものをのみ思し隔てたるなむ、いとつらき。今は、なほ、さるべきなめりと思しなして、晴れ晴れしくもてなしたまへ。この五年、六年、時の間も忘れず、恋しく悲しと思ひつる人の上も、かく見たてまつりて後よりは、こよなく思ひ忘られにてはべる。思ひきこえたまふべき人びと世におはすとも、今は世に亡きものにこそ、やうやう思しなりぬらめ。よろづのこと、さし当たりたるやうには、えしもあらぬわざになむ」

  "Kokorouku, mono wo nomi obosi hedate taru nam, ito turaki. Ima ha, naho, sarubeki na' meri to obosi nasi te, harebaresiku motenasi tamahe. Kono itutose, mutose, toki no ma mo wasure zu, kohisiku kanasi to omohi turu hito no uhe mo, kaku mi tatematuri te noti yori ha, koyonaku omohi wasura re nite haberu. Omohi kikoye tamahu beki hitobito yo ni ohasu tomo, ima ha yo ni naki mono ni koso, yauyau obosi nari nu rame. Yorodu no koto, sasiatari taru yau ni ha, e simo ara nu waza ni na m."

 「情けなく、よそよそしくしてばかりいらっしゃるのが、とてもつらい。今はもう、やはり、これも宿縁だとお思いになって、気を晴れやかになさってください。この五年、六年、束の間も忘れず、恋しく悲しいと思っていた娘のことも、こうしてお目にかかって後は、すっかり悲しみも忘れております。ご心配申し上げなさる方々がいらっしゃっても、今はもう亡くなったのだと、だんだんお諦めになりましょう。どのような事でも、その当座のようには、必ずしも思わないものです」

 「あなたはまだ私に隔て心を持っておいでになるのが恨めしくてなりませんよ。もう何事も宿命によるのだとあきらめておしまいになって、晴れ晴れしくなってくださいよ。この五、六年片時も忘れることができなくて悲しい悲しいと思っていた人のことも、あなたという方をそばで見るようになってからは忘れてしまいましたよ私は。あなたをお愛しになった方がたがこの世においでになっても、もうあなたはおくなりになったものと今ではあきらめておいでになりましょうよ。何のことだってその当時ほどに人は思わないものですからね」

342 心憂くものをのみ 以下「わざになむ」まで、妹尼君の詞。浮舟に向かって言う。

343 思し隔てたるなむ 主語は浮舟。

344 さるべきなめりと これも前世の宿縁だろうと。

345 この五年六年時の間も忘れず 妹尼君の娘が亡くなって、五六年を経過。

346 恋しく悲しと思ひつる人 亡き娘。

347 かく見たてまつりて後 浮舟を。

348 思ひきこえたまふべき人びと 浮舟の親兄弟など。

 と言ふにつけても、いとど涙ぐみて、

  to ihu ni tuke te mo, itodo namidagumi te,

 と言うにつけても、ますます涙ぐんで、

 と言うのを聞くうちにも姫君は涙ぐまれてくるのであった。

349 いとど涙ぐみて 『集成』は「親のことなど言われて、悲しみがこみ上げる体」と注す。

 「隔てきこゆる心は、はべらねど、あやしくて生き返りけるほどに、よろづのこと夢の世にたどられて。あらぬ世に生れたらむ人は、かかる心地やすらむ、とおぼえはべれば、今は、知るべき人世にあらむとも思ひ出でず。ひたみちにこそ、睦ましく思ひきこゆれ」

  "Hedate kikoyuru kokoro ha, habera ne do, ayasiku te ikikaheri keru hodo ni, yorodu no koto yume no yo ni tadorare te. Ara nu yo ni mumare tara m hito ha, kakaru kokoti ya su ram, to oboye habere ba, ima ha, siru beki hito yo ni ara m to mo omohiide zu. Hitamiti ni koso, mutumasiku omohi kikoyure."

 「よそよそしくお思い申し上げる気持ちは、ございませんが、不思議に生き返ったうちに、すべての事が夢のようにはっきり分からなくなりまして。違った世界に生まれた人は、このような気がするものだろうか、と思われておりますので、今は、知っている人がこの世に生きていようとも思い出されません。ひたすらに、慕わしく存じ上げております」

 「私は何も隔てをお置きする気などはないのですけれども、不思議な蘇生そせいをしましてからは、何も皆夢のようにしか思い出せなくなっていまして、別の世界へ生まれた人はこんな気がするものであろうと感じられますから、身寄りというものがこの世にまだあるとも、思っていません私は、あなたの愛だけを頼みにしているのでございます」

350 隔てきこゆる心は 大島本は「心ハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心も」と校訂する。『新大系』は底本のまま「心は」とする。以下「思ひきこゆれ」まで、浮舟の詞。

351 夢の世にたどられて 大島本は「夢の世に」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「夢のやうに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「夢の世に」とする。

352 睦ましく思ひきこゆれ あなた尼君を。

 とのたまふさまも、げに、何心なくうつくしく、うち笑みてぞまもりゐたまへる。

  to notamahu sama mo, geni, nanigokoro naku utukusiku, uti-wemi te zo mamori wi tamahe ru.

 とおっしゃる様子も、なるほど、無心でかわいらしく、にっこりとして見つめていらっしゃった。

 と言う浮舟うきふねの顔に純真さが見えてかわいいのを尼君はみながら見守っていた。

 中将は、山におはし着きて、僧都も珍しがりて、世の中の物語したまふ。その夜は泊りて、声尊き人に経など読ませて、夜一夜、遊びたまふ。禅師の君、こまかなる物語などするついでに、

  Tiuzyau ha, yama ni ohasi tuki te, Soudu mo medurasigari te, yononaka no monogatari si tamahu. Sono yo ha tomari te, kowe tahutoki hito ni kyau nado yomase te, yohitoyo, asobi tamahu. Zenzi-no-Kimi, komaka naru monogatari nado suru tuide ni,

 中将は、山にお着きになって、僧都も珍しく思って、世間の話をなさる。その夜は泊まって、声の尊い僧たちに読経などさせて、一晩中、管弦の遊びをなさる。禅師の君が、うちとけた話をした折に、

 山の寺へ着いた中将を僧都も喜んで迎え、いろいろと世上の話を聞いたりした。その夜は宿泊することにして尊い声の出る僧たちに経を読ませて遊び明かした。弟の禅師とこまやかな話をしているうちに中将は、

353 その夜は泊りて 中将は横川の僧坊に宿泊して。

354 声尊き人に 大島本は「人に」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人々に」と校訂する。『新大系』は底本のまま「人に」とする。

355 経など読ませて夜一夜遊びたまふ 『集成』は「声明で、当時のいわば声楽」。『完訳』は「声明として経を謡うこと」「僧都の心配りで、山ではめったにしない管弦の遊びをする」と注す。

 「小野に立ち寄りて、ものあはれにもありしかな。世を捨てたれど、なほさばかりの心ばせある人は、難うこそ」

  "Wono ni tatiyori te, mono ahareni mo ari si kana! Yo wo sute tare do, naho sabakari no kokorobase aru hito ha, katau koso."

 「小野に立ち寄って、しみじみと感慨深いことがあったね。世を捨てているが、やはり、あれほど嗜みの深い方は、めったにいらっしゃらないものだ」

 「小野へ寄って来たがね、身にしむ思いを味わわせられた。出家したあとまであれだけ高雅な趣味のある生活のできる人は少ないだろうね」

356 小野に立ち寄りて 以下「難うこそ」まで、中将の詞。

357 心ばせある人は 尼君をさす。

 などあるついでに、

  nado aru tuide ni,

 などとおっしゃるついでに、

 こんなことを言い、続いて、

358 などあるついでに 大島本は「なとある」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「などのたまふ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「などある」とする。

 「風の吹き開けたりつる隙より、髪いと長くをかしげなる人こそ見えつれ。あらはなりとや思ひつらむ、立ちてあなたに入りつるうしろで、なべての人とは見えざりつ。さやうの所に、よき女は置きたるまじきものにこそあめれ。明け暮れ見るものは法師なり。おのづから目馴れておぼゆらむ。不便なることぞかし」

  "Kaze no huki ake tari turu hima yori, kami ito nagaku wokasige naru hito koso miye ture. Araha nari to ya omohi tu ram, tati te anata ni iri turu usirode, nabete no hito to ha miye zari tu. Sayau no tokoro ni, yoki womna ha oki taru maziki mono ni koso a' mere. Akekure miru mono ha hohusi nari. Onodukara menare te oboyu ram. Hubin naru koto zo kasi."

 「風が吹き上げた御簾の隙間から、髪がたいそう長く、美しそうな女性が見えた。人目につくと思ったのだろうか、立ってあちらに入って行く後ろ姿は、並の女性とは見えなかった。あのような所に、身分のある女性を住まわせておくべきではないでしょう。明け暮れ目にするものは法師だ。自然と見慣れてそれが普通と思われよう。不都合なことだ」

 「風が御簾みすを吹き上げた時に、髪の長い美しい人を見た。あらわになったと気のついたように立って行ったが、後ろ姿が平凡な人とは見えなかった。ああした所に若い貴女などは置いていいものでないね。明け暮れ見る人といっては坊様だけだから、のぞく者がないかと使う神経が弛緩ちかんしてしまうからね、気の毒だよ」

359 風の吹き開けたりつる 以下「不便なることぞかし」まで、中将の詞。

360 よき女は置きたるまじきものに 『集成』は「身分のある女性は住まわせてはいけないものだとおもわれます」と訳す。

361 おのづから目馴れておぼゆらむ 主語は浮舟。『集成』は「女らしさを失ってしまうだろうという気持」と注す。

362 不便なることぞかし 大島本は「ことそかし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなりかし」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことぞかし」とする。若い女性にとっては不都合なことだ、の意。

 とのたまふ。禅師の君、

  to notamahu. Zenzi-no-Kimi,

 とおっしゃる。禅師の君は、

 こんな話をした。

 「この春、初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人となむ、聞きはべりし」

  "Kono haru, Hatuse ni maude te, ayasiku te mi ide taru hito to nam, kiki haberi si."

 「この春、初瀬に参詣して、不思議にも発見した女性だ、と聞きました」

 「この春初瀬はせまいって不思議な縁でおつれになった若いお嬢さんだということです」

363 この春 以下「聞きはべりし」まで、禅師の詞。

 とて、見ぬことなれば、こまかには言はず。

  tote, mi nu koto nare ba, komakani ha iha zu.

 と言って、見てないことなので、詳しくは言わない。

 禅師は自身の携わった事件でなく知るはずもなかったから細かには言わない。

 「あはれなりけることかな。いかなる人にかあらむ。世の中を憂しとてぞ、さる所には隠れゐけむかし。昔物語の心地もするかな」

  "Ahare nari keru koto kana! Ikanaru hito ni ka ara m? Yononaka wo usi tote zo, saru tokoro ni ha kakure wi kem kasi. Mukasimonogatari no kokoti mo suru kana!"

 「興味深い話だね。どのような人であろうか。世の中を厭って、そのような所に隠れていたのだろう。昔物語にあったような気がするね」

 「かわいそうな人なのだね、どんな家の人だろう。世の中が悲しくなったればこそそうした寺へ来て隠れていたのだろうからね。昔の小説の中のことのようだ」

364 あはれなりけることかな 以下「心地もするかな」まで、中将の詞。

365 さる所には 宇治の山里をさす。

 とのたまふ。

  to notamahu.

 とおっしゃる。

 と中将は言った。

第五段 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る

 またの日、帰りたまふにも、「過ぎがたくなむ」とておはしたり。さるべき心づかひしたりければ、昔思ひ出でたる御まかなひの少将の尼なども、袖口さま異なれども、をかし。いとどいや目に、尼君はものしたまふ。物語のついでに、

  Matanohi, kaheri tamahu ni mo, "Sugi gataku nam." tote ohasi tari. Sarubeki kokorodukahi si tari kere ba, mukasi omohiide taru ohom-makanahi no Seusyau-no-Ama nado mo, sodeguti sama koto nare domo, wokasi. Itodo iyame ni, AmaGimi ha monosi tamahu. Monogatari no tuide ni,

 翌日、お帰りになる時、「素通りできにくくて」と言っていらっしゃった。しかるべき用意などしていたので、昔が思い出されるお世話の少将の尼なども、袖口の色は異なっているが、趣がある。ますます涙がちの目で、尼君はいらっしゃる。話のついでに、

 翌日山からの帰途にもまた、「通り過ぎることができぬ気になって」こんなことを言って小野の家へ立ち寄った。ここでは迎えることを期していて食事の仕度したくもできていた。昔どおりに給仕をする少将の尼の普通に異なった袖口そでぐちの色も悪い感じはせず美しく思われた。尼夫人は昨日きのうよりもまだひどい涙目になって中将を見た。感謝しているのである。話のついでに中将が、

366 過ぎがたくなむ 中将の詞。

367 おはしたり 小野の草庵に。

368 さるべき心づかひ 中将が帰途に立ち寄ることを予測しての食事の準備など。

369 袖口さま異なれども 尼姿の鈍色の袖口。

 「忍びたるさまにものしたまふらむは、誰れにか」

  "Sinobi taru sama ni monosi tamahu ram ha, tare ni ka?"

 「こっそりと姿を隠していらっしゃるような方は、どなたですか」

 「このおうちに来ておいでになる若い方はどなたですか」

370 忍びたるさまにものしたまふらむは誰れにか 中将の詞。若い女性について尋ねる。

 と問ひたまふ。わづらはしけれど、ほのかにも見つけてけるを、隠し顔ならむもあやしとて、

  to tohi tamahu. Wadurahasikere do, honokani mo mituke te keru wo, kakusi gaho nara m mo ayasi tote,

 とお尋ねになる。厄介なことだが、ちらっと見つけたのを、隠しているようなのも変だと思って、

 と尋ねた。めんどうになるような気はするのであったが、すでに隙見すきみをしたらしい人に隠すふうを見せるのはよろしくないと思った尼君は、

371 見つけてけるを 大島本は「見つけてける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見つけたまひてける」と「たまひ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見つけてける」とする。

 「忘れわびはべりて、いとど罪深うのみおぼえはべりつる慰めに、この月ごろ見たまふる人になむ。いかなるにか、いともの思ひしげきさまにて、世にありと人に知られむことを、苦しげに思ひてものせらるれば、かかる谷の底には誰れかは尋ね聞かむ、と思ひつつはべるを、いかでかは聞きあらはさせたまへらむ」

  "Wasure wabi haberi te, itodo tumi hukau nomi oboye haberi turu nagusame ni, kono tukigoro mi tamahuru hito ni nam. Ikanaru ni ka, ito monoomohi sigeki sama nite, yo ni ari to hito ni sira re m koto wo, kurusige ni omohi te monose rarure ba, kakaru tani no soko ni ha tare kaha tadune kika m, to omohi tutu haberu wo, ikade kaha kiki arahasa se tamahe ram."

 「忘れかねまして、ますます罪深くばかり思われましたその慰めに、ここ数か月お世話している人です。どのような理由でか、とても悲しみの深い様子で、この世に生きていると誰からも知られることを、つらいことに思っておいでなので、このような山あいの奥深くまで誰がお尋ね求めよう、と思っておりましたが、どうしてお聞きつけあそばしたのですか」

 「昔の人のことをあまり心に持っていますのは罪の深いことになると思いまして、ここ幾月か前から娘の代わりに家へ住ませることになった人のことでしょう。どういう理由か沈んだふうでばかりいまして、自分の存在が、人に知れますことをいやがっておりますから、こんな谷底へだれがあなたを捜しに来ますかと私は慰めて隠すようにしてあげているのですが、どうしてその人のことがおわかりになったのでしょう」

372 忘れわびはべりて 以下「あらはさせたまひつらむ」まで、妹尼君の詞。

373 尋ね聞かむ 大島本は「尋きかん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「尋ね聞こえむ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「尋聞かん」とする。

 といらふ。

  to irahu.

 と答える。


 「うちつけ心ありて参り来むにだに、山深き道のかことは聞こえつべし。まして、思しよそふらむ方につけては、ことことに隔てたまふまじきことにこそは。いかなる筋に世を恨みたまふ人にか。慰めきこえばや」

  "Utitukegokoro ari te mawiri ko m ni dani, yama hukaki miti no kakoto ha kikoye tu besi. Masite, obosi yosohu ram kata ni tuke te ha, kotokotoni hedate tamahu maziki koto ni koso ha. Ikanaru sudi ni yo wo urami tamahu hito ni ka? Nagusame kikoye baya!"

 「一時の物好きな心があってやって来るのでさえ、山深い道の恨み言は申し上げましょう。まして、亡き姫君の代わりとお思いなさっていることでは、まったく関係ないこととお隔てになることでしょうか。どのようなことで、この世を厭いなさる人なのでしょうか。お慰め申し上げたい」

 「かりに突然求婚者になって現われた私としましても、遠いみちも思わず来たということで特典を与えられなければならないのですからね、ましてあなたが昔の人と思ってお世話をしていらっしゃる方であれば、私の志を昔に継いで受け入れてくだすっていいはずだと思います。どんな理由で人生を悲観していられる方なのですかねえ。慰めておあげしたく思われますよ」

374 うちつけ心ありて 以下「きこえばや」まで、中将の詞。

375 思しよそふらむ方 主語は尼君。尼君の娘、中将の亡き妻。

 など、ゆかしげにのたまふ。

  nado, yukasige ni notamahu.

 などと、関心深そうにおっしゃる。

 好奇心の隠せぬふうで中将は言った。

 出でたまふとて、畳紙に、

  Ide tamahu tote, tataugami ni,

 お帰りになるに当たって、畳紙に、

 帰りぎわに懐紙へ、

 「あだし野の風になびくな女郎花
  我しめ結はむ道遠くとも」

    "Adasino no kaze ni nabiku na wominahesi
    ware sime yuha m miti tohoku tomo

 「浮気な風に靡くなよ、女郎花
  わたしのものとなっておくれ、道は遠いけれども」

  あだし野の風になびくな女郎花をみなへし
  われしめゆはんみち遠くとも

376 あだし野の風になびくな女郎花--我しめ結はむ道遠くとも 中将から浮舟への贈歌。「女郎花」は浮舟を喩える。

 と書きて、少将の尼して入れたり。尼君も見たまひて、

  to kaki te, Seusyau-no-Ama site ire tari. AmaGimi mo mi tamahi te,

 と書いて、少将の尼を介して入れた。尼君も御覧になって、

 と書いて、少将の尼に姫君の所へ持たせてやった。尼君もそばでいっしょに読んだ。

 「この御返り書かせたまへ。いと心にくきけつきたまへる人なれば、うしろめたくもあらじ」

  "Kono ohom-kaheri kaka se tamahe. Ito kokoronikuki ke tuki tamahe ru hito nare ba, usirometaku mo ara zi."

 「このお返事をお書きあそばせ。とても奥ゆかしいところのおありの方だから、不安なことはありますまい」

 「返しを書いておあげなさい。紳士ですから、それがあとのめんどうを起こすことになりますまいからね」

377 この御返り書かせたまへ 以下「うしろめたくもあらじ」まで、妹尼君の詞。

 とそそのかせば、

  to sosonokase ba,

 と促すと、

 こう勧められても、

 「いとあやしき手をば、いかでか」

  "Ito ayasiki te wo ba, ikadeka."

 「ひどく醜い筆跡を、どうして」

 「まずい字ですから、どうしてそんなことが」

378 いとあやしき手をばいかでか 浮舟の詞。尼君への返事。

 とて、さらに聞きたまはねば、

  tote, sarani kiki tamaha ne ba,

 と言って、まったく承知なさらないので、

 と言い、浮舟の聞き入れないのを見て、

 「はしたなきことなり」

  "Hasitanaki koto nari."

 「体裁の悪きことです」

 失礼になることだから

379 はしたなきことなり 妹尼君の詞。

 とて、尼君、

  tote, AmaGimi,

 と言って、尼君が、

 と尼君が、

 「聞こえさせつるやうに、世づかず、人に似ぬ人にてなむ。

  "Kikoyesase turu yau ni, yoduka zu, hito ni ni nu hito nite nam.

 「申し上げましたように、世間知らずで、普通の人とは違っておりますので。

 お話しいたしましたように、世間れぬ内気な人ですから、

380 聞こえさせつるやうに 以下「草の庵に」まで、妹尼君の詞と返歌。

  移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花
  憂き世を背く草の庵に」

    Utusi uwe te omohi midare nu wominahesi
    uki yo wo somuku kusa no ihori ni

  ここに移し植えて困ってしまいました、女郎花です
  嫌な世の中を逃れたこの草庵で」

  移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花
  浮き世をそむく草のいほり

381 移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花--憂き世を背く草の庵に 妹尼君の返歌。「女郎花」の語句を用いて返す。

 とあり。「こたみは、さもありぬべし」と、思ひ許して帰りぬ。

  to ari. "Kotami ha, samo ari nu besi." to, omohi yurusi te kaheri nu.

 とある。「今回は、きっとそういうことだろう」と大目に見て帰った。

 と書いて出した。はじめてのことであってはこれが普通であろうと思って中将は帰った。

382 こたみはさもありぬべし 中将の心中の思い。浮舟の返歌はもらえないことをさす。

第六段 中将、三度山荘を訪問

 文などわざとやらむは、さすがにうひうひしう、ほのかに見しさまは忘れず、もの思ふらむ筋、何ごとと知らねど、あはれなれば、八月十余日のほどに、小鷹狩のついでにおはしたり。例の、尼呼び出でて、

  Humi nado wazato yara m ha, sasugani uhiuhisiu, honokani mi si sama ha wasure zu, mono omohu ram sudi, nanigoto to sira ne do, ahare nare ba, hatigwati zihuyoniti no hodo ni, kotakagari no tuide ni ohasi tari. Rei no, Ama yobiide te,

 手紙などをわざわざやるのは、何といっても不慣れな感じで、ちらっと見た様子は忘れず、何を悩んでいるのか知らないが、心を惹かれるので、八月十日過ぎに、小鷹狩のついでにいらっしゃった。いつものように、尼を呼び出して、

  中将は小野の人に手紙を送ることもさすがに今さら若々しいことに思われてできず、しかもほのかに見た姿は忘れることができずに苦しんでいた。厭世えんせい的になっているのは何の理由であるかはわからぬが哀れに思われて、八月の十日過ぎにはまた小鷹狩こたかがりの帰りに小野の家へ寄った。例の少将の尼を呼び出して、

383 八月十余日のほどに 中秋の明月に近いころ。

384 小鷹狩のついでに 『河海抄』は「秋の野に狩ぞ暮れぬる女郎花今宵ばかりの宿はかさなむ」(古今六帖二、小鷹狩)を指摘。

 「一目見しより、静心なくてなむ」

  "Hitome mi si yori, sidugokoro naku te nam."

 「先日ちらっと見てから、心が落ち着かなくて」

 「お姿を少し隙見で知りました時から落ち着いておられなくなりました」

385 一目見しより静心なくてなむ 中将の詞。

 とのたまへり。いらへたまふべくもあらねば、尼君、

  to notamahe ri. Irahe tamahu beku mo ara ne ba, AmaGimi,

 とおっしゃった。お答えなさるはずもないので、尼君は、

 と取り次がせた。浮舟の姫君は返辞をしてよいことと認めず黙っていると、尼君が、

386 いらへたまふべくもあらねば 主語は浮舟。

 「待乳の山、となむ見たまふる」

  "Matutinoyama, to nam mi tamahuru."

 「待乳の山の、誰か他に思う人がいるように拝します」

 「待乳まつちの山の(たれをかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし)と見ております」

387 待乳の山となむ見たまふる 大島本は「まつちの山となん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「待乳の山の」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「待乳の山」とする。妹尼君の詞。『異本紫明抄』は「誰をかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし」(小町集)を指摘。『完訳』は「誰か他に思う人がいるか」と注す。

 と言ひ出だしたまふ。対面したまへるにも、

  to ihi idasi tamahu. Taimen si tamahe ru ni mo,

 と中から言い出させなさる。お会いなさっても、

 と言わせた。それから昔のしゅうとめと婿は対談したのであるが、

388 対面したまへるにも 主語は妹尼君。尼君が中将に。

 「心苦しきさまにてものしたまふと聞きはべりし人の御上なむ、残りゆかしくはべりつる。何事も心にかなはぬ心地のみしはべれば、山住みもしはべらまほしき心ありながら、許いたまふまじき人びとに思ひ障りてなむ過ぐしはべる。世に心地よげなる人の上は、かく屈じたる人の心からにや、ふさはしからずなむ。もの思ひたまふらむ人に、思ふことを聞こえばや」

  "Kokorogurusiki sama nite monosi tamahu to kiki haberi si hito no ohom-uhe nam, nokori yukasiku haberi turu. Nanigoto mo kokoro ni kanaha nu kokoti nomi si habere ba, yamazumi mo si habera mahosiki kokoro ari nagara, yurui tamahu maziki hitobito ni omohi sahari te nam sugusi haberu. Yo ni kokotiyoge naru hito no uhe ha, kaku kunzi taru hito no kokoro kara ni ya, husahasikara zu nam. Mono omohi tamahu ram hito ni, omohu koto wo kikoye baya."

 「お気の毒な様子でいらっしゃると伺いました方のお身の上が、もっと詳しく知りたく存じます。何事も思った通りにならない気ばかりがしますので、出家生活をしたい考えはありながら、お許しなさるはずのない方々に妨げられて過ごしております。いかにも屈託なげな今の妻のことは、このように沈みがちな身の上のせいか、似合わないのです。悩んでいらっしゃるらしい方に、思っている気持ちを申し上げたい」

 「気の毒な様子で暮らしておいでになるとお話しになりました方のことをくわしく承りたく思います。満足のできない生活が続くものですから、山寺へでもはいってしまいたくなるのですが、同意されるはずもない両親を思いまして、そのままにしています私は、幸福な人には自分の沈んだ心から親しんでいく気になれませんが、不幸な人には慰め合うようになりたく思われてなりません」

389 心苦しきさまにて 以下「聞こえばや」まで、中将の詞。

390 はべりつる 大島本は「侍つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つる」とする。

391 許いたまふまじき人びと 両親であろう、とされる。

392 心地よげなる人の上は 現在の妻、藤中納言の娘。屈託なげに楽しそうにしている性格の人。

393 屈じたる人の心からにや 大島本は「くんしたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「屈したる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「屈じたる」とする。中将自身の性格についていう。

394 もの思ひたまふらむ人に 浮舟に。

 など、いと心とどめたるさまに語らひたまふ。

  nado, ito kokoro todome taru sama ni katarahi tamahu.

 などと、とてもご執心なさってようにお話なさる。

 中将は熱心に言う。

 「心地よげならぬ御願ひは、聞こえ交はしたまはむに、つきなからぬさまになむ見えはべれど、例の人にてはあらじと、いとうたたあるまで世を恨みたまふめれば。残りすくなき齢どもだに、今はと背きはべる時は、いともの心細くおぼえはべりしものを。世をこめたる盛りには、つひにいかがとなむ、見たまへはべる」

  "Kokotiyoge nara nu ohom-negahi ha, kikoye kahasi tamaha m ni, tuki nakara nu sama ni nam miye habere do, rei no hito nite ha ara zi to, ito utata aru made yo wo urami tamahu mere ba. Nokori sukunaki yohahi-domo dani, ima ha to somuki haberu toki ha, ito mono kokorobosoku oboye haberi si mono wo. Yo wo kome taru sakari ni ha, tuhini ikaga to nam, mi tamahe haberu."

 「もの思わしげな方をとのご希望は、いろいろお話し合いなさるに、不似合いではないように見えますが、普通の人のようにはありたくないと、実に嫌に思われるくらい世の中を厭っていらっしゃるようなので。残り少ない寿命のわたしでさえ、今を最後と出家します時には、とても何となく心細く思われましたものを。将来の長い盛りの時では、最後まで出家生活を送れるかどうかと、心配でおります」

 「不しあわせをお話しになろうとなさいますのには相当したお相手だと思いますけれど、あの方はこのまま俗の姿ではもういたくないということを始終言うほどにも悲観的になっています。私ら年のいった人間でさえいよいよ出家する時には心細かったのですから、春秋に富んだ人に、それが実行できますかどうかと私はあぶながっています」

395 心地よげならぬ 以下「見たまへはべる」まで、妹尼の詞。『集成』は「このあたり、この中将の人物像はさながら矮小化された薫であろう」と注す。

396 例の人にてはあらじと 大島本は「例の人にてハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「例の人にて」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「例の人にては」とする。浮舟の出家の決意。

397 いとうたたあるまで 『河海抄』は「花と見て折らむとすれば女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ」(古今集雑体、一〇一九、読人しらず)を指摘。

398 残りすくなき齢どもだに 大島本は「よはひともたに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「齢の人」と校訂する。『新大系』は底本のまま「齢ども」とする。尼君自身をいう。

399 盛りには 大島本は「さかりにハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「盛りにては」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のまま「盛りには」とする。

 と、親がりて言ふ。入りても、

  to, oyagari te ihu. Iri te mo,

 と、親ぶって言う。奥に入って行っても、

 尼君は親がって言うのであった。姫君の所へ行ってはまた、

 「情けなし。なほ、いささかにても聞こえたまへ。かかる御住まひは、すずろなることも、あはれ知るこそ世の常のことなれ」

  "Nasakenasi. Naho, isasaka nite mo kikoye tamahe. Kakaru ohom-sumahi ha, suzuro naru koto mo, ahare siru koso yo no tune no koto nare."

 「思いやりのないこと。やはり、少しでもお返事申し上げなさい。このようなお暮らしは、ちょっとしたつまらないことでも、人の気持ちを汲むのは世間の常識というものです」

 「あまり冷淡な人だと思われますよ。少しでも返辞を取り次がせておあげなさいよ。こんなわび住まいをしている人たちというものは、自尊心は陰へ隠して人情味のある交際をするものなのですよ」

400 情けなし 以下「世の常のことなれ」まで、妹尼君の詞。浮舟に返事をするように促す。

 など、こしらへても言へど、

  nado, kosirahe te mo ihe do,

 などと、なだめすかして言うが、

 などと言うのであるが、

 「人にもの聞こゆらむ方も知らず、何事もいふかひなくのみこそ」

  "Hito ni mono kikoyu ram kata mo sira zu, nanigoto mo ihukahinaku nomi koso."

 「人にものを申し上げるすべも知らず、何事もお話にならないわたしで」

 「私は人とどんなふうにものを言うものなのか、その方法すら知らないのですもの。私は何の点でも人並みではございません」

401 人にもの聞こゆらむ 以下「いふかひなくのみこそ」まで、浮舟の詞。

 と、いとつれなくて臥したまへり。

  to, ito turenaku te husi tamahe ri.

 と、とてもそっけなく臥せっていらっしゃった。

 浮舟の姫君はそのまま横になってしまった。

 客人は、

  Marauto ha,

 客人は、

 中将はあちらで、

 「いづら。あな、心憂。秋を契れるは、すかしたまふにこそありけれ」

  "Idura? Ana, kokorou! Aki wo tigire ru ha, sukasi tamahu ni koso ari kere."

 「どうでしたか。何と、情けない。秋になったらとお約束したのは、おだましになったのですね」

 「どちらへおいでになったのですか、御冷遇を受けますね。『秋をちぎれる』はただ私をおからかいになっただけなのですか」

402 いづらあな心憂 以下「こそありけれ」まで、中将の詞。『集成』は「返事をうながす気持」と注す。

403 秋を契れるは 尼君の「待乳の山の」の引歌「誰をかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし」(小町集)の下句を受けた表現。

 など、恨みつつ、

  nado, urami tutu,

 などと、恨みながら、

 などと尼君を恨めしそうに言い、

 「松虫の声を訪ねて来つれども
  また萩原の露に惑ひぬ」

    "Matumusi no kowe wo tadune te ki ture domo
    mata hagihara no tuyu ni madohi nu

 「松虫の声を尋ねて来ましたが
  再び萩原の露に迷ってしまいました」

  松虫の声をたづねて来しかども
  また荻原をぎはらの露にまどひぬ

404 松虫の声を訪ねて来つれども--また萩原の露に惑ひぬ 大島本は「萩ハら」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「荻原」と校訂する。『新大系』は底本のまま「萩原」とする。中将の贈歌。「松虫」「待つ」の懸詞。「萩原」は浮舟を喩える。

 「あな、いとほし。これをだに」

  "Ana, itohosi. Kore wo dani."

 「まあ、お気の毒な。せめてこのお返事だけでも」

 と歌いかけた。「まあおかわいそうに、歌のお返しでもなさいよ」

405 あないとほしこれをだに 妹尼君の詞。浮舟に言う。

 など責むれば、さやうに世づいたらむこと言ひ出でむもいと心憂く、また、言ひそめては、かやうの折々に責められむも、むつかしうおぼゆれば、いらへをだにしたまはねば、あまりいふかひなく思ひあへり。尼君、早うは今めきたる人にぞありける名残なるべし。

  nado semure ba, sayau ni yodui tara m koto ihi ide m mo ito kokorouku, mata, ihi some te ha, kayau no woriwori ni seme rare m mo, mutukasiu oboyure ba, irahe wo dani si tamaha ne ba, amari ihukahinaku omohi ahe ri. AmaGimi, hayau ha imameki taru hito ni zo ari keru nagori naru besi.

 などと責めると、そのような色恋めいた事に返事するのもたいそう嫌で、また一方、いったん返歌をしては、このような折々に責められるのも、厄介に思われるので、返歌をさえなさらないので、あまりにいいようもなく思い合っていた。尼君は、出家前は当世風の方であった気が残っているのであろう。

 尼夫人はこう姫君に迫るのであったが、そんな恋愛の遊戯めいたことをする気はなく、また一度歌をめば、こうした時々に返しを返しをと責められるであろうことも煩わしいと思う心から、ものも言わずにいるのを見て尼夫人も女房もあまりにふがいない人と思うらしかった。尼君は若い時代に機智きちを誇った才女であったのであろう。

406 など責むれば 大島本は「なとせむれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「と責むれば」と「など」を削除する。『新大系』は底本のまま「などせむれば」とする。

407 さやうに世づいたらむこと 『集成』は「以下、浮舟の心中」。『完訳』は「以下、浮舟の心に即した叙述」と注す。

408 思ひあへり 主語は妹尼君と女房たち。

409 尼君早うは--名残なるべし 『紹巴抄』は「双地」と指摘。語り手の推測を交えた叙述。

 「秋の野の露分け来たる狩衣
  葎茂れる宿にかこつな

    "Aki no no no tuyu wake ki taru karigoromo
    mugura sigere ru yado ni kakotu na

 「秋の野原の露を分けて来たため濡れた狩衣は
  葎の茂ったわが宿のせいになさいますな

  「秋の野の露分け来たる狩りごろも
  むぐら茂れる宿にかこつな

410 秋の野の露分け来たる狩衣--葎茂れる宿にかこつな 尼君の返歌。浮舟が詠んだようにとりつくろって詠む。「露」の語句を用いて返す。

 となむ、わづらはしがりきこえたまふめる」

  to nam, wadurahasigari kikoye tamahu meru."

 と、わずらわしがり申していらっしゃるようです」

 迷惑がっておられます」

411 となむわづらはしがりきこえたまふめる 歌に続けた詞。主語は浮舟。『完訳』は「浮舟の返歌として取り次ぐ趣」と注す。

 と言ふを、内にも、なほ「かく心より外に世にありと知られ始むるを、いと苦し」と思す心のうちをば知らで、男君をも飽かず思ひ出でつつ、恋ひわたる人びとなれば、

  to ihu wo, uti ni mo, naho "Kaku kokoro yori hoka ni yo ni ari to sira re hazimuru wo, ito kurusi." to obosu kokoro no uti wo ba sira de, WotokoGimi wo mo akazu omohiide tutu, kohi wataru hitobito nare ba,

 と言うのを、簾中でも、やはり「このように思いの外にこの世に生きていると知られ出したのを、とてもつらい」とお思いになる心中を知らないで、男君のことをも尽きせず思い出しては、恋い慕っている人びとなので、

 と言っているのを、浮舟は聞きながら、こうしたことからまだ自分の世の中にいることが昔の人々に知れ始めることにならないであろうかと苦しく思っていた。姫君の気持ちも知らずに、昔の姫君と同じくこの婿君をもなつかしがることの多い女房たちは、

412 内にもなほ 『完訳』は「以下、簾中の尼たちの反応。「知らで、男君も--」に続く」と注す。

413 いと苦しと思す心のうち 浮舟の苦悩の心中。

414 男君をも 亡き姫君はもちろんのこと婿の中将をも、の意。

 「かく、はかなきついでにも、うち語らひきこえたまはむに、心より外に、よにうしろめたくは見えたまはぬものを。世の常なる筋には思しかけずとも、情けなからぬほどに、御いらへばかりは聞こえたまへかし」

  "Kaku, hakanaki tuide ni mo, uti-katarahi kikoye tamaha m ni, kokoro yori hoka ni, yo ni usirometaku ha miye tamaha nu mono wo. Yo no tune naru sudi ni ha obosikake zu tomo, nasakenakara nu hodo ni, ohom-irahe bakari ha kikoye tamahe kasi."

 「このような、ちょっとした機会にも、お話し合い申し上げなさるのも、お気持ちにそむいて、油断ならないことはなさらない方ですから。世間並の色恋とお思いなさらなくても、人情のわかる程度に、お返事を申し上げなさいませ」

 「ただちょっと深い意味でもなくお立ち寄りになった方ですから、お話をなすってもよろしくない方へ進出しようなどとは大丈夫なさいませんから、御結婚問題などは別にして、好意のある程度のお返辞だけはしておあげなさいまし」

415 かくはかなき 以下「聞こえたまへかし」まで、女房の詞。

416 うち語らひきこえたまはむに 大島本は「きこえ給ハんに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「きこえたまへらむに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「きこえ給はんに」とする。

417 筋には 大島本は「すちにハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「筋に」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「筋には」とする。

 など、ひき動かしつべく言ふ。

  nado, hiki-ugokasi tu beku ihu.

 などと、引き動かさんばかりに言う。

 などと言い、身体からだも引き動かすばかりに言うのであった。

第七段 尼君、中将を引き留める

 さすがに、かかる古代の心どもにはありつかず、今めきつつ、腰折れ歌好ましげに、若やぐけしきどもは、いとうしろめたうおぼゆ。

  Sasugani, kakaru kotai no kokoro-domo ni ha ari tuka zu, imameki tutu, kosiworeuta konomasige ni, wakayagu kesiki-domo ha, ito usirometau oboyu.

 そうはいっても、このような古風な気質とは不似合いに、当世風に気取っては、下手な歌を詠みたがって、はしゃいでいる様子は、とても不安に思われる。

 さすがに年を取った女たちは尼君が柄にもなく若々しく歌らしくもない歌をいい気でんで中将の相手をしていることは興ざめることと思っているのである。

418 さすがにかかる古代の心どもには--うしろめたうおぼゆ 『一葉抄』は「古めきたる尼に似合すいまめく也双紙詞也」と指摘。

419 いとうしろめたうおぼゆ 『完訳』は「浮舟は、誰かが強引に中将を手引しかねないと不安である。以下、己が悲運の身を思う」と注す。

 「限りなく憂き身なりけり、と見果ててし命さへ、あさましう長くて、いかなるさまにさすらふべきならむ。ひたぶるに亡き者と人に見聞き捨てられてもやみなばや」

  "Kagiri naku uki mi nari keri, to mi hate te si inoti sahe, asamasiu nagaku te, ikanaru sama ni sasurahu beki nara m. Hitaburuni naki mono to hito ni mi kiki sute rare te mo yami na baya!"

 「この上なく嫌な身の上であった、と見極めた命までが、あきれるくらい長くて、どのようなふうにさまよって行くのだろう。ひたすら亡くなった者として誰からもすっかり忘れられて終わりたい」

 なんという不幸な自分であろう、捨てるのに躊躇ちゅうちょしなかった命さえもまだ残っていて、この先どうなっていくのであろう、全く死んだ者として何人なんびとからも忘れられたい

420 限りなく 以下「やみなばや」まで、浮舟の心中の思い。

421 と見果ててし命さへあさましう長くて 浮舟の心中思惟の語句。自分で自分の気持ちを反省する。

 と思ひ臥したまへるに、中将は、おほかたもの思はしきことのあるにや。いといたううち嘆き、忍びやかに笛を吹き鳴らして、

  to omohi husi tamahe ru ni, Tiuzyau ha, ohokata mono omohasiki koto no aru ni ya? Ito itau uti-nageki, sinobiyakani hue wo huki narasi te,

 と思って臥せっていらっしゃるのに、中将は、およそ何か物思いの種があるのだろうか。とてもひどく嘆き、ひっそりと笛を吹き鳴らして、

 と思い悩んで、横になったままの姿で浮舟うきふねはいた。中将は何かほかにもうれわしいことがあるのか、ひどく歎息たんそくをして、笛を鳴らしながら

422 おほかたもの思はしきことのあるにや 挿入句、語り手が中将の心中を推測した句。『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。

423 うち嘆き 大島本は「打なけき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うち嘆きつつ」と「つつ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「打嘆き」とする。

 「鹿の鳴く音に」

  "Sika no naku ne ni."

 「鹿の鳴く声に」

 「鹿しかの鳴くに」(山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ)

424 鹿の鳴く音に 中将の詞。和歌を口ずさむ。『源氏釈』は「山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」(古今集秋上、二一四、壬生忠岑)を指摘。

 など独りごつけはひ、まことに心地なくはあるまじ。

  nado hitorigotu kehahi, makotoni kokoti naku ha aru mazi.

 などと独り言をいう感じは、ほんとうに弁えのない人ではなさそうである。

 などと口ずさんでいる様子は相当な男と見えた。

425 まことに心地なくはあるまじ 『評釈』は「地の文であるから、ここの場面では、作者は中将をひどく冷たく見ていることになる」。『集成』は「確かにわきまえのない人ではなさそうだ」。『完訳』は「真実、わきまえのない人ではなさそうである」と注す。打消推量の助動詞「まじ」は語り手の推量。

 「過ぎにし方の思ひ出でらるるにも、なかなか心尽くしに、今はじめてあはれと思すべき人はた、難げなれば、見えぬ山路にもえ思ひなすまじうなむ」

  "Sugi ni si kata no omohiide raruru ni mo, nakanaka kokorodukusi ni, ima hazime te ahare to obosu beki hito hata, katage nare ba, miye nu yamadi ni mo e omohi nasu maziu nam."

 「過ぎ去った昔が思い出されるにつけても、かえって心尽くしに、今初めて慕わしいと思ってくれるはずの人も、またいそうもないので、つらいことのない山奥とは思うことができません」

 「ここへまいっては昔の思い出に心は苦しみますし、また新しく私をあわれんでくだすってよい方はその心になってくださらないし『世のうき目見えぬ山路』とも思われません」

426 過ぎにし方の 以下「え思ひなすまじうなむ」まで、中将の詞。

427 あはれと思すべき人はた難げなれば 『完訳』は「今から思いを寄せてくれそうな方とて、いそうにないので。暗に、浮舟の冷淡さをいう」と注す。

428 見えぬ山路にも 『源氏釈』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。

 と、恨めしげにて出でなむとするに、尼君、

  to, uramesige nite ide na m to suru ni, AmaGimi,

 と、恨めしそうにしてお帰りになろうとする時に、尼君が、

 と恨めしそうに言い、帰ろうとした時に、尼君が、

429 出でなむとするに 大島本は「いてなむと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出でたまひなむと」と「たまひ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「出でなむと」とする。

 「など、あたら夜を御覧じさしつる」

  "Nado, atara yo wo goranzi sasi turu?"

 「どうして、せっかくの素晴らしい夜を御覧になりませぬ」

 「あたら夜を(あたら夜の月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや)お帰りになるのですか」

430 などあたら夜を御覧じさしつる 妹尼君の詞。『源氏釈』は「あたら夜の月と花とを同じくは心知れらむ人に見せばや」(後撰集春下、一〇三、源信明)を指摘。

 とて、ゐざり出でたまへり。

  tote, wizari ide tamahe ri.

 と言って、膝行して出ていらっしゃった。

 と言って、御簾みすの所へ出て来た。

 「何か。遠方なる里も、試みはべれば」

  "Nanika? Woti naru sato mo, kokoromi habere ba."

 「いえ。あちらのお気持ちも、分かりましたので」

 「もうたくさんですよ。山里も悲しいものだということがわかりましたから」

431 何か遠方なる里も試みはべればなど 大島本は「心ミ侍れハなと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こころみはべりぬればと」と校訂する。『新大系』は底本のまま「心み侍ればなど」とする。中将の詞。「遠方なる里」は宇治の地名。引歌がありそうだが未詳。

 など言ひすさみて、「いたう好きがましからむも、さすがに便なし。いとほのかに見えしさまの、目止まりしばかり、つれづれなる心慰めに思ひ出づるを、あまりもて離れ、奥深なるけはひも所のさまにあはずすさまじ」と思へば、帰りなむとするを、笛の音さへ飽かず、いとどおぼえて、

  nado ihi susami te, "Itau suki gamasikara m mo, sasugani bin nasi. Ito honokani miye si sama no, me tomari si bakari, turedure naru kokoro nagusame ni omohiiduru wo, amari mote-hanare, oku buka naru kehahi mo tokoro no sama ni aha zu susamazi." to omohe ba, kaheri na m to suru wo, hue no ne sahe aka zu, itodo oboye te,

 と軽く言って、「あまり好色めいて振る舞うのも、やはり不都合だ。ほんのちらっと見えた姿が、目にとまったほどで、所在ない心の慰めに思い出したが、あまりによそよそしくて、奥ゆかしい感じ過ぎるのも場所柄にも似合わず興醒めな感じがする」と思ので、帰ろうとするのを、笛の音まで物足りなく、ますます思われて、

 などと中将は言い、新しい姫君へむやみに接近したいふうを見せることもしたくない、ほのかに少し見た人の印象のよかったばかりに、空虚で退屈な心の補いに恋をし始めたにすぎない相手があまりに冷淡に思い上がった態度をとっているのは場所柄にもふさわしくないことであると不快に思われる心から、帰ろうとするのであったが、尼君は笛の音に別れることすらも惜しくて、

432 いたう好きがましからむも 以下「すさまじ」まで、中将の心中の思い。

433 所のさまにあはずすさまじ 『集成』は「風雅な環境の手狭な山里住まい、そこにしかるべき男女のやりとり、といった期待があったという趣」と注す。

434 飽かずいとどおぼえて 主語は妹尼君。

 「深き夜の月をあはれと見ぬ人や
  山の端近き宿に泊らぬ」

    "Hukaki yo no tuki wo ahare to mi nu hito ya
    yamanoha tikaki yado ni tomara nu

 「夜更けの月をしみじみと御覧にならない方が
  山の端に近いこの宿にお泊まりになりませんか」

  深き夜の月を哀れと見ぬ人や
  山の近き宿にとまらぬ

435 深き夜の月をあはれと見ぬ人や--山の端近き宿に泊らぬ 妹尼君から中将への贈歌。前の「あたら夜の」歌を踏まえた詠歌。「月」を浮舟に喩える。『完訳』は「中将の求婚を受諾しようとする歌」と注す。

 と、なまかたはなることを、

  to, nama kataha naru koto wo,

 と、どこか整わない歌を、

 と奥様は仰せられますと

 「かくなむ、聞こえたまふ」

  "Kaku nam, kikoye tamahu."

 「このように、申し上げていらっしゃいます」

 取り次ぎで言わせたのを聞くと

436 かくなむ聞こえたまふ 妹尼君の詞。『集成』は「(浮舟が)こう申し上げていられます。浮舟の詠んだ歌だと、とっさにいつわって言う」と注す。

 と言ふに、心ときめきして、

  to ihu ni, kokorotokimeki si te,

 と言うと、心をときめかして、

 またときめくものを覚えた。

 「山の端に入るまで月を眺め見む
  閨の板間もしるしありやと」

    "Yamanoha ni iru made tuki wo nagame mi m
    neya no itama mo sirusi ari ya to

 「山の端に隠れるまで月を眺ましょう
  その効あってお目にかかれようかと」

  山の端に入るまで月をながめ見ん
  ねやの板間もしるしありやと

437 山の端に入るまで月を眺め見む--閨の板間もしるしありやと 中将の返歌。「山の端」「月」「見る」の語句を用いて返す。「宿」を「閨の板間」とずらして返す。『完訳』は「閨の隙間からさし込む月光の風情。月を眺め続け、閨に近づきたい気持」と注す。

 など言ふに、この大尼君、笛の音をほのかに聞きつけたりければ、さすがにめでて出で来たり。

  nado ihu ni, kono Oho-AmaGimi, hue no ne wo honokani kikituke tari kere ba, sasugani mede te ideki tari.

 などと言っていると、この大尼君、笛の音をかすかに聞きつけたので、老齢ではいてもやはり心惹かれて出て来た。

 こんな返しを伝えさせている時、この家の大尼君が、さっきから笛の音を聞いていて、心のかれるままに出て来た。

438 大尼君 横川僧都や妹尼君の母尼君。

439 さすがにめでて 『完訳』は「八十余歳の老齢なのに」と注す。

 ここかしこうちしはぶき、あさましきわななき声にて、なかなか昔のことなどもかけて言はず。誰れとも思ひ分かぬなるべし。

  Koko kasiko uti-sihabuki, asamasiki wananaki gowe nite, nakanaka mukasi no koto nado mo kake te iha zu. Tare to mo omohi waka nu naru besi.

 話のあちこちで咳をし、呆れるほどの震え声で、かえって昔のことなどは口にしない。誰であるかも分からないのであろう。

 間でせきばかりの出るふるえ声で話をするこの老人はかえって昔のことを言いだしたりはしない。笛を吹く人がだれであるかもわからぬらしい。

440 ここかしこうちしはぶき 『集成』は「物を言うたびに咳をまじえ」。『完訳』は「話のあちことで咳をし、聞き苦しいほどの震え声で」と注す。老人特有のしぐさ。

441 誰れとも思ひ分かぬなるべし 中将が誰であるか。「なかなか--言はず。--なるべし」は、語り手の思い入れと推測を交えた叙述。『岷江入楚』は「草子の地なり」と指摘。

 「いで、その琴の琴弾きたまへ。横笛は、月にはいとをかしきものぞかし。いづら、御達。琴とりて参れ」

  "Ide, sono kinnokoto hiki tamahe. Yokobue ha, tuki ni ha ito wokasiki mono zo kasi. Idura, gotati? Koto tori te mawire."

 「さあ、その琴の琴をお弾きなさい。横笛は、月にはとても趣深いものです。どこですか、そなたたち。琴を持って参れ」

 「さあそこの琴をあなたはおきよ。横笛は月夜に聞くのがいいね。どこにいるか、童女たち、琴を奥様におあげなさい」

442 いでその琴の琴 以下「琴取りて参れ」まで、老母尼君の詞。

443 御達 大島本は「こたち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「くそたち」と校訂する。『新大系』は底本のまま「御達」とする。「くそ」は二人称の代名詞。古風な語句。

 と言ふに、それなめりと、推し量りに聞けど、「いかなる所に、かかる人、いかで籠もりゐたらむ。定めなき世ぞ」、これにつけてあはれなる。盤渉調をいとをかしう吹きて、

  to ihu ni, sore na' meri to, osihakari ni kike do, "Ikanaru tokoro ni, kakaru hito, ikade komori wi tara m. Sadame naki yo zo", kore ni tuke te ahare naru. Bansikideu wo ito wokasiu huki te,

 と言うので、母尼君らしい、と推察して聞くが、「どのような所に、このような老人が、どうして籠もっているのだろう。無常の世だ」と、このことにつけても感慨無量である。盤渉調をたいそう趣深く吹いて、

 と言っている。さっきから大尼君らしいと中将は察して聞いていたのであるが、この家のどこにこうした大年寄が無事に暮らしていたのであろうと思い、老若ろうにゃくも差別のない無常の世がこれによってまた思われて悲しまれるのであった。盤渉調ばんしきちょう上手じょうずに吹いて、

444 それなめり 大島本は「それなめり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「それななり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「それなめり」とする。中将の心中。老母尼君であるらしい、の意。

445 いかなる所に 以下「定めなき世ぞ」まで、中将の心中の思い。末尾は地の文に流れる。『集成』は「老少不定のこの世が、これにつけてもしみじみ思われる。自分の妻だった孫娘は早く死に、八十を越えたこの尼君がまだ存命なのに感慨をもよおす。中将の心事に密着した書き方」と注す。

446 盤渉調 冬の季節にふさわしい調子。

 「いづら、さらば」

  "Idura, saraba."

 「どうですか。さあ」

 「さあ、それではお合わせください」

447 いづらさらば 中将の詞。演奏を促す。

 とのたまふ。

  to notamahu.

 とおっしゃる。

 と言う。

 娘尼君、これもよきほどの好き者にて、

  Musume-AmaGimi, kore mo yoki hodo no sukimono nite,

 娘尼君は、この方も相当な風流人なので、

 これも相応に風流好きな尼夫人は、

 「昔聞きはべりしよりも、こよなくおぼえはべるは、山風をのみ聞き馴れはべりにける耳からにや」とて、「いでや、これもひがことになりてはべらむ」

  "Mukasi kiki haberi si yori mo, koyonaku oboye haberu ha, yamakaze wo nomi kiki nare haberi ni keru mimi kara ni ya." tote, "Ideya, kore mo higakoto ni nari te habera m."

 「昔聞きましたときよりも、この上なく素晴らしく思われますのは、山風ばかりを聞き馴れていました耳のせいでしょうか」と言って、「それでは、わたしのはでたらめになっていましょう」

 「あなたのお笛は昔聞きましたよりもずっと巧妙におなりになったように思いますのも、平生山風以外に聞くもののないせいかもしれません。私のはまちがいだらけになっているでしょう」

448 昔聞きはべりしよりも 以下「耳からにや」まで、妹尼君の詞。

449 いでやこれもひがことになりてはべらむ 大島本は「これも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「これは」と校訂する。『新大系』は底本のまま「これも」とする。妹尼君の詞。謙遜して言う。

 と言ひながら弾く。今様は、をさをさなべての人の、今は好まずなりゆくものなれば、なかなか珍しくあはれに聞こゆ。松風もいとよくもてはやす。吹きて合はせたる笛の音に、月もかよひて澄める心地すれば、いよいよめでられて、宵惑ひもせず、起き居たり。

  to ihi nagara hiku. Imayau ha, wosawosa nabete no hito no, ima ha konoma zu nari yuku mono nare ba, nakanaka medurasiku ahareni kikoyu. Matukaze mo ito yoku motehayasu. Huki te ahase taru hue no ne ni, tuki mo kayohi te sume ru kokoti sure ba, iyoiyo mede rare te, yohimadohi mo se zu, oki wi tari.

 と言いながら弾く。当世風では、ほとんど普通の人は、今は好まなくなって行くものなので、かえって珍しくしみじみと聞こえる。松風も実によく調和する。吹き合わせた笛の音に、月も調子を合わせて澄んでいる気がするので、ますます興趣が乗って、眠気も催さず、起きていた。

 と言いながら琴を弾いた。現代の人はあまり琴の器楽を好まなくなって、弾き手も少なくなったためか、珍しく身にしむように思って、中将は相手のいとを聞いた。松風もゆるやかに伴奏をし、月光も笛の音を引き立てるようにさしていたから、いよいよ大尼君を喜ばせることになって、よいまどいもせず起き続けていた。

450 今様はをさをさなべての人の今は好まずなりゆく 琴の琴について言う。近年では七弦琴が好まれなくなっている、の意。

451 松風もいとよくもてはやす 『集成』は「琴の音に峯の松風かよふらしいづれのをより調べそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を指摘。

452 吹きて合はせたる 大島本は「ふきてあハせたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「吹きあはせたる」と「て」を削除する。『新大系』は底本のまま「吹きて合はせたる」とする。

453 宵惑ひ 老人の習性。宵から眠くなること。

第八段 母尼君、琴を弾く

 「女は、昔は、東琴をこそは、こともなく弾きはべりしかど、今の世には、変はりにたるにやあらむ。この僧都の、『聞きにくし。念仏より他のあだわざなせそ』とはしたなめられしかば、何かは、とて弾きはべらぬなり。さるは、いとよく鳴る琴もはべり」

  "Womna ha, mukasi ha, adumagoto wo koso ha, koto mo naku hiki haberi sika do, ima no yo ni ha, kahari ni taru ni ya ara m. Kono Soudu no, 'Kiki nikusi. Nenbutu yori hoka no ada waza na se so.' to hasitaname rare sika ba, nanikaha, tote hiki habera nu nari. Saruha, ito yoku naru koto mo haberi."

 「お婆は、昔は、東琴を、簡単に弾きましたが、今の世では、変わったのでしょうか。息子の僧都が『聞きにくい。念仏以外のつまらないことはするな』と叱られましたので、それならと、もう弾かないのでございます。それにしても、とてもよい響きの琴もございます」

 「昔はこの年寄りも和琴をうまく弾きこなしたものですがねえ、今は弾き方も変わっているかしれませんね。息子むすこ僧都そうずから、聞き苦しい、念仏よりほかのことをあなたはしないようになさいとしかられましてね。それじゃあ弾かせてもらわないでもいいと思って弾かないのですよ。それに私の手もとにある和琴は名器なのですよ」

454 女は昔は 大島本は「むかしは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「昔」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「むかしは」とする。以下「琴もはべり」まで、老母尼の詞。

455 変はりにたるにやあらむ 東琴の奏法が。

 と言ひ続けて、いと弾かまほしと思ひたれば、いと忍びやかにうち笑ひて、

  to ihi tuduke te, ito hika mahosi to omohi tare ba, ito sinobiyakani uti-warahi te,

 と言い続けて、とても弾きたく思っているので、たいそうこっそりとほほ笑んで、

 大尼君はこんなふうに言い続けて弾きたそうに見えた。中将は忍び笑いをして、

456 いと忍びやかにうち笑ひて 主語は中将。

 「いとあやしきことをも制しきこえたまひける僧都かな。極楽といふなる所には、菩薩なども皆かかることをして、天人なども舞ひ遊ぶこそ尊かなれ。行ひ紛れ、罪得べきことかは。今宵聞きはべらばや」

  "Ito ayasiki koto wo mo seisi kikoye tamahi keru Soudu kana! Gokuraku to ihu naru tokoro ni ha, Bosatu nado mo mina kakaru koto wo site, Tennin nado mo mahi asobu koso tahutoka' nare. Okonahi magire, tumi u beki koto kaha. Koyohi kiki habera baya!"

 「まことに変なことをお制止申し上げなさった僧都ですね。極楽という所には、菩薩なども皆このようなことをして、天人なども舞い遊ぶのが尊いものだと言います。勤行を怠り、罪を得ることだろうか。今夜はお聞き致したい」

 「僧都がおとめになるのはどうしたことでしょう。極楽という所では菩薩ぼさつなども皆音楽の遊びをして、天人は舞って遊ぶということなどで極楽がありがたく思われるのですがね。仏勤めのさわりになることでもありませんしね、今夜はそれを伺わせてください」

457 いとあやしきことをも 以下「聞きはべらばや」まで、中将の詞。

458 尊かなれ 「尊かる」(連体形)の「る」が撥音便化して無表記。「なれ」伝聞推定の助動詞。

 とすかせば、「いとよし」と思ひて、

  to sukase ba, "Ito yosi." to omohi te,

 とお世辞を言うと、「とても嬉しい」と思って、

 とからかう気で言った言葉に、大尼君は満足して、

 「いで、主殿のくそ、東取りて」

  "Ide, Tonomori no kuso, aduma tori te."

 「さあ、主殿の君さん、東琴を取って」

 「さあ座敷がかりの童女たち、和琴あずまを持っておいでよ」

459 いで、主殿のくそ、東取りて 老母尼の詞。主殿の女房に東琴を取り寄せさせる。

 と言ふにも、しはぶきは絶えず。人びとは、見苦しと思へど、僧都をさへ、恨めしげにうれへて言ひ聞かすれば、いとほしくてまかせたり。取り寄せて、ただ今の笛の音をも訪ねず、ただおのが心をやりて、東の調べを爪さはやかに調ぶ。皆異ものは声を止めつるを、「これをのみめでたる」と思ひて、

  to ihu ni mo, sihabuki ha taye zu. Hitobito ha, migurusi to omohe do, Soudu wo sahe, uramesigeni urehe te ihi kikasure ba, itohosiku te makase tari. Toriyose te, tada ima no hue no ne wo mo tadune zu, tada onoga kokoro wo yari te, aduma no sirabe wo tuma sahayakani sirabu. Mina koto mono ha kowe wo yame turu wo, "Kore wo nomi mede taru." to omohi te,

 と言うにも、咳は止まらない。女房たちは、見苦しいと思うが、僧都をまで、憎らしく不平を言って聞かせるので、お気の毒なのでそのままにしていた。東琴を取り寄せて、今の笛の調子もおかまいなしに、ただ自分勝手に弾いて、東の調子を爪弾きさわやかに調べる。他の楽器の演奏をみな止めてしまったので、「これにばかり聞きほれているのだ」と思って、

 この短い言葉の間にもせきは引っきりなしに出た。尼夫人も女房たちも大尼君に琴を弾かれては見苦しいことになるとは思ったが、このためには僧都をさえも恨めしそうに人へ訴える人であるからと同情して自由にさせておいた。楽器が来ると、笛で何が吹かれていたかも思ってみず、ただ自身だけがよい気持ちになって、爪音つまおともさわやかに弾き出した。笛も琴も音のやんだのは自分の音楽をもっぱらに賞美したい心なのであろうと当人は解釈して、

460 取り寄せて 東琴を。

461 東の調べ 『集成』は「未詳。和琴の調子の一つともいう」と注す。

462 声を止めつるを 大島本は「こゑをやめつるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「声やめつるを」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「声をやめつるを」とする。

463 これをのみ 大島本は「これをのミ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「これにのみ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「これをのみ」とする。

 「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」

  "Takehu, titiri titiri, tari tam na"

 「たけふ、ちちりちちり、たりたんな」

 ちりふり、ちりちり、たりたり

464 たけふちちりちちりたりたむな 老母尼の詞。催馬楽「道口」の歌詞を口ずさむ。『花鳥余情』は「笛の音の春おもしろく聞こゆるは花散りたりと吹けばなりけり」(後拾遺集俳諧、一一九八、読人しらず)を指摘。『完訳』は「この催馬楽の歌詞には漂泊の女が暗示され、浮舟には母親が想起されもする」と注す。

 など、掻き返し、はやりかに弾きたる、言葉ども、わりなく古めきたり。

  nado, kaki-kahesi, hayarikani hiki taru, kotoba-domo, warinaku hurumeki tari.

 などと、撥を掻き返し、さっそうと弾いている、その言葉などは、やたらと古めかしい。

 などとかき返してははしゃいだ言葉もつけて言うのも古めかしいことのかぎりであった。

 「いとをかしう、今の世に聞こえぬ言葉こそは、弾きたまひけれ」

  "Ito wokasiu, ima no yo ni kikoye nu kotoba koso ha, hiki tamahi kere."

 「実に素晴らしく、今の世には聞かれぬ歌を、お弾きになりました」

 「おもしろいですね。ただ今では聞くことのできないような言葉がついていて」

465 いとをかしう 以下「弾きたまひけれ」まで、中将の詞。

 と褒むれば、耳ほのぼのしく、かたはらなる人に問ひ聞きて、

  to homure ba, mimi honobonosiku, katahara naru hito ni tohi kiki te,

 と褒めると、耳も遠くなっているので、側にいる女房に尋ね聞いて、

 などと中将がほめるのを、耳の遠い老尼はそばの者に聞き返して、

 「今様の若き人は、かやうなることをぞ好まれざりける。ここに月ごろものしたまふめる姫君、容貌いとけうらにものしたまふめれど、もはら、かやうなるあだわざなどしたまはず、埋れてなむ、ものしたまふめる」

  "Imayau no wakaki hito ha, kayau naru koto wo zo konoma re zari keru. Koko ni tukigoro monosi tamahu meru HimeGimi, katati ito keurani monosi tamahu mere do, mohara, kayau naru adawaza nado si tamaha zu, umore te nam, monosi tamahu meru."

 「今風の若い人は、このようなことをお好きでないね。ここに何か月もいらっしゃる姫君は、容貌はとても美しくいらっしゃるようだが、もっぱら、このようなつまらない遊びはなさらず、引き籠もっていらっしゃるようです」

 「今の若い者はこんなことが好きでなさそうですよ。このうちに幾月か前から来ておいでになる姫君も、容貌きりょうはいいらしいが、少しもこうしたむだな遊びをなさらず引っ込んでばかりおいでになりますよ」

466 今様の若き人は 以下「ものしたまふめる」まで、老母尼の詞。

467 姫君 浮舟。

468 容貌いとけうらに 大島本は「かたちいとけうらに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「容貌はいときよらに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かたちいとけうらに」とする。

469 かやうなるあだわざなどしたまはず 大島本は「かやうなる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かかる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かやうなる」とする。『完訳』は「浮舟への軽い皮肉であろう」と注す。

 と、我かしこにうちあざ笑ひて語るを、尼君などは、かたはらいたしと思す。

  to, ware kasiko ni uti azawarahi te kataru wo, AmaGimi nado ha, kataharaitasi to obosu.

 と、得意顔に大声で笑って話すのを、尼君などは、聞き苦しいとお思いである。

 と、さかしがって言うのを尼夫人などは片腹痛く思った。

470 うちあざ笑ひて 『集成』は「高笑いして」。『完訳』は「大声で笑う意。嘲笑の意ではない」と注す。

第九段 翌朝、中将から和歌が贈られる

 これに事皆醒めて、帰りたまふほども、山おろし吹きて、聞こえ来る笛の音、いとをかしう聞こえて、起き明かしたる翌朝、

  Kore ni koto mina same te, kaheri tamahu hodo mo, yamaorosi huki te, kikoye kuru hue no ne, ito wokasiu kikoye te, oki akasi taru tutomete,

 これによってすっかり興醒めして、お帰りになる途中も、山下ろしが吹いて、聞こえて来る笛の音も、とても素晴らしく聞こえて、起き明かしていた翌朝、

 大老人のあずま琴で興味のしらけてしまった席から中将の帰って行く時も山おろしが吹いていた。それに混じって聞こえてくる笛の音が美しく思われて人々は寝ないで夜を明かした。翌日中将の所から、

471 聞こえ来る笛の音 中将が帰途に吹く笛の音。

 「昨夜は、かたがた心乱れはべりしかば、急ぎまかではべりし。

  "Yobe ha, katagata kokoro midare haberi sika ba, isogi makade haberi si.

 「昨夜は、あれこれと心が乱れましたので、急いで帰りました。

 昨日は昔と今の歎きに心が乱されてしまいまして、失礼な帰り方をしました。

472 昨夜は 以下「何かは」まで、中将の文。

  忘られぬ昔のことも笛竹の
  つらきふしにも音ぞ泣かれける

    Wasura re nu mukasi no koto mo huetake no
    turaki husi ni mo ne zo naka re keru

  忘れられない昔の人のことやつれない人のことにつけ
  声を立てて泣いてしまいました

  忘られぬ昔のことも笛竹の
  継ぎしふしにもぞ泣かれける

473 忘られぬ昔のことも笛竹の--つらきふしにも音ぞ泣かれける 中将の妹尼君への贈歌。「事」「琴」の懸詞。「琴」「笛」「音」の縁語。「竹」「節」「根」の縁語。「昔」は亡き妻を、「つらきふし」は浮舟を比喩。

 なほ、すこし思し知るばかり教へなさせたまへ。忍ばれぬべくは、好き好きしきまでも、何かは」

  Naho, sukosi obosi siru bakari wosihe nasa se tamahe. Sinoba re nu beku ha, sukizukisiki made mo, nani kaha."

 やはり、もう少し気持ちをご理解いただけるよう説得申し上げてください。堪えきれるものでしたら、好色がましい態度にまで、どうして出ましょうか」

 あの方へ私の誠意を認めてくださるようにお教えください。内に忍んでいるだけで足る心でしたならこんな軽はずみ男と見られますようなことまでは決して申し上げないでしょう。

474 何かは 反語表現。下に「言はむ」などの語句が省略。

 とあるを、いとどわびたるは、涙とどめがたげなるけしきにて、書きたまふ。

  to aru wo, itodo wabi taru ha, namida todome gatage naru kesiki nite, kaki tamahu.

 とあるので、ますます困っている尼君は、涙を止めがたい様子で、お書きになる。

 と言う消息が尼君へあった。これを見て昔の婿君をなつかしんでいる尼夫人は泣きやむことができぬふうに涙を流したあとで返事を書いた。

475 いとどわびたるは 妹尼君。「人」を省略した形。

 「笛の音に昔のことも偲ばれて
  帰りしほども袖ぞ濡れにし

    "Hue no ne ni mukasi no koto mo sinoba re te
    kaheri si hodo mo sode zo nure ni si

 「笛の音に昔のことも偲ばれまして
  お帰りになった後も袖が濡れました

  笛の音に昔のことも忍ばれて
  帰りしほども袖ぞれにし

476 笛の音に昔のことも偲ばれて--帰りしほども袖ぞ濡れにし 尼君の返歌。「笛」「音」「昔」「琴」の語句を用いて返す。「泣く」は「濡れ」とずらして返す。

 あやしう、もの思ひ知らぬにや、とまで見はべるありさまは、老い人の問はず語りに、聞こし召しけむかし」

  Ayasiu, monoomohi sira nu ni ya, to made mi haberu arisama ha, oyibito no tohazugatari ni, kikosimesi kem kasi."

 不思議なことに、人の情けも知らないのではないか、と見えました様子は、年寄の問わず語りで、お聞きあそばしたでしょう」

 不思議なほど普通の若い人と違った人のことは老人の問わず語りからも御承知のできたことと思います。

477 あやしう 以下「聞こし召しけむかし」まで、妹尼君の歌に続く文。

478 ありさま 浮舟の様子。返歌もせず音楽の合奏に加わろうとしなかったことをさす。

479 老い人の問はず語り 老母尼の話。

 とあり。珍しからぬも見所なき心地して、うち置かれけむ。

  to ari. Medurasikara nu mo midokoro naki kokoti si te, uti-oka re kem.

 とある。珍しくもない見栄えのしない気がして、つい読み捨てたことであろう。

 と言うのである。恋しく思う人の字でなく、見なれた昔のしゅうとめの字であるのに興味が持てず、そのまま中将は置き放しにしたことであろうと思われる。

480 見所なき心地して 主語は中将。浮舟の返事を期待していた。

481 うち置かれけむ 大島本は「うちをかれけん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うち置かれけむかあし」と「かし」を補訂する。『新大系』は底本のまま「うちをかれけん」とする。『一葉抄』は「此段双紙詞也」と指摘。『完訳』は「語り手の推測による」と注す。

 荻の葉に劣らぬほどほどに訪れわたる、「いとむつかしうもあるかな。人の心はあながちなるものなりけり」と見知りにし折々も、やうやう思ひ出づるままに、

  Wogi no ha ni otora nu hodohodo ni otodure wataru, "Ito mutukasiu mo aru kana! Hito no kokoro ha anagati naru mono nari keri." to misiri ni si woriwori mo, yauyau omohi iduru mama ni,

 荻の葉に秋風が訪れるのに負けないくらい頻繁に便りがあるのが、「とても煩わしいことよ。男の心はむてっぽうなものだ」と分かった時々のことも、だんだん思い出すにつれて、

 おぎの葉に通う秋風ほどもたびたび中将から手紙の送られるのは困ったことである。人の心というものはどうしていちずに集まってくるのであろう、と昔の苦しい経験もこのごろはようやく思い出されるようになった浮舟は思い、

482 荻の葉に劣らぬほどほどに訪れわたる 『源注拾遺』は「秋風の吹くにつけても訪はぬかな荻の葉ならば音はしてまし」(後撰集恋四、八四六、中務)を指摘。『集成』は「以下、浮舟の心」と注す。

483 いとむつかしうもあるかな 以下「ものなりけり」まで、浮舟心中の思い。地の文から心中文に移る。『完訳』は「以下、浮舟の心中」と注す。

484 人の心はあながちなるもの 『完訳』は「「あながち」な人であった匂宮との体験を通して、一途な男心に懲りたという気持」と注す。

 「なほ、かかる筋のこと、人にも思ひ放たすべきさまに、疾くなしたまひてよ」

  "Naho, kakaru sudi no koto, hito ni mo omohi hanatasu beki sama ni, toku nasi tamahi te yo."

 「やはり、このような方面のことは、相手にも諦めさせるように、早くしてくださいませ」

 もう自分に恋愛をさせぬよう、また人からもその思いのかからぬように早くしていただきたい

485 なほかかる筋のこと 以下「疾くなしたまひてよ」まで、浮舟の心中の思い。中将の求婚を断ちたい。

 とて、経習ひて読みたまふ。心の内にも念じたまへり。かくよろづにつけて世の中を思ひ捨つれば、「若き人とてをかしやかなることもことになく、結ぼほれたる本性なめり」と思ふ。容貌の見るかひあり、うつくしきに、よろづの咎見許して、明け暮れの見物にしたり。すこしうち笑ひたまふ折は、珍しくめでたきものに思へり。

  tote, kyau narahi te yomi tamahu. Kokoro no uti ni mo nenzi tamahe ri. Kaku yoroduni tuke te yononaka wo omohi suture ba, "Wakaki hito tote wokasiyaka naru koto mo koto ni naku, musubohore taru honzyau na' meri." to omohu. Katati no miru kahi ari, utukusiki ni, yorodu no toga mi yurusi te, akekure no mimono ni si tari. Sukosi uti-warahi tamahu wori ha, medurasiku medetaki mono ni omohe ri.

 と言って、お経を習って読んでいらっしゃる。心中でも祈っていらっしゃった。このように何かにつけて世の中を捨てているので、「若い女だといっても華やかなところも特になく、陰気な性格なのだろう」と思う。器量が見飽きず、かわいらしいので、他の欠点はすべて大目に見て、明け暮れの心の慰めにしていた。少しにっこりなさるときには、めったになく素晴らしい方だと思っていた。

 と仏へ頼む意味で経を習って姫君は読んでいた。心の中でもそれを念じていた。こんなふうに寂しい道を選んでいる浮舟を、若い人でありながらおもしろい空気も格別作らず、うっとうしいのがその性質なのであろうと周囲の人は思った。容貌ようぼうのすぐれて美しいことでほかの欠点はとがめる気もせず朝暮の目の慰めにしていた。少し笑ったりする時には、珍しく華麗なものを見せられる喜びを皆した。

486 若き人とて 以下「本性なめり」まで、妹尼君たちの目に映る浮舟の姿。

第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す

第一段 九月、尼君、再度初瀬に詣でる

 九月になりて、この尼君、初瀬に詣づ。年ごろいと心細き身に、恋しき人の上も思ひやまれざりしを、かくあらぬ人ともおぼえたまはぬ慰めを得たれば、観音の御験うれしとて、返り申しだちて、詣でたまふなりけり。

  Kugwati ni nari te, kono AmaGimi, Hatuse ni maudu. Tosigoro ito kokorobosoki mi ni, kohisiki hito no uhe mo omohi yama re zari si wo, kaku ara nu hito to mo oboye tamaha nu nagusame wo e tare ba, Kwanon no ohom-sirusi uresi tote, kaherimausi-dati te, maude tamahu nari keri.

 九月になって、この尼君は、初瀬に参詣する。長年とても心細い身の上で、恋しい娘の身の上も諦めきれなかったが、このように他人とも思われない女性を心の慰めに得たので、観音のご霊験が嬉しいと、お礼参りのような具合で、参詣なさるのであった。

 九月になって尼夫人は初瀬はせまいることになった。さびしく心細いばかりであった自分は故人のことばかりが思われてならなかったのに、この姫君のように可憐で肉身とより思えぬ人を得たことは観音の利益であると信じて尼君はお礼詣りをするのであった。

487 九月になりて 浮舟、小野草庵に移って約半年経過。

488 恋しき人の上も 亡き娘。

489 かくあらぬ人 浮舟。

 「いざ、たまへ。人やは知らむとする。同じ仏なれど、さやうの所に行ひたるなむ、験ありてよき例多かる」

  "Iza, tamahe. Hito yaha sira m to suru. Onazi Hotoke nare do, sayau no tokoro ni okonahi taru nam, sirusi ari te yoki tamesi ohokaru."

 「さあ、ご一緒に。誰に知られたりするものですか。同じ仏様ですが、あのような所で勤行するのが、霊験あらたかで、良いことが多いのです」

 「さあいっしょに行きましょう。だれにわかることがあるものですか。同じ仏様でもあのお寺などにこもってお願いすることは効験ききめがあってよい結果を見た例がたくさんあるのですよ」

490 いざたまへ 以下「多かる」まで、妹尼君の詞。長谷寺参詣に浮舟を誘う。

 と言ひて、そそのかしたつれど、「昔、母君、乳母などの、かやうに言ひ知らせつつ、たびたび詣でさせしを、かひなきにこそあめれ。命さへ心にかなはず、たぐひなきいみじきめを見るは」と、いと心憂きうちにも、「知らぬ人に具して、さる道のありきをしたらむよ」と、そら恐ろしくおぼゆ。

  to ihi te, sosonokasi tature do, "Mukasi, HahaGimi, Menoto nado no, kayau ni ihi sirase tutu, tabitabi maude sase si wo, kahinaki ni koso a' mere. Inoti sahe kokoro ni kanaha zu, taguhi naki imiziki me wo miru ha." to, ito kokorouki uti ni mo, "Sira nu hito ni gusi te, saru miti no ariki wo si tara m yo!" to, sora-osorosiku oboyu.

 と言って促すが、「昔、母君や、乳母などが、このように言って聞かせては、たびたび参詣させたが、何にもその効がなかったようだ。死のうと思ったことも思う通りにならず、又とないひどい目を見るとは」と、ひどく厭わしい心中にも、「知らない人と一緒に、そのような遠出をするとは」と、何となく恐ろしく思う。

 と言って、尼君は姫君に同行を勧めるのであったが、昔母や乳母めのとなどがこれと同じことを言ってたびたびお詣りをさせたが、自分には、何のかいもなかった、命さえもこころのままにならず、言いようもない悲しい身になっているではないか、と浮舟は思ううちにもこの一家の知らぬ人々に伴われてあの山路やまみちを自分の来たことは恥ずかしい事実であったと身にんでさえ思われた。

491 昔母君乳母などの 以下「いみじきめを見るは」まで、浮舟の心中の思い。

492 命さへ心にかなはず 死のうとしたことまでも叶わなかった。

493 知らぬ人に具して 以下「したらむよ」まで、浮舟の心中の思い。

 心ごはきさまには言ひもなさで、

  Kokorogohaki sama ni ha ihi mo nasa de,

 強情なふうにはあえて言わないで、

 強情ごうじょうらしくは言わずに、

 「心地のいと悪しうのみはべれば、さやうならむ道のほどにもいかがなど、つつましうなむ」

  "Kokoti no ito asiu nomi habere ba, sayau nara m miti no hodo ni mo ikaga nado, tutumasiu nam."

 「気分がとてもすぐれませんので、そのような遠出もどんなものかしらなどと、気がひけまして」

 「私は気分が始終悪うございますから、そうした遠路とおみちをしましてまた悪くなるようなことがないかと心配ですから」

494 心地のいと悪しう 以下「つつましうなむ」まで、浮舟の詞。同行を断る。

 とのたまふ。「物懼ぢはさもしたまふべき人ぞかし」と思ひて、しひても誘はず。

  to notamahu. "Mono-odi ha samo si tamahu beki hito zo kasi." to omohi te, sihite mo izanaha zu.

 とおっしゃる。「恐がる気持ちは、きっとそうなさるにちがいない方だ」と思って、無理にも誘わない。

 と断わっていた。いかにもそうした物恐れをしそうな人であると思って、尼君はしいても言わなかった。

495 物懼ぢはさもしたまふべき人ぞかし 妹尼君の心中の思い。『完訳』は「宇治で物の怪に襲われた人だから、恐怖心も無理からぬとする」と注す。

 「はかなくて世に古川の憂き瀬には
  尋ねも行かじ二本の杉」

    "Hakanaku te yo ni Hurukaha no uki se ni ha
    tadune mo yuka zi hutamoto no sugi

 「はかないままにこの世につらい思いをして生きているわが身は
  あの古川に尋ねて行くことはいたしません、二本の杉のある」

  はかなくて世にふる川のうき瀬には
  訪ねも行かじ二本ふたもとすぎ

496 はかなくて世に古川の憂き瀬には--尋ねも行かじ二本の杉 浮舟の独詠歌。『異本紫明抄』は「初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集旋頭歌、一〇〇九、読人しらず)を指摘。

 と手習に混じりたるを、尼君見つけて、

  to tenarahi ni maziri taru wo, AmaGimi mituke te,

 と手習いに混じっているのを、尼君が見つけて、

 と書いた歌が手習い紙の中に混じっていたのを尼君が見つけて、

 「二本は、またも逢ひきこえむと思ひたまふ人あるべし」

  "Hutamoto ha, mata mo ahi kikoye m to omohi tamahu hito aru besi."

 「二本とは、再びお会い申したいと思っていらっしゃる方がいるのでしょう」

 「二本ふたもととお書きになるのでは、もう一度お逢いになりたいと思う方があるのですね」

497 二本は 以下「人あるべし」まで、妹尼君の詞。引歌の下句による推測。

 と、戯れごとを言ひ当てたるに、胸つぶれて、面赤めたまへる、いと愛敬づきうつくしげなり。

  to, tahaburegoto wo ihi ate taru ni, mune tubure te, omote akame tamahe ru, ito aigyauduki utukusige nari.

 と、冗談に言い当てたので、胸がどきりとして、顔を赤くなさったのも、とても魅力的でかわいらしげである。

 と冗談じょうだんで言いあてられたために、姫君ははっとして顔を赤くしたのも愛嬌あいきょうの添ったことで美しかった。

498 面赤めたまへる 大島本は「あかめ給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「赤めたまへるも」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「赤め給へる」とする。

 「古川の杉のもとだち知らねども
  過ぎにし人によそへてぞ見る」

    "Hurukaha no sugi no motodati sira ne domo
    sugi ni si hito ni yosohe te zo miru

 「あなたの昔の人のことは存じませんが
  わたしはあなたを亡くなった娘と思っております」

  ふる川の杉の本立もとだち知らねども
  過ぎにし人によそへてぞ見る

499 古川の杉のもとだち知らねども--過ぎにし人によそへてぞ見る 妹尼君の返歌。「古川」「杉」の語句を用いて返す。「古川の杉」は浮舟を喩える。「過ぎにし人」は亡き娘。

 ことなることなきいらへを口疾く言ふ。忍びて、と言へど、皆人慕ひつつ、ここには人少なにておはせむを心苦しがりて、心ばせある少将の尼、左衛門とてある大人しき人、童ばかりぞ留めたりける。

  Koto naru koto naki irahe wo kutitoku ihu. Sinobi te, to ihe do, minahito sitahi tutu, koko ni ha hitozukuna nite ohase m wo kokorogurusigari te, kokorobase aru Seusyau-no-Ama, Sawemon tote aru otonasiki hito, waraha bakari zo todome tari keru.

 格別すぐれたのでもない返歌をすばやく言う。人目を忍んで、と言うが、皆がお供したがって、こちらが人少なにおなりになることを気の毒がって、気の利いた少将の尼と左衛門という大人の女房と、童女だけを残したのであった。

 平凡なものであるが尼君は考える間もないほどのうちにこんな歌を告げた。目だたぬようにして行くことにしていたのであるが、だれもかれもが行きたがり、留守るす宅の人の少ない中へ姫君を置いて行くのを尼君は心配して、賢い少将の尼と、左衛門さえもんという年のいった女房、これと童女だけを置いて行った。

500 左衛門とてある大人しき人 初出の女房。『完訳』は「中将の訪問を予測しての用意である」と注す。

第二段 浮舟、少将の尼と碁を打つ

 皆出で立ちけるを眺め出でて、あさましきことを思ひながらも、「今はいかがせむ」と、「頼もし人に思ふ人一人ものしたまはぬは、心細くもあるかな」と、いとつれづれなるに、中将の御文あり。

  Mina idetati keru wo nagame ide te, asamasiki koto wo omohi nagara mo, "Ima ha ikaga se m." to, "Tanomosibito ni omohu hito hitori monosi tamaha nu ha, kokorobosoku mo aru kana!" to, ito turedure naru ni, Tiuzyau no ohom-humi ari.

 皆が出立したのを見送って、わが身のやりきれなさを思いながらも、「今さらどうしようもない」と、「頼りに思う人が一人もいらっしゃらないのは、心細いことだわ」と、とても所在ないところに、中将からのお手紙がある。

 皆が出立して行く影を浮舟うきふねはいつまでもながめていた。昔に変わった荒涼たる生活とはいいながらも、今の自分には尼君だけがたよりに思われたのに、その自分を愛してくれる唯一の人と別れているのは心細いものであるなどと思い、つれづれを感じているうちに中将から手紙が来た。

501 皆出で立ちけるを 大島本は「いてたちける越」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出で立ちぬるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「出で立ちけるを」とする。

502 あさましきことを思ひながらも 『完訳』は「物思いのうちに、わが身の上の情けなさを思う。失踪以来のあまりにも心外ななりゆき」と注す。

503 今はいかがせむ 大島本は「いかゝせむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかがはせむ」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかがせむ」とする。浮舟の思い。

504 頼もし人に思ふ人 以下「心細うもあるかな」まで、浮舟の心中の思い。

 「御覧ぜよ」と言へど、聞きも入れたまはず。いとど人も見えず、つれづれと来し方行く先を思ひ屈じたまふ。

  "Goranze yo." to ihe do, kiki mo ire tamaha zu. Itodo hito mo miye zu, turedure to kisikata yukusaki wo omohi kunzi tamahu.

 「御覧ください」と言うが、聞き入れなさらない。いっそう女房も少なくて、何もするこなく過去や将来を考え沈み込んでいらっしゃる。

 「お読みあそばせよ」と言うが、浮舟は聞きも入れなかった。そして常よりもまた寂しくなった家の庭をながめ入り、過去のこと、これからあとのことを思っては歎息ばかりされるのであった。

505 御覧ぜよ 少将尼の詞。

 「苦しきまでも眺めさせたまふかな。御碁を打たせたまへ」

  "Kurusiki made mo nagame sase tamahu kana! Ohom-go wo uta se tamahe."

 「つらいほど物思いに沈んでいらっしゃること。御碁をお打ちなさい」

 「拝見していましても苦しくなるほどお滅入めいりになっていらっしゃいますね。碁をお打ちなさいませよ」

506 苦しきまでも 以下「打たせたまへ」まで、少将尼の詞。

 と言ふ。

  to ihu.

 と言う。

 と少将が言う。

 「いとあやしうこそはありしか」

  "Ito ayasiu koso ha ari sika."

 「とても下手でした」

 「下手へたでしょうがないのですよ」

507 いとあやしうこそはありしか 浮舟の詞。碁は下手だったという。

 とはのたまへど、打たむと思したれば、盤取りにやりて、我はと思ひて先ぜさせたてまつりたるに、いとこよなければ、また手直して打つ。

  to ha notamahe do, uta m to obosi tare ba, ban tori ni yari te, ware ha to omohi te senze sase tatematuri taru ni, ito koyonakere ba, mata te nahosi te utu.

 とはおっしゃるが、打とうとお思いになったので、碁盤を取りにやって、自分こそはと思って先手をお打たせ申したが、たいそう強いので、また先手後手を変えて打つ。

 と言いながらも打つ気に浮舟はなった。盤を取りにやって少将は自信がありそうに先手を姫君に打たせたが、さんざんなほど自身は弱くて負けた。それでまた次の勝負に移った。

508 打たむと思したれば 主語は浮舟。

509 我はと思ひて 主語は少将尼。『集成』は「自分の方が強いだろうと思って、浮舟に先手でお打たせ申してみると。少将の尼が白、浮舟が黒」と注す。

510 いとこよなければ 主語は浮舟。たいそう碁が強い。

511 また手直して打つ 先手後手を変えて打ち直す。

 「尼上疾う帰らせたまはなむ。この御碁見せたてまつらむ。かの御碁ぞ、いと強かりし。僧都の君、早うよりいみじう好ませたまひて、けしうはあらずと思したりしを、いと棋聖大徳になりて、『さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし』と聞こえたまひしに、つひに僧都なむ二つ負けたまひし。棋聖が碁には勝らせたまふべきなめり。あな、いみじ」

  "Ama-Uhe tou kahera se tamaha nam. Kono ohom-go mise tatematura m. Kano ohom-go zo, ito tuyokari si. Soudu-no-Kimi, hayau yori imiziu konoma se tamahi te, kesiu ha ara zu to obosi tari si wo, ito Kisei-Daitoko ni nari te, 'Sasi-ide te koso uta zara me, ohom-go ni ha make zi kasi.' to kikoye tamahi si ni, tuhini Soudu nam hutatu make tamahi si. Kisei ga go ni ha masara se tamahu beki na' meri. Ana, imizi."

 「尼上が早くお帰りあそばしたらよいに。この御碁をお見せ申し上げよう。あの方の御碁は、とても強かったわ。僧都の君は、若い時からたいそうお好みになって、まんざらではないとお思いになっていたが、ほんと碁聖大徳気取りで、『出しゃばって打つ気はないが、あなたの御碁にはお負けしませんでしょうね』と申し上げなさったが、とうとう僧都が二敗なさった。碁聖の碁よりもお強くいらっしゃるようです。まあ、強い」

 「尼奥様が早くお帰りになればよい、姫君の碁をお見せしたい。あの方はお強いのですよ。僧都様はお若い時からたいへん碁がお好きで、自信たっぷりでいらっしゃいましたところがね、尼奥様は碁聖きせい上人になって自慢をしようとは思いませんが、あなたの碁には負けないでしょうとお言いになりまして、勝負をお始めになりますと、そのとおりに僧都様が二目にもくお負けになりました。碁聖の碁よりもあなたのほうがもっとお強いらしい。まあ珍しい打ち手でいらっしゃいます」

512 尼上疾う 以下「あないみじ」まで、少将尼の詞。

513 けしうはあらず 碁の腕前はまんざらではない。

514 さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし 僧都の詞を引用。
【御碁には負けじかし】-妹尼の御碁には負けまい。

515 二つ負けたまひし 三番勝負のうち二敗。

516 棋聖が碁には勝らせたまふべきなめり 浮舟の碁の腕前の方が僧都に勝るだろう、の意。

 と興ずれば、さだ過ぎたる尼額の見つかぬに、もの好みするに、「むつかしきこともしそめてけるかな」と思ひて、「心地悪し」とて臥したまひぬ。

  to kyouzure ba, sada sugi taru amabitahi no mituka nu ni, monogonomi suru ni, "Mutukasiki koto mo si some te keru kana!" to omohi te, "Kokoti asi." tote husi tamahi nu.

 とおもしろがるので、盛りを過ぎた尼額が見苦しいのに、遊びに熱中するので、「厄介なことに手を出してしまったわ」と思って、「気分が悪い」と言って横におなりになった。

 と少将はおもしろがって言うのであった。昔はたまにより見ることのなかった年のいった尼梳あますきの額に、面と向かって始終相手をさせられるようになってはいやである。興味を持たれてはうるさい、めんどうなことに手を出したものであると思った浮舟の姫君は、気分が悪いと言って横になった。

517 むつかしきこともしそめてけるかな 浮舟の心中の思い。『集成』は「対人関係の総てをうとましく思う気持」と注す。

518 心地悪し 浮舟の詞。

 「時々、晴れ晴れしうもてなしておはしませ。あたら御身を。いみじう沈みてもてなさせたまふこそ口惜しう、玉に瑕あらむ心地しはべれ」

  "Tokidoki, harebaresiu motenasi te ohasimase. Atara ohom-mi wo. Imiziu sidumi te motenasa se tamahu koso kutiwosiu, tama ni kizi ara m kokoti si habere."

 「時々は、気分が晴々するようにお振る舞いなさいませ。あたら若いお身を。ひどく沈んでおいであそばすのは残念で、玉の瑕のような気がいたします」

 「時々は晴れ晴れしい気持ちにもおなりあそばせよ。惜しいではございませんか、青春を沈んでばかりおいでになりますことは。ほんとうに玉にきずのある気がされます」

519 時々晴れ晴れしう 以下「心地しはべれ」まで、少将尼の詞。

 と言ふ。夕暮の風の音もあはれなるに、思ひ出づることも多くて、

  to ihu. Yuhugure no kaze no oto mo ahare naru ni, omohi-iduru koto mo ohoku te,

 と言う。夕暮の風の音もしみじみとして、思い出すことが多くて、

 などと少将は言った。夕風の音も身にんで思い出されることも多い人は、

520 思ひ出づることも 大島本は「ことも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こと」と「も」を削除する。『新大系』は底本のまま「ことも」とする。

 「心には秋の夕べを分かねども
  眺むる袖に露ぞ乱るる」

    "Kokoro ni ha aki no yuhube wo waka ne domo
    nagamuru sode ni tuyu zo midaruru

 「わたしには秋の情趣も分からないが
  物思いに耽るわが袖に露がこぼれ落ちる」

  心には秋の夕べをわかねども
  ながむるそでに露ぞ乱るる

521 心には秋の夕べを分かねども--眺むる袖に露ぞ乱るる 浮舟の独詠歌。「露」に涙を、「乱るる」に自分の心を比喩する。

 こんな歌もまれた。

第三段 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む

 月さし出でてをかしきほどに、昼文ありつる中将おはしたり。「あな、うたて。こは、なにぞ」とおぼえたまへば、奥深く入りたまふを、

  Tuki sasi-ide te wokasiki hodo ni, hiru humi ari turu Tiuzyau ohasi tari. "Ana, utate. Koha, nani zo?" to oboye tamahe ba, oku hukaku iri tamahu wo,

 月が出て美しいころに、昼に手紙のあった中将がおいでになった。「まあ、嫌な。これは、どうしたことか」と思われなさって、奥深いところにお入りになるのを、

 月が出て景色けしきのおもしろくなった時分に、昼間手紙をよこした中将が出て来た。いやなことである、なんということであろうと思った姫君が奥のほうへはいって行くのを見て、

522 あなうたてこはなにぞ 大島本は「こハなにそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こはなぞ」と「に」を削除する。『新大系』は底本のまま「こは何ぞ」とする。浮舟の心中の思い。

 「さも、あまりにもおはしますものかな。御心ざしのほども、あはれまさる折にこそはべるめれ。ほのかにも、聞こえたまはむことも聞かせたまへ。しみつかむことのやうに思し召したるこそ」

  "Samo, amari ni mo ohasimasu mono kana! Mi-kokorozasi no hodo mo, ahare masaru wori ni koso haberu mere. Honokani mo, kikoye tamaha m koto mo kikase tamahe. Simituka m koto no yau ni obosimesi taru koso."

 「そうなさるとは、あまりのお振る舞いでいらっしゃいますわ。ご厚志も、ひとしお身にしむときでございましょう。ちらっとでも申し上げなさるお言葉をお聞きなさいませ。それだけでも深い仲になったようにお思いあそばしているとは」

 「それはあまりでございますよ。あちらのお志もこんなおりからにはことに深さのまさるものですもの、ほのかにでもお話しになることを聞いておあげなさいませ。あちらのお言葉がしみになってお身体からだへつくようにも反感を持っていらっしゃるのですね」

523 さもあまりにも 以下「思したるこそ」まで、少将尼の詞。

524 おはしますものかな 大島本は「おハします物かな」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはしますかな」と「もの」を削除する。『新大系』は底本のまま「おはします物かな」とする。

525 聞こえたまはむことも 主語は中将。

526 しみつかむことのやうに 『集成』は「(お言葉を聞くだけで)もう何か深い仲になるかのようにお思いなのですね」と注す。

 など言ふに、いとはしたなくおぼゆ。おはせぬよしを言へど、昼の使の、一所など問ひ聞きたるなるべし、いと言多く怨みて、

  nado ihu ni, ito hasitanaku oboyu. Ohase nu yosi wo ihe do, hiru no tukahi no, hitotokoro nado tohi kiki taru naru besi, ito koto ohoku urami te,

 などと言うので、とても不安に思われる。いらっしゃらない旨を言うが、昼の使者が、一人残っていると尋ね聞いたのであろう、とても長々と恨み言をいって、

 少将にこんなふうに言われれば言われるほど不安になる姫君であった。姫君もいっしょに旅に出かけたと少将は客へ言ったのであるが、昼間の使いが一人は残っておられる、というようなことを聞いて行ったものらしくて中将は信じない。いろいろと言葉を尽くして姫君の無情さを恨み、

527 はしたなく 大島本は「ハしたなく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うしろめたく」と校訂する。『新大系』は底本のまま「はしたなく」とする。

528 おはせぬよし 妹尼君が。

529 昼の使の一所など問ひ聞きたるなるべし 挿入句。語り手の推測を挿入。

 「御声も聞きはべらじ。ただ、気近くて聞こえむことを、聞きにくしともいかにとも、思しことわれ」

  "Ohom-kowe mo kiki habera zi. Tada, kedikaku te kikoye m koto wo, kiki nikusi to mo ikani to mo, obosi kotoware."

 「お声も聞かなくて結構です。ただ、お側近くで申し上げることを、聞きにくいとも何なりとも、どうぞご判断くださいませ」

 「お話をしいて聞かせてほしいとは申しません。ただお近い所で、私のする話をお聞きくだすって、その結果私に好意を持つことがおできにならぬならそうと言いきっていただきたいのです」

530 御声も聞きはべらじ 以下「思しことわれ」まで、中将の詞。返事は結構、ただ自分の言うことを聞いてほしい、と言う。

531 聞きにくしともいかにとも 大島本は「きゝ(ゝ$き)にくしともいかにとも」とある。すなわち「ゝ」をミセケチにして「き」と訂正する。『集成』『完本』は諸本に従って「聞きにくしとも」と「いかにとも」を削除する。『新大系』は底本のまま「聞きにくしともいかにとも」とする。

 と、よろづに言ひわびて、

  to, yorodu ni ihi wabi te,

 と、あれこれ言いあぐねて、

 こんなことをどれほど言っても答えのないのでくさくさした中将は、

 「いと心憂く。所につけてこそ、もののあはれもまされ。あまりかかるは」

  "Ito kokorouku. Tokoro ni tuke te koso, mono no ahare mo masare. Amari kakaru ha."

 「まことに情けない。場所に応じてこそ、物のあわれもまさるものです。これではあんまりです」

 「情けなさすぎます。この場所は人の繊細な感情を味わってくださるのに最も適した所ではありませんか。こんな扱いをしておいでになって何ともお思いにならないのですか」

532 いと心憂く 以下「あまりかかるは」まで、中将の詞。

 など、あはめつつ、

  nado, ahame tutu,

 などと、非難しながら、

 とあざけるようにも言い、

 「山里の秋の夜深きあはれをも
  もの思ふ人は思ひこそ知れ

    "Yamazato no aki no yobukaki ahare wo mo
    mono omohu hito ha omohi koso sire

 「山里の秋の夜更けの情趣を
  物思いなさる方はご存知でしょう

  「山里の秋の夜深き哀れをも
  物思ふ人は思ひこそ知れ

533 山里の秋の夜深きあはれをも--もの思ふ人は思ひこそ知れ 中将から浮舟への贈歌。

 おのづから御心も通ひぬべきを」

  Onodukara mi-kokoro mo kayohi nu beki wo."

 自然とお心も通じ合いましょうに」

 御自身の寂しいお心持ちからでも御同情はしてくだすっていいはずですが」

534 おのづから御心も通ひぬべきを 歌に続けた詞。

 などあれば、

  nado are ba,

 などと言うので、

 と姫君へ取り次がせたのを伝えたあとで、少将が、

 「尼君おはせで、紛らはしきこゆべき人もはべらず。いと世づかぬやうならむ」

  "AmaGimi ohase de, magirahasi kikoyu beki hito mo habera zu. Ito yoduka nu yau nara m."

 「尼君がいらっしゃらないので、うまく取り繕い申し上げる者もいません。とても世間知らずのようでしょう」

 「尼奥様がおいでにならない時ですから、紛らしてお返しをしておいていただくこともできません。何とかお言いあそばさないではあまりに人間離れのした方と思われるでしょう」

535 尼君おはせで 以下「世づかぬやうならむ」まで、少将尼の詞。

536 紛らはしきこゆべき人 うまく取り繕って返歌を差し上げる人。

 と責むれば、

  to semure ba,

 と責めるので、

 こう責めるために、

 「憂きものと思ひも知らで過ぐす身を
  もの思ふ人と人は知りけり」

    "Uki mono to omohi mo sira de sugusu mi wo
    mono omohu hito to hito ha siri keri

 「情けない身の上とも分からずに暮らしているわたしを
  物思う人だと他人が分かるのですね」

  うきものと思ひも知らで過ぐす身を
  物思ふ人と人は知りけり

537 憂きものと思ひも知らで過ぐす身を--もの思ふ人と人は知りけり 浮舟の返歌。「もの思ふ人」の語句を用いて返す。自分では物思いをしているのかいないのか分からないでいるのに、あなたは物思いをしている人だというのですね、と切り返す。

 わざといらへともなきを、聞きて伝へきこゆれば、いとあはれと思ひて、

  Wazato irahe to mo naki wo, kiki te tutahe kikoyure ba, ito ahare to omohi te,

 特に返歌というのでもないのを、聞いてお伝え申し上げると、とても感激して、

 と浮舟が返しともなく口へ上せたのを聞いて、少将が伝えるのを中将はうれしく聞いた。

538 わざといらへとも 大島本は「わさといらへとも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「わざと言ふとも」と校訂する。『新大系』は底本のまま「わざといらへとも」とする。

539 聞きて伝へきこゆれば 主語は少将尼。

 「なほ、ただいささか出でたまへ、と聞こえ動かせ」

  "Naho, tada isasaka ide tamahe, to kikoye ugokase."

 「もっと、もう少しだけでもお出でください、とお勧め申せ」

 「ほんの少しだけ近くへ出て来てください」

540 なほただ 以下「動かせ」まで、中将の詞。

 と、この人びとをわりなきまで恨みたまふ。

  to, kono hitobito wo warinaki made urami tamahu.

 と、この女房たちを困り果てるまで恨み言をおっしゃる。

 と中将が言ったと言い、少将らは姫君の心を動かそうとするのであるが、姫君はこの人々を恨めしがっているばかりであった。

 「あやしきまで、つれなくぞ見えたまふや」

  "Ayasiki made, turenaku zo miye tamahu ya!"

 「変なまでに、冷淡にお見えになることです」

 「あやしいほどにも御冷淡になさるではありませんか」

541 あやしきまでつれなくぞ見えたまふや 少将尼の詞。「や」間投助詞、詠嘆の意。

 とて、入りて見れば、例はかりそめにもさしのぞきたまはぬ老い人の御方に入りたまひにけり。あさましう思ひて、「かくなむ」と聞こゆれば、

  tote, iri te mire ba, rei ha karisome ni mo sasi-nozoki tamaha nu oyibito no ohom-kata ni iri tamahi ni keri. Asamasiu omohi te, "Kaku nam." to kikoyure ba,

 と言って、奥に入って見ると、いつもは少しもお入りにならない老人のお部屋にお入りになっていたのであった。驚きあきれて、「これこれです」と申し上げると、

 と言いながら女房がまた忠告を試みにはいって来た時に、姫君はもう座にはいなくて、平生はかりにも行って見ることのなかった大尼君のへやへはいって行っていた。少将がそれをあきれたように思って帰って来て客に告げると、

542 かくなむ 浮舟が老母尼君の部屋に引き篭もってしまっている、という内容。

543 聞こゆれば 少将尼が中将に。

 「かかる所に眺めたまふらむ心の内のあはれに、おほかたのありさまなども、情けなかるまじき人の、いとあまり思ひ知らぬ人よりも、けにもてなしたまふめるこそ。それ物懲りしたまへるか。なほ、いかなるさまに世を恨みて、いつまでおはすべき人ぞ」

  "Kakaru tokoro ni nagame tamahu ram kokoro no uti no ahare ni, ohokata no arisama nado mo, nasake nakaru maziki hito no, ito amari omohi sira nu hito yori mo, keni motenasi tamahu meru koso. Sore monogori si tamahe ru ka. Naho, ikanaru sama ni yo wo urami te, itu made ohasu beki hito zo?"

 「このような所で物思いに耽っていらっしゃる方のご心中がお気の毒で、世間一般の様子などにつけても情けの分からない方ではないはずなのに、まるで情けを分からない人よりも、冷淡なおあしらいなさるようです。それも何かひどい経験をなさってのことだろうか。やはり、どのようなことで世の中を厭って、いつまでここにいらっしゃる予定の方ですか」

 「こんな住居すまいにおられる人というものは感情が人より細かくなって、恋愛に対してだけでなく一般的にも同情深くなっておられるのがほんとうだ。感じ方のあらあらしい人以上に冷たい扱いを私にされるではないか。これまでに恋の破局を見た方なのですか。そんなことでなく、ほかの理由があるのかね。このうちにはいつまでおいでになるのですか」

544 かかる所に 以下「おはすべき人ぞ」まで、中将の詞。

545 情けなかるまじき人の 格助詞「の」同格の意。

546 それ物懲り 大島本は「それ物こり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「それももの懲り」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「それ物懲り」とする。

 など、ありさま問ひて、いとゆかしげにのみ思いたれど、こまかなることは、いかでかは言ひ聞かせむ。ただ、

  nado, arisama tohi te, ito yukasigeni nomi oboi tare do, komaka naru koto ha, ikadekaha ihi kikase m? Tada,

 などと、様子を尋ねて、たいそう知りたげにお思いになっているが、詳細なことはどうして申し上げられよう。ただ、

 などと言って聞きたがる中将であったが、細かい事実を女房も話すはずはない。

547 いかでかは言ひ聞かせむ 語り手の思い入れをこめた叙述。

 「知りきこえたまふべき人の、年ごろは、疎々しきやうにて過ぐしたまひしを、初瀬に詣であひたまひて、尋ねきこえたまひつる」

  "Siri kikoye tamahu beki hito no, tosigoro ha, utoutosiki yau nite sugusi tamahi si wo, Hatuse ni maude ahi tamahi te, tadune kikoye tamahi turu."

 「お世話申し上げなさらねばならない方で、長年、疎遠な関係で過していらっしゃったのを、互いに初瀬に参詣なさって、お探し申し上げなさったのです」

 「思いがけず奥様が初瀬はせのお寺でお逢いになりまして、お話し合いになりました時、御縁続きであることがおわかりになりこちらへおいでになることにもなったのでございます」

548 知りきこえたまふべき人の 以下「尋ねきこえたまひつる」まで、少将尼の詞。『完訳』は「遠縁にあたるぐらいの趣」と注す。

549 年ごろは、疎々しきやうにて 長年疎遠であった、の意。出会う以前のこと。

550 尋ねきこえたまひつる 大島本は「尋きこえ給つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つる」とする。

 とぞ言ふ。

  to zo ihu.

 と言う。

 とだけ言っていた。

第四段 老尼君たちのいびき

 姫君は、「いとむつかし」とのみ聞く老い人のあたりにうつぶし臥して、寝も寝られず。宵惑ひは、えもいはずおどろおどろしきいびきしつつ、前にも、うちすがひたる尼ども二人して、劣らじといびき合はせたり。いと恐ろしう、「今宵、この人びとにや食はれなむ」と思ふも、惜しからぬ身なれど、例の心弱さは、一つ橋危ふがりて帰り来たりけむ者のやうに、わびしくおぼゆ。

  HimeGimi ha, "Ito mutukasi." to nomi kiku oyibito no atari ni utubusi husi te, i mo nara re zu. Yohimadohi ha, e mo iha zu odoroodorosiki ibiki si tutu, mahe ni mo, uti-sugahi taru ama-domo hutari site, otora zi to ibiki ahase tari. Ito osorosiu, "Koyohi, kono hitobito ni ya kuha re na m." to omohu mo, wosikara nu mi nare do, rei no kokoroyowasa ha, hitotubasi ayahugari te kaheri ki tari kem mono no yau ni, wabisiku oboyu.

 姫君は、「とても気味悪い」とばかり聞いている老人の所に横になって、眠ることもできない。夕方から眠くなるのは、何とも言えないほど大きな鼾をしいしい、その前にも、似たような老尼どもが二人横になっていて、負けじ劣らじと鼾をかき合っていた。たいそう恐ろしく、「今夜、この人たちに喰われてしまうのではないか」と思うのも、惜しい身の上ではないが、いつもの心弱さは、一本橋を危ながって引き返したという者のように、心細く思われる。

 浮舟の姫君はめんどうな性質の人であると聞いていた老尼の所でうつ伏しになっているのであったが、眠入ねいることなどはむろんできない。宵惑いの大尼君は大きいいびきの声をたてていたし、その前のほうにも後差あとざしの形で二人の尼女房が寝ていて、それも主に劣るまいとするようにいびきをかいていた。姫君は恐ろしくなって今夜自分はこの人たちに食われてしまうのではないかと思うと、それも惜しい命ではないが、例の気弱さから死にに行った人が細い橋をあぶながって後ろへもどって来た話のように、わびしく思われてならなかった。

551 今宵この人びとにや食はれなむ 『集成』は「地獄草子に老婆の姿をした鬼が見える」。『完訳』は「老尼を鬼かと恐れる。鬼が老女に化ける話は、説話集に散見」と注す。

552 一つ橋危ふがりて 『細流抄』は「本縁たしかならず。心はただ、身を投げんとせし人の、行く道に一橋の危ふきを見て、道より帰りたるといふことあるべし」と指摘。出典未詳。

 こもき、供に率ておはしつれど、色めきて、このめづらしき男の艶だちゐたる方に帰り去にけり。「今や来る、今や来る」と待ちゐたまへれど、いとはかなき頼もし人なりや。中将、言ひわづらひて帰りにければ、

  Komoki, tomo ni wi te ohasi ture do, iromeki te, kono medurasiki wotoko no endati wi taru kata ni kaheri ini keri. "Ima ya kuru, ima ya kuru." to mati wi tamahe re do, ito hakanaki tanomosibito nari ya. Tiuzyau, ihi wadurahi te kaheri ni kere ba,

 こもきを、供に連れて行かれたが、色気づく年頃で、このめずらしい男性が優雅に振る舞っていらっしゃる方に帰って行ってしまった。「今戻って来ようか、今戻って来ようか」と待っていらしたが、まことに頼りないお付であるよ。中将は、言いあぐねて帰ってしまったので、

 童女のこもきを従えて来ていたのであるが、ませた少女は珍しい異性が風流男らしく気どってすわっているあちらの座敷のほうに心がかれて帰って行った。今にこもきが来るであろう、あろうと姫君は待っているのであるが、頼みがいのない童女は主を捨てはなしにしておいた。中将は誠意の認められないのに失望して帰ってしまった。そのあとでは、

553 こもき供に率て 浮舟に仕える女童を一緒に老母尼の部屋に。

554 艶だちゐたる方に 大島本は「えんたちゐたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「艶だちゐたまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「艶だちゐ」とする。

555 今や来る今や来ると 浮舟の心中の思い。こもきの帰りを。

556 いとはかなき頼もし人なりや 『紹巴抄』は「双地てならひの心中をかけり」と指摘。

 「いと情けなく、埋れてもおはしますかな。あたら御容貌を」

  "Ito nasakenaku, mumore te mo ohasimasu kana! Atara ohom-katati wo!"

 「まことに情けなく、引き籠もっていらっしゃること。あたら惜しいご器量を」

 「人情がわからない方ね。引っ込み思案でばかりいらっしゃる。あれだけの容貌きりょうを持っておいでになりながら」

557 いと情けなく 以下「あたら御容貌を」まで、少将尼や左衛門女房たちの不満の詞。

 などそしりて、皆一所に寝ぬ。

  nado sosiri te, mina hitotokoro ni ne nu.

 などと悪口を言って、一同一緒に寝た。

 などと姫君をそしって皆一所で寝てしまった。

 「夜中ばかりにやなりぬらむ」と思ふほどに、尼君しはぶきおぼほれて起きにたり。火影に、頭つきはいと白きに、黒きものをかづきて、この君の臥したまへる、あやしがりて、鼬とかいふなるものが、さるわざする、額に手を当てて、

  "Yonaka bakari ni ya nari nu ram." to omohu hodo ni, AmaGimi sihabuki obohore te oki ni tari. Hokage ni, kasiratuki ha ito siroki ni, kuroki mono wo kaduki te, kono Kimi no husi tamahe ru, ayasigari te, itati to ka ihu naru mono ga, saru waza suru, hitahi ni te wo ate te,

 「夜半になったか」と思うころに、尼君が咳こんで寝惚けて起き出した。灯火の光で、頭の具合はまっ白い上に、黒いものを被って、この君が横になっているのを、変に思って、鼬とかいうものが、そのようなことをする、額に手を当てて、

 夜中時分かと思われるころに大尼君はひどいせきを続けて、それから起きた。の明りに見える頭の毛は白くて、その上に黒い布をかぶっていて、姫君が来ているのをいぶかって鼬鼠いたちはそうした形をするというように、額に片手をあてながら、

558 この君 浮舟。

559 臥したまへる 大島本は「ふし給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「臥したまへるを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のまま「臥し給へる」とする。

 「あやし。これは、誰れぞ」

  "Ayasi. Kore ha, tare zo?"

 「おや。これは、誰ですか」

 「怪しい、これはだれかねえ」

560 あやしこれは誰れぞ 母尼君の詞。

 と、執念げなる声にて見おこせたる、さらに、「ただ今食ひてむとする」とぞおぼゆる。鬼の取りもて来けむほどは、物のおぼえざりければ、なかなか心やすし。「いかさまにせむ」とおぼゆるむつかしさにも、「いみじきさまにて生き返り、人になりて、またありしいろいろの憂きことを思ひ乱れ、むつかしとも恐ろしとも、ものを思ふよ。死なましかば、これよりも恐ろしげなる者の中にこそはあらましか」と思ひやらる。

  to, sihunege naru kowe nite mi okose taru, sarani, "Tada ima kuhi te m to suru." to zo oboyuru. Oni no tori mote ki kem hodo ha, mono no oboye zari kere ba, nakanaka kokoroyasusi. "Ikasama ni se m." to oboyuru mutukasisa ni mo, "Imiziki sama nite ikikaheri, hito ni nari te, mata ari si iroiro no uki koto wo omohi midare, mutukasi to mo osorosi to mo, mono wo omohu yo! Sina masika ba, kore yori mo osorosige naru mono no naka ni koso ha ara masika." to omohiyara ru.

 と、しつこそうな声で見やっているのが、その上、「今すぐにでも取って喰ってしまおうとする」かのように思われる。鬼が取って連れて来た時は、何も考えられなかったので、かえって安心であった。「どうするのだろう」と思われる不気味さにも、「みじめな姿で生き返り、人並に戻って、再び以前のいろいろな嫌なことに悩み、厭わしいとか恐ろしいとか、物思いすることよ。死んでしまっていたら、これよりも恐ろしそうなものの中にいたことだろうか」と想像される。

 としつこそうな声で言い姫君のほうを見越した時には、今自分は食べられてしまうのであるという気が浮舟にした。幽鬼が自分を伴って行った時は失心状態であったから何も知らなかったが、それよりも今が恐ろしく思われる姫君は、長くわずらったあとで蘇生そせいして、またいろいろな過去の思い出に苦しみ、そして今またこわいともおそろしいとも言いようのない目に自分はあっている、しかも死んでいたならばこれ以上恐ろしい形相ぎょうそうのものの中に置かれていた自分に違いないとも思われるのであった。

561 鬼の取りもて来けむほどは 入水しようとしていた時に物の怪に連れ出されたことを回想。

562 物のおぼえざりければ 大島本は「物の」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの」と「の」を削除する。『新大系』は底本のまま「物の」とする。

563 いかさまにせむ どうしたらよかろう。意識が働いているので、かえって不気味。

564 いみじきさまにて 以下「あらましか」まで、浮舟の心中の思い。

565 ありしいろいろの憂きことを 匂宮や薫とのことで悩んだこと。

566 死なましかば--あらましか 反実仮想の構文。係助詞「か」疑問の意。『完訳』は「鬼と見える尼君から、鬼たちによる地獄の責め苦を連想」と注す。

第五段 浮舟、悲運のわが身を思う

 昔よりのことを、まどろまれぬままに、常よりも思ひ続くるに、

  Mukasi yori no koto wo, madoroma re nu mama ni, tune yori mo omohi tudukuru ni,

 昔からのことを、眠れないままに、いつもよりも思い続けていると、

 昔からのことが眠れないままに次々に思い出される浮舟は、

 「いと心憂く、親と聞こえけむ人の御容貌も見たてまつらず、遥かなる東を返る返る年月をゆきて、たまさかに尋ね寄りて、うれし頼もしと思ひきこえし姉妹の御あたりをも、思はずにて絶え過ぎ、さる方に思ひ定めたまひし人につけて、やうやう身の憂さをも慰めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば、宮を、すこしもあはれと思ひきこえけむ心ぞ、いとけしからぬ。ただ、この人の御ゆかりにさすらへぬるぞ」

  "Ito kokorouku, oya to kikoye kem hito no ohom-katati mo mi tatematura zu, haruka naru Aduma wo kaheru gaheru tosituki wo yuki te, tamasaka ni tadune yori te, uresi tanomosi to omohi kikoye si harakara no ohom-atari wo mo, omoha zu nite taye sugi, saru kata ni omohi sadame tamahi si hito ni tuke te, yauyau mi no usa wo mo nagusame tu beki kihame ni, asamasiu motesokonahi taru mi wo omohi mote-yuke ba, Miya wo, sukosi mo ahare to omohi kikoye kem kokoro zo, ito kesikara nu. Tada, kono hito no ohom-yukari ni sasurahe nuru zo."

 「とても情けなく、父親と申し上げた方のお顔も拝し上げず、遥か遠い東国で代わる代わる年月を過ごして、たまたま探し求めて、嬉しく頼もしくお思い申し上げた姉君のお側を、不本意のままに縁が切れてしまい、しかるべき方面にとお考えくださった方によって、だんだんと身の不運から抜け出そうとした矢先に、驚きあきれたように身を過ったのを考えて行くと、宮を、わずかにいとしいとお思い申し上げた心が、まことに良くないことであった。ただ、あの方に巡り合った御縁で流れ流れて来たのだ」

 自分は悲しいことに満たされた生涯しょうがいであったとより思われない。父君はお姿も見ることができなかった。そして遠い東の国を母についてあちらこちらとまわって歩き、たまさかにめぐり合うことのできて、うれしくも頼もしくも思った姉君の所で意外なさわりにあい、すぐに別れてしまうことになって、結婚ができ、その人を信頼することでようやく過去の不幸も慰められていく時に自分は過失をしてしまったことに思い至ると、宮を少しでもお愛しする心になっていたことが恥ずかしくてならない。あの方のために自分はこうした漂泊さすらいの身になった、

567 いと心憂く 以下「などてをかしと思ひきこえけむ」まで、浮舟の心中の思い。途中「と思へば」の地の文を鋏む。「親」は父親の宇治八宮をさす。

568 姉妹の御あたりをも 大島本は「御あたりをも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御あたりも」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「御あたりも」とする。異母姉の中君。

569 さる方に思ひ定めたまひし人に 大島本は「給し」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりし」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給し」とする。薫。『集成』は「北の方ではないにしても妻の一人に、という薫の思惑をいう」と注す。

570 宮をすこしもあはれと 匂宮。係助詞「も」強調の意。

 と思へば、「小島の色をためしに契りたまひしを、などてをかしと思ひきこえけむ」と、こよなく飽きにたる心地す。初めより、薄きながらものどやかにものしたまひし人は、この折かの折など、思ひ出づるぞこよなかりける。「かくてこそありけれ」と、聞きつけられたてまつらむ恥づかしさは、人よりまさりぬべし。さすがに、「この世には、ありし御さまを、よそながらだにいつか見むずる、とうち思ふ、なほ、悪ろの心や。かくだに思はじ」など、心一つをかへさふ。

  to omohe ba, "Kozima no iro wo tamesi ni tigiri tamahi si wo, nadote wokasi to omohi kikoye kem?" to, koyonaku aki ni taru kokoti su. Hazime yori, usuki nagara mo nodoyakani monosi tamahi si hito ha, kono wori kano wori nado, omohiiduru zo koyonakari keru. "Kaku te koso ari kere." to, kikituke rare tatematura m hadukasisa ha, hito yori masari nu besi. Sasugani, "Kono yo ni ha, ari si ohom-sama wo, yoso nagara dani itu ka mi m zuru, to uti omohu, naho, waro no kokoro ya! Kaku dani omoha zi." nado, kokoro hitotu wo kahesahu.

 と思うと、「橘の小島の色を例にお誓いなさったのを、どうしてすてきだと思ったのだろう」と、すっかり熱もさめたような気がする。初めから、深い愛情ではなかったがゆったりとした方のことは、この折あの折になどと、思い出すことは比べものにならなかった。「こうして生きていたのだ」と、お耳にされ申すときの恥ずかしさは、誰よりも一番であろう。何といっても、「この世では、以前のご様子を他人ながらでもいつかは見ようと、ふと思うのは、やはり、悪い考えだ。それさえ思うまい」などと、自分独りで思い直す。

 たちばなの小嶋の色に寄せて変わらぬ恋を告げられたのをなぜうれしく思ったのかと疑われてならない。愛も恋もさめ果てた気がする。はじめからうすいながらも変わらぬ愛を持ってくれた人のことは、あの時、その時とその人についてのいろいろの場合が思い出されて、宮に対する思いとは比較にならぬ深い愛を覚える浮舟うきふねの姫君であった。こうしてまだ生きているとその人に聞かれる時の恥ずかしさに比してよいものはないと思われる。そうであってさすがにまた、この世にいる間にあの人をよそながらも見る日があるだろうかとも悲しまれるのであった。自分はまだよくない執着を持っている、そんなことは思うまいなどと心を変えようともした。

571 契りたまひしを 主語は匂宮。

572 薄きながらものどやかにものしたまひし人は 薫をさす。『河海抄』は「夏衣薄きながらぞ頼まるる一重なるしも身に近ければ」(拾遺集恋三、八二三、読人しらず)を指摘。

573 こよなかりける 匂宮と比較して。

574 かくてこそありけれと 以下「かくだに思はじ」まで、浮舟の心中に添った叙述。心中文と地の文が交錯。

575 聞きつけられたてまつらむ 薫に。

576 ありし御さまを 薫の姿。

577 いつか見むずる 大島本は「いつか」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いつかは」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いつか」とする。

578 うち思ふなほ悪ろの心や 『完訳』は「彼(薫)への憧れが心をかすめるが、それを打ち消す」と注す。

 からうして鶏の鳴くを聞きて、いとうれし。「母の御声を聞きたらむは、ましていかならむ」と思ひ明かして、心地もいと悪し。供にて渡るべき人もとみに来ねば、なほ臥したまへるに、いびきの人は、いと疾く起きて、粥などむつかしきことどもをもてはやして、

  Karausite tori no naku wo kiki te, ito uresi. "Haha no ohom-kowe wo kiki tara m ha, masite ikanara m?" to omohi akasi te, kokoti mo ito asi. Tomo nite wataru beki hito mo tomi ni ko ne ba, naho husi tamahe ru ni, ibiki no hito ha, ito toku oki te, kayu nado mutukasiki koto-domo wo motehayasi te,

 やっとのことで鶏が鳴くのを聞いて、とても嬉しい。「母親のお声を聞いた時には、それ以上にどんな気がするだろう」と思って夜を明かして、気分もとても悪い。付人としてあちらに行くはずの人もすぐには来ないので、依然として臥せっていらっしゃると、鼾の老婆は、たいそう早く起きて、粥など見向きもしたくない食事を大騒ぎして、

 ようやく鶏の鳴く声が聞こえてきた。浮舟は非常にうれしかった。母の声を聞くことができたならましてうれしいことであろうと、こんなことを姫君は思い明かして気分も悪かった。あちらへ帰るのに付き添って来てくれるものは早く来てもくれないために、そのままなお横たわっていると前夜のいびきの尼女房は早く起きて、かゆなどというまずいものを喜んで食べていた。

579 鶏の鳴くを聞きて 『集成』は「鶏鳴で魔の跳梁する夜の支配が終る。まだ暗い時刻である。次の「思ひ明かして」のところで明るい朝を迎える」と注す。

580 母の御声を 以下「いかならむ」まで、浮舟の心中の思い。『花鳥余情』は「山鳥のほろほろと鳴く声けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(玉葉集釈教、二六二七、行基菩薩)を指摘。

581 供にて渡るべき人 女童のこもき。

582 なほ臥したまへるに 大島本は「給つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つる」とする。

 「御前に、疾く聞こし召せ」

  "Omahe ni, toku kikosimese."

 「あなたも、早くお召し上がれ」

 「姫君も早く召し上がりませ」

583 御前に疾く聞こし召せ 老母尼の詞。

 など寄り来て言へど、まかなひもいとど心づきなく、うたて見知らぬ心地して、

  nado yori ki te ihe do, makanahi mo itodo kokorodukinaku, utate misira nu kokoti si te,

 などと寄って来て言うが、給仕役もまこと気に入らず、嫌な見知らない気がするので、

 などとそばへ来て世話のやかれるのも気味が悪かった。こうした朝になれない気がして、

584 いとど心づきなく 大島本は「いとゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いと」と「ゝ」を削除する。『新大系』は底本のまま「いとど」とする。

 「悩ましくなむ」

  "Nayamasiku nam."

 「気分が悪いので」

 「身体からだの調子がよくありませんから」

585 悩ましくなむ 浮舟の詞。

 と、ことなしびたまふを、しひて言ふもいとこちなし。

  to, kotonasibi tamahu wo, sihite ihu mo ito kotinasi.

 と、さりげなく断りなさるのを、無理に勧めるのもとても気がきかない。

 と穏やかな言葉で断わっているのに、しいて勧めて食べさせようとされるのもうるさかった。

586 いとこちなし 語り手の批評の言。

第六段 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る

 下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て、

  Gesugesusiki hohusibara nado amata ki te,

 身分の低いらしい法師どもなどが大勢来て、

 下品な姿の僧がこの家へおおぜい来て、

 「僧都、今日下りさせたまふべし」

  "Soudu, kehu ori sase tamahu besi."

 「僧都が、今日下山あそばしますでしょう」

 「僧都そうずさんが今日きょう御下山になりますよ」などと庭で言っている。

587 僧都今日下りさせたまふべし 僧の詞。

 「などにはかには」

  "Nado nihakani ha?"

 「どうして急に」

 「なぜにわかにそうなったのですか」

588 などにはかに 女房の詞。

 と問ふなれば、

  to tohu nare ba,

 と尋ねるようなので、


589 問ふなれば 「なれ」伝聞推定の助動詞。浮舟の耳に聞こえてくる趣。

 「一品の宮の、御もののけに悩ませたまひける、山の座主、御修法仕まつらせたまへど、なほ、僧都参らせたまはでは験なしとて、昨日、二度なむ召しはべりし。右大臣殿の四位少将、昨夜、夜更けてなむ登りおはしまして、后の宮の御文などはべりければ、下りさせたまふなり」

  "Ippon-no-Miya no, ohom-mononoke ni nayama se tamahi keru, Yama-no-Zasu, mi-suhohu tukaumatura se tamahe do, naho, Soudu mawira se tamaha de ha sirusi nasi tote, kinohu, hutatabi nam mesi haberi si. Udaizin-dono no Siwi-no-Seusyau, yobe, yo huke te nam nobori ohasimasi te, Kisai-no-Miya no ohom-humi nado haberi kere ba, ori sase tamahu nari."

 「一品の宮が、御物の怪にお悩みあそばしたのを、山の座主が、御修法をして差し上げなさったが、やはり、僧都が参上なさらなくては効験がないといって、昨日、二度お召しがございました。右大臣殿の四位少将が、昨夜、夜が更けて登山あそばして、后宮のお手紙などがございましたので、下山あそばすのです」

 「一品いっぽんみや様が物怪もののけでわずらっておいでになって、本山の座主ざすが修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって、昨日は二度もお召しの使いがあったのです。左大臣家の四位少将が昨夜夜ふけてからまたおいでになって、中宮ちゅうぐう様のお手紙などをお持ちになったものですから、下山の決意をなさったのですよ」

590 一品の宮の 以下「下りさせたまふなり」まで、僧の詞。明石中宮腹の女一宮の病気。

591 僧都参らせたまはでは 大島本は「まいらせ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「参り」と校訂する。『新大系』は底本のまま「まいらせ」とする。

 など、いとはなやかに言ひなす。「恥づかしうとも、会ひて、尼になしたまひてよ、と言はむ。さかしら人少なくて、よき折にこそ」と思へば、起きて、

  nado, ito hanayakani ihi nasu. "Hadukasiu tomo, ahi te, ama ni nasi tamahi te yo, to iha m. Sakasirabito sukunaku te, yoki wori ni koso." to omohe ba, oki te,

 などと、とても得意になって言う。「恥ずかしくても、お目にかかって、尼にしてください、と言おう。口出しする人も少なくて、ちょうどよい機会だ」と思うと、起きて、

 などと自慢げに言っている。ここへ僧都の立ち寄った時に、恥ずかしくても逢って尼にしてほしいと願おう、とがめだてをしそうな尼夫人も留守で他の人も少ない時で都合がよいと考えついた浮舟は起きて、

592 恥づかしうとも 以下「よき折にこそ」まで、浮舟の心中の思い。出家を決意。

 「心地のいと悪しうのみはべるを、僧都の下りさせたまへらむに、忌むこと受けはべらむとなむ思ひはべるを、さやうに聞こえたまへ」

  "Kokoti no ito asiu nomi haberu wo, Soudu no ori sase tamahe ra m ni, imu koto uke habera m to nam omohi haberu wo, sayau ni kikoye tamahe."

 「気分が悪くばかりいますので、僧都が下山あそばしますときに、受戒をしていただこうと思っておりますが、そのように申し上げてください」

 「僧都様が山をおりになりました時に、出家をさせていただきたいと存じますから、そんなふうにあなた様からもおとりなしをくださいまし」

593 心地のいと悪しうのみはべるを 以下「聞こえたまへ」まで、浮舟の詞。老母尼君に言う。

594 忌むこと受けはべらむ 蘇生の折には五戒だけを受けた。今度は本格的な出家を考える。

 と語らひたまへば、ほけほけしう、うちうなづく。

  to katarahi tamahe ba, hokehokesiu, uti-unaduku.

 と相談なさると、惚けた感じで、ちょっとうなずく。

 と大尼君に言うと、その人はぼけたふうにうなずいた。

595 ほけほけしううちうなづく 大島本は「打うなつく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うなづく」と「打」を削除する。『新大系』は底本のまま「打うなづく」とする。主語は老母尼君。

 例の方におはして、髪は尼君のみ削りたまふを、異人に手触れさせむもうたておぼゆるに、手づからはた、えせぬことなれば、ただすこし解き下して、親に今一度かうながらのさまを見えずなりなむこそ、人やりならず、いと悲しけれ。いたうわづらひしけにや、髪もすこし落ち細りたる心地すれど、何ばかりも衰へず、いと多くて、六尺ばかりなる末などぞ、いとうつくしかりける。筋なども、いとこまかにうつくしげなり。

  Rei no kata ni ohasi te, kami ha AmaGimi nomi keduri tamahu wo, kotobito nite hure sase m mo utate oboyuru ni, tedukara hata, e se nu koto nare ba, tada sukosi toki kudasi te, oya ni ima hitotabi kau nagara no sama wo miye zu nari na m koso, hitoyarinarazu, ito kanasikere. Itau wadurahi si ke ni ya, kami mo sukosi oti hosori taru kokoti sure do, nani bakari mo otorohe zu, ito ohoku te, rokusyaku bakari naru suwe nado zo, ito utukusikari keru. Sudi nado mo, ito komakani utukusige nari.

 いつもの部屋のいらして、髪は尼君だけがお梳きになるのを、他人に手を触れさせるのも嫌に思われるが、自分自身では、できないことなので、ただわずかに梳きおろして、母親にもう一度こうした姿をお見せすることがなくなってしまうのは、自分から望んだこととはいえ、とても悲しい。ひどく病んだせいだろうか、髪も少し抜けて細くなってしまった感じがするが、それほども衰えていず、たいそう多くて、六尺ほどある末などは、とても美しかった。髪の毛などもたいそうこまやかで美しそうである。

 常の居間へ帰った浮丹は、尼君がこれまで髪を自身以外の者にくことをさせなかったことを思うと、女房に手を触れさせるのがいやに思われるのであるが、自身ではできないことであったから、ただ少しだけ解きおろしながら、母君にもう一度以前のままの自身を見せないで終わるのかと思うと悲しかった。重い病のために髪も少し減った気が自身ではするのであるが、何ほど衰えたとも見えない。非常にたくさんで六尺ほどもある末のほうのことに美しかったところなどはさらにこまかく美しくなったようである。

596 例の方におはして 主語は浮舟。母尼君の部屋から自分の部屋へ。

597 髪は尼君のみ削りたまふを 浮舟の髪は妹尼君だけが梳る。

598 親に今一度 以下「悲しけれ」あたりまで、浮舟の心中の思い。引用句がなく、末尾は心中文から地の文に流れる叙述。

599 かうながらのさまを 出家前の姿。

600 いたうわづらひしけにや 浮舟の目、心中に即した叙述。

601 落ち細りたる 大島本は「おちほそりたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「落ち細りにたる」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のまま「落ち細りたる」とする。

602 いとうつくしかりける 大島本は「いとうつくしかりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うつくしかりける」と「いと」を削除する。『新大系』は底本のまま「いとうつくしかりける」とする。『集成』は「「うつくし」は、愛撫したい感じ。自らの髪をいとおしむ気持」。『完訳』は「次行に「うつくしげ」と繰り返され、削ぎ捨てがたい豊かな黒髪」と注す。

 「かかれとてしも」

  "Kakare tote simo."

 「こうなれと思って髪の世話はしなかったろうに」

 「たらちねはかかれとてしも」(うば玉のわが黒髪をでずやありけん)

603 かかれとてしも 浮舟の独り言。『源氏釈』は「たらちめはかかれとてしもうばたまのわが黒髪を撫でずやありけむ」(後撰集雑三、一二四〇、僧正遍昭)を指摘。

 と、独りごちゐたまへり。

  to, hitorigoti wi tamahe ri.

 と、独り言をおっしゃっていた。

 独言ひとりごとに浮舟は言っていた。

 暮れ方に、僧都ものしたまへり。南面払ひしつらひて、まろなる頭つき、行きちがひ騷ぎたるも、例に変はりて、いと恐ろしき心地す。母の御方に参りたまひて、

  Kurekata ni, Soudu monosi tamahe ri. Minamiomote harahi siturahi te, maro naru kasiratuki, yukitigahi sawagi taru mo, rei ni kahari te, ito osorosiki kokoti su. Haha no ohom-kata ni mawiri tamahi te,

 暮れ方に、僧都がおいでになった。南面を片づけ準備して、丸い頭の恰好が、あちこち行ったり来たりしてがやがやしているのも、いつもと違って、とても恐ろしい気がする。母尼のお側に参上なさって、

 夕方に僧都が寺から来た。南の座敷が掃除そうじされ装飾されて、そこをまるい頭が幾つも立ち動くのを見るのも、今日の姫君の心には恐ろしかった。僧都は母の尼の所へ行き、

604 まろなる頭つき 大島本は「まろなるかしらつき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「頭つきども」と「ども」を補訂する。『新大系』は底本のまま「頭つき」とする。

605 母の御方に参りたまひて 主語は僧都。老母尼君のもとに。

 「いかにぞ、月ごろは」

  "Ikani zo, tukigoro ha?"

 「いかがですか、このごろは」

 「あれから御機嫌ごきげんはどうでしたか」

606 いかにぞ月ごろは 僧都の詞。母尼君に加減を問う。

 など言ふ。

  nado ihu.

 などと言う。

 などと尋ねていた。

 「東の御方は物詣でしたまひにきとか。このおはせし人は、なほものしたまふや」

  "Himgasi-no-Ohomkata ha monomaude si tamahi ni ki to ka? Kono ohase si hito ha, naho monosi tamahu ya?"

 「東の御方は物詣でをなさったとか。ここにいらっしゃった方は、今でもおいでになりますか」

 「東の夫人は参詣さんけいに出られたそうですね。あちらにいた人はまだおいでですか」

607 東の御方は 以下「ものしたまふや」まで、僧都の詞。妹尼君は東の対を居所としている。

608 このおはせし人 浮舟。

 など問ひたまふ。

  nado tohi tamahu.

 などとお尋ねになる。


 「しか。ここにとまりてなむ。心地悪しとこそものしたまひて、忌むこと受けたてまつらむ、とのたまひつる」

  "Sika. Koko ni tomari te nam. Kokoti asi to koso monosi tamahi te, imu koto uke tatematura m, to notamahi turu."

 「ええ。ここに残っています。気分が悪いとおっしゃって、受戒をお授かり申したい、とおっしゃいました」

 「そうですよ。昨夜ゆうべは私の所へ来て泊まりましたよ。身体からだが悪いからあなたに尼の戒を受けさせてほしいと言っておられましたよ」

609 しかここにとまりてなむ 以下「とのたまひつる」まで、母尼君の詞。

 と語る。

  to kataru.

 と話す。

 と大尼君は語った。

第七段 浮舟、僧都に出家を懇願

 立ちてこなたにいまして、「ここにや、おはします」とて、几帳のもとについゐたまへば、つつましけれど、ゐざり寄りて、いらへしたまふ。

  Tati te konata ni imasi te, "koko ni ya, ohasimasu." tote, kityau no moto ni tui-wi tamahe ba, tutumasikere do, wizari yori te, irahe si tamahu.

 立ってこちらにいらして、「ここに、いらっしゃいますか」と言って、几帳の側にお座りになると、遠慮されるが、膝行して近寄って、お返事をなさる。

 そこを立って僧都は姫君の居間へ来た。「ここにいらっしゃるのですか」と言い、几帳きちょうの前へすわった。

610 立ちてこなたにいまして 主語は僧都。『集成』は「妹尼と一緒にいた東の対であろう」と注す。

611 ここにやおはします 僧都の詞。

612 つつましけれどゐざり寄りていらへしたまふ 主語は浮舟。

 「不意にて見たてまつりそめてしも、さるべき昔の契りありけるにこそ、と思ひたまへて。御祈りなども、ねむごろに仕うまつりしを、法師は、そのこととなくて、御文聞こえ受けたまはむも便なければ、自然になむおろかなるやうになりはべりぬる。いとあやしきさまに、世を背きたまへる人の御あたり、いかでおはしますらむ」

  "Hui ni te mi tatematuri some te si mo, sarubeki mukasi no tigiri ari keru ni koso, to omohi tamahe te. Ohom-inori nado mo, nemgoroni tukaumaturi si wo, hohusi ha, sono koto to naku te, ohom-humi kikoye uke tamaha m mo binnakere ba, zinen ni nam oroka naru yau ni nari haberi nuru. Ito ayasiki sama ni, yo wo somuki tamahe ru hito no ohom-atari, ikade ohasimasu ram."

 「思いもよらずお目にかかったのも、こうなるはずの前世からの宿縁があったのだ、と存じられまして。御祈祷なども、親身にお仕えいたしましたが、法師は、特別の用件もなく、お手紙を差し上げたり頂戴したりするのは不都合なので、自然と御無沙汰が続いてしまいました。実に見苦しい様子で、出家をなさっている方のお側に、どのようにしておいででしたか」

 「あの時偶然あなたをお助けすることになったのも前生の約束事と私は見ていて、祈祷きとうに骨を折りましたが、僧は用事がなくては女性に手紙をあげることができず、御無沙汰ごぶさたしてしまいました。こんな人間離れのした生活をする者の家などにどうして今までおいでになりますか」

613 不意にて 以下「おはしますらむ」まで、僧都の詞。『集成』は「「不意にて」は男性用語」。『完訳』は「思いもよらず。宇治院での邂逅をさす。僧侶らしい表現」と注す。

614 いとあやしきさまに 『集成』は「とても不似合いと思われますのに」。『完訳』は「なんとも見苦しい有様で」と訳す。

615 世を背きたまへる人の御あたり 大島本は「御あたり」とある。『完本』は諸本に従って「御あたりに」と「に」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のまま「御あたり」とする。老母尼君や妹尼君をさす。

 とのたまふ。

  to notamahu.

 とおっしゃる。

 こう僧都は言った。

 「世の中にはべらじと思ひ立ちはべりし身の、いとあやしくて今まではべりつるを、心憂しと思ひはべるものから、よろづにせさせたまひける御心ばへをなむ、いふかひなき心地にも、思ひたまへ知らるるを、なほ、世づかずのみ、つひにえ止まるまじく思ひたまへらるるを、尼になさせたまひてよ。世の中にはべるとも、例の人にてながらふべくもはべらぬ身になむ」

  "Yononaka ni habera zi to omohi tati haberi si mi no, ito ayasiku te ima made haberi turu wo, kokorousi to omohi haberu monokara, yoroduni se sase tamahi keru mi-kokorobahe wo nam, ihukahinaki kokoti ni mo, omohi tamahe sira ruru wo, naho, yoduka zu nomi, tuhini e tomaru maziku omohi tamahe raruru wo, ama ni nasa se tamahi te yo. Yononaka ni haberu tomo, rei no hito nite nagarahu beku mo habera nu mi ni nam."

 「この世に生きていまいと決心いたしました身が、とても不思議にも今日まで生きておりましたが、つらいと思います一方で、あれこれとお世話いただいたご厚志を、何とも申し上げようもないわが身ながら、深く存じられますが、やはり、世間並のようには生きて行けず、とうとうこの世になじめそうになく存じられますので、尼にしてくださいませ。この世に生きていましても、普通の人のように長生きできない身の上です」

 「私はもう生きていまいと思った者ですが、不思議なお救いを受けまして今日きょうまでおりますのが悲しく思われます。一方ではいろいろと御親切にお世話をしてくださいました御恩は私のようなあさはかな者にも深く身にんでかたじけなく思われているのでございますから、このままにしていましてはまだ生き続けることができない気のいたしますのをお助けくだすって尼にしてくださいませ。ぜひそうしていただきとうございます。生きていましてもとうてい普通の身ではおられない気のする私なのでございますから」

616 世の中にはべらじと 以下「はべらぬ身になむ」まで、浮舟の詞。

617 今まではべりつるを 大島本は「侍つるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つるを」とする。

618 よろづにせさせ 大島本は「よろつに(に+物イ)せさせ」とある。すなわち「物」を補入する。『集成』『完本』は諸本と底本の補入に従って「ものせさせ」と校訂する。『新大系』は底本の補入以前のまま「せさせ」とする。

619 なほ世づかずのみつひにえ止まるまじく 『完訳』は「やはり世間並のようにはいかず、所詮はこの世に生きてはいられまい。出家以外にないと訴える」と注す。

 と聞こえたまふ。

  to kikoye tamahu.

 と申し上げなさる。

 と姫君は言う。

 「まだ、いと行く先遠げなる御ほどに、いかでかひたみちにしかば、思し立たむ。かへりて罪あることなり。思ひ立ちて、心を起こしたまふほどは強く思せど、年月経れば、女の御身といふもの、いとたいだいしきものになむ」

  "Mada, ito yukusaki tohoge naru ohom-hodo ni, ikadeka hitamiti ni sika ba, obositata m. Kaheri te tumi aru koto nari. Omohitati te, kokoro wo okosi tamahu hodo ha tuyoku obose do, tosituki hure ba, womna no mi to ihu mono, ito taidaisiki mono ni nam."

 「まだ、たいそう将来の長いお年なのに、どうして一途にそのように、ご決心なさったのですか。かえって罪を作ることになります。思い立って、決心なさった時は強くお思いになっても、年月がたつと、女のお身の上というものは、まことに不都合なものなのです」

 「まだ若いあなたがどうしてそんなことを深く思い込むのだろう。かえって罪になることですよ。決心をした時は強い信念があるようでも、年月がたつうちに女の身をもっては罪にちて行きやすいものなのです」

620 まだいと行く先遠げなる御ほどに 以下「たいだいしきものになむ」まで、僧都の詞。

621 女の御身といふものいとたいだいしきものになむ 『集成』は「将来、不慮の間違いでもあってはと危ぶむ」。『完訳』は「女の身は実に不都合。前に妹尼も若い女の出家には疑問を抱いていた」と注す。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃるので、

 などと僧都は言うのであったが、

 「幼くはべりしほどより、ものをのみ思ふべきありさまにて、親なども、尼になしてや見まし、などなむ思ひのたまひし。まして、すこしもの思ひ知りて後は、例の人ざまならで、後の世をだに、と思ふ心深かりしを、亡くなるべきほどのやうやう近くなりはべるにや、心地のいと弱くのみなりはべるを、なほ、いかで」

  "Wosanaku haberi si hodo yori, mono wo nomi omohu beki arisama nite, oya nado mo, ama ni nasi te ya mi masi, nado nam omohi notamahi si. Masite, sukosi monoomohi siri te noti ha, rei no hitozama nara de, noti no yo wo dani, to omohu kokoro hukakari si wo, nakunaru beki hodo no yauyau tikaku nari haberu ni ya, kokoti no ito yowaku nomi nari haberu wo, naho, ikade."

 「子供の時から、物思いばかりをしているような状態で、母親なども、尼にして育てようか、などと思いおっしゃいました。ましてや、少し物心がつきまして後は、普通の人と違って、せめて来世だけでも、と思う考えが深かったが、死ぬ時がだんだん近くなりましたのでしょうか、気分がとても心細くばかりなりましたが、やはり、どうか出家を」

 「私は子供の時から物思いをせねばならぬ運命に置かれておりまして、母なども尼にして世話がしたいなどと申したことがございます。まして少し大人になりまして人生がわかりかけてきましてからは、普通の人にはならずにこの世でよく仏勤めのできる境遇を選んで、せめて後世ごせにだけでも安楽を得たいという希望が次第に大きくなっておりましたが、仏様からそのお許しを得ます日の近づきますためか、病身になってしまいました。どうぞこのお願いをかなえてくださいませ」

622 幼くはべりしほどより 以下「なほいかで」まで、浮舟の詞。

623 もの思ひ知りて後は 大島本は「もの思しりて後ハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの思ひ知りはべりてのちは」と「はべり」を補訂する。『新大系』は底本のまま「もの思知りてのちは」とする。

624 心深かりしを 大島本は「心ふかゝりしを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「深くはべりしを」と「はべり」を補訂する。『新大系』は底本のまま「深かりしを」とする。

625 なほいかで 下に「尼になさせたまひてよ」の意が省略。出家を懇願。

 とて、うち泣きつつのたまふ。

  tote, uti-naki tutu notamahu.

 と、泣きながらおっしゃる。

 浮舟の姫君はこう泣きながら頼むのであった。

第八段 浮舟、出家す

 「あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身をいとはしく思ひはじめたまひけむ。もののけもさこそ言ふなりしか」と思ひ合はするに、「さるやうこそはあらめ。今までも生きたるべき人かは。悪しきものの見つけそめたるに、いと恐ろしく危ふきことなり」と思して、

  "Ayasiku, kakaru katati arisama wo, nadote mi wo itohasiku omohi hazime tamahi kem? Mononoke mo sa koso ihu nari sika." to omohi ahasuru ni, "Saru yau koso ha ara me. Ima made mo iki taru beki hito kaha. Asiki mono no mituke some taru ni, ito osorosiku ayahuki koto nari." to obosi te,

 「不思議な、このような器量とお姿なのに、どうして身を厭わしく思い始めなさったのだろうか。物の怪もそのように言っていたようだが」と思い合わせると、「何か深い事情があるのだろう。今までも生きているはずもなかった人なのだ。悪霊が目をつけ始めたので、とても恐ろしく危険なことだ」とお思いになって、

 不思議なことである、人に優越した容姿を得ている人が、どうして世の中をいとわしく思うようになったのだろう、しかしいつか現われてきた物怪もののけもこの人は生きるのをいとわしがっていたと語った。理由のないことではあるまい、この人はあのままおけば今まで生きている人ではなかったのである。悪い物怪にみいられ始めた人であるから、今後も危険がないとは思えないと僧都は考えて、

626 あやしく 以下「言ふなりしか」まで、僧都の心中の思い。「なり」伝聞推定の助動詞。

627 さるやうこそはあらめ 大島本は「さるやうこそハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「さるやうこそ」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「さるやうこそは」とする。以下「危ふきことなり」まで、僧都の心中の思い。

628 生きたるべき人かは 反語表現。

 「とまれ、かくまれ、思し立ちてのたまふを、三宝のいとかしこく誉めたまふことなり。法師にて聞こえ返すべきことにあらず。御忌むことは、いとやすく授けたてまつるべきを、急なることにまかんでたれば、今宵、かの宮に参るべくはべり。明日よりや、御修法始まるべくはべらむ。七日果ててまかでむに、仕まつらむ」

  "Tomare, kakumare, obositati te notamahu wo, sampou no ito kasikoku home tamahu koto nari. Hohusi nite kikoye kahesu beki koto ni ara zu. Ohom-imu koto ha, ito yasuku sazuke tatematuru beki wo, kihu naru koto ni makande tare ba, koyohi, kano Miya ni mawiru beku haberi. Asu yori ya, mi-suhohu hazimaru beku habera m. Nanuka hate te makade m ni, tukamatura m."

 「ともあれ、かくもあれ、ご決心しておっしゃるのを、三宝がたいそう尊くお誉めになることだ。法師の身として反対申し上げるべきことでない。御受戒は、実にたやすくお授けいたしましょうが、急ぎの用事で下山したので、今夜は、あちらの宮に参上しなければなりません。明日から、御修法が始まる予定です。その七日間の修法が終わって帰山する時に、お授け申しましょう」

 「ともかくも思い立って望まれることは御仏の善行として最もおほめになることなのです。私自身僧であって反対などのできることではありません。尼の戒を授けるのは簡単なことですが、御所の急な御用で山を出て来て、今夜のうちに宮中へ出なければならないことになっていますからね、そして明日から御修法みしほを始めるとすると七日して退出することになるでしょう。その時にしましょう」

629 とまれかくまれ 以下「仕まつらむ」まで、僧都の詞。

630 三宝 仏宝・法宝・僧宝。

631 ことにあらず 大島本は「ことにあらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことならず」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことにあらず」とする。

632 急なることにまかんでたれば 大島本は「きふなることにまかんてたれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「急なることにてまかでたれば」と校訂する。『新大系』は底本のまま「急なることにまかんでたれば」とする。

633 七日果てて 七日間祈祷する一七日の御修法。

 とのたまへば、「かの尼君おはしなば、かならず言ひ妨げてむ」と、いと口惜しくて、

  to notamahe ba, "Kano AmaGimi ohasi na ba, kanarazu ihi samatage te m." to, ito kutiwosiku te,

 とおっしゃると、「あの尼君がおいでになったら、きっと反対するだろう」と、とても残念なので、

 僧都はこう言った。尼夫人がこの家にいる時であれば必ずとめるに違いないと思うと、遂行が不可能になるのが残念に思われる浮舟の君は、

634 かの尼君おはしなば、かならず言ひ妨げてむ 浮舟の心中の思い。

 「乱り心地の悪しかりしほどに見たるやうにて、いと苦しうはべれば、重くならば、忌むことかひなくやはべらむ。なほ、今日はうれしき折とこそ思ひはべれ」

  "Midarigokoti no asikari si hodo ni mi taru yau nite, ito kurusiu habere ba, omoku nara ba, imu koto kahinaku ya habera m. Naho, kehu ha uresiki wori to koso omohi habere."

 「あの気分が悪かったときと同じようで、ひどく悪うございますので、重くなったら、受戒を授かってもその効がなくなりましょう。やはり、今日は嬉しい機会だと存じられます」

 「ただ病気のためにそういたしましたようになりましては効力が少のうございましょう。私はかなり身体からだの調子が悪いのでございますから、重態になりましたあとでは形式だけのことのようになるのが残念でございますから、無理なお願いではございますが今日こんにちに授戒をさせていただきとうございます」

635 乱り心地の 以下「思ひはべれ」まで、浮舟の詞。

636 思ひはべれ 大島本は「思ひ侍れ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思うたまへつれ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「思ひ侍れ」とする。

 とて、いみじう泣きたまへば、聖心にいといとほしく思ひて、

  tote, imiziu naki tamahe ba, hizirigokoro ni ito itohosiku omohi te,

 と言って、ひどくお泣きになるので、聖心にもたいそう気の毒に思って、

 と言って、姫君は非常に泣いた。単純な僧の心にはこれがたまらず哀れに思われて、

 「夜や更けはべりぬらむ。山より下りはべること、昔はことともおぼえたまはざりしを、年の生ふるままには、堪へがたくはべりければ、うち休みて内裏には参らむ、と思ひはべるを、しか思し急ぐことなれば、今日仕うまつりてむ」

  "Yo ya huke haberi nu ram. Yama yori ori haberu koto, mukasi ha koto to mo oboye tamaha zari si wo, tosi no ohuru mama ni ha, tahe gataku haberi kere ba, uti-yasumi te Uti ni ha mawira m, to omohi haberu wo, sika obosi isogu koto nare ba, kehu tukaumaturi te m."

 「夜が更けてしまいましょう。下山しますことは、昔は何とも存じませんでしたが、年をとるにつれて、つらく思われましたので、ひと休みして内裏へは参上しよう、と思いましたが、そのようにお急ぎになることならば、今日お授けいたしましょう」

 「もう夜はだいぶふけたでしょう。山から下って来ることを、昔は何とも思わなかったものだが、年のいくにしたがって疲れがひどくなるものだから、休息をして御所へまいろうと私は思ったのだが、そんなにも早いことを望まれるのならさっそく戒を授けましょう」

637 夜や更けはべりぬらむ 以下「仕うまつりてむ」まで、僧都の詞。

638 おぼえたまはざりしを 大島本は「おほえ給ハさりしを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思うたまへられざりしを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「おぼえ給はざりしを」とする。

639 しか思し急ぐこと 主語は浮舟。出家を急ぐ意。

 とのたまふに、いとうれしくなりぬ。

  to notamahu ni, ito uresiku nari nu.

 とおっしゃるので、とても嬉しくなった。

 と言うのを聞いて浮舟はうれしくなった。

 鋏取りて、櫛の筥の蓋さし出でたれば、

  Hasami tori te, kusi no hako no huta sasiide tare ba,

 鋏を取って、櫛の箱の蓋を差し出すと、

 はさみくしの箱のふたを僧都の前へ出すと、

640 鋏取りて 以下の動作の主体は浮舟。

 「いづら、大徳たち。ここに」

  "Idura, Daitoko-tati? Koko ni."

 「どこですか、大徳たち。こちらへ」

 「どこにいるかね、坊様たち。こちらへ来てくれ」

641 いづら大徳たちここに 僧都の詞。

 と呼ぶ。初め見つけたてまつりし二人ながら供にありければ、呼び入れて、

  to yobu. Hazime mituke tatematuri si hutari nagara tomo ni ari kere ba, yobi ire te,

 と呼ぶ。最初にお見つけ申した二人がそのままお供していたので、呼び入れて、

 僧都は弟子でしを呼んだ。はじめに宇治でこの人を発見した夜の阿闍梨あじゃりが二人とも来ていたので、それを座敷の中へ来させて、

 「御髪下ろしたてまつれ」

  "Mi-gusi orosi tatemature."

 「お髪を下ろし申せ」

 「髪をお切り申せ」

642 御髪下ろしたてまつれ 僧都の詞。

 と言ふ。げに、いみじかりし人の御ありさまなれば、「うつし人にては、世におはせむもうたてこそあらめ」と、この阿闍梨もことわりに思ふに、几帳の帷子のほころびより、御髪をかき出だしたまひつるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし、鋏をもてやすらひける。

  to ihu. Geni, imizikari si hito no ohom-arisama nare ba, "Utusibito nite ha, yo ni ohase m mo utate koso ara me." to, kono Azari mo kotowari ni omohu ni, kityau no katabira no hokorobi yori, ohom-kami wo kaki-idasi tamahi turu ga, ito atarasiku wokasige naru ni nam, sibasi, hasami wo mote yasurahi keru.

 と言う。なるほど、あの大変であった方のご様子なので、「普通の人としては、この世に生きていらっしゃるのも嫌なことなのであろう」と、この阿闍梨も道理と思うので、几帳の帷子の隙間から、お髪を掻き出しなさったのが、たいそう惜しく美しいので、しばらくの間、鋏を持ったまま躊躇するのであった。

 と言った。道理である、まれな美貌びぼうの人であるから、俗の姿でこの世にいては煩累となることが多いに違いないと阿闍梨らも思った。そうではあっても、几帳きちょう垂帛たれぎぬ縫開ぬいあけから手で外へかき出した髪のあまりのみごとさにしばらく鋏の手を動かすことはできなかった。

643 げにいみじかりし人の 阿闍梨の感慨。発見当時を想起。

644 うつし人にては 以下「こそあらめ」まで、阿闍梨の心中の思い。俗人のままでの生き方。

645 御髪をかき出だしたまひつるが 大島本は「給つるか」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへるが」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つるが」とする。

第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語

第一段 少将の尼、浮舟の出家に気も動転

 かかるほど、少将の尼は、兄の阿闍梨の来たるに会ひて、下にゐたり。左衛門は、この私の知りたる人にあひしらふとて、かかる所にとりては、皆とりどりに、心寄せの人びとめづらしうて出で来たるに、はかなきことしける、見入れなどしけるほどに、こもき一人して、「かかることなむ」と少将の尼に告げたりければ、惑ひて来て見るに、わが御上の衣、袈裟などを、ことさらばかりとて着せたてまつりて、

  Kakaru hodo, Seusyau-no-Ama ha, seuto no Azyari no ki taru ni ahi te, simo ni wi tari. Sawemon ha, kono watakusi no siri taru hito ni ahisirahu tote, kakaru tokoro ni tori te ha, mina toridorini, kokoro yose no hitobito medurasiu te ideki taru ni, hakanaki koto si keru, miire nado si keru hodo ni, Komoki hitori si te, "Kakaru koto nam." to Seusyau-no-Ama ni tuge tari kere ba, madohi te ki te miru ni, wa ga ohom-uhenokinu, kesa nado wo, kotosara bakari tote kise tatematuri te,

 このような間に、少将の尼は、兄の阿闍梨が来ていたのと会って、下の方にいた。左衛門は、自分の知り合いに応対するということで、このような所ではと、みなそれぞれに、好意をもっている人たちが久しぶりにやって来たので、簡単なもてなしをし、あれこれ気を配っていたりしたところに、こもきただ一人が、「これこれです」と少将の尼に知らせたので、驚いて来て見ると、ご自分の法衣や、袈裟などを、形式ばかりとお着せ申して、

 座敷でこのことのあるころ、少将の尼は、それも師の供をして下って来た兄の阿闍梨と話すために自室に行っていた。左衛門さえもんも一行の中に知人があったため、その僧のもてなしに心を配っていた。こうした家ではそれぞれの懇意な相手ができていて、馳走ちそうをふるまったりするものであったから。こんなことでこもきだけが姫君の居間に侍していたのであるが、こちらへ来て、少将の尼に座敷でのことを報告した。少将があわてふためいて行って見ると、僧都は姫君に自身の法衣ほうえ袈裟けさを仮にと言って着せ、

646 下にゐたり 自分の部屋にいた。

647 あひしらふとて 大島本は「あいしらふとて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あへしらふ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「あいしらふ」とする。

648 かかる所にとりては 大島本は「とりてハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「つけては」と校訂する。『新大系』は底本のまま「とりては」とする。以下「しけるほど」まで、挿入句。補足説明的叙述。

649 かかることなむ こもきの詞。浮舟が出家してしまった、という趣旨。

650 わが御上の衣袈裟など 僧都ご自身の法衣や袈裟を。

651 ことさらばかりとて 僧都の法衣で形式的に間に合わせる。

 「親の御方拝みたてまつりたまへ」

  "Oya no ohom-kata wogami tatematuri tamahe."

 「親のいられる方角をお拝み申し上げなされ」

 「お母様のおいでになるほうにと向かって拝みなさい」

652 親の御方拝みたてまつりたまへ 僧都の詞。『完訳』は「出家に先立って、四恩(父母・国王・衆生・三宝)を拝する儀」と注す。

 と言ふに、いづ方とも知らぬほどなむ、え忍びあへたまはで、泣きたまひにける。

  to ihu ni, idukata to mo sira nu hodo nam, e sinobi ahe tamaha de, naki tamahi ni keru.

 と言うと、どの方角とも分からないので、堪えきれなくなって、泣いてしまわれなさった。

 と言っていた。方角の見当もつかないことを思った時に、忍びかねて浮舟は泣き出した。

 「あな、あさましや。など、かく奥なきわざはせさせたまふ。上、帰りおはしては、いかなることをのたまはせむ」

  "Ana, asamasi ya! Nado, kaku aunaki waza ha se sase tamahu. Uhe, kaheri ohasi te ha, ikanaru koto wo notamahase m."

 「まあ、何と情けない。どうして、このような早まったことをあそばしたのですか。尼上が、お帰りあそばしたら、何とおっしゃることでしょう」

 「まあなんとしたことでございますか。思慮の欠けたことをなさいます。奥様がお帰りになりましてどうこれをお言いになりましょう」

653 あなあさましや 以下「のたまはせむ」まで、少将尼の詞。

654 帰りおはしては 大島本は「かへりおハしてハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはしましては」と「まし」を補訂する。『新大系』は底本のまま「おはしては」とする。

 と言へど、かばかりにしそめつるを、言ひ乱るもものしと思ひて、僧都諌めたまへば、寄りてもえ妨げず。

  to ihe do, kabakari ni si some turu wo, ihi midaru mo monosi to omohi te, Soudu isame tamahe ba, yori te mo e samatage zu.

 と言うが、これほど進んでしまったところで、とかく言って迷わせるのもよくないと思って、僧都が制止なさるので、近寄って妨げることもできない。

 少将はこう言って止めようとするのであったが、信仰の境地に進み入ろうと一歩踏み出した人の心を騒がすことはよろしくないと思った僧都が制したために、少将もそばへ寄って妨げることはできなかった。

655 かばかりにしそめつるを 『集成』は「これほどまでに出家の儀式に手をつけたのを、はたからとやかく言うのもおもしろくないと思って。僧都の気持」と注す。

656 ものしと思ひて 主語は僧都。

657 僧都諌めたまへば寄りてもえ妨げず 僧都が少将尼を諌めたので尼は出家の儀式の進行を制止することができない。

 「流転三界中」

  "Ruten samgai tiu."

 「流転三界中」

 「流転三界中るてんさんがいちゅう恩愛不能断おんあいふのうだん

658 流転三界中 僧都の詞。『集成』は「前(四恩を拝する儀)の礼拝に続いて、師僧がまず唱え、出家者に唱えさせる偈」と注す。逸経「清信士度人経」の偈。「諸経要集」「法苑殊林」に引かれる。

 など言ふにも、「断ち果ててしものを」と思ひ出づるも、さすがなりけり。御髪も削ぎわづらひて、

  nado ihu ni mo, "Tati hate te si mono wo." to omohiiduru mo, sasuga nari keri. Migusi mo sogi wadurahi te,

 などと言うのにも、「既に断ち切ったものを」と思い出すのも、さすがに悲しいのであった。お髪も削ぎかねて、

 と教える言葉には、もうすでにすでに自分はそれから解脱げだつしていたではないかとさすがに浮舟をして思わせた。多い髪はよく切りかねて阿闍梨が、

659 断ち果ててしものを 浮舟の心中の思い。既に入水まで決意したことをさす。

 「のどやかに、尼君たちして、直させたまへ」

  "Nodoyakani, AmaGimi-tati site, nahosa se tamahe."

 「ゆっくりと、尼君たちに、直していただきなさい」

 「またあとでゆるりと尼君たちに直させてください」

660 のどやかに尼君たちして直させたまへ 阿闍梨の詞。

 と言ふ。額は僧都ぞ削ぎたまふ。

  to ihu. Hitahi ha Soudu zo sogi tamahu.

 と言う。額髪は僧都がお削ぎになる。

 と言っていた。額髪の所は僧都そうずが切った。

 「かかる御容貌やつしたまひて、悔いたまふな」

  "Kakaru ohom-katati yatusi tamahi te, kuyi tamahu na."

 「このようなご器量を剃髪なさって、後悔なさるなよ」

 「この花の姿を捨てても後悔してはなりませんぞ」

661 かかる御容貌やつしたまひて悔いたまふな 僧都の詞。

 など、尊きことども説き聞かせたまふ。「とみにせさすべくもあらず、皆言ひ知らせたまへることを、うれしくもしつるかな」と、これのみぞ仏は生けるしるしありてとおぼえたまひける。

  nado, tahutoki koto-domo toki kikase tamahu. "Tomini se sasu beku mo ara zu, mina ihi sirase tamahe ru koto wo, uresiku mo si turu kana!" to, kore nomi zo Hotoke ha ike ru sirusi ari te to oboye tamahi keru.

 などと、有り難いお言葉を説いて聞かせなさる。「すぐにも許していただけそうもなく、皆が言い利かせていらしたことを、嬉しいことに果たしたこと」と、このことだけを生きている甲斐があったように思われなさるのであった。

 などと言い、尊い御仏の御弟子の道を説き聞かせた。出家のことはそう簡単に行くものでないと尼君たちから言われていたことを、自分はこうもすみやかに済ませてもらった。生きた仏はかくのごとく効験をのあたりに見せるものであると浮舟は思った。

662 尊きことども説き聞かせたまふ 三帰の功徳を説き十善戒を授ける。

663 とみにせさすべくもあらず 大島本は「へくもあらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「べくもなく」と校訂する。『新大系』は底本のまま「べくもあらず」とする。以下「しつるかな」まで、浮舟の心中の思い。『完訳』は「以下、浮舟の心に即す」と注す。

664 仏は生けるしるしありてと 大島本は「仏ハいけるしるしありてと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「生けるしるしありて」と「仏は」と「と」を削除する。『新大系』は底本のまま「仏は生けるしるしありてと」とする。

第二段 浮舟、手習に心を託す

 皆人びと出で静まりぬ。夜の風の音に、この人びとは、

  Mina hitobito ide sidumari nu. Yoru no kaze no oto ni, kono hitobito ha,

 僧都一行の人びとが出て行って静かになった。夜の風の音に、この人びとは、

 僧都の一行の出て行ったあとはまたもとの静かな家になった。夜の風の鳴るのを聞きながら尼女房たちは、

665 皆人びと 僧都の一行。

666 この人びとは 少将尼たち女房ら。

 「心細き御住まひも、しばしのことぞ。今いとめでたくなりたまひなむ、と頼みきこえつる御身を、かくしなさせたまひて、残り多かる御世の末を、いかにせさせたまはむとするぞ。老い衰へたる人だに、今は限りと思ひ果てられて、いと悲しきわざにはべる」

  "Kokorobosoki ohom-sumahi mo, sibasi no koto zo. Ima ito medetaku nari tamahi nam, to tanomi kikoye turu ohom-mi wo, kaku sinasa se tamahi te, nokori ohokaru mi-yo no suwe wo, ikani se sase tamaha m to suru zo? Oyi otorohe taru hito dani, ima ha kagiri to omohi hate rare te, ito kanasiki waza ni haberu."

 「心細いご生活も、もうしばらくの間のことだ。すぐにとても素晴らしい良縁がおありになろう、と期待申していたお身の上を、このようになさって、生い先長いご将来を、どのようになさろうとするのだろうか。老いて弱った人でさえ、今は最期と思われて、とても悲しい気がするものでございます」

 「この心細い家にお住みになるのもしばらくの御辛抱しんぼうで、近い将来に幸福な御生活へおはいりになるものと、あなた様のその日をお待ちしていましたのに、こんなことを決行しておしまいになりまして、これからをどうあそばすつもりでございましょう。老い衰えた者でも出家をしてしまいますと、人生へのつながりがこれで断然切れたことが認識されまして悲しいものでございますよ」

667 心細き御住まひも 以下「悲しきわざにはべる」まで、女房の詞。

668 今いとめでたくなりたまひなむ 『集成』は「やがてすばらしい良縁にお恵まれになりましょう」と注す。

 と言ひ知らすれど、「なほ、ただ今は、心やすくうれし。世に経べきものとは、思ひかけずなりぬるこそは、いとめでたきことなれ」と、胸のあきたる心地ぞしたまひける。

  to ihi sirasure do, "Naho, tada ima ha, kokoroyasuku uresi. Yo ni hu beki mono to ha, omohikake zu nari nuru koso ha, ito medetaki koto nare." to, mune no aki taru kokoti zo si tamahi keru.

 と言って聞かせるが、「やはり、ただ今は、気が楽になって嬉しい。この世に生きて行かねばならないと、考えずにすむようになったことは、とても結構なことだ」と、胸がほっとした気がなさるのであった。

 なおも惜しんで言うのであったが、「私の心はこれで安静が得られてうれしいのですよ。人生と隔たってしまったのはいいことだと思います」こう浮舟は答えていて、はじめて胸の開けた気もした。

669 なほただ今は心やすくうれし 『集成』は「浮舟の心を直叙したもの」と注す。

670 世に経べきものとは 以下「いとめでたきことなれ」まで、浮舟の心中の思い。「世」は俗世の意。

671 心地ぞ 大島本は「心ちそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心地」と「ぞ」を削除する。『新大系』は底本のまま「心ちぞ」とする。

 翌朝は、さすがに人の許さぬことなれば、変はりたらむさま見えむもいと恥づかしく、髪の裾の、にはかにおぼとれたるやうに、しどけなくさへ削がれたるを、「むつかしきことども言はで、つくろはむ人もがな」と、何事につけても、つつましくて、暗うしなしておはす。思ふことを人に言ひ続けむ言の葉は、もとよりだにはかばかしからぬ身を、まいてなつかしうことわるべき人さへなければ、ただ硯に向かひて、思ひあまる折には、手習をのみ、たけきこととは、書きつけたまふ。

  Tutomete ha, sasugani hito no yurusa nu koto nare ba, kahari tara m sama miye m mo ito hadukasiku, kami no suso no, nihakani obotore taru yau ni, sidokenaku sahe soga re taru wo, "Mutukasiki koto-domo iha de, tukuroha m hito mo gana!" to, nanigoto ni tuke te mo, tutumasiku te, kurau sinasi te ohasu. Omohu koto wo hito ni ihi tuduke m kotonoha ha, motoyori dani hakabakasikara nu mi wo, maite natukasiu kotowaru beki hito sahe nakere ba, tada suzuri ni mukahi te, omohi amaru wori ni ha, tenarahi wo nomi, takeki koto to ha, kakituke tamahu.

 翌朝は、何といっても人の認めない出家なので、尼姿を見せるのもとても恥ずかしく、髪の裾が、急にばらばらになったように、しかもだらしなく削がれているのを、「うるさいことを言わないで、繕ってくれる人がいたら」と、何事につけても、気がねされて、あたりをわざと暗くしていらっしゃる。思っていることを人に詳しく説明するようなことは、もともと上手でない身なのに、まして親しく事の経緯を説明するにふさわしい人さえいないので、ただ硯に向かって、思い余る時は、手習いだけを、精一杯の仕事として、お書きになる。

 翌朝になるとさすがにだれにも同意を求めずにしたことであったから、その人たちに変わった姿を見せるのは恥ずかしくてならぬように思う姫君であった。髪のすそがにわかに上の方へ上がって、もつれもできてひろがった不ぞろいになった端を、めんどうな説法などはせずに直してくれる人はないであろうかと思うのであるが、何につけても気おくれがされて、居間の中を暗くしてすわっていた。自分の感想を人へ書くようなことも、もとからよくできない人であったし、ましてだれを対象として叙述して行くという人もないのであるから、ただすずりに向かって思いのわく時には手習いに書くだけを能事として、よく歌などを書いていた。

672 むつかしきことども言はでつくろはむ人もがな 浮舟の心中の思い。

673 暗うしなして あたりをわざと暗くして。

674 人に言ひ続けむ 他人に詳しく話す。

675 なつかしうことわるべき人さへなければ 『集成』は「親しくことを分けて話せる相手もいないことなので」。『完訳』は「親しく事の経緯を申し開きできる相手もいないので」と訳す。

676 折には 大島本は「おりにハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「をりは」と「に」を削除する。『新大系』は底本のまま「おりには」とする。

677 たけきこととは 大島本は「ことゝハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことにて」と校訂する。『新大系』は底本のまま「こととは」とする。

 「なきものに身をも人をも思ひつつ
  捨ててし世をぞさらに捨てつる

    "Naki mono ni mi wo mo hito wo mo omohi tutu
    sute te si yo wo zo sarani sute turu

 「死のうとわが身をも人をも思いながら
  捨てた世をさらにまた捨てたのだ

  なきものに身をも人をも思ひつつ
  捨ててし世をぞさらに捨てつる

678 なきものに身をも人をも思ひつつ--捨ててし世をぞさらに捨てつる 浮舟の独詠歌。「捨ててし」は入水の折。人間関係のいっさいを断つ決意。

 今は、かくて限りつるぞかし」

  Ima ha, kaku te kagiri turu zo kasi."

 今は、こうしてすべてを終わりにしたのだ」

 もうこれで終わったのである。

679 今はかくて限りつるぞかし 歌に続けた文。

 と書きても、なほ、みづからいとあはれと見たまふ。

  to kaki te mo, naho, midukara ito ahare to mi tamahu.

 と書いても、やはり、自然としみじみと御覧になる。

 こんな文字を書いてみずから身にしむように見ていた。

680 なほ、みづからいとあはれと見たまふ 『完訳』は「恩愛を断ち切ったとしながらも、なおも断ちきれぬ感情が去来する」と注す。

 「限りぞと思ひなりにし世の中を
  返す返すも背きぬるかな」

    "Kagiri zo to omohi nari ni si yononaka wo
    kahesugahesu mo somuki nuru kana

 「最期と思い決めた世の中を
  繰り返し背くことになったわ」

  限りぞと思ひなりにし世の中を
  かへすがへすもそむきぬるかな

681 限りぞと思ひなりにし世の中を--返す返すも背きぬるかな 浮舟の独詠歌。

第三段 中将からの和歌に返歌す

 同じ筋のことを、とかく書きすさびゐたまへるに、中将の御文あり。もの騒がしう呆れたる心地しあへるほどにて、「かかること」など言ひてけり。いとあへなしと思ひて、

  Onazi sudi no koto wo, tokaku kaki susabi wi tamahe ru ni, Tiuzyau no ohom-humi ari. Mono-sawagasiu akire taru kokoti si ahe ru hodo nite, "Kakaru koto" nado ihi te keri. Ito ahenasi to omohi te,

 同じような内容を、あれこれ気の向くまま書いていらっしゃるところに、中将からのお手紙がある。何かと騒がしくあきれて動転しているときなので、「これこれしかじかの事でした」などと返事したのだった。たいそうがっかりして、

 こうした考えばかりが歌にも短文にもなって、筆を動かしている時に中将から手紙が来た。一家は昨夜ゆうべのことがあって騒然としていて、来た使いにもそのことを言って帰した。中将は落胆した。

682 もの騒がしう呆れたる心地しあへるほどにて 女房たちは浮舟の出家で気が動転しているところ。

683 かかること 浮舟が出家したこと。

684 いとあへなしと思ひて 主語は中将。使者から浮舟の出家を聞いて。

 「かかる心の深くありける人なりければ、はかなきいらへをもしそめじと、思ひ離るるなりけり。さてもあへなきわざかな。いとをかしく見えし髪のほどを、たしかに見せよと、一夜も語らひしかば、さるべからむ折に、と言ひしものを」

  "Kakaru kokoro no hukaku ari keru hito nari kere ba, hakanaki irahe wo mo si some zi to, omohi hanaruru nari keri. Satemo ahenaki waza kana! Ito wokasiku miye si kami no hodo wo, tasikani mise yo to, hitoyo mo katarahi sika ba, saru bekara m wori ni, to ihi si mono wo."

 「このような考えが深くあった人だったので、ちょっとした返事も出すまいと、思い離れていたのだなあ。それにしてもがっかりしたなあ。たいそう美しく見えた髪を、はっきりと見せてくださいと、先夜も頼んだところ、適当な機会に、と言っていたものを」

 宗教に傾いた心から自分の恋の言葉に少しの答えを与えることもし始めては煩いになると避けていたものらしい、それにしても惜しいことである。美しいように少し見た髪を、確かに見せてくれぬかと女房に先夜も頼むと、よい時にと約束をしてくれたのであったが

685 かかる心の 以下「言ひしものを」まで、中将の心中の思い。

686 さるべからむ折に 『完訳』は「少将の尼も、折を見て浮舟に手引することを約束していたか」と注す。

 と、いと口惜しうて、立ち返り、

  to, ito kutiwosiu te, tatikaheri,

 と、たいそう残念で、すぐ折り返して、

 と残念で、二度目の使いを出した。

 「聞こえむ方なきは、

  "Kikoye m kata naki ha,

 「何とも申し上げようのない気持ちは、

 御挨拶あいさつのいたしようもないことを承りました。

687 聞こえむ方なきは 中将から浮舟への手紙。

  岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に
  乗り遅れじと急がるるかな」

    Kisi tohoku kogi hanaruram amabune ni
    nori okure zi to isoga ruru kana

  岸から遠くに漕ぎ離れて行く海人舟に
  わたしも乗り後れまいと急がれる気がします」

  岸遠くぎ離るらんあま船に
  乗りおくれじと急がるるかな

688 岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に--乗り遅れじと急がるるかな 中将から浮舟への贈歌。「岸遠く」は此岸から彼岸へ、の意。「海人」「尼」の懸詞、「乗り」に「法」、「急ぐ」に「磯」を響かす。「岸」「漕ぐ」「海人舟」「乗り」縁語。

 例ならず取りて見たまふ。もののあはれなる折に、今はと思ふもあはれなるものから、いかが思さるらむ、いとはかなきものの端に、

  Rei nara zu tori te mi tamahu. Mono no ahare naru wori ni, ima ha to omohu mo ahare naru monokara, ikaga obosa ru ram, ito hakanaki mono no hasi ni,

 いつもと違って取って御覧になる。何となくしみじみとした時に、これで終わりと思うのも感慨深いが、どのようにお思いなさったのだろう、とても粗末な紙の端に、

 平生に変わって姫君はこの手紙を手に取って読んだ。もの哀れなふうに心のなっていた時であったから、書く気になったものか、ほんの紙の端に、

689 例ならず取りて見たまふ 主語は浮舟。

690 いかが思さるらむ 挿入句。語り手の推測。『完訳』は「これまで返歌を拒んできた浮舟が返歌を詠む理由を語り手も知らぬとする。実は、出家後の心の余裕がそうさせたのであろう」と注す。

 「心こそ憂き世の岸を離るれど
  行方も知らぬ海人の浮木を」

    "Kokoro koso uki yo no kisi wo hanarure do
    yukuhe mo sira nu ama no ukigi wo

 「心は厭わしい世の中を離れたが
  その行く方もわからず漂っている海人の浮木です」

  こころこそ浮き世の岸を離るれど
  行くへも知らぬあまの浮き木ぞ

691 心こそ憂き世の岸を離るれど--行方も知らぬ海人の浮木を 浮舟の返歌。「岸」「離る」「海人」の語句を用いて返す。「海人」「尼」の懸詞。

 と、例の、手習にしたまへるを、包みてたてまつる。

  to, rei no, tenarahi ni si tamahe ru wo, tutumi te tatematuru.

 と、いつもの、手習いなさっていたのを、包んで差し上げる。

 と例の手習い書きにした。これを少将の尼は包んで中将へ送ることにした。

 「書き写してだにこそ」

  "Kaki utusi te dani koso."

 「せめて書き写して」

 「せめて清書でもしてあげてほしい」

692 書き写してだにこそ 浮舟の詞。

 とのたまへど、

  to notamahe do,

 とおっしゃるが、


 「なかなか書きそこなひはべりなむ」

  "Nakanaka kaki sokonahi haberi na m."

 「かえって書き損じましょう」

 「どういたしまして、かえって書きそこねたり悪くしてしまうだけでございます」

693 なかなか書きそこなひはべりなむ 少将尼の詞。

 とてやりつ。めづらしきにも、言ふ方なく悲しうなむおぼえける。

  tote yari tu. Medurasiki ni mo, ihukatanaku kanasiu nam oboye keru.

 と言って送った。珍しいにつけても、何とも言いようなく悲しく思われるのだった。

 こんなことで中将の手もとへ来たのであった。恋しい人の珍しい返事が、うれしいとともに、今は取り返しのならぬ身にあの人はなったのであると悲しく思われた。

 物詣での人帰りたまひて、思ひ騒ぎたまふこと、限りなし。

  Monomaude no hito kaheri tamahi te, omohi sawagi tamahu koto, kagirinasi.

 物詣での人はお帰りになって、悲しみ驚きなさること、この上ない。

 初瀬詣はせまいりから帰って来た尼君の悲しみは限りもないものであった。

694 物詣での人 妹尼。

 「かかる身にては、勧めきこえむこそは、と思ひなしはべれど、残り多かる御身を、いかで経たまはむとすらむ。おのれは、世にはべらむこと、今日、明日とも知りがたきに、いかでうしろやすく見たてまつらむと、よろづに思ひたまへてこそ、仏にも祈りきこえつれ」

  "Kakaru mi nite ha, susume kikoye m koso ha, to omohinasi habere do, nokori ohokaru ohom-mi wo, ikade he tamaha m to su ram? Onore ha, yo ni habera m koto, kehu, asu to mo siri gataki ni, ikade usiro yasuku mi tatematura m to, yoroduni omohi tamahe te koso, Hotoke ni mo inori kikoye ture."

 「このような尼の身としては、お勧め申すのこそが本来だ、と思っていますが、将来の長いお身の上を、どのようにお過ごしなさるのでしょうか。わたしが、この世に生きておりますことは、今日、明日とも分からないのに、何とか安心してお残し申してゆこうと、いろいろと考えまして、仏様にもお祈り申し上げておりましたのに」

 「私が尼になっているのですから、お勧めもすべきことだったとしいて思おうとしますが、若いあなたがこれからどうおなりになることでしょう。私はもう長くは生きていられない年で、死期しごが今日にも明日にも来るかもしれないのですから、あなたのことだけは安心して死ねますようにと思いましてね、いろいろな空想も作って、仏様にもお祈りをしたことだったのですよ」

695 かかる身にては 以下「祈りきこえつれ」まで、妹尼の詞。「かかる身」は妹尼君、尼の身としては、の意。

696 見たてまつらむと 大島本は「見たてまつらむと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見おきたてまつらむと」と「おき」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見たてまつらむと」とする。

 と、伏しまろびつつ、いといみじげに思ひたまへるに、まことの親の、やがて骸もなきものと、思ひ惑ひたまひけむほど推し量るるぞ、まづいと悲しかりける。例の、いらへもせで背きゐたまへるさま、いと若くうつくしげなれば、「いとものはかなくぞおはしける御心なれ」と、泣く泣く御衣のことなど急ぎたまふ。

  to, husi marobi tutu, ito imizige ni omohi tamahe ru ni, makoto no oya no, yagate kara mo naki mono to, omohi madohi tamahi kem hodo osihakara ruru zo, madu ito kanasikari keru. Rei no, irahe mo se de somuki wi tamahe ru sama, ito wakaku utukusige nare ba, "Ito mono-hakanaku zo ohasi keru mi-kokoro nare." to, nakunaku ohom-zo no koto nado isogi tamahu.

 と、泣き臥し倒れながら、ひどく悲しげに思っていらっしゃるので、実の母親が、あのまま亡骸さえないものよと、お嘆き悲しみなさったろうことが推量されるのが、まっさきにとても悲しかった。いつものように、返事もしないで背を向けていらっしゃる様子、とても若々しくかわいらしいので、「とても頼りなくいらっしゃるお心だこと」と、泣きながら御法衣のことなど準備なさる。

 と泣きまろんで悲しみに堪えぬふうの尼君を見ても、実母が遺骸いがいすらもとめないで死んだものと自分を認めた時の悲しみは、これ以上にまたどんなものであったであろうと想像され浮舟うきふねは悲しかった。いつものように何とも言わずに暗い横のほうへ顔を向けている姫君の若々しく美しいのに尼君の悲しみはややゆるめられて、たよりない同情心に欠けた恨めしい人であると思いながらも泣く泣く尼君は法衣の仕度したくに取りかかった。

697 まことの親の 以下、浮舟の心中に即した叙述。

698 推し量るるぞ 大島本は「おしはからるゝそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「推しはかるぞ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「推しはからるるぞ」とする。

699 いとものはかなくぞおはしける御心なれ 妹尼君の詞。『完訳』は「無謀の出家と惜しむ気持」と注す。

700 御衣のことなど 浮舟の尼衣。

 鈍色は手馴れにしことなれば、小袿、袈裟などしたり。ある人びとも、かかる色を縫ひ着せたてまつるにつけても、「いとおぼえず、うれしき山里の光と、明け暮れ見たてまつりつるものを、口惜しきわざかな」

  Nibiiro ha tenare ni si koto nare ba, koutiki, kesa nado si tari. Aru hitobito mo, kakaru iro wo nuhi kise tatematuru ni tuke te mo, "Ito oboye zu, uresiki yamazato no hikari to, akekure mi tatematuri turu mono wo, kutiwosiki waza kana!"

 鈍色の法衣は手馴れたことなので、小袿や、袈裟などを仕立てた。仕えている女房たちも、このような色を縫ってお着せ申し上げるにつけても、「まことに思いがけず、嬉しい山里の光明だと、明け暮れ拝しておりましたものを、残念なことだわ」

 にび色の物の用意に不足もなかったから、小袿こうちぎ袈裟けさなどがまもなくでき上がった。女房たちもそうした色のものを縫い、それを着せる時には、思いがけぬ山里の光明とながめてきた人を悲しい尼の服で包むことになった

701 いとおぼえず 以下「わざかな」まで、女房たちの詞。

 と、あたらしがりつつ、僧都を恨み誹りけり。

  to, atarasigari tutu, Soudu wo urami sosiri keri.

 と惜しがりながら、僧都を恨み非難するのであった。

 と惜しがり、僧都そうずを恨みもし、そしりもした。

第四段 僧都、女一宮に伺候

 一品の宮の御悩み、げに、かの弟子の言ひしもしるく、いちじるきことどもありて、おこたらせたまひにければ、いよいよいと尊きものに言ひののしる。名残も恐ろしとて、御修法延べさせたまへば、とみにもえ帰り入らでさぶらひたまふに、雨など降りてしめやかなる夜、召して、夜居にさぶらはせたまふ。

  Ippon-no-Miya no ohom-nayami, geni, kano desi no ihi si mo siruku, itiziruki koto-domo ari te, okotara se tamahi ni kere ba, iyoiyo ito tahutoki mono ni ihi nonosiru. Nagori mo osorosi tote, mi-suhohu nobe sase tamahe ba, tomi ni mo e kaheri ira de saburahi tamahu ni, ame nado huri te simeyaka naru yo, mesi te, yowi ni saburaha se tamahu.

 一品の宮のご病気は、なるほど、あの弟子が言っていたとおりに、はっきりした効験があって、ご平癒あそばしたので、ますますまことに尊い方だと大騒ぎする。病後も油断ならないとして、御修法を延長させなさったので、すぐにも帰山することができず伺候なさっていたが、雨などが降って、ひっそりとした夜、お召しがあって、夜居に伺候させなさる。

 一品いっぽんみやの御病気は、あの弟子僧の自慢どおりに僧都の修法によって、目に見えるほどの奇瑞きずいがあって御恢復かいふくになったため、いよいよこの僧都に尊敬が集まった。病後がまだ不安であるという中宮ちゅうぐう思召おぼしめしがあって、修法をお延ばさせになったので、予定どおりに退出することができずに僧都はまだ御所に侍していた。雨などの降ってしめやかな夜に僧都は夜居の役を承った。

702 一品の宮の御悩み 明石中宮腹の女一宮の病気。

703 いと尊きものに 僧都を。

704 御修法延べさせたまへば 『集成』は「主として母の明石の中宮のお指図であろう」と注す。

705 召して夜居にさぶらはせたまふ 主語は明石中宮。「させ」使役の助動詞。僧都を。

 日ごろいたうさぶらひ極じたる人は、皆休みなどして、御前に人少なにて、近く起きたる人少なき折に、同じ御帳におはしまして、

  Higoro itau saburahi gouzi taru hito ha, mina yasumi nado si te, omahe ni hito zukuna nite, tikaku oki taru hito sukunaki wori ni, onazi mi-tyau ni ohasimasi te,

 何日もの看病に疲れた女房は、みな休みをとって、御前には人少なで、近くに起きている女房も少ないときに、一品の宮と同じ御帳台においであそばして、

 御病中の奉仕に疲れの出た人などは皆部屋へやへ下がって休息などしていて、お居間の中に侍した女房の数の少ないおり、中宮は姫宮と同じ帳台においでになって、僧都へ、

706 さぶらひ極じたる人 看病に伺候して疲れた女房たち。

707 同じ御帳におはしまして 中宮が病気の女一宮の御帳台に一緒にいる意。

 「昔より頼ませたまふなかにも、このたびなむ、いよいよ、後の世もかくこそはと、頼もしきことまさりぬる」

  "Mukasi yori tanomase tamahu naka ni mo, kono tabi nam, iyoiyo, notinoyo mo kaku koso ha to, tanomosiki koto masari nuru."

 「昔からご信頼申し上げていらっしゃる中でも、今度のことでは、ますます来世もこのように救ってくれるものと、頼もしさが一段と増しました」

 「昔からずっとあなたに信頼を続けていましたが、その中でも今度見せてくださいましたお祈りの力によって、あなたさえいてくだされば後世ごせの道も明るいに違いないと頼もしさがふえました」

708 昔より 以下「まさりぬる」まで、中宮の詞。僧都への感謝の言葉。

709 後の世もかくこそはと 来世もこのように救っていただき極楽往生も疑いない。

 などのたまはす。

  nado notamaha su.

 などと仰せになる。

 こんなお言葉を賜わった。

 「世の中に久しうはべるまじきさまに、仏なども教へたまへることどもはべるうちに、今年、来年、過ぐしがたきやうになむはべれば、仏を紛れなく念じつとめはべらむとて、深く籠もりはべるを、かかる仰せ言にて、まかり出ではべりにし」

  "Yononaka ni hisasiu haberu maziki sama ni, Hotoke nado mo wosihe tamahe ru koto-domo haberu uti ni, kotosi, rainen, sugusi gataki yau ni nam habere ba, Hotoke wo magire naku nenzi tutome habera m tote, hukaku komori haberu wo, kakaru ohosegoto nite, makariide haberi ni si."

 「この世に長く生きていられそうにないように、仏もお諭しになっていることどもがございます中で、今年、来年は、過ごしがたいようでございますので、仏を一心にお祈り申しっましょうと思って、深く籠もっておりましたが、このような仰せ言で、下山して参りました」

 「もう私の生命いのちも久しく続くものでございませんことを仏様から教えられておりますうちにも、今年と来年が危険であるということが示されておりましたから、専念に御仏を念じようと存じまして、山へ引きこもっておりましたのでございますが、あなた様からのおそれおおい仰せ言で出てまいりました」

710 世の中に 以下「出ではべりにし」まで、僧都の詞。『完訳』は「仏のお告げで命終の時期を予知する話は、高僧伝などに多い。朝廷の召しにも容易に出仕しなかった言い訳でもある」と注す。

711 過ぐしがたきやうになむはべれば 大島本は「侍れハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべりければ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍れば」とする。

 など啓したまふ。

  nado keisi tamahu.

 などと申し上げなさる。

 などと僧都は申し上げていた。

第五段 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る

 御もののけの執念きことを、さまざまに名のるが恐ろしきことなどのたまふついでに、

  Ohom-mononoke no sihuneki koto wo, samazama ni nanoru ga osorosiki koto nado notamahu tuide ni,

 御物の怪の執念深いことや、いろいろと正体を明かすのが恐ろしいことなどをおっしゃるついでに、

 おきした物怪もののけが執念深いものであったこと、いろいろとちがった人の名を言って出たりするのが恐ろしいということ、などを申していた話のついでに、

712 執念きことを 大島本は「しふねきことを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「執念きこと」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「執念きことを」とする。

713 恐ろしきことなどのたまふついでに 主語は明石中宮。『集成』は「今度の経験から、自然に浮舟のことに話が及ぶ体」。『完訳』は「物の怪について話す中宮の言葉に、僧都は浮舟に憑いた物の怪を想起。浮舟紹介の契機」と注す。

 「いとあやしう、希有のことをなむ見たまへし。この三月に、年老いてはべる母の、願ありて初瀬に詣でてはべりし、帰さの中宿りに、宇治の院と言ひはべる所にまかり宿りしを、かくのごと、人住まで年経ぬる大きなる所は、よからぬものかならず通ひ住みて、重き病者のため悪しきことども、と思ひたまへしも、しるく」

  "Ito ayasiu, keu no koto wo nam mi tamahe si. Kono Samgwati ni, tosi oyi te haberu Haha no, gwan ari te Hatuse ni maude te haberi si, kahesa no nakayadori ni, Udi-no-win to ihi haberu tokoro ni makari yadori si wo, kaku no goto, hito suma de tosi he nuru ohoki naru tokoro ha, yokara nu mono kanarazu kayohi sumi te, omoki byauzya no tame asiki koto-domo, to omohi tamahe si mo, siruku."

 「まことに不思議な、珍しいことを拝見しました。この三月に、年老いております母が、願があって初瀬に参詣しましたが、その帰りの休憩所に、宇治院といいます所に泊まりましたが、あのように、人が住まなくなって何年もたった大きな邸は、けしからぬものが必ず通い住んで、重病の者にとっては不都合なことが、と存じておりましたのも、そのとおりで」

 「怪しい経験を私はいたしました。今年の三月に年をとりました母が願のことで初瀬へまいったのでございましたが、帰りみちに宇治の院と申す所で一行は宿泊いたしたのでございます。そういたしましたような人の住まぬ大きい建物には必ず悪霊などが来たりしておりまして、病気になっておりました母のためにも悪い結果をもたらすまいかと心配をいたしておりますと、はたしてこんなことがあったのでございます」

714 いとあやしう 以下「思ひたまへしもしるく」まで、僧都の詞。

715 希有 「希有」漢語。男性用語。

716 かくのごと 漢文訓読語。男性用語。

717 病者 「病者」漢語。男性用語。

718 悪しきことどもと 大島本は「あしき事ともと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あしきことどもやと」と「や」を補訂する。『新大系』は底本のまま「あしき事どもと」とする。

 とて、かの見つけたりしことどもを語りきこえたまふ。

  tote, kano mituke tari si koto-domo wo katari kikoye tamahu.

 と言って、あの見つけた女のことなどをお話し申し上げなさる。

 と、あの宇治で浮舟の姫君を発見した当時のことを申し上げた。

719 かの見つけたりしことどもを 浮舟発見のこと。

 「げに、いとめづらかなることかな」

  "Geni, ito meduraka naru koto kana!"

 「なるほど、まことに珍しいこと」

 「ほんとうに不思議なことがあるものね」

720 げにいとめづらかなることかな 中宮の詞。

 とて、近くさぶらふ人びと皆寝入りたるを、恐ろしく思されて、おどろかさせたまふ。大将の語らひたまふ宰相の君しも、このことを聞きけり。おどろかさせたまふ人びとは、何とも聞かず。僧都、懼ぢさせたまへる御けしきを、「心もなきこと啓してけり」と思ひて、詳しくもそのほどのことをば言ひさしつ。

  tote, tikaku saburahu hitobito mina neiri taru wo, osorosiku obosa re te, odoroka sase tamahu. Daisyau no katarahi tamahu Saisyau-no-Kimi simo, kono koto wo kiki keri. Odoroka sase tamahu hitobito ha, nani to mo kika zu. Soudu, odi sase tamahe ru mi-kesiki wo, "Kokoro mo naki koto keisi te keri." to omohi te, kuhasiku mo sono hodo no koto wo ba ihisasi tu.

 と言って、近くに伺候する女房たちがみな眠っているので、恐ろしくお思いになって、お起こしあそばす。大将が親しくなさっている宰相の君がおりしも、このことを聞いたのであった。目を覚まさせた女房たちは、何の関心も示さない。僧都は、恐がっておいであそばすご様子なので、「つまらないことを申し上げてしまった」と思って、詳しくその時のことを申し上げることは言い止めた。

 と仰せになって、気味悪く思召す中宮は近くに眠っていた女房たちをお起こさせになった。大将と友人になっている宰相の君は初めからこの話を聞いていた。起こされた人たちには少しく話の筋がわからなかった。僧都は中宮が恐ろしく思召すふうであるのを知って、不謹慎なことを申し上げてしまったと思い、その夜のことだけは細説するのをやめた

721 宰相の君しもこのことを聞きけり 小宰相の君。「蜻蛉」巻に初出。女一宮づきの女房。『完訳』は「「しも」と強調される点に注意。薫にこの情報の伝わる可能性が拓けた」と注す。

722 おどろかさせたまふ人びと 大島本は「おとろかさせ給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おどろかさせたまひける」と「ける」を補訂する。『新大系』は底本のまま「おどろかさせ給」とする。主語は中宮。後から起こした女房たち。

723 懼ぢさせたまへる 明石中宮が。

724 心もなきこと啓してけり 僧都の心中の思い。

 「その女人、このたびまかり出ではべりつるたよりに、小野にはべりつる尼どもあひ訪ひはべらむとて、まかり寄りたりしに、泣く泣く、出家の志し深きよし、ねむごろに語らひはべりしかば、頭下ろしはべりにき。

  "Sono nyonin, konotabi makari ide haberi turu tayori ni, Wono ni haberi turu Ama-domo ahi tohi habera m tote, makari yori tari si ni, nakunaku, syukke no kokorozasi hukaki yosi, nemgoroni katarahi haberi sika ba, kasira orosi haberi ni ki.

 「その女人は、今度下山しました機会に、小野におります僧尼たちを訪ねようと思って、立ち寄ったところ、泣く泣く出家の念願の強い旨を、熱心に頼まれましたので、髪を下ろしてやりました。

 「その女の人が今度のお召しに出仕いたします時、途中で小野に住んでおります母と妹の尼の所へ立ち寄りますと、出てまいりまして、私に泣く泣く出家の希望を述べて授戒を求めましたので落飾させてまいりました。

725 その女人 以下「何人にかはべりけむ」まで、僧都の詞。「女人」漢語。男性用語。浮舟についていう。

726 出家の志し 大島本は「出家の心さし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出家の本意」と校訂する。『新大系』は底本のまま「出家の心ざし」とする。

 なにがしが妹、故衛門督の妻にはべりし尼なむ、亡せにし女子の代りにと、思ひ喜びはべりて、随分に労りかしづきはべりけるを、かくなりたれば、恨みはべるなり。げにぞ、容貌はいとうるはしくけうらにて、行ひやつれむもいとほしげになむはべりし。何人にかはべりけむ」

  Nanigasi ga imouto, ko-Wemon-no-Kami no me ni haberi si Ama nam, use ni si womnago no kahari ni to, omohi yorokobi haberi te, zuibun ni itahari kasiduki haberi keru wo, kaku nari tare ba, urami haberu nari. Geni zo, katati ha ito uruhasiku keura nite, okonahi yature m mo itohosige ni nam haberi si. Nanibito ni ka haberi kem?"

 わたしの妹は、故衛門督の妻でございました尼で、亡くなった娘の代わりにと、思って喜びまして、随分大切にお世話しましたが、このように出家してしまったので、恨んでいるのでございます。なるほど、器量はまことによく整って美しくて、勤行のため身をやつすのもお気の毒でございました。どのような人であったのでしょうか」

 私の妹で以前の衛門督えもんのかみの未亡人の尼君が、くしました女の子の代わりと思いまして、その人を愛して、それで自身も幸福を感じていましたわけで、ずいぶん大事にいたわっていたのでございますから、私の手で尼にしましたのを恨んでいるらしゅうございます。実際容貌ようぼうのまれにすぐれた女性でございましたから、仏勤めにやつれてゆくであろうことが哀れに思われました。いったいだれの娘だったのでございましょう」

727 故衛門督の妻にはべりし尼 妹尼は故衛門監督の妻であった。

728 随分に 「随分」漢語。男性用語。

729 かくなりたれば 大島本は「なりたれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「なりにたれば」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のまま「なりたれば」とする。

730 恨みはべるなり 自分拙僧を。「なり」伝聞推定の助動詞。

 と、ものよく言ふ僧都にて、語り続け申したまへば、

  to, mono yoku ihu Soudu nite, katari tuduke mausi tamahe ba,

 と、よくしゃべる僧都なので、話し続けて申し上げなさるので、

 能弁な人であったから、あの長話を休まずすると、

 「いかで、さる所に、よき人をしも取りもて行きけむ。さりとも、今は知られぬらむ」

  "Ikade, saru tokoro ni, yoki hito wo simo tori mote iki kem? Saritomo, ima ha sira re nu ram."

 「どうして、そのような所に、身分のある人を連れて行ったのでしょうか。いくら何でも、今では素性は知られたでしょう」

 「どうしてそんな所へ美しいお姫様を取って行ったのでしょう」

731 いかでさる所に 大島本は「いかて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかでか」と「か」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかで」とする。以下「知られぬらむ」まで、小宰相の君の詞。

 など、この宰相の君ぞ問ふ。

  nado, kono Saisyau-no-Kimi zo tohu.

 などと、この宰相の君が尋ねる。

 宰相の君がこう尋ねた。

 「知らず。さもや、語らひたまふらむ。まことにやむごとなき人ならば、何か、隠れもはべらじをや。田舎人の娘も、さるさましたるこそははべらめ。龍の中より、仏生まれたまはずはこそはべらめ。ただ人にては、いと罪軽きさまの人になむはべりける」

  "Sira zu. Samoya, katarahi tamahu ram. Makotoni yamgotonaki hito nara ba, nani ka, kakure mo habera zi wo ya! Winakabito no musume mo, saru sama si taru koso ha habera me. Ryuu no naka yori, Hotoke mumare tamaha zu ha koso habera me. Tadaudo nite ha, ito tumi karoki sama no hito ni nam haberi keru."

 「分かりません。でもそのように、ひそかに打ち明けているかも知れません。ほんとうに高貴な方ならば、どうして、分からないままでいましょうか。田舎者の娘も、そのような恰好をした者はございましょう。龍の中から、仏がお生まれにならないことがございましょうか。普通の人としては、まことに前世の罪障が軽いと思われる人でございました」

 「いや、それは知らない。あるいは妹の尼などに話しているかもしれません。実際に貴族の家の人であれば、行くえの知れなくなったことがうわさにならないはずはないわけですから、そんな人ではありますまい。田舎いなかの人の娘にもそうした麗質の備わった人があるかもしれません。りゅうの中から仏が生まれておいでになったということがなければですがね、しかし平凡な家の子としては前生で善因を得て生まれて来た人に違いございません。そんな人なのでございます」

732 知らずさもや 以下「人になむはべりける」まで、僧都の詞。

733 語らひたまふらむ 大島本は「かたらひ給らん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「語らひはべらん」と校訂する。『新大系』は底本のまま「語らひ給らん」とする。

734 隠れもはべらじをや 分からないままではいまい。

735 龍の中より仏生まれたまはずはこそはべらめ 反語表現。挿入句。『法華経』「提婆達多品」にみえる龍女成仏の話。

 など聞こえたまふ。

  nado kikoye tamahu.

 などと申し上げなさる。

 などと僧都は言っていた。

 そのころ、かのわたりに消え失せにけむ人を思し出づ。この御前なる人も、姉の君の伝へに、あやしくて亡せたる人とは聞きおきたれば、「それにやあらむ」とは思ひけれど、定めなきことなり。僧都も、

  Sonokoro, kano watari ni kiye use ni kem hito wo, obosiidu. Kono omahe naru hito mo, Ane-no-Kimi no tutahe ni, ayasiku te use taru hito to ha kiki oki tare ba, "Sore ni ya ara m?" to ha omohi kere do, sadame naki koto nari. Soudu mo,

 そのころ、あの近辺で消えていなくなった人をお思い出しになる。この御前に伺候する女房も、姉君の伝聞で、不思議に亡くなった人とは聞いていたので、「その人であろうか」とは思ったが、はっきりしないことである。僧都も、

 そのころに宇治で自殺したと言われている人を中宮は考えておいでになった。宰相の君も実家の姉の話に行くえを失ったと聞いた宇治の姫君のことが胸に浮かび、それではないかと思ったのであるが、忖度そんたくするだけで断言することはできなかった。僧都もまた、

736 かのわたりに消え失せにけむ人を 中宮は浮舟が行方不明になったという話を聞き知っている。「蜻蛉」巻にある。

737 思し出づ 主語は明石中宮。

738 この御前なる人も 「御前」は女一宮をさし、「人」は小宰相君。

739 姉の君の伝へに 大島本は「あねの君」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「姉君」と「の」を削除する。『新大系』は底本のまま「姉の君」とする。小宰相君の姉から聞いて、の意。

740 それにやあらむ 小宰相君の心中の思い。浮舟であろうかと思う。

 「かかる人、世にあるものとも知られじと、よくもあらぬ敵だちたる人もあるやうにおもむけて、隠し忍びはべるを、事のさまのあやしければ、啓しはべるなり」

  "Kakaru hito, yo ni aru mono to mo sira re zi to, yoku mo ara nu katakidati taru hito mo aru yau ni omomuke te, kakusi sinobi haberu wo, koto no sama no ayasikere ba, keisi haberu nari."

 「あの人は、この世に生きていると知られまいと、よからぬ敵のような人でもいるようにほのめかして、こっそり隠れておりますのを、事の様子が異常なので、申し上げたのです」

 「その人も生きていると人に知らせたくない、知れればよろしくないようなことを起こしそうな人のあるように、それとなく言っているふうなのでございますから、どこまでも秘密として私も黙しているべきでしたが、あまりに不思議な事実でございますからその点だけをお耳に入れましたわけでございます」

741 かかる人世にあるものと 大島本は「かゝる人」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かの人」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かかる人」とする。以下「啓しはべるなり」まで、僧都の詞。

 と、なま隠すけしきなれば、人にも語らず。宮は、

  to, nama-kakusu kesiki nare ba, hito ni mo katara zu. Miya ha,

 と、何か隠している様子なので、誰にも話さない。中宮は、

 と言い、隠そうとするふうであったから宰相はだれにもそのことは言わなかった。中宮はこの人にだけ、

742 なま隠すけしきなれば 小宰相君の目に映った僧都の態度。

 「それにもこそあれ。大将に聞かせばや」

  "Sore ni mo koso are. Daisyau ni kikase baya!"

 「その人であろうか。大将に聞かせたい」

 「僧都のした話は宇治の姫君のことらしい、大将に聞かせてやりたい」

743 それにもこそあれ大将に聞かせばや 明石中宮の詞。浮舟のことかと思う。

 と、この人にぞのたまはすれど、いづ方にも隠すべきことを、定めてさならむとも知らずながら、恥づかしげなる人に、うち出でのたまはせむもつつましく思して、やみにけり。

  to, kono hito ni zo notamaha sure do, idukata ni mo kakusu beki koto wo, sadame te sa nara m to mo sira zu nagara, hadukasige naru hito ni, uti-ide notamahase m mo tutumasiku obosi te, yami ni keri.

 と、この人におっしゃったが、どちらの方も隠しておきたいはずのことを、確かにそうとも分からないうちに、気恥ずかしい方に、話し出すのも気がひけて思われなさって、そのままになった。

 とお言いになったが、その人のためにも女のためにも恥として隠すはずであることを、決定的にそれとすることもできないままで人格の高い弟に言いだすのも恥ずかしいことであると思召されて沈黙しておいでになった。

744 この人にぞ 小宰相君。

745 いづ方にも 以下「つつましく」まで、中宮の心中の思い。末尾は自然地の文に流れる叙述。薫も浮舟も。

746 恥づかしげなる人に 薫。

第六段 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る

 姫宮おこたり果てさせたまひて、僧都も登りぬ。かしこに寄りたまへれば、いみじう恨みて、

  Hime-Miya okotari hate sase tamahi te, Soudu mo nobori nu. Kasiko ni yori tamahe re ba, imiziu urami te,

 姫宮がすっかりよくおなりになったので、僧都も帰山なさった。あちらにお寄りになると、ひどく恨んで、

 姫宮が全癒ぜんゆあそばしたので僧都も山の寺へ帰ることになった。小野の家へ寄ってみると、尼君は非常に恨めしがって、

747 僧都も登りぬ 大島本は「のほりぬ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「登りたまひぬ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「登りぬ」とする。

748 かしこに 小野草庵。

 「なかなか、かかる御ありさまにて、罪も得ぬべきことを、のたまひもあはせずなりにけることをなむ、いとあやしき」

  "Nakanaka, kakaru ohom-arisama nite, tumi mo e nu beki koto wo, notamahi mo ahase zu nari ni keru koto wo nam, ito ayasiki."

 「かえって、このようなお姿になっては、罪障を受くることになりましょうに、ご相談もなさらずじまいだったとは、何ともおかしなこと」

 「かえってこんなふうになっておしまいになっては、将来のことで、罪にならぬことも罪を得る結果になるでしょうのに、相談もしてくださらなかったのが不満足に思われてなりません」

749 なかなかかかる御ありさまにて 以下「いとあやしき」まで、妹尼君の詞。

750 のたまひもあはせず 相談もせず。

751 いとあやしき 『集成』は「ほんとにおかしなこと」。『完訳』は「ほんとに不都合なことです」と訳す。

 などのたまへど、かひもなし。

  nado notamahe do, kahi mo nasi.

 などとおっしゃるが、どうにもならない。

 と言ったが、もうかいのないことであった。

 「今は、ただ御行ひをしたまへ。老いたる、若き、定めなき世なり。はかなきものに思しとりたるも、ことわりなる御身をや」

  "Ima ha, tada ohom-okonahi wo si tamahe. Oyi taru, wakaki, sadame naki yo nari. Hakanaki mono ni obosi tori taru mo, kotowari naru ohom-mi wo ya!"

 「今はもう、ひたすらお勤めをなさいませ。老人も、若い人も、生死は無常の世です。はかないこの世とお悟りになっているのも、ごもっともなお身の上ですから」

 「今後はもう仏のお勤めだけを専心になさい。老い人も若い人も無常の差のないのが人生ですよ。はかないものであるとお悟りになったのも、まして道理に思われるあなたですからね」

752 今はただ 以下「御身をや」まで、僧都の詞。

753 ことわりなる御身をや 『集成』は「意識もなく生死の境をさまよったことをいう」。『完訳』は「浮舟の物の怪に取り憑かれる運命を思い、出家を当然とする」と注す。

 とのたまふにも、いと恥づかしうなむおぼえける。

  to notamahu ni mo, ito hadukasiu nam oboye keru.

 とおっしゃるにつけても、たいそう恥ずかしく思われるのであった。

 この僧都の言葉も浮舟は恥ずかしく聞いた。宇治で発見された時からのことを思えばそれに違いないからである。

 「御法服新しくしたまへ」

  "Ohom-hohubuku atarasiku si tamahe."

 「御法服を新しくなさい」

 「法服を新しくなさい」

754 御法服新しくしたまへ 僧都の詞。

 とて、綾、羅、絹などいふもの、たてまつりおきたまふ。

  tote, aya, usumono, kinu nado ihu mono, tatematuri oki tamahu.

 と言って、綾、羅、絹などという物を、差し上げ置きなさる。

 僧都はこう言って、御所からの賜わり物のあやとかうすものとかを贈った。

 「なにがしがはべらむ限りは、仕うまつりなむ。なにか思しわづらふべき。常の世に生ひ出でて、世間の栄華に願ひまつはるる限りなむ、所狭く捨てがたく、我も人も思すべかめることなめる。かかる林の中に行ひ勤めたまはむ身は、何事かは恨めしくも恥づかしくも思すべき。このあらむ命は、葉の薄きがごとし」

  "Nanigasi ga habera m kagiri ha, tukaumaturi na m. Nanika obosi wadurahu beki. Tune no yo ni ohiide te, seken no eigwa ni negahi matuharuru kagiri nam, tokoroseku sute gataku, ware mo hito mo obosu beka' meru koto na' meru. Kakaru hayasi no naka ni okonahi tutome tamaha m mi ha, nanigoto kaha uramesiku mo hadukasiku mo obosu beki. Kono ara m inoti ha, ha no usuki ga gotosi."

 「拙僧が生きております間は、お世話いたしましょう。何をご心配なさることがありましょう。この世に生まれ来て、俗世の栄華を願い執着している限りは、不自由で世を捨てがたく、誰も彼もお思いのことのようです。このような林の中でお勤めなさる身の上は、何事に不満を抱いたり引けめを感じることがありましょうか。人の寿命は、葉の薄いようなものです」

 「私の生きています間は、あなたに十分尽くします。何も心配することはありません。無常の世に生まれて人間の言う栄華にまとわれていては、これを自身のためにも人のためにも快く捨てることができなくなるものです。この寂しい林の中にお勤めの生活をしていては、何に恨めしさの起こることがありますか、何を恥ずかしく思うことをしますか、人間の命のある間は木の葉の薄さほどのものですよ」

755 なにがしが 大島本は「なにかしか」とある。『完本』は諸本に従って「なにがし」と「が」を削除する。『集成』『新大系』は底本のまま「なにがしが」とする。以下「葉の薄きがごとし」まで、僧都の詞。

756 所狭く捨てがたく 身の自由もきかずこの世を捨てがたい。出離しがたい。

757 思すべかめることなめる 大島本は「おほすへかめることなめる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思すべかめる」と「めることな」を削除する。『新大系』は底本のまま「おぼすべかめることなめる」とする。

758 何事かは--思すべき 反語表現。

759 このあらむ命は葉の薄きがごとし 『源氏釈』は「顔色は花の如く命は葉の如し、命葉の如くに薄きを将に奈如にせむ」(白氏文集、陵園妾)を指摘。

 と言ひ知らせて、

  to ihi sirase te,

 と説教して、

 こう説き聞かせて、

 「松門に暁到りて月徘徊す」

  "Seumon ni akatuki itari te tuki haikwai su."

 「松の門に暁となって月が徘徊す」

 「松門暁到月徘徊しようもんあかつきにいたりてつきはいくわいす」(柏城尽日風蕭瑟はくじやうひねもすかぜせうしつ

760 松門に暁到りて月徘徊す 僧都の詞。『源氏釈』は『白氏文集』「陵園妾」を指摘、前句の続き。

 と、法師なれど、いとよしよししく恥づかしげなるさまにてのたまふことどもを、「思ふやうにも言ひ聞かせたまふかな」と聞きゐたり。

  to, hohusi nare do, ito yosiyosisiku hadukasige naru sama nite notamahu koto-domo wo, "Omohu yau ni mo ihi kika se tamahu kana!" to kiki wi tari.

 と、法師であるが、たいそう風流で気恥ずかしい態度におっしゃることどもを、「期待していたとおりにおっしゃってくださることだ」と聞いていた。

 と僧であるが文学的の素養の豊かな人は添えて聞かせてもくれた。唐の詩で陵園を守る後宮人を歌ったものである。かねて願っていたようなよい師であると思って姫君は感激していた。

761 思ふやうにも言ひ聞かせたまふかな 浮舟の心中の思い。

第七段 中将、小野山荘に来訪

 今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに、おはしたる人も、

  Kehu ha, hinemosu ni huku kaze no oto mo ito kokorobosoki ni, ohasi taru hito mo,

 今日は、一日中吹いている風の音もとても心細いうえに、お立ち寄りになった僧都も、

 ある日風がひねもす吹きやまず、寂しい音が立っていたから、心細くなっている時に、来ていた僧の一人が、

762 ひねもすに吹く風の音もいと心細きに 『河海抄』は「栢城尽日風蕭瑟たり」(白氏文集、陵園妾)を指摘。

763 おはしたる人も 僧都。

 「あはれ、山伏は、かかる日にぞ、音は泣かるなるかし」

  "Ahare, yamabusi ha, kakaru hi ni zo, ne ha naka ru naru kasi."

 「ああ、山伏は、このような日には、声を出して泣けるということだ」

 「山伏やまぶしというものはこんな日にこそ声を出して泣きたくなるものだ」

764 あはれ山伏は 以下「泣かるなるかし」まで、僧都の詞。

 と言ふを聞きて、「我も今は山伏ぞかし。ことわりに止まらぬ涙なりけり」と思ひつつ、端の方に立ち出でて見れば、遥かなる軒端より、狩衣姿色々に立ち混じりて見ゆ。山へ登る人なりとても、こなたの道には、通ふ人もいとたまさかなり。黒谷とかいふ方よりありく法師の跡のみ、まれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるは、あいなくめづらしきに、この恨みわびし中将なりけり。

  to ihu wo kiki te, "Ware mo ima ha yamabusi zo kasi. Kotowari ni tomara nu namida nari keri." to omohi tutu, hasi no kata ni tatiide te mire ba, haruka naru nokiba yori, kariginusugata iroiro ni tati-maziri te miyu. Yama he noboru hito nari tote mo, konata no miti ni ha, kayohu hito mo ito tamasaka nari. Kurotani to ka ihu kata yori ariku hohusi no ato nomi, maremare ha miyuru wo, rei no sugata mituke taru ha, ainaku medurasiki ni, kono urami wabi si Tiuzyau nari keri.

 と言うのを聞いて、「わたしも今では山伏と同じである。もっともなことで涙が止まらないのだ」と思いながら、端の方に立ち出て見ると、遥か遠く軒端から、狩衣姿が色とりどりに混じって見える。山へ登って行く人だといっても、こちらの道は、行き来する人もたまにしかいないのである。黒谷とかいう方面から歩いて来る法師の道だけが、まれには見られるが、俗世の人の姿を見つけたのは、場違いに珍しいが、あの恨みあぐねていた中将なのであった。

 と言っているのを聞き、姫君は自分ももう山伏になったのである、だから涙がとまらないのであろうと思いながら、縁側に近い所へ出て外を見ると、軒の向こうの山路やまみちをいろいろの狩衣かりぎぬを着て通るのが見えた。叡山えいざんへ上がる人もこの道を通るのはまれであって、黒谷という所から歩いて行く僧の影を時々見ることがあるだけだったのに、普通の服装の人を見いだしたのは珍しく思われたのであったが、それは失恋した中将であった。

765 我も今は 以下「涙なりけり」まで、浮舟の心中の思い。

766 と思ひつつ 『完訳』は「このあたり、浮舟の心に密着した文体。浮舟にも僧都にも敬語がつかぬのは心境の直叙のためか」と注す。

767 遥かなる軒端より 『集成』は「夢浮橋の「谷の軒端」と同義。谷のはずれというほどの意味であろう」。『完訳』は「軒端を通してはるかに遠望」と注す。

768 こなたの道には 『完訳』は「小野を通って比叡山に登る道。険しい長谷出坂あたりか。途中で黒谷(西塔の北方)への道が分れる」と注す。

769 例の姿 世俗人の姿。狩衣姿の一行。

 かひなきことも言はむとてものしたりけるを、紅葉のいとおもしろく、他の紅に染めましたる色々なれば、入り来るよりぞものあはれなりける。「ここに、いと心地よげなる人を見つけたらば、あやしくぞおぼゆべき」など思ひて、

  Kahinaki koto mo iha m tote monosi tari keru wo, momidi no ito omosiroku, hoka no kurenawi ni some masi taru iroiro nare ba, iri kuru yori zo mono ahare nari keru. "Koko ni, ito kokoti yoge naru hito wo mituke tara ba, ayasiku zo oboyu beki." nado omohi te,

 今さら言ってもはじまらないことを言おうと思ってやって来たのだが、紅葉がたいそう美しく、他の紅葉よりいっそう色染めているのが色鮮やかなので、入って来るなり感慨深いのであった。「ここに、とても屈託なさそうな人を見つけたら、奇妙な気がするだろう」などと思って、

 もうかいのないこととしても、自分の心を告げておきたいと思って来たのであるが、紅葉もみじの美しく染まって他の所よりもきれいにいろいろと混じって立った庭であったから、門をはいるとすぐにもう行く秋の身にしむことを中将は感じた。この風雅な場所に住む美しい人を恋人にしていたならば興味の多いことであろうなどと思った。

770 他の紅に染めましたる色々なれば 『集成』は「他所の紅葉よりもひとしお美しく色づいたさまざまな色どりなので」と訳す。

771 ここに 以下「おぼゆべき」まで、中将の心中の思い。『完訳』は「中将は物思う浮舟に魅了された」と注す。

 「暇ありて、つれづれなる心地しはべるに、紅葉もいかにと思ひたまへてなむ。なほ、立ち返りて旅寝もしつべき木の下にこそ」

  "Itoma ari te, turedure naru kokoti si haberu ni, momidi mo ikani to omohi tamahe te nam. Naho, tatikaheri te tabine mo si tu beki kono moto ni koso."

 「暇があって、何もすることのない気がしましたので、紅葉もどのようなものかしらと存じまして。やはり、昔に返って泊まって行きたい紅葉の木の下ですね」

 「少し閑散になりまして、退屈なものですから、こちらの紅葉も見ごろになっていようと思って出かけて来ました。いつもここはいい所ですね。なつかしい一夜の宿が借りたくなる所です」

772 暇ありて 以下「木の下にこそ」まで、中将の詞。

773 立ち返りて 大島本は「立かへりて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「立ち返り」と「て」を削除する。『新大系』は底本のまま「立かへりて」とする。

 とて、見出だしたまへり。尼君、例の、涙もろにて、

  tote, miidasi tamahe ri. AmaGimi, rei no, namidamoro nite,

 と言って、外を見やっていらっしゃる。尼君が、例によって、涙もろくて、

 こう言って中将は庭をながめていた。感じやすい涙を持った尼君はもう泣いていた。

 「木枯らしの吹きにし山の麓には
  立ち隠すべき蔭だにぞなき」

    "Kogarasi no huki ni si yama no humoto ni ha
    tati-kakusu beki kage dani zo naki

 「木枯らしが吹いた山の麓では
  もう姿を隠す場所さえありません」

  木がらしの吹きにし山のふもとには
  立ち隠るべきかげだにぞなき

774 木枯らしの吹きにし山の麓には--立ち隠すべき蔭だにぞなき 大島本は「かくす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「隠る」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かくす」とする。妹尼の中将への贈歌。『集成』は「浮舟も出家してしまったので、あなたをお泊めするすべもございません」と注す。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃると、

 と言うと、

 「待つ人もあらじと思ふ山里の
  梢を見つつなほぞ過ぎ憂き」

    "Matu hito mo ara zi to omohu yamazato no
    kozuwe wo mi tutu naho zo sugi uki

 「待っている人もいないと思う山里の
  梢を見ながらもやはり素通りしにくいのです」

  待つ人もあらじと思ふ山里の
  こずゑを見つつなほぞ過ぎうき

775 待つ人もあらじと思ふ山里の--梢を見つつなほぞ過ぎ憂き 中将の返歌。「山」の語句を用いて返す。「あらじ」に「嵐」を響かす。

 言ふかひなき人の御ことを、なほ尽きせずのたまひて、

  Ihukahinaki hito no ohom-koto wo, naho tuki se zu notamahi te,

 言ってもはじまらないお方のことを、やはり諦めきれずにおっしゃって、

 と中将は返しをした。尼になった人のことをまだあきらめきれぬように言い、

 「さま変はりたまへらむさまを、いささか見せよ」

  "Sama kahari tamahe ram sama wo, isasaka mise yo."

 「出家なさった姿を、少し見せよ」

 「お変わりになった姿を少しだけのぞかせてください」

776 さま変はり 以下「見せよ」まで、中将の詞。

 と、少将の尼にのたまふ。

  to, Seusyau-no-Ama ni notamahu.

 と、少将の尼におっしゃる。

 と少将の尼に求めた。

 「それをだに、契りししるしにせよ」

  "Sore wo dani, tigiri si sirusi ni seyo."

 「せめてそれだけでも、以前の約束の証とせよ」

 それだけのことでも約束してくれた義務としてしなければならぬ

777 それをだに契りししるしにせよ 中将の詞。

 と責めたまへば、入りて見るに、ことさら人にも見せまほしきさましてぞおはする。薄き鈍色の綾、中に萱草など、澄みたる色を着て、いとささやかに、様体をかしく、今めきたる容貌に、髪は五重の扇を広げたるやうに、こちたき末つきなり。

  to seme tamahe ba, iri te miru ni, kotosara hito ni mo mise mahosiki sama si te zo ohasuru. Usuki nibiiro no aya, naka ni kwanzau nado, sumi taru iro wo ki te, ito sasayakani, yaudai wokasiku, imameki taru katati ni, kami ha ituhe no ahugi wo hiroge taru yau ni, kotitaki suwe tuki nari.

 と責めなさるので、入って見ると、わざわざとでも人に見せてやりたいほどの美しいお姿をしていらっしゃる。薄鈍色の綾、その下には萱草などの、澄んだ色を着て、とても小柄な感じで、姿形が美しく、はなやかなお顔だちで、髪は五重の扇を広げたように、豊かな裾である。

 と責められて、少将が姫君の室へはいってみると、人に見せないのは惜しいような美しい恰好かっこうで浮舟の姫君はいるのであった。淡鈍うすにび色のあやを着て、中に萱草かんぞう色という透明な明るさのある色を着た、小柄な姿が美しく、近代的な容貌ようぼうを持ち、髪のすそには五重の扇をひろげたようなはなやかさがあった。

778 入りて見るに 主語は少将尼。

779 ことさら人にも見せまほしきさまして 大島本は「ことさら人にも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことさらにも人に」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことさら人にも」とする。少将尼が浮舟を見た印象。

780 薄き鈍色 大島本は「うすきにひ色」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「薄鈍色」と「き」を削除する。『新大系』は底本のまま「薄き鈍色」とする。

781 五重の扇を 桧扇は七、八枚の薄板からなる。それを五組重ねた扇。「花宴」巻に「桜の三重がさね」の桧扇が出てくる。

 こまかにうつくしき面様の、化粧をいみじくしたらむやうに、赤く匂ひたり。行ひなどをしたまふも、なほ数珠は近き几帳にうち懸けて、経に心を入れて読みたまへるさま、絵にも描かまほし。

  Komakani utukusiki omoyau no, kesau wo imiziku si tara m yau ni, akaku nihohi tari. Okonahi nado wo si tamahu mo, naho zuzu ha tikaki kityau ni uti-kake te, kyau ni kokoro wo ire te yomi tamahe ru sama, we ni mo kaka mahosi.

 こまやかに美しい顔だちで、化粧をたいそうしたように、明るくかがやいていた。お勤めなどをなさるにも、やはり数珠は近くの几帳にちょっと懸けて、お経を一心に読んでいらっしゃる様子は、絵にも描きたいほどである。

 濃厚に化粧をした顔のように素顔も見えてほの赤くにおわしいのである。仏勤めはするのであるがまだ数珠じゅずは近い几帳きちょうさおに掛けられてあって、経を読んでいる様子は絵にもきたいばかりの姫君であった。

782 数珠は近き几帳にうち懸けて 『集成』は「常に手にしているはずの数珠を手離しているのは、まだ初心のさまをいうのであろう」と注す。

 うち見るごとに涙の止めがたき心地するを、「まいて心かけたまはむ男は、いかに見たてまつりたまはむ」と思ひて、さるべき折にやありけむ、障子の掛金のもとに開きたる穴を教へて、紛るべき几帳など押しやりたり。

  Uti-miru goto ni namida no tome gataki kokoti suru wo, "Maite kokorokake tamaha m wotoko ha, ikani mi tatematuri tamaha m?" to omohi te, sarubeki wori ni ya ari kem, sauzi no kakegane no moto ni aki taru ana wo wosihe te, magiru beki kityau nado osiyari tari.

 ちらっと見るたびに涙が止めがたい気がするのを、「まして懸想をなさっている男は、どのように拝見なさっていようか」と思って、ちょうどよい機会だったのか、障子の掛金の側に開いている穴を教えて、邪魔になる几帳などを取り除けた。

 少将は自身でも見るたびに涙のとどめがたい姫君の姿を、恋する男の目にはどう映るであろうと思い、よいおりでもあったのか襖子からかみ鍵穴かぎあなを中将に教えて目の邪魔じゃまになる几帳などは横へ引いておいた。

783 うち見るごとに 主語は少将尼。少将尼が浮舟を。

784 まいて心かけたまはむ男は 以下「たてまつりたまはむ」まで、少将尼の心中の思い。

785 さるべき折にやありけむ 挿入句。語り手の想像を交えた叙述。

786 押しやりたり 大島本は「おしやりたり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「引きやりたり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「押しやりたり」とする。

 「いとかくは思はずこそありしか。いみじく思ふさまなりける人を」と、我がしたらむ過ちのやうに、惜しく悔しう悲しければ、つつみもあへず、もの狂はしきまで、けはひも聞こえぬべければ、退きぬ。

  "Ito kaku ha omoha zu koso ari sika. Imiziku omohu sama nari keru hito wo." to, waga si tara m ayamati no yau ni, wosiku kuyasiu kanasikere ba, tutumi mo ahe zu, monoguruhasiki made, kehahi mo kikoye nu bekere ba, noki nu.

 「とてもこれほど美しい人だとは思わなかった。ひどく物思いに沈んでいるような人であったが」と、自分が出家させた過ちのように、惜しく悔しく悲しいので、抑えることもできず、気も狂わんばかりの、気持ちを感づかれては困るので、引き下がった。

 これほどの美貌の人とは想像もしなかった、自分の理想に合致した麗人であったものをと思うと、尼にさせてしまったことが自身の過失であったように残念にくちおしく思われる心を、これをよくおさえることができなくっては、静かにすべき隙見すきみに激情のままの身じろぎの音もたててしまうかもしれぬと気づいて立ち退いた。

787 いとかくは 以下「さまなりける人を」まで、中将の浮舟を見た感想。

788 我がしたらむ過ちのやうに 『完訳』は「浮舟の出家が自分の犯した過ちででもあるかのように」と注す。

789 もの狂はしきまで 大島本は「物くるハしき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの狂ほしき」と校訂する。『新大系』は底本のまま「物ぐるはしき」とする。

第八段 中将、浮舟に和歌を贈って帰る

 「かばかりのさましたる人を失ひて、尋ねぬ人ありけむや。また、その人かの人の娘なむ、行方も知らず隠れにたる、もしはもの怨じして、世を背きにけるなど、おのづから隠れなかるべきを」など、あやしう返す返す思ふ。

  "Kabakari no sama si taru hito wo usinahi te, tadune nu hito ari kem ya? Mata, sono hito kano hito no musume nam, yukuhe mo sira zu kakure ni taru, mosi ha monoenzi si te, yo wo somuki ni keru nado, onodukara, kakure nakaru beki wo." nado, ayasiu kahesugahesu omohu.

 「これほどの器量をした人を失って、探さない人があったりしようか。また、誰それの人の娘が、行く方知れずに見えなくなったとか、もしくは何か恨んで、出家してしまったなど、自然と知れてしまうものだが」などと、不思議と繰り返し思う。

 こんな美女を失った人が捜さずに済ませる法があろうか、まただれそれ、だれの娘の行くえが知れぬとか、または人をうらんで尼になったとか自然うわさにはなるものであるがと返す返すいぶかしく思われた。

790 かばかりの 以下「隠れなかるべきを」まで、中将の心中の思い。

 「尼なりとも、かかるさましたらむ人はうたてもおぼえじ」など、「なかなか見所まさりて心苦しかるべきを、忍びたるさまに、なほ語らひとりてむ」と思へば、まめやかに語らふ。

  "Ama nari tomo, kakaru sama si tara m hito ha utate mo oboye zi." nado, "Nakanaka midokoro masari te kokorogurusikaru beki wo, sinobi taru sama ni, naho katarahi tori te m." to omohe ba, mameyakani katarahu.

 「尼であっても、このような様子をしたような人は嫌な感じもするまい」などと、「かえって一段と見栄えがしてお気の毒なはずが、人目を忍んでいる様子なので、やはり自分の物にしてしまおう」と思うと、真剣に話しかける。

 尼になってもこんな美しい人は決して愛人にして悪感おかんの起こるものではあるまい、かえって心が強くかれることになるであろう、極秘裡ごくひりにやはりあの人を自分のものにしようと、こんなことを心にきめた中将は、こちらの尼君の座敷に来て、気を入れて話をしていた。

791 尼なりとも 以下「おぼえじ」まで、中将の心中の思い。

792 なかなか見所まさりて 以下「語らひとりてむ」まで、中将の心中の思い。

793 まめやかに語らふ 中将が妹尼君に。

 「世の常のさまには思し憚ることもありけむを、かかるさまになりたまひにたるなむ、心やすう聞こえつべくはべる。さやうに教へきこえたまへ。来し方の忘れがたくて、かやうに参り来るに、また、今一つ心ざしを添へてこそ」

  "Yo no tune no sama ni ha obosi habakaru koto mo ari kem wo, kakaru sama ni nari tamahi ni taru nam, kokoroyasuu kikoye tu beku haberu. Sayau ni wosihe kikoye tamahe. Kisikata no wasure gataku te, kayau ni mawiri kuru ni, mata, ima hitotu kokorozasi wo sohe te koso."

 「普通の人の時にはご遠慮なさることもあったでしょうが、このような尼姿におなりになっては、気がねなく申し上げられそうでございます。そのようにお諭し申し上げてください。過去のことが忘れがたくて、このようにやって参ったのですが、さらにまた、もう一つの気持ちも加わりまして」

 「俗の人でおいでになった間は、私と御交際くださるにもいろいろさしさわりがあったでしょうが、落飾されたあとでは気楽につきあっていただける気がします。そんなふうにあなたからもお話しになっておいてください。昔のことが忘られないために、こんなふうに御訪問をしていますが、またもう一つ友情というものを持ち合う相手がふえれば幸福になりうるでしょう」

794 世の常のさまには 以下「心ざしを添へてこそ」まで、中将の詞。

795 来し方の忘れがたくて 亡き妻のこと。

796 今一つ心ざしを添へてこそ 浮舟のこと。

 などのたまふ。

  nado notamahu.

 などとおっしゃる。

 などと言った。

 「いと行く末心細く、うしろめたきありさまにはべるに、まめやかなるさまに思し忘れず訪はせたまはむ、いとうれしうこそ、思ひたまへおかめ。はべらざらむ後なむ、あはれに思ひたまへらるべき」

  "Ito yukusuwe kokorobosoku, usirometaki arisama ni haberu ni, mameyaka naru sama ni obosi wasure zu toha se tamaha m, ito uresiu koso, omohi tamahe oka me. Habera zara m noti nam, ahareni omohi tamahe raru beki."

 「まことに将来が心細く、不安な様子でございますので、真剣な態度でお忘れにならずお訪ねくださることは、とても嬉しく、存じておきましょう。亡くなりました後は、不憫に存じられましょう」

 「将来がどうなるかと心細く、気がかりでなりませんのに、厚い御友情でお世話をくださる方があるのはうれしいことでございます。亡くなりましたあとのこともそう承って安心されます」

797 いと行く末 以下「思ひたまへらるべき」まで、妹尼君の詞。

798 ありさまにはべるに 大島本は「侍に」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるめるに」と「める」を補訂する。『新大系』は底本のまま「侍に」とする。

799 はべらざらむ後 自分が亡くなってのち。

800 あはれに思ひたまへらるべき 浮舟の身の上を。

 とて、泣きたまふに、「この尼君も離れぬ人なるべし。誰れならむ」と心得がたし。

  tote, naki tamahu ni, "Kono AmaGimi mo hanare nu hito naru besi. Tare nara m?" to kokoroe gatasi.

 と言って、お泣きになるので、「この尼君も遠縁に当たる人なのであろう。誰なのだろう」と思い当たらない。

 と言って尼君は泣くのであった。こんな様子を見せるのはよほど濃い尼君の血族に違いないがだれであろうと中将はなおいぶかしがった。

801 この尼君も 以下「誰れならむ」まで、中将の心中の思い。浮舟と尼君を遠い縁戚関係かと思う。

 「行く末の御後見は、命も知りがたく頼もしげなき身なれど、さ聞こえそめはべるなれば、さらに変はりはべらじ。尋ねきこえたまふべき人は、まことにものしたまはぬか。さやうのことのおぼつかなきになむ、憚るべきことにははべらねど、なほ隔てある心地しはべるべき」

  "Yukusuwe no ohom-usiromi ha, inoti mo siri gataku tanomosige naki mi nare do, sa kikoye some haberu nare ba, sarani kahari habera zi. Tadune kikoye tamahu beki hito ha, makoto ni monosi tamaha nu ka? Sayau no koto no obotukanaki ni nam, habakaru beki koto ni ha habera ne do, naho hedate aru kokoti si haberu beki."

 「将来のご後見は、寿命も分からず頼りない身ですが、このように申し上げました以上は、けっして変わりません。お探し申し上げなさるはずの方は、本当にいらっしゃらないのですか。そのようなことがはっきりしませんので、気がねすべきことでもございませんが、やはり水くさい気がしてなりません」

 「将来のお世話は命も不定ふじょうのものですし、私も生き抜く自信の少ないものですが、そうお話を承った以上は決して忘れることはありません。あの方に縁のある方が実際この世におられないのでしょうか、そんなことがまだ少し不安で、それはさわりになることでもありませんが、隔ての一つ残されている気はします」

802 行く末の御後見は 以下「心地しはべるべき」まで、中将の詞。

803 さ聞こえそめはべるなれば 大島本は「侍なれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべりなば」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍なれば」とする。

804 尋ねきこえたまふべき人は 浮舟を捜し出す人。『集成』は「浮舟のもとの男。浮舟を尼君の縁類と見ているので、敬語を使う」と注す。

805 憚るべきことにははべらねど 『完訳』は「色恋なしの後援なら、何も気がねせずともよいが、の気持」と注す。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃると、


 「人に知らるべきさまにて、世に経たまはば、さもや尋ね出づる人もはべらむ。今は、かかる方に、思ひきりつるありさまになむ。心のおもむけも、さのみ見えはべりつるを」

  "Hito ni sira ru beki sama nite, yo ni he tamaha ba, samoya tadune iduru hito mo habera m. Ima ha, kakaru kata ni, omohikiri turu arisama ni nam. Kokoro no omomuke mo, sa nomi miye haberi turu wo."

 「人に知られるような恰好で、暮らしていらっしゃったら、もしや探し出す人もございましょう。今は、このような生活を、決意した様子です。気持ちの向きも、そのようにばかり見えます」

 「普通の形でおいでになれば、いつまたそんな人が来られるかもしれませんが、もう現世げんせの縁を絶った身の上になっておられる以上は私も安心しておられます。自身の気持ちもそう見えますからね」

806 人に知らるべきさまにて 以下「見えはべりつるを」まで、妹尼君の詞。『完訳』は「もしも浮舟が都の人と接触するように暮しているのなら、の意」と注す。

807 思ひきりつる 大島本は「思きりつる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひかぎりつる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「思きりつる」とする。

808 見えはべりつるを 大島本は「侍つるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つるを」とする。

 など語らひたまふ。

  nado katarahi tamahu.

 などとお話しになる。

 こんなふうに話し合った。

 こなたにも消息したまへり。

  Konata ni mo seusoko si tamahe ri.

 こちらにも言葉をお掛けになった。

 中将は姫君のほうへも次の歌を書いて送るのであった。

809 こなたにも 浮舟をさす。

 「おほかたの世を背きける君なれど
  厭ふによせて身こそつらけれ」

    "Ohokata no yo wo somuki keru Kimi nare do
    itohu ni yose te mi koso turakere

 「一般の俗世間をお捨てになったあなた様ですが
  わたしをお厭いなさるのにつけ、つらく存じられます」

  おほかたの世をそむきける君なれど
  いとふによせて身こそつらけれ

810 おほかたの世を背きける君なれど--厭ふによせて身こそつらけれ 中将の浮舟への贈歌。

 ねむごろに深く聞こえたまふことなど、言ひ伝ふ。

  Nemgoroni hukaku kikoye tamahu koto nado, ihi tutahu.

 心をこめて親切に申し上げなさることなどを、たくさん取り次ぐ。

 誠意をもって将来までも力になろうと言っていることなども尼君は伝えた。

811 言ひ伝ふ 大島本は「いひつたふ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「多く言ひ伝ふ」と「多く」を補訂する。『新大系』は底本のまま「言ひ伝ふ」とする。

 「兄妹と思しなせ。はかなき世の物語なども聞こえて、慰めむ」

  "Harakara to obosi nase. Hakanaki yo no monogatari nado mo kikoye te, nagusame m."

 「兄弟とお考えください。ちょっとした世間話なども申し上げて、お慰めしましょう」

 「兄弟だと思っておいでなさいよ。人生のはかなさなどを話し合ってみれば慰みになるでしょう」

812 兄妹と 以下「慰めむ」まで、中将の詞。

 など言ひ続く。

  nado ihi tuduku.

 などと言い続ける。


 「心深からむ御物語など、聞き分くべくもあらぬこそ口惜しけれ」

  "Kokorohukakara m ohom-monogatari nado, kikiwaku beku mo ara nu koso kutiwosikere."

 「むつかしいお話など、分かるはずもないのが残念です」

 「見識のある方のお話などを伺っても、私にはよく理解できないのが残念でございます」

813 心深からむ 以下「口惜しけれ」まで、浮舟の詞。

 といらへて、この厭ふにつけたるいらへはしたまはず。「思ひよらずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし。すべて朽木などのやうにて、人に見捨てられて止みなむ」ともてなしたまふ。

  to irahe te, kono itohu ni tuke taru irahe ha si tamaha zu. "Omohiyora zu asamasiki koto mo ari si mi nare ba, ito utomasi. Subete kutiki nado no yau nite, hito ni misute rare te yami na m." to motenasi tamahu.

 と答えて、この嫌っているということへの返事はなさらない。「思いもかけなかった情ないことのあった身の上なので、ほんとうに厭わしい。まったく枯木などのようになって、世間から忘れられて終わりたい」とおあしらいになる。

 とだけ言っても、世をいとうように人を厭うたという言葉について浮舟うきふねは何も答えなかった。思いのほかな過失をしてしまった過去を思うと自分ながらうとましい身である、何ともものを感じることのない朽ち木のようになって人から無視されて一生を終えようと、姫君はこの精神を通そうとしていた。

814 思ひよらず 以下「見捨てられて止みなむ」まで、浮舟の心中。『完訳』は「以下、浮舟の心中に即す」と注す。

815 あさましきこともありし身なれば 『集成』は「匂宮とのこと」。『完訳』は「過往の薫・匂宮との三角関係をさす」と注す。

 されば、月ごろたゆみなく結ぼほれ、ものをのみ思したりしも、この本意のことしたまひてより、後すこし晴れ晴れしうなりて、尼君とはかなく戯れもし交はし、碁打ちなどしてぞ、明かし暮らしたまふ。行ひもいとよくして、法華経はさらなり。異法文なども、いと多く読みたまふ。雪深く降り積み、人目絶えたるころぞ、げに思ひやる方なかりける。

  Sareba, tukigoro tayumi naku musubohore, mono wo nomi obosi tari si mo, kono ho'i no koto si tamahi te yori, noti sukosi harebaresiu nari te, AmaGimi to hakanaku tahabure mo si kahasi, go uti nado si te zo, akasi kurasi tamahu. Okonahi mo ito yoku si te, Hokekyau ha sara nari. Kotohohumon nado mo, ito ohoku yomi tamahu. Yuki hukaku huri tumi, hitome taye taru koro zo, geni omohiyaru kata nakari keru.

 だから、今まで鬱々とふさぎこんで、物思いばかりしていらしたのも、出家の念願がお叶いになって後は、少し気分が晴れ晴れとして、尼君とちょっと冗談を言い交わし、碁を打ったりなどして、毎日お暮らしになっている。お勤めも実に熱心に行って、法華経は言うまでもない。他の教典なども、とてもたくさんお読みになる。雪が深く降り積もって、人目もなくなったころは、ほんとうに心のやりばがなかった。

 そうした気持ちから、今までは憂鬱ゆううつから自己を解放することのできなかった人であるが、近ごろは少し晴れ晴れしくなって、尼君と遊び事をしたり、碁を打ったりして暮らすこともある。仏勤めもよくして法華経ほけきょうはもとより他の経なども多く読んだ。雪が深く降り積んで、出入りする人影も皆無になったころは寂しさのきわまりなさを姫君は覚えた。

816 本意のことしたまひてより後 大島本は「し給てよりのち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「したまひて後より」と校訂する。『新大系』は底本のまま「し給てよりのち」とする。

817 雪深く降り積み人目絶えたるころぞ 小野は雪深い土地。『伊勢物語』第八十三段。

818 げに思ひやる方なかりける 『岷江入楚』は「白雪の降りて積れる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ(古今集冬、三二八、壬生忠岑)」を指摘。

第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る

第一段 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す

 年も返りぬ。春のしるしも見えず、凍りわたれる水の音せぬさへ心細くて、「君にぞ惑ふ」とのたまひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、なほその折などのことは忘れず。

  Tosi mo kaheri nu. Haru no sirusi mo miye zu, kohori watare ru midu no oto se nu sahe kokorobosoku te, "Kimi ni zo madohu" to notamahi si hito ha, kokorousi to omohi hate ni tare do, naho sono wori nado no koto ha wasure zu.

 年が改まった。春の兆しも見えず、氷が張りつめた川の水が音を立てないのまでが心細くて、「あなたに迷っています」とおっしゃった方は、嫌だとすっかり思い捨てていたが、やはりその当時のことなどは忘れなていない。

 年が明けた。しかし小野の山蔭やまかげには春のきざしらしいものは何も見ることができない。すっかり凍った流れから音の響きがないのさえ心細くて、「君にぞ惑ふ道に惑はず」とお言いになった人はすべての禍根かこんを作った方であると、もう愛は覚えずなっているのであるが、そのおりの光景だけはなつかしく目に描かれた。

819 凍りわたれる水の音せぬさへ心細くて 『完訳』は「浮舟の荒涼たる心象」と注す。

820 君にぞ惑ふとのたまひし人は 宇治川の対岸で過ごした匂宮との思い出。

 「かきくらす野山の雪を眺めても
  降りにしことぞ今日も悲しき」

    "Kaki-kurasu noyama no yuki wo nagame te mo
    huri ni si koto zo kehu mo kanasiki

 「降りしきる野山の雪を眺めていても
  昔のことが今日も悲しく思い出される」

  かきくらす野山の雪をながめても
  ふりにしことぞ今日も悲しき

821 かきくらす野山の雪を眺めても--降りにしことぞ今日も悲しき 浮舟の独詠歌。「降り」「古り」懸詞。『完訳』は「空を暗くして降る野山の雪に、捨て切れぬ過往の執着の悲しみを自覚」と注す。

 など、例の、慰めの手習を、行ひの隙にはしたまふ。「我世になくて年隔たりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし」など、思ひ出づる時も多かり。若菜をおろそかなる籠に入れて、人の持て来たりけるを、尼君見て、

  nado, rei no, nagusame no tenarahi wo, okonahi no hima ni ha si tamahu. "Ware yo ni naku te tosi hedatari nuru wo, omohiiduru hito mo ara m kasi." nado, omohiiduru toki mo ohokari. Wakana wo orosoka naru ko ni ire te, hito no mote ki tari keru wo, AmaGimi mi te,

 などと、いつもの、慰めの手習いを、お勤めの合間になさる。「わたしがいなくなって、年も変わったが、思い出す人もきっといるだろう」などと、思い出す時も多かった。若菜を粗末な籠に入れて、人が持って来たのを、尼君が見て、

 などと書いたりする手習いは仏勤めの合い間に今もしていた。自分のいなくなった春から次の春に移ったことで、自分を思い出している人もあろうなどと去年の思い出されることが多かった。そまつなかごに若菜を盛って人が持参したのを見て、

822 我世になくて年隔たりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし 浮舟の心中の思い。

 「山里の雪間の若菜摘みはやし
  なほ生ひ先の頼まるるかな」

    "Yamazato no yukima no wakana tumi hayasi
    naho ohisaki no tanoma ruru kana

 「山里の雪の間に生えた若菜を摘み祝っては
  やはりあなたの将来が期待されます」

  山里の雪間の若菜摘みはやしなほ
  ひさきの頼まるるかな

823 山里の雪間の若菜摘みはやし--なほ生ひ先の頼まるるかな 妹尼君の浮舟への贈歌。「摘み」「積み」懸詞。

 とて、こなたにたてまつれたまへりければ、

  tote, konata ni tatemature tamahe ri kere ba,

 と言って、こちらに差し上げなさったので、

 という歌を添えて姫君の所へ尼君は持たせてよこした。

 「雪深き野辺の若菜も今よりは
  君がためにぞ年も摘むべき」

    "Yuki hukaki nobe no wakana mo ima yori ha
    Kimi ga tame ni zo tosi mo tumu beki

 「雪の深い野辺の若菜も今日からは
  あなた様のために長寿を祈って摘みましょう」

  雪深き野べの若菜も今よりは
  君がためにぞ年もつむべき

824 雪深き野辺の若菜も今よりは--君がためにぞ年も摘むべき 浮舟の返歌。「雪」「若菜」「摘む」の語句を用いて返す。『評釈』は「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣でに雪は降りつつ」(古今集春上、二一、光孝天皇)を指摘。

 とあるを、「さぞ思すらむ」とあはれなるにも、「見るかひあるべき御さまと思はましかば」と、まめやかにうち泣いたまふ。

  to aru wo, "Sazo obosu ram." to ahare naru ni mo. "Miru kahi aru beki ohom-sama to omoha masika ba." to, mameyakani uti-nai tamahu.

 とあるのを、「きっとそのようにお思いであろう」と感慨深くなるのも、「これがお世話しがいのあるお姿と思えたら」と、本気でお泣きになる。

 と書いて来た返しを見て、実感であろうと哀れに思うのであった。尼姫君などでなく、宝とも花とも見て大事にしたかった人であるのにと真心から尼君は悲しがって泣いた。

825 さぞ思すらむ 妹尼君の心中。

826 あはれなるにも 『集成』は「不憫に思われるにつけても」。『完訳』は「しみじみといたわしくなるにつけても」と訳す。

827 見るかひあるべき御さまと思はましかば 妹尼君の心中の思い。反実仮想の構文。浮舟の出家姿を悔やむ。

 閨のつま近き紅梅の色も香も変はらぬを、「春や昔の」と、異花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりし匂ひのしみにけるにや。後夜に閼伽奉らせたまふ。下臈の尼のすこし若きがある、召し出でて花折らすれば、かことがましく散るに、いとど匂ひ来れば、

  Neya no tuma tikaki koubai no iro mo ka mo kahara nu wo, "Haru ya mukasi no" to, kotohana yori mo kore ni kokoroyose no aru ha, aka zari si nihohi no simi ni keru ni ya? Goya ni aka tatematura se tamahu. Gerahu no Ama no sukosi wakaki ga aru, mesiide te hana wora sure ba, kakotogamasiku tiru ni, itodo nihohi kure ba,

 寝室の近くの紅梅が色も香も昔と変わらないのを、「春や昔の」と、他の花よりもこの花に愛着を感じるのは、はかなかった宮のことが忘れられなかったからあろうか。後夜に閼伽を奉りなさる。身分の低い尼で少し若いのがいるのを、呼び出して折らせると、恨みがましく散るにつけて、ますます匂って来るので、

 寝室の縁に近い紅梅の色の香も昔の花に変わらぬ木を、ことさら姫君が愛しているのは「春や昔の」(春ならぬわが身一つはもとの身にして)と忍ばれることがあるからであろう。御仏に後夜ごや勤行ごんぎょう閼伽あかの花を供える時、下級の尼の年若なのを呼んで、この紅梅の枝を折らせると、恨みを言うように花がこぼれ、香もこの時に強く立った。

828 春や昔のと 『源氏釈』は「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今集恋五、七四七、在原業平・伊勢物語、四段)を指摘。

829 飽かざりし匂ひのしみにけるにや 『異本紫明抄』は「飽かざりし君が匂ひの恋しさに梅の花をぞ今朝は折りつる」(拾遺集雑春、一〇〇五、具平親王)を指摘。『湖月抄』は「地」と指摘。『集成』は「はかない逢瀬だった匂宮のことが忘れられないのだろうか。浮舟の心事を忖度する体の草子地」と注す。

830 閼伽奉らせたまふ 「せ」使役の助動詞。下文の下臈の尼に花を折らせたことと一連の叙述。

831 かことがましく散るに 浮舟の感情移入による叙述。接続助詞「に」--の一方で、というニュアンス。

 「袖触れし人こそ見えね花の香の
  それかと匂ふ春のあけぼの」

    "Sode hure si hito koso miye ne hana no ka no
    sore ka to nihohu haru no akebono

 「袖を触れ合った人の姿は見えないが、花の香が
  あの人の香と同じように匂って来る、春の夜明けよ」

  袖ふれし人こそ見えね花の香の
  それかとにほふ春のあけぼの

832 袖触れし人こそ見えね花の香の--それかと匂ふ春のあけぼの 浮舟の独詠歌。『全書』は「色よりも香こそあはれと思ほゆれたが袖触れし宿の梅ぞも」(古今集春上、三三、読人しらず)を指摘。匂宮を思い出す。

姫君のその時の作である。

第二段 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪

 大尼君の孫の紀伊守なりける、このころ上りて来たり。三十ばかりにて、容貌きよげに誇りかなるさましたり。

  Oho-AmaGimi no mumago no Kii-no-Kami nari keru, konokoro nobori te ki tari. Samzihu bakari nite, katati kiyogeni hokori ka naru sama si tari.

 大尼君の孫で紀伊守であった者が、このころ上京して来た。三十歳ほどで、容貌も美しげで誇らしい様子をしていた。

 大尼君の孫で紀伊守きいのかみになっている人がこのころ上京していてたずねて来た。三十くらいできれいな風采ふうさいをし思い上がった顔つきをしていた。

833 孫の紀伊守なりける 大島本は「きのかみなりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「紀伊守なりけるが」と「が」を補訂する。『新大系』は底本のまま「紀伊守なりける」とする。大尼君の孫、妹尼君の甥。

 「何ごとか、去年、一昨年」

  "Nanigoto ka, kozo, ototosi."

 「いかがでしたか、去年や、一昨年は」

 大尼君の所で去年のこととか、一昨年おととしのこととかをこうとしているのであったが、

834 何ごとか去年一昨年 紀伊守の詞。

 など問ふに、ほけほけしきさまなれば、こなたに来て、

  nado tohu ni, hokehokesiki sama nare ba, konata ni ki te,

 などとお尋ねになるが、耄碌した様子なので、こちらに来て、

 ぼけてしまったふうであったから、そこを辞して叔母おばの尼君の所へ来た。

835 こなたに来て 妹尼の部屋。浮舟も同居。

 「いとこよなくこそ、ひがみたまひにけれ。あはれにもはべるかな。残りなき御さまを、見たてまつること難くて、遠きほどに年月を過ぐしはべるよ。親たちものしたまはで後は、一所をこそ、御代はりに思ひきこえはべりつれ。常陸の北の方は、訪れきこえたまふや」

  "Ito koyonaku koso, higami tamahi ni kere. Ahareni mo haberu kana! Nokori naki ohom-sama wo, mi tatematuru koto kataku te, tohoki hodo ni tosituki wo sugusi haberu yo. Oya-tati monosi tamaha de noti ha, hitotokoro wo koso, ohom-kahari ni omohi kikoye haberi ture. Hitati no Kitanokata ha, otodure kikoye tamahu ya?"

 「とてもすっかり、耄碌しておしまいになった。お気の毒なことですね。残り少ないご様子を、拝し上げることもむずかしくて、遠い所で年月を過ごしておりますことよ。両親がお亡くなりになって以後は、祖母お一方を、親代わりにお思い申し上げておりました。常陸介の北の方は、お便り差し上げなさいますか」

 「非常に老いぼれておしまいになりましたね。気の毒ですね。御老体のお世話をすることもできずに遠い国で年を送っていますのは相済まぬことだと思っているのですよ。両親のいなくなりましてからは、お祖母ばあさんだけがその代わりのたいせつな方だと思って来たのですがね。常陸ひたち夫人からはたよりがまいりますか」

836 いとこよなくこそ 以下「訪れきこえたまふや」まで、紀伊守の詞。

837 遠きほどに年月を過ぐしはべるよ 紀伊守として赴任していたことをさす。

838 親たちものしたまはで 紀伊守の両親。ともに死去。大尼君の子。

839 一所をこそ御代はりに 大尼君を親代わりに。

840 常陸の北の方は 紀伊守の妹、常陸介の妻となっている。浮舟の継父の常陸介とは別人。

 と言ふは、いもうとなるべし。

  to ihu ha, imouto naru besi.

 と言うのは、その妹なのであろう。

 と言うのはこの人の女の兄弟のことらしい。

841 と言ふはいもうとなるべし 浮舟の耳を通しての叙述。

 「年月に添へては、つれづれにあはれなることのみまさりてなむ。常陸は、久しう訪れきこえたまはざめり。え待ちつけたまふまじきさまになむ見えたまふ」

  "Tosituki ni sohe te ha, turedureni ahare naru koto nomi masari te nam. Hitati ha, hisasiu otodure kikoye tamaha za' meri. E matituke tamahu maziki sama ni nam miye tamahu."

 「年月のたつにつれて、することもないままに悲しいことばかりが増えて。常陸は、長いことお便り申し上げなさらないようです。お待ち申し上げることもできないようにお見えになります」

 「歳月がたつにしたがって周囲が寂しくなりますよ。常陸は久しく手紙をよこしませんよ。上京するまでお祖母ばあ様がいらっしゃるかどうかあぶないようでもあるのですよ」

842 年月に添へては 以下「見えたまふ」まで、妹尼君の詞。

843 久しう訪れ 大島本は「ひさしう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いと久しく」と「いと」を補訂する。『新大系』は底本のまま「久しう」とする。

844 え待ちつけたまふまじきさまに 『完訳』は「守の北の方の帰京を待てずに母尼が死ぬのではないかと危ぶむ」と注す。

 とのたまふに、「わが親の名」と、あいなく耳止まれるに、また言ふやう、

  to notamahu ni, "Waga oya no na." to, ainaku mimi tomare ru ni, mata ihu yau,

 とおっしゃるので、「自分の親の名前だ」と、無関係ながらも耳にとまったが、また言うことには、

 浮舟の姫君は自身の親と同じ名の呼ばれていることにわけもなく耳がとまるのであったが、また客が、

845 わが親の名と 浮舟の心中。継父は常陸介、同じ呼び名。

 「まかり上りて日ごろになりはべりぬるを、公事のいとしげく、むつかしうのみはべるにかかづらひてなむ。昨日もさぶらはむと思ひたまへしを、右大将殿の宇治におはせし御供に仕うまつりて、故八の宮の住みたまひし所におはして、日暮らしたまひし。

  "Makari nobori te higoro ni nari haberi nuru wo, ohoyakegoto no ito sigeku, mutukasiu nomi haberu ni kakadurahi te nam. Kinohu mo saburaha m to omohi tamahe si wo, Udaisyau-dono no Udi ni ohase si ohom-tomo ni tukaumaturi te, ko-Hati-no-Miya no sumi tamahi si tokoro ni ohasi te, hi kurasi tamahi si.

 「上京して何日にもなりましたが、公務がたいそう忙しくて、面倒なことばかりにかかずらっておりまして。昨日もお伺いしようと存じておりましたのに、右大将殿が宇治へお出かけになるお供にお仕えしまして、故八の宮がお住まいになっていた所にいらして、一日中お過ごしになりました。

 「京へ出てまいってもすぐに伺えませんでした。地方官としてこちらでする仕事がたくさんでめんどうなことも中にはあるのです。それに昨日きのうこそは伺おうと思っていたのですが、それも右大将さんの宇治へおいでになったお供に行ってしまいましてね。以前の八の宮の住んでおいでになった所に終日おいでになったのですよ。

846 まかり上りて 以下「急ぎせさせはべりなむ」まで、紀伊守の詞。

847 右大将殿の 薫。

848 故八の宮の住みたまひし 故宇治八宮の邸。

 故宮の御女に通ひたまひしを、まづ一所は一年亡せたまひにき。その御おとうと、また忍びて据ゑたてまつりたまへりけるを、去年の春また亡せたまひにければ、その御果てのわざせさせたまはむこと、かの寺の律師になむ、さるべきことのたまはせて、なにがしも、かの女の装束一領、調じはべるべきを、せさせたまひてむや。織らすべきものは、急ぎせさせはべりなむ」

  Ko-Miya no ohom-Musume ni kayohi tamahi si wo, madu hitotokoro ha hitotose use tamahi ni ki. Sono ohom-otouto, mata sinobi te suwe tatematuri tamahe ri keru wo, kozo no haru mata use tamahi ni kere ba, sono ohom-hate no waza se sase tamaha m koto, kano tera no Risi ni nam, sarubeki koto notamaha se te, Nanigasi mo, kano womna no sauzoku hitokudari, teuzi haberu beki wo, se sase tamahi te m ya? Orasu beki mono ha, isogi se sase haberi na m."

 故宮の娘にお通いになっていたが、まずお一方は先年お亡くなりになりました。その妹に、再びこっそりと住まわせ申していらしたが、去年の春またお亡くなりになったので、その一周忌のご法事をあそばしますことを、あの寺の律師に、しかるべき事柄をお命じになって、わたしも、その女装束一領を、調製しなければならないのですが、こちらで作ってくださいませんでしょうか。織る材料は、急いで準備させましょう」

 宮の姫君の所へ通っておられたのですが、最初の方は前におくしになって、そのお妹さんをまたそこへ隠すように住ませて通っておいでになったのですが、去年の春またお亡くなりになったのです。一周忌の仏事をされることになっていまして、宇治の寺の律師をお呼び寄せになって、その日の指図さしずをしておいでになりましてね。私もその方に供える女の装束一そろいの調製を命ぜられましたが、あなたの手でこしらえてくださらないでしょうか。織らすものは急いで織り屋へ命じることにしますから」

849 故宮の御女に通ひたまひしを 故大君。

850 その御おとうと 浮舟をさす。

851 なにがしも 自称、紀伊守。

852 せさせたまひてむや 妹尼君に調製を依頼。

 と言ふを聞くに、いかでかあはれならざらむ。「人やあやしと見む」とつつましうて、奥に向ひてゐたまへり。尼君、

  to ihu wo kiku ni, ikadeka ahare nara zara m. "Hito ya ayasi to mi m." to tutumasiu te, oku ni mukahi te wi tamahe ri. AmaGimi,

 と言うのを聞くと、どうして胸を打たないことがあろう。「人が変だと見るだろう」と気がひけて、奥の方を向いて座っていた。尼君が、

 こう言うのを姫君が聞いていて身にしまぬわけもない、人に不審を起こさせまいと奥のほうに向いていた。尼君が、

853 いかでかあはれならざらむ 大島本は「いかてか」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかでかは」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかでか」とする。挿入句。語り手の浮舟の心中を忖度。

854 人やあやしと見む 浮舟の心中の思い。

 「かの聖の親王の御女は、二人と聞きしを、兵部卿宮の北の方は、いづれぞ」

  "Kano Hiziri-no-Miko no ohom-Musume ha, hutari to kiki si wo, Hyaubukyau-no-Miya no Kitanokata ha, idure zo?"

 「あの聖の親王の姫君は、お二方と聞いていたが、兵部卿宮の北の方は、どちらですか」

 「あのひじりみや様の姫君は二人と聞いていましたがね、兵部卿ひょうぶきょうの宮の奥様はどうなの、そのお一人でしょう」

855 かの聖の親王の 以下「いづれぞ」まで、妹尼君の詞。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃると、

 と問うた。

 「この大将殿の御後のは、劣り腹なるべし。ことことしうももてなしたまはざりけるを、いみじう悲しびたまふなり。初めのはた、いみじかりき。ほとほと出家もしたまひつべかりきかし」

  "Kono Daisyau-dono no ohom-noti no ha, otoribara naru besi. Kotokotosiu mo motenasi tamaha zari keru wo, imiziu kanasibi tamahu nari. Hazime no hata, imizikari ki. Hotohoto suke mo si tamahi tu bekari ki kasi."

 「この大将殿の二人目の方は、妾腹なのでしょう。特に表立った扱いをしなかったのですが、ひどくお悲しみになっているのです。最初の方は、また大変なお悲しみようでした。もう少しのところで出家なさってしまいそうなところでした」

 「大将さんのあとのほうの御愛人は八の宮の庶子でいらっしゃったのでしょう。正当な奥様という待遇はしておいでにならなかったのですが、今では非常に悲しがっておいでになります。初めの方にお別れになった時もたいへんで、もう少しで出家もされるところでした」

856 この大将殿の 以下「したまひつべかりきかし」まで、紀伊守の詞。

857 初めのはた 大君の死去に際しては。

 など語る。

  nado kataru.

 などと話す。

 こんなことも語っている。

第三段 浮舟、薫の噂など漏れ聞く

 「かのわたりの親しき人なりけり」と見るにも、さすが恐ろし。

  "Kano watari no sitasiki hito nari keri." to miru ni mo, sasuga osorosi.

 「あの方の親しい人であった」と見るにつけても、やはり恐ろしい。

 大将の家来の一人であるらしいと思うと、さすがに恐ろしく思われる姫君であった。

858 かのわたりの親しき人なりけり 浮舟の心中。紀伊守を薫の家来と知る。

859 さすが恐ろし 『完訳』は「薫には知られぬとは思うが、やはり恐ろしい」と注す。

 「あやしく、やうのものと、かしこにてしも亡せたまひけること。昨日も、いと不便にはべりしかな。川近き所にて、水をのぞきたまひて、いみじう泣きたまひき。上にのぼりたまひて、柱に書きつけたまひし、

  "Ayasiku, yau no mono to, kasiko nite simo use tamahi keru koto. Kinohu mo, ito hubin ni haberi si kana! Kaha tikaki tokoro nite, midu wo nozoki tamahi te, imiziu naki tamahi ki. Uhe ni nobori tamahi te, hasira ni kakituke tamahi si,

 「不思議と、二人も同じように、あそこでお亡くなりなったことだ。昨日も、たいそうおいたわしゅうございました。宇治川に近い所で、川の水を覗き込みなさって、ひどくお泣きになった。上の部屋にお上りになって、柱にお書きつけなさった、

 「しかもお二人とも同じ宇治でおくしになったのですから不思議ですね。昨日きのうもお気の毒なことでした。川に近い所で水をおのぞきになって非常にお泣きになりましたよ、うちへお上がりになって柱へお書きになった歌は、

860 あやしく 以下「過ぐしはべりぬる」まで、紀伊守の詞。

861 昨日もいと不便にはべりしかな 『集成』は「薫の取り乱しようを言う」と注す。

862 上にのぼりたまひて 宇治の邸の上の部屋。

  見し人は影も止まらぬ水の上に
  落ち添ふ涙いとどせきあへず

    Mi si hito ha kage mo tomara nu midu no uhe ni
    oti sohu namida itodo seki ahe zu

  あの人は跡形もとどめず、身を投げたその川の面に
  いっしょに落ちるわたしの涙がますます止めがたいことよ

  見し人は影もとまらぬ水の上に
  落ち添ふ涙いとどせきあへず

863 見し人は影も止まらぬ水の上に--落ち添ふ涙いとどせきあへず 薫の独詠歌。「涙」に「波」を響かす。「影」「水」「波」縁語。

 となむはべりし。言に表はしてのたまふことは少なけれど、ただ、けしきには、いとあはれなる御さまになむ見えたまひし。女は、いみじくめでたてまつりぬべくなむ。若くはべりし時より、優におはしますと見たてまつりしみにしかば、世の中の一の所も、何とも思ひはべらず、ただ、この殿を頼みきこえてなむ、過ぐしはべりぬる」

  to nam haberi si. Koto ni arahasi te notamahu koto ha sukunakere do, tada, kesiki ni ha, ito ahare naru ohom-sama ni nam miye tamahi si. Womna ha, imiziku mede tatematuri nu beku nam. Wakaku haberi si toki yori, iuni ohasimasu to mi tatematuri simi ni sika ba, yononaka no iti-no-tokoro mo, nani to mo omohi habera zu, tada, kono Tono wo tanomi kikoye te nam, sugusi haberi nuru."

 とございました。言葉に現しておっしゃることは少ないが、ただ、態度には、まことにおいたわしいご様子にお見えでした。女は、たいそう賞賛するにちがいないほどでした。若うございました時から、ご立派でいらっしゃるとすっかり拝見していましたので、世の中の第一の権力者のところも、何とも思いませんで、ただ、この殿だけを信頼申し上げて、過ごして参りました」

 というのでした。口にはあまりお出しにならない方ですが、御様子でお悲しいことがよくうかがえるのです。女だったらどんなに心がかれるかしれない方だと思われました。私は少年時代から優雅な方だと心にんで思われた方ですからね、現代の第一の権家はどこであっても、私はそのほうへ行きたくありませんで、大将の御庇護ひごにあずかるのを幸福に感じて今日まで来ました」

864 女はいみじくめでたてまつりぬべくなむ 『完訳』は「女なら誰しも、薫の心やさしさを賞讃するに違いないとする」と注す。

865 若くはべりし時より 主語は紀伊守。自分の体験をいう。

866 優におはします 大島本は「おハします」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはす」と校訂する。『新大系』は底本のまま「おはします」とする。

867 世の中の一の所も 当代の最高権力者。夕霧をさすか。

868 頼みきこえて 大島本は「たのミきこえて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「頼みきこえさせて」と「させ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「頼みきこえて」とする。

 と語るに、「ことに深き心もなげなるかやうの人だに、御ありさまは見知りにけり」と思ふ。尼君、

  to kataru ni, "Kotoni hukaki kokoro mo nage naru kayau no hito dani, ohom-arisama ha misiri ni keri." to omohu. AmaGimi,

 と話すので、「特別に深い思慮もなさそうなこのような人でさえ、ご様子はお分かりになったのだ」と思う。尼君は、

 この話を聞いていて、高い見識を備えたというのでもないこうした人さえかおるのすぐれたところは見知っているのであると浮舟は思った。

869 ことに深き 以下「見知りにけり」まで、浮舟の心中の思い。『完訳』は「主人の秘密まで軽率に言う様子から、浮舟が守をも評す」と注す。

 「光君と聞こえけむ故院の御ありさまには、並びたまはじとおぼゆるを、ただ今の世に、この御族ぞめでられたまふなる。右の大殿と」

  "Hikaru-Kimi to kikoye kem ko-Win no ohom-arisama ni ha, narabi tamaha zi to oboyuru wo, tada ima no yo ni, kono ohom-zou zo mede rare tamahu naru. Migi-no-Ohotono to."

 「光る君と申し上げた故院のご様子には、お並びになることはできまいと思われますが、ただ今の世で、この一族が賞賛されているそうですね。右の大殿とはどうですか」

 「それでも、光源氏と初めはお言われになったお父様の六条院の御容姿にはかなうまいと思うがねえ。まあ何にもせよ現在の世の中でほめたたえられる方というのは六条院の御子孫に限られてますね。まず左大臣」

870 光君と聞こえけむ 以下「右の大殿と」まで、妹尼君の詞。

871 並びたまはじ 大島本は「ならひ給ハし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「え並びたまはじ」と「え」を補訂する。『新大系』は底本のまま「並び給はじ」とする。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃると、


 「それは、容貌もいとうるはしうけうらに、宿徳にて、際ことなるさまぞしたまへる。兵部卿宮ぞ、いといみじうおはするや。女にて馴れ仕うまつらばや、となむおぼえはべる」

  "Sore ha, katati mo ito uruhasiu keura ni, suutoku nite, kiha koto naru sama zo si tamahe ru. Hyaubukyau-no-Miya zo, ito imiziu ohasuru ya. Womna nite nare tukaumatura baya, to nam oboye haberu."

 「あの方は、器量もまことに凛々しく美しくて、貫祿があって、身分が格別なようでいらっしゃいます。兵部卿宮が、たいそう美しくいらっしゃいますね。女の身として親しくお仕えいたしたい、と思われます」

 「そうです。御容貌がりっぱでおきれいで、いかにも重臣らしい貫禄かんろくがおありになりますよ。兵部卿ひょうぶきょうの宮は御美貌の点では最優秀な方だと思えますね。女だったら私もあの方の女房になる望みを持つことでしょう」

872 それは容貌も 以下「なむおぼえはべる」まで、紀伊守の詞。

873 けうらに 大島本は「けうらに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「きよらに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「けうらに」とする。

 など、教へたらむやうに言ひ続く。あはれにもをかしくも聞くに、身の上もこの世のことともおぼえず。とどこほることなく語りおきて出でぬ。

  nado, wosihe tara m yau ni ihi tuduku. Ahareni mo wokasiku mo kiku ni, minouhe mo konoyo no koto to mo oboye zu. Todokohoru koto naku katari oki te ide nu.

 などと、誰かが教えたように言い続ける。感慨深く興味深くも聞くにつけ、わが身の上もこの世のことと思われない。すっかり話しおいて出て行った。

 などと今の世間を多く知らぬ叔母おばを教えようとするように紀伊守きいのかみは言い続けた。

874 教へたらむやうに 『集成』は「誰かが(浮舟に聞かせるように)教えたかのようにしゃべり続ける」と注す。

875 身の上も 浮舟自身の身の上。

876 語りおきて出でぬ 主語は紀伊守。

第四段 浮舟、尼君と語り交す

 「忘れたまはぬにこそは」とあはれに思ふにも、いとど母君の御心のうち推し量らるれど、なかなか言ふかひなきさまを見え聞こえたてまつらむは、なほつつましくぞありける。かの人の言ひつけしことどもを、染め急ぐを見るにつけても、あやしうめづらかなる心地すれど、かけても言ひ出でられず。裁ち縫ひなどするを、

  "Wasure tamaha nu ni koso ha." to ahare ni omohu ni mo, itodo HahaGimi no mi-kokoro no uti osihakara rure do, nakanaka ihukahinaki sama wo miye kikoye tatematura m ha, naho tutumasiku zo ari keru. Kano hito no ihituke si koto-domo wo, some isogu wo miru ni tuke te mo, ayasiu meduraka naru kokoti sure do, kakete mo ihi ide rare zu. Tati nuhi nado suru wo,

 「お忘れになっていないのだ」としみじみと思うが、ますます母君のご心中が推し量られるが、かえって何とも言いようのない姿をお見せ申し上げるのは、やはりとても気がひけるのであった。あの人が言ったことなど、衣装の染める準備をするのを見るにつけても、不思議な有りえないような気がするが、とても口にはお出しになれない。物を裁ったり縫ったりなどするのを、

 浮舟の姫君はおかしくも聞き、身にしむふしのあるのも覚え、語られた貴人たちも仮作の人物のような気がし、しまいには自身までも小説の中の一人ではないかと思われるのであった。宇治の話によって大将が今も自分の死をいたんでいることを知り、悲しみのわく心にはまた、まして母はどれほど思い乱れていることであろうと推理して想像することもできたが、かえって哀れな尼になっている自分の姿を見せては悲しみを増させることとなろうと思った。紀伊守から頼まれた女装束に使う材料を尼君が手もとで染めさせたりなどしているのを見ては不思議なことにあうように浮舟は思われるのであるが、自身がその人であったなどとは言いだせなかった。裁縫たちぬいをしていた女房の一人が、

877 忘れたまはぬにこそは 浮舟の心中。薫は自分浮舟のことを。

878 あはれに思ふにも 大島本は「あハれに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あはれと」と校訂する。『新大系』は底本のまま「あはれに」とする。

879 つつましくぞ 大島本は「つゝましくそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いとつつましくぞ」と「いと」を補訂する。『新大系』は底本のまま「つつましくぞ」とする。

880 かの人の 紀伊守。

881 ことどもを 大島本は「事ともを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなど」と校訂する。『新大系』は底本のまま「事どもを」とする。

 「これ御覧じ入れよ。ものをいとうつくしうひねらせたまへば」

  "Kore goranzi ire yo. Mono wo ito utukusiu hinera se tamahe ba."

 「これを手伝ってください。とても上手に折り曲げなされるから」

 「これはいかがでございますか。あなた様はきれいに端がおれになりますから」

882 これ御覧じ入れよ 以下「ひねらせたまへば」まで、妹尼君の詞。『集成』は「「御覧入る」は、「見入る」(注視する、世話する)の敬語」。『完訳』は「手伝ってください、の意」と注す。

883 ひねらせたまへば 『完訳』は「反物の縁を折り曲げてくけずにおくこと」と注す。

 とて、小袿の単衣たてまつるを、うたておぼゆれば、「心地悪し」とて、手も触れず臥したまへり。尼君、急ぐことをうち捨てて、「いかが思さるる」など思ひ乱れたまふ。紅に桜の織物の袿重ねて、

  tote, koutiki no hitohe tatematuru wo, utate oboyure ba, "Kokoti asi." tote, te mo hure zu husi tamahe ri. AmaGimi, isogu koto wo uti-sute te, "Ikaga obosa ruru?" nado omohi midare tamahu. Kurenawi ni sakura no orimono no utiki kasane te,

 と言って、小袿の単衣をお渡し申すのを、嫌な気がするので、「気分が悪い」と言って、手も触れず横になっていらっしゃった。尼君は、急ぐことを放って、「どのようなお加減か」などと心配なさる。紅に桜の織物の袿を重ねて、

 と言って小袿こうちぎにつける単衣ひとえの生地を持って来た時、悲しいような気になった姫君は、気分が悪いからと言って手にも触れずに横になってしまった。尼君は急ぎの仕事も打ちやって、どんなふうに身体からだが悪くなったのかと心配してそばへ寄って来た。あかい単衣の生地の上に、桜色の厚織物を仮に重ねて見せ、

884 心地悪し 浮舟の詞。

885 いかが思さるる 妹尼君の詞。

 「御前には、かかるをこそ奉らすべけれ。あさましき墨染なりや」

  "Omahe ni ha, kakaru wo koso tatematurasu bekere. Asamasiki sumizome nari ya!"

 「御前様には、このような物をお召しになるのがよいでしょうに。あさましい墨染ですこと」

 「姫君にはこんなのをお着せしたいのに、情けない墨染めの姿におなりになって」

886 御前には 以下「墨染めなりや」まで、女房の詞。「御前」は浮舟をさす。

 と言ふ人あり。

  to ihu hito ari.

 と言う女房もいる。

 と言う女房があった。

 「尼衣変はれる身にやありし世の
  形見に袖をかけて偲ばむ」

    "Amagoromo kahare ru mi ni ya arisiyo no
    katami ni sode wo kake te sinoba m

 「尼衣に変わった身の上で、昔の形見として
  この華やかな衣装を身につけて、今さら昔を偲ぼうか」

  あま衣変はれる身にやありし世の
  かたみのそでをかけて忍ばん

887 尼衣変はれる身にやありし世の--形見に袖をかけて偲ばむ 浮舟の独詠歌。「や--偲ばむ」疑問形。

 と書きて、「いとほしく、亡くもなりなむ後に、物の隠れなき世なりければ、聞きあはせなどして、疎ましきまでに隠しけるなどや思はむ」など、さまざま思ひつつ、

  to kaki te, "Itohosiku, naku mo nari na m noti ni, mono no kakure naki yo nari kere ba, kiki ahase nado si te, utomasiki made ni kakusi keru nado ya omoha m?" nado, samazama omohi tutu,

 と書いて、「お気の毒に、亡くなった後に、隠し通すこともできない世の中なので、聞き合わせたりなどして、疎ましいまでに隠していた、と思うだろうか」などと、いろいろと思いながら、

 と浮舟の姫君は書き、行くえの知れぬことになって人々を悲しませた自分の噂はいつか伝わって来ることであろうから、真実のことを尼君のさとる日になって、憎いほどにも隠し続けたと自分を思うかもしれぬと知った心から、

888 いとほしく 以下「とや思はむ」まで、浮舟の心中の思い。

889 疎ましきまでに 大島本は「うとましきま(ま$ま<朱>)てに」とある。すなわち「ま」を朱筆で「ま」と訂正する。『集成』『完本』は諸本に従って「まで」と「に」を削除する。『新大系』は底本のまま「までに」とする。浮舟が素姓を隠していたことを尼君は。

890 隠しけるなどや 大島本は「なとや」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とや」と「な」を削除する。『新大系』は底本のまま「などや」とする。

 「過ぎにし方のことは、絶えて忘れはべりにしを、かやうなることを思し急ぐにつけてこそ、ほのかにあはれなれ」

  "Sugi ni si kata no koto ha, taye te wasure haberi ni si wo, kayau naru koto wo obosi isogu ni tuke te koso, honokani ahare nare."

 「過ぎ去ったことは、すっかり忘れてしまいましたので、このようなことをお急ぎになることにつけ、何かしらしみじみと感じられるのです」

 「昔のことは皆忘れていましたけれども、こうしたお仕立て物などをなさいますのを見ますとなんだか悲しい気になるのですよ」

891 過ぎにし方のことは 以下「あはれなれ」まで、浮舟の詞。

892 ほのかにあはれなれ 『完訳』は「漠然とした懐旧の念、の趣」と注す。

 とおほどかにのたまふ。

  to ohodoka ni notamahu.

 とおっとりとおっしゃる。

 とおおように尼君へ言った。

893 おほどかにのたまふ 心の動揺を見透かされないように。

 「さりとも、思し出づることは多からむを、尽きせず隔てたまふこそ心憂けれ。身には、かかる世の常の色あひなど、久しく忘れにければ、なほなほしくはべるにつけても、昔の人あらましかば、など思ひ出ではべる。しか扱ひきこえたまひけむ人、世におはすらむ。やがて、亡くなして見はべりしだに、なほいづこにあらむ、そことだに尋ね聞かまほしくおぼえはべるを、行方知らで、思ひきこえたまふ人びとはべるらむかし」

  "Saritomo, obosiiduru koto ha ohokara m wo, tuki se zu hedate tamahu koso kokoroukere. Mi ni ha, kakaru yo no tune no iroahi nado, hisasiku wasure ni kere ba, nahonahosiku haberu ni tuke te mo, mukasi no hito ara masika ba, nado omohiide haberu. Sika atukahi kikoye tamahi kem hito, yo ni ohasu ram. Yagate, naku nasi te mi haberi si dani, naho iduko ni ara m, soko to dani tadune kika mahosiku oboye haberu wo, yukuhe sira de, omohi kikoye tamahu hitobito haberu ram kasi."

 「そうはおっしゃっても、お思い出しになることは多くありましょうが、いつまでもお隠しになっているのが情けないですわ。わたしは、このような世俗の人の着る色合いなどは、長いこと忘れてしまったので、平凡にしかできませんので、亡くなった娘が生きていたら、などと思い出されます。そのようにお世話申し上げなさった母君は、この世においでですか。そのまま、娘を亡くした母でさえ、やはりどこかに生きていようか、その居場所だけでも尋ね聞きたく思われますのに、その行く方も分からず、ご心配申し上げていらっしゃる方々がございましょう」

 「どんなになっておいでになっても、昔のことはいろいろ恋しくお思い出しになるに違いないのに、今になってもそうした話を聞かせてくださらないのが恨めしくてなりませんよ。このうちではこんな普通の衣服の色の取り合わせをしたりすることが長くなかったのですから、品のないものにしかでき上がらないでね、死んだ人が生きておればと、そんなことを思い出していますが、あなたにもそうしてお世話をなさいました方がいらっしゃるのですか。私のように死なせてしまった娘さえも、どんな所へ行っているのだろう、どの世界というだけでも聞きたいとばかし思われるのですからね、御両親は行くえのわからなくなったあなたをどんなに恋しく思っておいでになるかしれませんね」

894 さりとも 以下「はべらむかし」まで、妹尼君の詞。

895 身には 大島本は「身にハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ここには」と校訂する。『新大系』は底本のまま「身には」とする。

896 昔の人あらましかば 妹尼の亡き娘。

897 しか扱ひきこえたまひけむ人 同じようにあなたをお世話申し上げなさった方、すなわち、浮舟の母、の意。

898 世におはすらむやがて 大島本は「よにおハすらんやかて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「世におはすらむや。かく」と校訂する。『新大系』は底本のまま「世におはすらむ。やがて」とする。

899 亡くなして見はべりしだに 娘を亡くした母親のわたしでさえ。

900 行方知らで 浮舟は行方不明となって。

901 思ひきこえたまふ人びと ご心配申し上げていらっしゃる方々。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃるので、


 「見しほどまでは、一人はものしたまひき。この月ごろ亡せやしたまひぬらむ」

  "Mi si hodo made ha, hitori ha monosi tamahi ki. Kono tukigoro use ya si tamahi nu ram?"

 「俗世にいた時は、片親ございました。ここ数か月の間にお亡くなりなったかも知れません」

 「あの時まで両親の一人だけはおりました。あれからのち死んでしまったかもしれません」

902 見しほどまでは 以下「したまひぬらむ」まで、浮舟の詞。「見しほど」とは俗世にいた時の意。

903 一人はものしたまひき 母親という意。

 とて、涙の落つるを紛らはして、

  tote, namida no oturu wo magirahasi te,

 と言って、涙が落ちるのを紛らわして、

 こう言ううちに涙の落ちてくるのを紛らして、浮舟は、

 「なかなか思ひ出づるにつけて、うたてはべればこそ、え聞こえ出でね。隔ては何ごとにか残しはべらむ」

  "Nakanaka omohiiduru ni tuke te, utate habere ba koso, e kikoye ide ne. Hedate ha nanigoto ni ka nokosi habera m."

 「かえって思い出しますことにつけて、嫌に思われますので、申し上げることができません。隠し事はどうしてございましょうか」

 「思い出しましてはかえって苦しくばかりなるものですから、お話ができなかったのでございますよ。少しの隔て心もあなたにお持ちしておりません」

904 なかなか 以下「残しはべらむ」まで、浮舟の詞。

905 何ごとにか--はべらむ 反語表現。何も隠していない、意。

 と、言少なにのたまひなしつ。

  to, kotozukuna ni notamahi nasi tu.

 と、言葉少なにおっしゃった。

 と簡単に言うのであった。

第五段 薫、明石中宮のもとに参上

 大将は、この果てのわざなどせさせたまひて、「はかなくて、止みぬるかな」とあはれに思す。かの常陸の子どもは、かうぶりしたりしは、蔵人になして、わが御司の将監になしなど、労りたまひけり。「童なるが、中にきよげなるをば、近く使ひ馴らさむ」とぞ思したりける。

  Daisyau ha, kono hate no waza nado se sase tamahi te, "Hakanaku te, yami nuru kana!" to ahareni obosu. Kano Hitati no kodomo ha, kauburi si tari si ha, Kuraudo ni nasi te, waga ohom-tukasa no Zou ni nasi nado, itahari tamahi keri. "Waraha naru ga, naka ni kiyoge naru wo ba, tikaku tukahi narasa m." to zo obosi tari keru.

 大将は、この一周忌の法事なをおさせにになって、「あっけなくて、終わってしまったな」としみじみとお思いになる。あの常陸の子どもは、元服した者は、蔵人にして、ご自分の近衛府の将監に就けたりなど、面倒を見ておやりになった。「童であるが、中に小綺麗なのを、お側近くに召し使おう」とお思いになっていたのであった。

 薫は一周忌の仏事を営み、はかない結末になったものであると浮舟うきふねを悲しんだ。あの常陸守の子で仕官していたのは蔵人くろうどにしてやり、自身の右近衛府うこんえふ将監しょうげんをも兼ねさせてやった。まだ童形どうぎょうでいる者の中できれいな顔の子を手もとへ使おうと思っていた。

906 この果てのわざなど 浮舟の一周忌。三月末。

907 はかなくて、止みぬるかな 大島本は「はかなくて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はかなくても」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「はかなくて」とする。薫の感想。

908 かの常陸の子ども 浮舟の継父の子供。

909 蔵人になして 大島本は「くら人になして」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「蔵人になし」と「て」を削除する。『新大系』は底本のまま「蔵人になして」とする。

910 わが御司の将監 右近衛府の将監(三等官)。

 雨など降りてしめやかなる夜、后の宮に参りたまへり。御前のどやかなる日にて、御物語など聞こえたまふついでに、

  Ame nado huri te simeyaka naru yoru, Kisai-no-Miya ni mawiri tamahe ri. Omahe nodoyaka naru hi nite, ohom-monogatari nado kikoye tamahu tuide ni,

 雨などが降ってひっそりとした夜に、后の宮に参上なさった。御前はのんびりとした日なので、お話などを申し上げるついでに、

 雨が降りなどしてしんみりとした夜に大将は中宮ちゅうぐうの御殿へまいった。お居間にあまり人のいない時で、親しくお話ができるのであった。

911 后の宮 明石中宮。

912 御物語など聞こえたまふついでに 薫が中宮に。

 「あやしき山里に、年ごろまかり通ひ見たまへしを、人の誹りはべりしも、さるべきにこそはあらめ。誰れも心の寄る方のことは、さなむある、と思ひたまへなしつつ、なほ時々見たまへしを、所のさがにやと、心憂く思ひたまへなりにし後は、道も遥けき心地しはべりて、久しうものしはべらぬを、先つころ、もののたよりにまかりて、はかなき世のありさまとり重ねて思ひたまへしに、ことさら道心起こすべく造りおきたりける、聖の住処となむおぼえはべりし」

  "Ayasiki yamazato ni, tosigoro makari kayohi mi tamahe si wo, hito no sosiri haberi si mo, sarubeki ni koso ha ara me. Tare mo kokoro no yoru kata no koto ha, sa nam aru, to omohi tamahe nasi tutu, naho tokidoki mi tamahe si wo, tokoro no saga ni ya to, kokorouku omohi tamahe nari ni si noti ha, miti mo harukeki kokoti si haberi te, hisasiu monosi habera nu wo, saitukoro, mono no tayori ni makari te, hakanaki yo no arisama torikasane te omohi tamahe si ni, kotosara dausin okosu beku tukuri oki tari keru, hiziri no sumika to nam oboye haberi si."

 「辺鄙な山里に、何年も通っておりましたところ、人の非難もございましたが、そのようになるはずの運命であったのでしょう。誰でも気に入った向きのことは、同じなのだ、と納得させながら、やはり時々逢っておりましたところ、場所柄のせいかと、嫌に思うことがございまして以後は、道のりも遠くに感じられまして、長いこと通わないでいましたが、最近、ある機会に行きまして、はかないこの世の有様を重ね重ね存じられましたので、ことさらにわが道心を起こすために造っておかれた、聖の住処のように思われました」

 「ずっと引っ込みました山里に、以前から愛していた人を置いてございましたのを、人から何かと言われましたが、前生の因縁でこの人が好きになったのだ、だれも心のかれる相手というものはそうした約束事になっているのだからと、非難を恐れもしませんでしたが、くしてしまいまして、これも悲しい名のついた所のせいであろうと、土地に好意が持たれなくなりましてからは久しく出かけることもいたしませんでしたが、ひさびさ先日ほかの用もあってまいりまして、このうちは人生のはかなさをいろいろにして私へ思い知らせ、仏道へ深く私を導こうとされるひじりが私のためにことさらこしらえておかれた場所であったと気がついて帰りました」

913 あやしき山里に 以下「おぼえはべりし」まで、薫の詞。宇治の話。

914 人の誹りはべりしも 『完訳』は「正室女二の宮の側近者が非難がましかったか」と注す。

915 所のさがにや 宇治の地名は「憂し」に通じる。

916 はかなき世のありさまとり重ねて 大君の死と浮舟の死を体験。

917 道心 大島本は「道心」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「道心を」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のまま「道心」とする。

918 聖の住処 故八宮の邸をいう。

 と啓したまふに、かのこと思し出でて、いといとほしければ、

  to keisi tamahu ni, kano koto obosiide te, ito itohosikere ba,

 と申し上げなさるので、あのことをお思い出しになって、とてもお気の毒なので、

 薫のこの言葉から中宮は僧都そうずの話をお思い出しになり、かわいそうに思召おぼしめして、

919 かのこと 横川僧都が話したこと。浮舟のこと。

 「そこには、恐ろしき物や住むらむ。いかやうにてか、かの人は亡くなりにし」

  "Soko ni ha, osorosiki mono ya sumu ram. Ikayau nite ka, kano hito ha nakunari ni si?"

 「そこには、恐ろしいものが住んでいるのでしょうか。どのようにして、その方は亡くなったのですか」

 「そのおうちには目に見えぬこわいものが住んでいるのではありませんか。どんなふうでその方は亡くなりましたか」

920 そこには恐ろしき物や 以下「亡くなりにし」まで、中宮の詞。

 と問はせたまふを、「なほ、続きを思し寄る方」と思ひて、

  to toha se tamahu wo, "Naho, tuduki wo obosi yoru kata." to omohi te,

 とお尋ねあそばすのを、「やはり、引き続いての死去をお考えになってか」と思って、

 とお尋ねになったのを、二人までも恋人の死んだことを知っておいでになって、幽鬼のせいと思召してのお言葉であろうと大将は解釈した。

921 なほ、続きを思し寄る方 大島本は「つゝきを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うちつづきたるを」と「うち」と「たる」を補訂する。『新大系』は底本のまま「つづきを」とする。薫の心中。主語は中宮。

 「さもはべらむ。さやうの人離れたる所は、よからぬものなむかならず住みつきはべるを。亡せはべりにしさまもなむ、いとあやしくはべる」

  "Samo habera m. Sayau no hito hanare taru tokoro ha, yokara nu mono nam kanarazu sumituki haberu wo. Use haberi ni si sama mo nam, ito ayasiku haberu."

 「そうかも知れません。そのような人里離れた所には、けしからぬものがきっと住みついているのでしょうよ。亡くなった様子も、まことに不思議でございました」

 「そんなこともございましょう。そうした人けのまれな所には必ず悪いものが来て住みつきますから。それに亡くなりようも普通ではございませんでした」

922 さもはべらむ 以下「あやしくはべる」まで、薫の詞。

923 亡せはべりにしさまも 浮舟の死。失踪入水と推測。

 とて、詳しくは聞こえたまはず。「なほ、かく忍ぶる筋を、聞きあらはしけり」と思ひたまはむが、いとほしく思され、宮の、ものをのみ思して、そのころは病になりたまひしを、思し合はするにも、さすがに心苦しうて、「かたがたに口入れにくき人の上」と思し止めつ。

  tote, kuhasiku ha kikoye tamaha zu. "Naho, kaku sinoburu sudi wo, kiki arahasi keri." to omohi tamaha m ga, itohosiku obosa re, Miya no, mono wo nomi obosi te, sonokoro ha yamahi ni nari tamahi si wo, obosi ahasuru ni mo, sasugani kokorogurusiu te, "Katagata ni kutiire nikuki hito no uhe." to obosi todome tu.

 と言って、詳しくは申し上げなさらない。「やはり、このように隠している事柄を、すっかり聞き出してるのだわ」とお思いなさるようなのが、実に気の毒にお思いになり、宮が、物思いに沈んで、その当時病気におなりになったのを、思い合わせなさると、やはり何といっても心が痛んで、「どちらの立場からも口出しにくい方の話だ」とおやめになった。

 薫はくわしく申し上げることはしなかった。こうして隠そうとしている話に触れてゆくのはよろしくないし、事実を自分に知られたと思うのはいたましいと思召されて、兵部卿の宮が憂悶ゆうもんしておいでになり、そのころ病気にもおなりになったこともお思いになっては、宮の心情も哀れにお思われになり、いずれにしても口の出されぬ人のことであるとして、話そうとあそばしたこともおやめになった。

924 なほかく忍ぶる筋を聞きあらはしけり 中宮の心遣い。「忍ぶる筋」の主語は薫。「聞きあらはしてけり」の主語は中宮。

925 思ひたまはむが 主語は薫。

926 いとほしく思され 主語は中宮。

927 宮のものをのみ思して 匂宮が浮舟失踪当時。

928 思し合はするにも 主語は中宮。

929 かたがたに口入れにくき人の上 中宮の心中。薫にも匂宮にも。「人」は浮舟をさす。

 小宰相に、忍びて、

  Ko-Saisyau ni, sinobi te,

 小宰相に、こっそりと、

 中宮は小宰相にそっと、

 「大将、かの人のことを、いとあはれと思ひてのたまひしに、いとほしうて、うち出でつべかりしかど、それにもあらざらむものゆゑと、つつましうてなむ。君ぞ、ことごと聞き合はせける。かたはならむことはとり隠して、さることなむありけると、おほかたの物語のついでに、僧都の言ひしことを語れ」

  "Daisyau, kano hito no koto wo, ito ahare to omohi te notamahi si ni, itohosiu te, uti-ide tu bekari sika do, sore ni mo ara zara m mono yuwe to, tutumasiu te nam. Kimi zo, kotogoto kiki ahase keru. Kataha nara m koto ha tori-kakusi te, saru koto nam ari keru to, ohokata no monogatari no tuide ni, Soudu no ihi si koto wo katare."

 「大将は、あの人のことを、とてもしみじみと思ってお話になったが、お気の毒で、打ち明けてしまいそうだったが、その人かどうかも分からないからと、気がひけてね。あなたは、あれこれ聞いていたわね。不都合と思われるようなことは隠して、こういうことがあったと、世間話のついでに、僧都が言ったことを話しなさい」

 「大将があの人のことを今も恋しいふうに話したからかわいそうで、私はあの話をしてしまうところだったけれど、確かにそれときめても言えないことでもあったから、気がひけて言うことができなかった。あなたは僧都にいろいろ質問もして聞いていたのだから、恥に感じさせるようなことは言わずに、こんなことがあったとほかの話のついでに僧都の言ったことを話してあげなさいね」

930 大将かの人のことを 以下「言ひしことを語れ」まで、中宮の詞。「かの人」は浮舟。

931 かたはならむことは 薫にとって不都合なこと。

932 言ひしことを 大島本は「ことを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こと」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「ことを」とする。

 とのたまはす。

  to notamahasu.

 と仰せになる。

 とお言いになった。

 「御前にだにつつませたまはむことを、まして、異人はいかでか」

  "Omahe ni dani tutumase tamaha m koto wo, masite, kotobito ha ikadeka."

 「御前様でさえ遠慮あそばしているようなことを。まして、他人のわたしにはお話しできません」

 「宮様でさえお言いにくく思召すことを他人の私がそれをお話し申し上げますことは」

933 御前に 以下「いかでか」まで、小宰相君の詞。

934 いかでか 反語表現。下に「聞こえむ」などの語句が省略。

 と聞こえさすれど、

  to kikoyesasure do,

 申し上げるが、

 小宰相はこう申すのであったが、

 「さまざまなることにこそ。また、まろはいとほしきことぞあるや」

  "Samazama naru koto ni koso. Mata, maro ha itohosiki koto zo aru ya!"

 「時と場合によります。また、わたしには不都合な事情があるのですよ」

 「それはまたそれでいいのよ。私にはまた気の毒で言いにくいわけもあってね」

935 さまざまなる 以下「ことぞあるや」まで、中宮の詞。『完訳』は「匂宮の横恋慕を念頭に言う」と注す。

 とのたまはするも、心得て、をかしと見たてまつる。

  to notamahasuru mo, kokoroe te, wokasi to mi tatematuru.

 と仰せになるが、真意を理解して、素晴らしい心遣いだと拝する。

 これは兵部卿の宮がかかわりを持っておいでになるために仰せられるのであろうと小宰相はさとった。

第六段 小宰相、薫に僧都の話を語る

 立ち寄りて物語などしたまふついでに、言ひ出でたり。珍かにあやしと、いかでか驚かれたまはざらむ。「宮の問はせたまひしも、かかることを、ほの思し寄りてなりけり。などか、のたまはせ果つまじき」とつらけれど、

  Tatiyori te monogatari nado si tamahu tuide ni, ihi ide tari. Medurakani ayasi to, ikadeka odoroka re tamaha zara m. "Miya no toha se tamahi si mo, kakaru koto wo, hono-obosiyori te nari keri. Nadoka, notamahase hatu maziki." to turakere do,

 立ち寄ってお話などなさるついでに、言い出した。珍しくも不思議なことだと、どうして驚かないことがあろう。「宮がお尋ねあそばしたことも、このようなことを、ちらっとお聞きあそばしてのことだったのだ。どうして、すっかり話してくださらなかったのだろう」とつらい思いがするが、

 小宰相の部屋へやへ寄って、世間話などをするかおるに、その人は僧都の話を告げた。意外千万な、珍しい話を聞いて驚かぬはずはない。中宮が宇治の家のことをお尋ねになったのも、この話をしようとあそばすお心だったらしい。なぜ御自身で語ってくださらなかったのであろうと思われて恨めしかったが、

936 立ち寄りて 薫が小宰相君のもとに。

937 珍かに--たまはざらむ 『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。語り手が薫の心中を憶測。

938 宮の問はせたまひしも 以下「のたまはせ果つまじき」まで、薫の心中の思い。

 「我もまた初めよりありしさまのこと聞こえそめざりしかば、聞きて後も、なほをこがましき心地して、人にすべて漏らさぬを、なかなか他には聞こゆることもあらむかし。うつつの人びとのなかに忍ぶることだに、隠れある世の中かは」

  "Ware mo mata hazime yori ari si sama no koto kikoye some zari sika ba, kiki te noti mo, naho wokogamasiki kokoti si te, hito ni subete morasa nu wo, nakanaka hoka ni ha kikoyuru koto mo ara m kasi. Ututu no hitobito no naka ni sinoburu koto dani, kakure aru yononaka kaha!"

 「自分もまた初めからの様子を申し上げなかったのだから、こうして聞いた後にも、やはり馬鹿らしい気がして、他人には全部話さないのを、かえって他では聞いていることもあろう。現実の人びとの中で隠していることでさえ、隠し通せる世の中だろうか」

 自身もあの人の死の真相を初めから聞かされなかったために、知ってからも疑いが解けないで人に自殺したなどとは言わなかった。かえって他へは真実のことがれているのであろう、当事者どうしで秘密にしようと努めることも知れてしまわない世の中ではないのであるから

939 我もまた 以下「世の中かは」まで、薫の心中の思い。

940 聞こえそめざりしかば 『完訳』は「下に、中宮が話してくれぬのもいたしかたない、ぐらいの意」と注す。

941 人にすべて漏らさぬを 主語は自分薫。

 など思ひ入りて、「この人にも、さなむありし」など、明かしたまはむことは、なほ口重き心地して、

  nado omohiiri te, "Kono hito ni mo, sa nam ari si." nado, akasi tamaha m koto ha, naho kuti omoki kokoti si te,

 などと考え込んで、「この人にも、これこれであった」などと、打ち明けなさることは、やはり話にくい気がして、

 と思い続け、小宰相にも自殺する目的のあった人だったとは言いだすことにまだ口重い気がして薫はならない。

942 この人にも 小宰相君。

 「なほ、あやしと思ひし人のことに、似てもありける人のありさまかな。さて、その人は、なほあらむや」

  "Naho, ayasi to omohi si hito no koto ni, ni te mo ari keru hito no arisama kana! Sate, sono hito ha, naho ara m ya?"

 「やはり、不思議に思った女の身の上と、似ていた人の様子ですね。ところで、その人は、今も無事でいますか」

 「まだ今日さえ不審の晴れない人のことに似た話ですね。それで、その人はまだ生きていますか」

943 なほあやしと 以下「なほあらむや」まで、薫の詞。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とお尋ねになると、

 と言うと、

 「かの僧都の山より出でし日なむ、尼になしつる。いみじうわづらひしほどにも、見る人惜しみてせさせざりしを、正身の本意深きよしを言ひてなりぬる、とこそはべるなりしか」

  "Kano Soudu no yama yori ide si hi nam, ama ni nasi turu. Imiziu wadurahi si hodo ni mo, miru hito wosimi te se sase zari si wo, sauzimi no ho'i hukaki yosi wo ihi te nari nuru, to koso haberu nari sika."

 「あの僧都が山から下りた日に、尼にしました。ひどく病んでいた時には、世話する人が惜しんでさせなかったが、ご本人が深い念願だと言ってなってしまったのだ、ということでございました」

 「あの僧都が山から出ました日に尼になすったそうです。重くわずらっています間にも、人が皆惜しんで尼にはさせなかったのでありましたが、その人自身がぜひそうなりたいと言ってなってしまったと僧都はお言いになりました」

944 かの僧都の 以下「はべるなりしか」まで、小宰相君の詞。

 と言ふ。所も変はらず、そのころのありさまと思ひあはするに、違ふふしなければ、

  to ihu. Tokoro mo kahara zu, sonokoro no arisama to omohi ahasuru ni, tagahu husi nakere ba,

 と言う。場所も違わず、その当時のありさまなどを思い合わせると、違うところがないので、

 小宰相はこう答えた。場所も宇治であり、そのころのことを考えてみれば皆符合することばかりであるために、

945 思ひあはするに 主語は薫。

 「まことにそれと尋ね出でたらむ、いとあさましき心地もすべきかな。いかでかは、たしかに聞くべき。下り立ちて尋ねありかむも、かたくなしなどや人言ひなさむ。また、かの宮も聞きつけたまへらむには、かならず思し出でて、思ひ入りにけむ道も妨げたまひてむかし。

  "Makoto ni sore to tadune ide tara m, ito asamasiki kokoti mo su beki kana! Ikadekaha, tasika ni kiku beki. Oritati te tadune arika m mo, katakunasi nado ya hito ihinasa m. Mata, kano Miya mo kikituke tamahe ra m ni ha, kanarazu obosiide te, omohiiri ni kem miti mo samatage tamahi te m kasi.

 「本当にその女だと探し出したら、とても嫌な気がするだろうな。どうしたら、確実なことが聞けようか。自分自身で直接訪ねて行くのも、愚かしいなどと人が言ったりしようか。また、あの宮が聞きつけなさったら、きっと思い出しなさって、決心なさっていた仏道もお妨げなさることであろう。

 どうすればもっとくわしく聞くことができるであろう、自分自身が一所懸命になってその人を捜し求めるのも、人から単純過ぎた男と見られるであろう。またあの宮のお耳にはいることがあれば必ず捨ててはお置きにならずお近づきになり、いったんはいった仏の御弟子みでしの道も妨げておしまいになることであろう、

946 まことにそれと 以下「また使はじ」まで、薫の心中の思い。

947 かの宮も 匂宮。

948 思ひ入りにけむ道も 浮舟が決心して入った出家生活。

 さて、『さなのたまひそ』など聞こえおきたまひければや、我には、さることなむ聞きしと、さる珍しきことを聞こし召しながら、のたまはせぬにやありけむ。宮もかかづらひたまふにては、いみじうあはれと思ひながらも、さらに、やがて亡せにしものと思ひなしてを止みなむ。

  Sate, 'Sa na notamahi so.' nado kikoye oki tamahi kere ba ya, ware ni ha, saru koto nam kiki si to, saru medurasiki koto wo kikosimesi nagara, notamaha se nu ni ya ari kem. Miya mo kakadurahi tamahu nite ha, imiziu ahare to omohi nagara mo, sarani, yagate use ni si mono to omohinasi te wo yami na m.

 そのようなわけで、『そのようなことをおっしゃるな』などと、申し上げおきなさったせいであろうか、わたしには、そのようなことを聞いたと、そのような珍しいことをお聞きあそばしながら、仰せにならなかったのであろうか。宮も関係なさっていては、せつなくいとしいと思いながらも、きっぱりと、そのまま亡くなってしまったものと思い諦めよう。

 もうすでに宮は知っておいでになって、その話を大将へくわしくはあそばさぬようにと頼んでお置きになったために、こうした珍しい話がお耳にはいっていながら、御自身では中宮が言ってくださらなかったのかもしれぬ。宮がまだあの関係を続けようとしておいでになるのであれば、どんなにあの人を愛していても、自分はもうあの時のまま死んだ人と思うことにしてしまおう、

949 さて 『集成』は「(匂宮は)そんなお積りで」。『完訳』は「匂宮はそのつもりで、中宮に、薫にはおっしゃるななどと申しおかれたので。このあたり、中宮が薫に詳しく言わなかった理由を推測しようとする」と注す。

950 聞こえおきたまひければや 薫は、匂宮が中宮に申し上げおかれたのだろうか、と疑う。

951 のたまはせぬにや 薫は、中宮が私にはおっしゃらないのか、と疑う。

952 いみじうあはれと思ひながらも 『集成』は「せつないほいどいとしく思われるものから」。『完訳』は「自分は、浮舟をせつなくいとしいと思いながらも、以下、浮舟を死んだものと諦めようとする」と注す。

 うつし人になりて、末の世には、黄なる泉のほとりばかりを、おのづから語らひ寄る風の紛れもありなむ。我がものに取り返し見むの心地、また使はじ」

  Utusibito ni nari te, suwe no yo ni ha, ki naru idumi no hotori bakari wo, onodukara katarahi yoru kaze no magire mo ari na m. Waga mono ni torikahesi mi m no kokoti, mata tukaha zi."

 この世の人として立ち戻ったならば、いつの日にか、黄泉のほとりの話を、自然と話し合える時もきっとあろう。自分の女として取り戻して世話するような考えは、二度と持つまい」

 生死の線が隔てた二人と思い、いつかは黄色の泉のほとりで風の吹き寄せるままに逢いうることがあるかもしれぬのを待とう、愛人として取り返すために心をつかうことはしないほうがよかろう

953 うつし人になりて 『集成』は「(浮舟が)再びこの世の人になったとあれば」と注す。接続助詞「て」仮定の文意。

954 末の世には 遠い将来には。薫はかすかな期待を漠然と思い描く。

955 黄なる泉のほとりばかりを 「黄泉」、来世の話を語り合える機会を期待。

956 心地 大島本は「心ち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心は」と校訂する。『新大系』は底本のまま「心ち」とする。

 など思ひ乱れて、「なほ、のたまはずやあらむ」とおぼゆれど、御けしきのゆかしければ、大宮に、さるべきついで作り出だしてぞ、啓したまふ。

  nado omohi midare te, "Naho, notamaha zu ya ara m?" to oboyure do, mi-kesiki no yukasikere ba, Oho-Miya ni, sarubeki tuide tukuri idasi te zo, keisi tamahu.

 などと思い乱れて、「やはり、仰せにならないだろう」という気はするが、ご様子が気にかかるので、大宮に、適当な機会を作り出して、申し上げなさる。

 などと煩悶はんもんする大将であった。やはりその話に触れようとあそばさないであろうかと思われるのであったが、中宮の思召すところが知りたくて、機会を作って薫はお話しにまいった。

957 なほのたまはずやあらむ 薫の心中の思い。

958 おぼゆれど 大島本は「おほゆれと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思へど」と校訂する。『新大系』は底本のまま「おぼゆれど」とする。

959 大宮に 中宮に。

960 作り出だしてぞ 大島本は「いたしてそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出でてぞ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「出だしてぞ」とする。

第七段 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く

 「あさましうて、失ひはべりぬと思ひたまへし人、世に落ちあぶれてあるやうに、人のまねびはべりしかな。いかでか、さることははべらむ、と思ひたまふれど、心とおどろおどろしう、もて離るることははべらずや、と思ひわたりはべる人のありさまにはべれば、人の語りはべしやうにては、さるやうもやはべらむと、似つかはしく思ひたまへらるる」

  "Asamasiu te, usinahi haberi nu to omohi tamahe si hito, yo ni oti abure te aru yau ni, hito no manebi haberi si kana! Ikadeka, saru koto ha habera m, to omohi tamahure do, kokoro to odoroodorosiu, mote hanaruru koto ha habera zu ya, to omohi watari haberu hito no arisama ni habere ba, hito no katari habe' si yau nite ha, saru yau mo ya habera m to, nitukahasiku omohi tamahe raruru."

 「思いがけないことで、亡くなってしまったと存じておりました女が、この世に落ちぶれて生きているように、人が話してくれました。どうして、そのようなことがございましょうか、と存じますが、自分から大胆なことをして、離れて行くようなことはしないであろうか、とずっと思い続けていた女の様子でございますので、人の話してくれたような事情では、そのようなこともございましょうかと、似ているように存じられました」

 「突然死なせてしまったと私の思っていました人が漂泊さすらってこの世にまだおりますような話を聞かされました。そんなことがあろうはずはないと思われますものの、また自殺などの決行できる強い性質ではなかったことを考えますと、その話のように人に助けられておりますのが性格に似合わしいことのようにも思われるのでございます」

961 あさましうて 以下「思ひたまへらるる」まで、薫の詞。

962 心とおどろおどろしう 浮舟が自分から進んで入水ということをして。

963 もて離るることは 浮舟が私薫から離れていくこと。

964 語りはべしやう 大島本は「侍へしやう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべりしやう」と「り」を補訂する。『新大系』は底本のまま「侍(は)べしやう」とする。

965 さるやうもやはべらむと似つかはしく思ひたまへらるる 『完訳』は「気弱な性分から投身はありえないが、物の怪のせいというのなら合点」と注す。

 とて、今すこし聞こえ出でたまふ。宮の御ことを、いと恥づかしげに、さすがに恨みたるさまには言ひなしたまはで、

  tote, ima sukosi kikoye ide tamahu. Miya no ohom-koto wo, ito hadukasige ni, sasugani urami taru sama ni ha ihinasi tamaha de,

 と言って、もう少し申し上げなさる。宮のお身の上の事を、とても憚りあるように、そうはいっても恨んでいるようにはおっしゃらないで、

 と言い、その話を以前よりも細かに申し上げ、兵部卿ひょうぶきょうの宮のことを、尊敬を払うふうで、お恨み申しているようには申さずお話をして、

966 宮の御ことを 匂宮のこと。

967 いと恥づかしげに 『集成』は「いかにも毅然とした態度で。匂宮の介入は許さぬといった面持」。『完訳』は「いかにも憚りありげに、それでも恨んでいる言い方はされず」と注す。

 「かのこと、またさなむと聞きつけたまへらば、かたくなに好き好きしうも思されぬべし。さらに、さてありけりとも、知らず顔にて過ぐしはべりなむ」

  "Kano koto, mata sa nam to kikituke tamahe ra ba, katakunani sukizukisiu mo obosa re nu besi. Sarani, sate ari keri to mo, sirazugaho nite sugusi haberi na m."

 「あのことを、またこれこれとお耳になさいましたら、頑固で好色なようにお思いなさるでしょう。まったく、そうして生きていたとしても、知らない顔をして過ごしましょう」

 「拾われて生きていますことがあの方のお耳にはいっているのでございましたら、私が女を疑って見る能力の欠けた愚か者に見えることでございますから、なお生きているとも知らぬふうにしてそのまま置こうかとも思います」

968 かのこと 以下「過ぐしはべりなむ」まで、薫の詞。浮舟のこと。

969 さなむと 私薫が浮舟を探し出したということ。

970 聞きつけたまへらば 主語は匂宮。

971 さてありけりとも知らず顔にて過ぐしはべりなむ 『集成』は「ことを秘密にしておきたいと婉曲に釘をさす」と注す。

 と啓したまへば、

  to keisi tamahe ba,

 と申し上げなさると、

 と申すのであった。

 「僧都の語りしに、いともの恐ろしかりし夜のことにて、耳も止めざりしことにこそ。宮は、いかでか聞きたまはむ。聞こえむ方なかりける御心のほどかな、と聞けば、まして聞きつけたまはむこそ、いと苦しかるべけれ。かかる筋につけて、いと軽く憂きものにのみ、世に知られたまひぬめれば、心憂く」

  "Soudu no katari si ni, ito mono-osorosikari si yo no koto nite, mimi mo todome zari si koto ni koso. Miya ha, ikadeka kiki tamaha m. Kikoye m kata nakari keru mi-kokoro no hodo kana, to kike ba, masite kikituke tamaha m koso, ito kurusikaru bekere. Kakaru sudi ni tuke te, ito karoku uki mono ni nomi, yo ni sira re tamahi nu mere ba, kokorouku."

 「僧都が話したことですが、とても気味の悪かった夜のことで、耳も止めなかったことなのです。宮は、どうしてご存知でしょう。何とも申し上げようのないご料簡だ、と思いますので、ましてその話をお聞きつけなさるのは、まことに困ったことです。このようなことにつけて、まことに軽々しく困った方だとばかり、世間にお知られになっているようなので、情けなく思っています」

 「僧都が宇治の話をした晩はね、こわいような気のする晩でしたからね、くわしくは聞かなかったあのことですね。兵部卿の宮が知っておいでになるはずは絶対にありません。何とも批評のしようのない性質だと私もよく歎息させられる方なのだから、ましてその話を聞かせてはめんどうをお起こしになるでしょう。恋愛問題では軽薄な多情男だとばかり言われておいでになる方だから、私は悲しんでいます」

972 僧都の語りしに 以下「心憂くなむ」まで、中宮の詞。

973 宮はいかでか聞きたまはむ 反語表現。匂宮は知らない。

974 聞こえむ方なかりける御心のほどかなと聞けば 『完訳』は「匂宮の了簡を論外とする。母として詫びる気持」と注す。

975 聞きつけたまはむこそ 主語は匂宮。

976 心憂く 大島本は「心うく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心憂くなむ」と「なむ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「心憂く」とする。

 などのたまはす。「いと重き御心なれば、かならずしも、うちとけ世語りにても、人の忍びて啓しけむことを、漏らさせたまはじ」など思す。

  nado notamahasu. "Ito omoki mi-kokoro nare ba, kanarazusimo, utitoke yogatari nite mo, hito no sinobi te keisi kem koto wo, mora sase tamaha zi." nado obosu.

 などと仰せになる。「とても慎重なお人柄なので、必ずしも、気安い世間話であっても、誰かがこっそりと申し上げたことを、お漏らしあそばすまい」などとお思いになる。

 中宮はこう仰せになった。聡明そうめいな方であるから人が夜話にしたことではあっても、必ずしもほかへお洩らしになることはなかろうと薫は思った。

977 などのたまはす 大島本は「なとの給ハす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とのたまはす」と校訂する。『新大系』は底本のまま「などの給はす」とする。

978 いと重き御心なれば 以下「漏らさせたまはじ」まで、薫の心中。中宮の人柄について思う。

 「住むらむ山里はいづこにかはあらむ。いかにして、さま悪しからず尋ね寄らむ。僧都に会ひてこそは、たしかなるありさまも聞き合はせなどして、ともかくも問ふべかめれ」など、ただ、このことを起き臥し思す。

  "Sumu ram yamazato ha iduko ni kaha ara m? Ikani si te, sama asikara zu taduneyora m. Soudu ni ahi te koso ha, tasika naru arisama mo kiki ahase nado si te, tomokakumo tohu beka' mere." nado, tada, kono koto wo okihusi obosu.

 「その住んでいるという山里はどの辺であろうか。どのようにして、体裁悪くなく探し出せようか。僧都に会って、確かな様子を聞き合わせたりして、ともかく訪ねるのがよかろう」などと、ただ、このことばかりを寝ても覚めてもお考えになる。

 住んでいる家は小野のどこにあるのであろう。どんなふうに世間体を作ってあの人にまた逢おう、何よりも僧都にまず逢ってみてくわしいことをともかくも知っておく必要があると薫は明け暮れこのことをばかり思い悩んだ。

979 住むらむ山里は 以下「問ふべかめれ」まで、薫の心中の思い。

980 いづこにかは 大島本は「いつこにかハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いづこにか」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「いづこにかは」とする。

 月ごとの八日は、かならず尊きわざせさせたまへば、薬師仏に寄せたてまつるにもてなしたまへるたよりに、中堂に、時々参りたまひけり。それよりやがて横川におはせむと思して、かのせうとの童なる、率ておはす。「その人びとには、とみに知らせじ。ありさまにぞ従はむ」と思せど、うち見む夢の心地にも、あはれをも加へむとにやありけむ。さすがに、「その人とは見つけながら、あやしきさまに、形異なる人の中にて、憂きことを聞きつけたらむこそ、いみじかるべけれ」と、よろづに道すがら思し乱れけるにや。

  Tukigoto no yauka ha, kanarazu tahutoki waza se sase tamahe ba, Yakusi-Botoke ni yose tatematuru ni motenasi tamahe ru tayori ni, Tiudau ni, tokidoki mawiri tamahi keri. Sore yori yagate Yokaha ni ohase m to obosi te, kano seuto no waraha naru, wi te ohasu. "Sono hitobito ni ha, tomi ni sirase zi. Arisama ni zo sitagaha m." to obose do, uti-mi m yume no kokoti ni mo, ahare wo mo kuhahe m to ni ya ari kem. Sasugani, "Sono hito to ha mituke nagara, ayasiki sama ni, katati koto naru hito no naka nite, uki koto wo kikituke tara m koso, imizikaru bekere." to, yoroduni mitisugara obosi midare keru ni ya?

 毎月の八日は、必ず仏事をおさせになるので、薬師仏にご寄進申し上げなさろうとお出かけになるついでに、根本中堂には、時々お参りになった。そこからそのまま横川においでになろうとお考えになって、あの弟の童である者を、連れておいでになる。「その人たちには、すぐには知らせまい。その時の状況を見てからにしよう」とお思いになるが、再会した時の夢のような心地の上につけて、しみじみとした感慨を加えようというつもりであったのだろうか。そうはいっても、「その人だと分かったものの、みすぼらしい姿で、尼姿の人たちの中に暮らしていて、嫌なことを耳にしたりするのは、ひどくつらいことであろう」と、いろいろと道すがら思い乱れなさったことだろうか。

 毎月八の日には必ず何かの仏事を行なう習慣になっていて、薬師仏の供養をその時にすることもあるので叡山えいざんへも時々行く大将であったから、そこの帰りに横川よかわへ寄ろうと思い、浮舟の異父弟をも供の中へ入れて行った。母とか弟とかそうした人たちにさえすぐには知らすことをすまい、その場の都合で今日すぐに尼の家をたずねることになるかもしれぬ。夢のような再会を遂げるその時に、俗縁の親しみを覚えさせるのがよいかもしれぬと思ったのかもしれない。その人とわかったあとでも、異様な尼たちのいる所へ行き、予期せぬ事実などの聞かされることがあっては悲しいであろうなどと、行く途中でも薫はいろいろと煩悶はんもんをしたそうである。

981 月ごとの八日は 毎月八日は、六斎日の初日。薬師仏の縁日。

982 もてなしたまへる 大島本は「給つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つる」とする。ここは「へ」と「つ」の誤写と考えて、改める。

983 中堂に 大島本は「中たうに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「中堂には」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「中堂に」とする。比叡山延暦寺の根本中堂。本尊は薬師仏。

984 かのせうとの童なる率ておはす 『集成』は「すでに叡山に向け出立の体。五月の月末に近い頃かと思われる」と注す。

985 その人びとには 以下「従がはむ」まで、薫の心中の思い。「その人びと」とは浮舟の家族をさす。

986 うち見む夢の心地にもあはれをも加へむとにやありけむ 『集成』は「肉親の一人を伴った薫の気持を忖度する体の草子地」と注す。

987 その人とは 以下「いみじかるべかれ」まで、薫の心中の思い。

988 形異なる人 尼姿の人。

989 憂きことを 『集成』は「失踪後、何か男関係でもあったというようなこと」と注す。

990 よろづに道すがら思し乱れけるにや 『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「巻を閉じる形の草子地」と注す。