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第三十六帖 柏木

光る源氏の准太上天皇時代四十八歳春一月から夏四月までの物語

第一章 柏木の物語 女三の宮、薫を出産

第一段 柏木、病気のまま新年となる

 衛門督の君、かくのみ悩みわたりたまふこと、なほおこたらで、年も返りぬ。大臣、北の方、思し嘆くさまを見たてまつるに、

  Wemon-no-Kamnokimi, kaku nomi nayami watari tamahu koto, naho okotara de, tosi mo kaheri nu. Otodo, Kitanokata, obosi nageku sama wo mi tatematuru ni,

 衛門督の君、このようにばかりお病み続けになること、依然として回復せぬまま、年も改まった。大臣、北の方、お嘆きになる様子を拝見すると、

 右衛門督うえもんのかみの病気は快方に向くことなしに春が来た。父の大臣と母夫人の悲しむのを見ては、

1 衛門督の君 「柏木」巻頭の語句。格助詞や係助詞が無い。話題の提示のいわば独立格。衛門督の君、その人はどうしたかといえば、というニュアンス。ただ、下文の述語「悩みたまふ」との関係から、改めて主語と規定される。さらに「悩みわたりたまふこと」が主語となるので、複文構造、さらに「年も返りぬ」の主語-述語関係が続くので、冒頭の一文全体は重文構造である。

2 悩みわたりたまふこと 主格。述語「おこたらで」に掛かる。

3 年も返りぬ 係助詞「も」強調のニュアンスを添える。

4 大臣北の方 『細流抄』は「此已下柏木の心也」と指摘。『全書』・『評釈』も柏木の心中文とする。

5 見たてまつるに 主語は柏木。この巻冒頭の語りの視点、また座標軸。

 「しひてかけ離れなむ命、かひなく、罪重かるべきことを思ふ、心は心として、また、あながちにこの世に離れがたく、惜しみ留めまほしき身かは。いはけなかりしほどより、思ふ心異にて、何ごとをも、人に今一際まさらむと、公私のことに触れて、なのめならず思ひ上りしかど、その心叶ひがたかりけり」

  "Sihite kakehanare na m inoti, kahinaku, tumi omokaru beki koto wo omohu, kokoro ha kokoro to si te, mata, anagati ni kono yo ni hanare gataku, wosimi todome mahosiki mi kaha! Ihakenakari si hodo yori, omohu kokoro koto nite, nanigoto wo mo, hito ni ima hitokiha masara m to, ohoyake watakusi no koto ni hure te, nanome nara zu omohi nobori sika do, sono kokoro kanahi gatakari keri."

 「無理して死のうと思う命、その甲斐もなく、罪障のきっと重いだろうことを思う、その考えは考えとして、また一方で、むやみに、この世から出離しがたく、惜しんで留めて置きたい身の上であろうか。幼かったときから、思う考えは格別で、どのようなことでも、人にはいま一段抜きんでたいと、公事私事につけて、並々ならず気位高く持していたが、その望みも叶いがたかった」

 死を願うことは重罪にあたることであると一方では思いながらも、自分は決して惜しい身でもない、子供の時から持っていた人に違った自尊心も、

6 しひてかけ離れなむ命 「しひてかけ離れなむ」の文中の機能について、『源氏物語講読』(佐伯梅友)は「命」に掛かるとする見方に「この場合、かいがないというのはどういうことをいうのか解しかねる」と疑問を呈する。「それで、「命かひなく、罪重かるべきこと」に対する主語のようには見られないかと考えた。しいてかけ離れてしまおうとしても、自然のままでは命が消えないとすればそう思うかいがないだろうし、またそれがかなったとしたら、親に嘆きをかけて重い罪業となるだろうと考えている意を、「命かひなく、罪重かるべし」といったと見るのである。そう思う一方では、今が死に時だとも考える気持が、次の心中の部分の終りの方に出ている」と注す。

7 罪重かるべきことを 『湖月抄』は「父母にさきだつはその歎きをかけて不孝の罪をもきる也」と注す。

8 あながちにこの世に 『講読』は「ことばの続きぐあいやら、ことばの調子やらを考えて」、以下「あはれも出で来なむ」までを柏木の心中文とする。
【この世に】-格助詞「に」基点を表す。この世から出離しがたく、の意。

9 惜しみ留めまほしき身かは 連語「かは」反語表現。言語主体は柏木。

10 思ひ上りしかど 過去の助動詞「しか」已然形、自己体験のニュアンス。

11 その心叶ひがたかりけり 『全集』は「挫折してはじめて事柄のむずかしさに気づく」と注す。

 と、一つ二つの節ごとに、身を思ひ落としてしこなた、なべての世の中すさまじう思ひなりて、後の世の行なひに本意深く進みにしを、親たちの御恨みを思ひて、野山にもあくがれむ道の重きほだしなるべくおぼえしかば、とざまかうざまに紛らはしつつ過ぐしつるを、つひに、

  to, hitotu hutatu no husi goto ni, mi wo omohi otosi te si konata, nabete no yononaka susamaziu omohi nari te, notinoyo no okonahi ni ho'i hukaku susumi ni si wo, oya-tati no ohom-urami wo omohi te, noyama ni mo akugare m miti no omoki hodasi naru beku oboye sika ba, tozamakauzama ni magirahasi tutu sugusi turu wo, tuhini,

 と、一つ二つのつまずき事に、わが身に自信をなくして以来、大方の世の中がおもしろくなく思うようになって、来世の修業に心深く惹かれたのだが、両親のご悲嘆を思うと、山野にもさまよい込む道の強い障害ともなるにちがいなく思われたので、あれやこれやと紛らわし紛らわし過ごしてきたのだが、とうとう、

 ある一つ二つの場合に得た失望感からゆがめられて以来は厭世えんせい的な思想になって、出家を志していたにもかかわらず、親たちのなげきを顧みると、このほだし遁世とんせいの実を上げさすまいと考えられて、自己を紛らしながら俗世界にいるうちに、ついに

12 なべての世の中 明融臨模本、朱合点、付箋C型「大かたのわか身一のうきからになへての世をもうらみつるかな」(拾遺集恋五、九五三、紀貫之)とあり、大島本も、朱合点、細字注記「大方は我身一のうきからになへての世をもうらみつるかな」とある。

13 後の世の行なひに本意深く進みにしを 『全集』は「柏木に出家の意志のあったことは初出」と指摘。連語「にし」完了の助動詞と過去の助動詞の複合。すでに出家へと心がすっかり傾いてしまっていた、というニュアンス。

14 親たちの御恨みを思ひて 接続助詞「て」順接の仮定条件、お嘆きを考えたら、お嘆きを考えると、の意。「重きほだしにもなりぬべく」に掛かる。

15 野山にも 明融臨模本、付箋「いつくにか世をはいとはむ心こそ野にも山にもまとふへらなれ」(古今集雑下、九四七、素性)とあり、大島本も、朱合点、付箋「いつくにか世をはいとはん心こそ野にも山にもまとふへらなれ」とある。

16 ほだしなるべく 大島本、朱合点。『河海抄』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。

 「なほ、世に立ちまふべくもおぼえぬもの思ひの、一方ならず身に添ひにたるは、我より他に誰かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれ」

  "Naho, yo ni tatimahu beku mo oboye nu monoomohi no, hitokata nara zu mi ni sohi ni taru ha, ware yori hoka ni tare kaha turaki, kokorodukara mote-sokonahi turu ni koso a' mere."

 「やはり、世の中には生きていけそうにも思われない悩みが、並々ならず身に付き纏っているのは、自分より外に誰を恨めようか、自分の料簡違いから破滅を招いたのだろう」

 生きがたいほどの物思いを同時に二つまで重ねてする身になったことは、

17 一方ならず 『大系』は「一方だけでなく(女三宮への恋と、源氏に知られたこととが)」。『全集』は「並み一とおりでなく」と訳す。

18 誰かはつらき 反語表現。『大系』は「誰がまあ、苦しいのか(皆、自分の罪である)」。『全集』は「自分自身よりほかに誰を恨むことができようか」と訳す。

 と思ふに、恨むべき人もなし。

  to omohu ni, uramu beki hito mo nasi.

 と思うと、恨むべき相手もいない。

 だれを恨むべくもない自己のあやまちである、

 「神、仏をもかこたむ方なきは、これ皆さるべきにこそはあらめ。誰も千年の松ならぬ世は、つひに止まるべきにもあらぬを、かく、人にも、すこしうちしのばれぬべきほどにて、なげのあはれをもかけたまふ人あらむをこそは、一つ思ひに燃えぬるしるしにはせめ。

  "Kami, Hotoke wo mo kakota m kata naki ha, kore mina sarubeki ni koso ha ara me. Tare mo titose no matu nara nu yo ha, tuhini tomaru beki ni mo ara nu wo, kaku, hito ni mo, sukosi uti-sinoba re nu beki hodo nite, nage no ahare wo mo kake tamahu hito ara m wo koso ha, hitotu omohi ni moye nuru sirusi ni ha se me.

 「神、仏にも不平の訴えようがないのは、これは皆前世からの因縁なのであろう。誰も千年を生きる松ではない一生は、結局いつまでも生きていられるものではないから、このように、あの人からも、少しは思い出してもらえるようなところで、かりそめの憐れみなりともかけて下さる方があろうということを、一筋の思いに燃え尽きたしるしとはしよう。

 神も仏も冥助みょうじょれたまわぬ境界にちたのは、皆前生での悲しい約束事であろう、だれも永久の命を持たない人間なのであるから、少しは惜しまれるうちに死んで、簡単な同情にもせよ、恋しい方にあわれだと思われることを自分の恋の最後に報いられたことと見よう、

19 神仏をもかこたむ方なきは 『全書』は「神仏にも不平の言ひやうがないのは」。『評釈』は「神仏のせいだともできないのは」と訳す。

20 誰も千年の松ならぬ世は 尊経閣文庫本、付箋「うくも世の思心にかなはぬかたれもちとせの松ならなくに」(古今六帖四、二〇九六)。明融臨模本は、朱合点、付箋「うくも世の思心にかなはぬかたれもちとせの松ならなくに」で同文。しかし大島本は、朱合点、行間書入「うくも世に心に物のかなはぬそたれも小野」とあり、引歌の文句が異なる。中山家本、朱合点、奥入「うくも世のおもふ心にかなはぬかたれもちとせのまつならなくに」と指摘。

21 かく人にもすこしうちしのばれぬべきほどにて 『全書』は「女三宮に少しは思い出して貰へさうな内に死んで」。『評釈』は「このように誰かに少しは死後思い出してもらえる間に」と訳す。

22 一つ思ひに燃えぬるしるし 尊経閣文庫本、付箋「夏虫の身をいたつらになすこともひとつおもひによりてなりけり」(古今集恋一、五四四、読人しらず)。明融臨模本、朱合点、付箋「夏むしの身をいたつらになす事も一思ひによりてなりけり」。大島本、朱合点、行間書入、「なつむしの身をいたつらになす事もひとつ」。中山家本、朱合点、奥入「なつむしのみをいたつらになす事もひとつ思ひによりてなりけり」とある。

 せめてながらへば、おのづからあるまじき名をも立ち、我も人も、やすからぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは、なめしと、心置いたまふらむあたりにも、さりとも思し許いてむかし。よろづのこと、今はのとぢめには、皆消えぬべきわざなり。また、異ざまの過ちしなければ、年ごろものの折ふしごとには、まつはしならひたまひにし方のあはれも出で来なむ」

  Semete nagarahe ba, onodukara arumaziki na wo mo tati, ware mo hito mo, yasukara nu midare idekuru yau mo ara m yori ha, namesi to, kokorooi tamahu ram atari ni mo, saritomo obosi yurui te m kasi. Yorodu no koto, imaha no todime ni ha, mina kiye nu beki waza nari. Mata, kotozama no ayamati si nakere ba, tosigoro mono no worihusi goto ni ha, matuhasi narahi tamahi ni si kata no ahare mo ideki na m."

 無理に生き永られていれば、自然ととんでもない噂もたち、自分にも相手にも、容易ならぬ面倒なことが出て来るようになるよりは、不届き者よと、ご不快に思われた方にも、いくら何でもお許しになろう。何もかものこと、臨終の折には、一切帳消しになるものである。また、これ以外の過失はほんとないので、長年何かの催しの機会には、いつも親しくお召し下さったことからの憐れみも生じて来よう」

 しいて生きていて自己の悪名も立ち、なお自分をもあの方をも苦しめるような道を進んで行くよりは、無礼であるとお憎しみになる院も、死ねばすべてをお許しになるであろうから、やはり死が願わしい、そのほかの点で過去に院の御感情を害したことはなく、長く恩顧を得ていた以前の御愛情が死によってよみがえってくることもあるであろう

 など、つれづれに思ひ続くるも、うち返し、いとあぢきなし。

  nado, turedure ni omohi tudukuru mo, uti-kahesi, ito adikinasi.

 などと、所在なく思い続けるが、いくら考えてみても、実にどうしようもない。

 とこんなふうに思われることが多い哀れな衛門督であった。

23 うち返しいとあぢきなし 語り手の評言。

第二段 柏木、女三の宮へ手紙

 「などかく、ほどもなくしなしつる身ならむ」と、かきくらし思ひ乱れて、枕も浮きぬばかり、人やりならず流し添へつつ、いささか隙ありとて、人びと立ち去りたまへるほどに、かしこに御文たてまつれたまふ。

  "Nado kaku, hodo mo naku si nasi turu mi nara m?" to, kakikurasi omohi midare te, makura mo uki nu bakari, hitoyarinarazu nagasi sohe tutu, isasaka hima ari tote, hitobito tatisari tamahe ru hodo ni, kasiko ni ohom-humi tatemature tamahu.

 「どうしてこのように、生きる瀬もなくしてしまった身の上なのだろう」と、心がまっくらになる思いがして、枕も浮いてしまうほどに、誰のせいでもなく涙を流しては、少しは具合が好いとあって、ご両親たちがお側を離れなさっていた時に、あちらにお手紙を差し上げなさる。

 なぜこう短時日の間に自分をめちゃめちゃにしてしまったのであろうと煩悶はんもんして、苦しい涙を流しているのであるが、病苦が少し楽になったようであると、家族たちが病室を出て行った間に衛門督は女三にょさんみやへ送る手紙を書いた。

24 などかくほどもなく 『湖月抄』は「世の不義をなす人はじめよりやがてあらはれむと思ひてはせざれども終にあらはれて悔るにもかひなくいたづらに身をころし名をくたす事なべて柏木にことなる事なし是をしるしていましめとするなるべし」注す。

25 枕も浮きぬばかり 明融臨模本、付箋「泪川枕なかるゝうきねには夢もさたかに見えすそ有ける」(古今集恋一、五二七、読人しらず)。大島本、行間書入「古今 涙川枕なかるゝうきねには」と指摘する。『源注余滴』は「独り寝の床にたまれる涙には石の枕も浮きぬべらなり」(古今六帖五、枕)を指摘する。

 「今は限りになりにてはべるありさまは、おのづから聞こしめすやうもはべらむを、いかがなりぬるとだに、御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いと憂くもはべるかな」

  "Ima ha kagiri ni nari nite haberu arisama ha, onodukara kikosimesu yau mo habera m wo, ikaga nari nuru to dani, ohom-mimi todome sase tamaha nu mo, kotowari nare do, ito uku mo haberu kana!"

 「今はもう最期となってしまいました様子は、自然とお耳に入っていらっしゃいましょうが、せめていかがですかとだけでも、お耳に止めて下さらないのも、無理もないことですが、とても情けなく存じられますよ」

 もう私の命の旦夕たんせきに迫っておりますことはどこからとなくお耳にはいっているでしょうが、どんなふうかともお尋ねくださいませんことはもっともなことですが、私としては悲しゅうございます。

26 今は限りになりにて 以下「いと憂くもはべるかな」まで、柏木の女三の宮への手紙文。死の間近に迫っていることを言い、最期の憐愍の情をかけてくれるよう訴える。

 など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふことも皆書きさして、

  nado kikoyuru ni, imiziu wananake ba, omohu koto mo mina kiki sasi te,

 などと申し上げるにつけても、ひどく手が震えるので、思っていることも皆書き残して、

 こんなことを書くのにも衛門督は手がふるえてならぬために、書きたいことも書きさして先を急いだ。

 「今はとて燃えむ煙もむすぼほれ
  絶えぬ思ひのなほや残らむ

    "Ima ha tote moye m keburi mo musubohore
    taye nu omohi no naho ya nokora m

 「もうこれが最期と燃えるわたしの荼毘の煙もくすぶって
  空に上らずあなたへの諦め切れない思いがなおもこの世に残ることでしょう

  今はとて燃えん煙も結ぼほれ
  絶えぬ思ひのなほや残らん

27 今はとて燃えむ煙もむすぼほれ--絶えぬ思ひのなほや残らむ 柏木から女三の宮への贈歌。女三の宮への愛執とこの世への執着をうたう。「思ひ」は「火」との掛詞。「煙」「火」は縁語。前の柏木の心中「一つ思ひに燃えぬるしるし」と呼応する表現。
【燃えむ煙】-明融臨模本、朱合点、付箋「この世をは後をもいかにいかにせむもえむ煙のむすほゝれつゝ」(出典未詳)。『河海抄』がこの歌を引く(ただし、第一句「この世をも」)。『異本紫明抄』は「むすぼほれ燃えむ煙をいかがせむ君だにこめよ長き契りを」(出典未詳)を指摘するが、『紹巴抄』が「引歌不及歟」と否定し、現行の注釈書でも指摘されない。

 あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇に惑はむ道の光にもしはべらむ」

  Ahare to dani notamahase yo. Kokoro nodome te, hitoyari nara nu yami ni madoha m miti no hikari ni mo si habera m."

 せめて不憫なとだけでもおっしゃって下さい。気持ちを静めて、自分から求めての無明の闇を迷い行く道の光と致しましょう」

 哀れであるとだけでも言ってください。それに満足します心を、暗いやみの世界へはいります道の光明にもいたしましょう。

28 あはれとだにのたまはせよ 以下「道の光にもしはべらむ」まで、柏木の手紙文の続き。

29 人やりならぬ 明融臨模本、朱合点。大島本、合点、行間書入「古今 人やりの道ならなくに大方」。『異本紫明抄』は「人やりならぬ道ならなくに大方はいきうしと言ひていざ帰りなむ」(古今集離別、三八八、源さね)を指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。

 と聞こえたまふ。

  to kikoye tamahu.

 と申し上げなさる。

 と結んだのであった。

 侍従にも、こりずまに、あはれなることどもを言ひおこせたまへり。

  Ziziu ni mo, korizuma ni, ahare naru koto-domo wo ihi okose tamahe ri.

 侍従にも、性懲りもなく、つらい思いの数々を書いてお寄こしになった。

 小侍従にもなお懲りずにかみは恋の苦痛を訴えて来た。

30 こりずまに 大島本、朱合点、行間書入「こりすまに又も」。『異本紫明抄』は「こりずまに又もなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今集恋三、六三一、読人しらず)を指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。「こりずまに」は歌語。

31 あはれなる 『集成』は「悲しい思いのたけの数々を」。『完訳』は「胸にしみるようなせつない言葉の数々を」と訳す。

 「みづからも、今一度言ふべきことなむ」

  "Midukara mo, ima hito-tabi ihu beki koto nam."

 「直接お会いして、もう一度申し上げたい事がある」

 直接もう一度あなたにって言いたいことがある。

32 みづからも今一度言ふべきことなむ 柏木から小侍従への手紙の要旨である。

 とのたまへれば、この人も、童より、さるたよりに参り通ひつつ、見たてまつり馴れたる人なれば、おほけなき心こそうたておぼえたまひつれ、今はと聞くは、いと悲しうて、泣く泣く、

  to notamahe re ba, kono hito mo, waraha yori, saru tayori ni mawiri kayohi tutu, mi tatematuri nare taru hito nare ba, ohokenaki kokoro koso utate oboye tamahi ture, ima ha to kiku ha, ito kanasiu te, naku naku,

 とおっしゃるので、この人も、子供の時から、あるご縁で行き来して、親しく存じ上げている人なので、大それた恋心は疎ましく思われなさるが、最期と聞くと、とても悲しくて、泣き泣き、

 とも書いてあった。小侍従も童女時代から伯母おばの縁故で親しい交情があったから、だいそれた恋をする点では、迷惑な主人筋の変わり者であると面倒には思っていたものの、生きる望みのなくなっている様子を知っては悲しくて、泣きながら、

33 さるたよりに 小侍従の母は女三の宮の乳母だが、その姉が柏木の乳母でもある。「若菜下」巻に語られていた。

34 心こそうたておぼえたまひつれ 『集成』は「「おぼえたまふ」は、思われなさる。「たまふ」は柏木に対する敬語」。『完訳』は「柏木が小侍従に思われなさる」と注す。客体敬語。

 「なほ、この御返り。まことにこれをとぢめにもこそはべれ」

  "Naho, kono ohom-kaheri. Makoto ni kore wo todime ni mo koso habere."

 「やはり、このお返事。本当にこれが最後でございましょう」

 「このお返事だけはどうかなすってくださいまし。これが最後のことでございましょうから」

35 なほこの御返り 以下「こそはべれ」まで、小侍従の女三の宮への詞。柏木の手紙に対する返事を促す。

 と聞こゆれば、

  to kikoyure ba,

 と申し上げると、

 と宮へ申し上げた。

 「われも、今日か明日かの心地して、もの心細ければ、おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど、いと心憂きことと思ひ懲りにしかば、いみじうなむつつましき」

  "Ware mo, kehu ka asu ka no kokoti si te, mono-kokorobosokere ba, ohokata no ahare bakari ha omohi sira rure do, ito kokorouki koto to omohi kori ni sika ba, imiziu nam tutumasiki."

 「わたしも、今日か明日かの心地がして、何となく心細いので、人の死は悲しいものと思いますが、まことに嫌な事であったと懲り懲りしてしまったので、とてもその気になれません」

 「私だってもういつ死ぬかわからないほど命に自信がなくなっているのだから、そうした気の毒な容体でいる人としてだけに同情もされるけれど、私はもう苦しめられることに懲りているのだから、返事などをしてかかりあいになるのは非常にいやに思われる」

36 われも、今日か明日かの心地して 以下「いみじうなむつつましき」まで、女三の宮の詞。返事のできないことをいう。
【今日か明日かの心地】-尊経閣文庫本、付箋「人の世をおいをはてにしせましかはけふかあすかもいそかさらまし」(朝忠集)。明融臨模本、付箋「人の世をおいを限(はて)にしせましかはけふかあすかもいそかさらまし」。『源氏釈』が「人のよのをいをはてにしせましかはけふかあすかもいそかさらまし」(前田家本)と指摘。しかし現行の注釈書では指摘されない。

37 おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど 『完訳』は「死に直面した人一般への憐愍」と注す。

 とて、さらに書いたまはず。

  tote, sarani kai tamaha zu.

 とおっしゃって、どうしてもお書きにならない。

 こうお言いになって、宮は書こうとあそばさない。

 御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御けしきの、折々にまほならぬが、いと恐ろしうわびしきなるべし。されど、御硯などまかなひて責めきこゆれば、しぶしぶに書いたまふ。取りて、忍びて宵の紛れに、かしこに参りぬ。

  Mi-kokoro honzyau no, tuyoku dusiyaka naru ni ha ara ne do, hadukasige naru hito no mi-kesiki no, woriwori ni maho nara nu ga, ito osorosiu wabisiki naru besi. Saredo, ohom-suzuri nado makanahi te seme kikoyure ba, sibusibu ni kai tamahu. Tori te, sinobi te yohi no magire ni, kasiko ni mawiri nu.

 ご性質が、しっかりしていて重々しいというのではないが、気の置ける方のご機嫌が時々良くないのが、とても恐く辛く思われるのであろう。けれども、御硯などを用意して是非にとお促し申し上げるので、しぶしぶとお書きになる。受け取って、こっそりと宵闇に紛れて、あちらに持って上がった。

 自重心がおありになるのではなくて、これは院のお心に御自身のあそばされた過失の影がおりおりさして、悩ましい御様子をお見せになることもあるのを、恐ろしく苦しいことと深く思っておいでになるからである。小侍従はそれでもすずりなどを持って来て責めたてるので、しぶしぶお書きになった宮のお手紙を持って、宵闇よいやみに紛れてそっと小侍従は衛門督えもんのかみの所へ行った。

38 御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御けしきの、折々に まほならぬが、いと恐ろしうわびしきなるべし 『細流抄』は「草子地也」と指摘。『集成』は「以下、女三の宮の心中を忖度する草子地の体」。『完訳』は「語り手の評言。宮が返書を書くまいとするのは、「恥づかしげなる人」源氏への恐れゆえであり、思慮深さからではないとする」と注す。
【恥づかしげなる人の御けしきの】-源氏をさす。
【まほならぬが】-『完訳』は「密通事件をほのめかす言動」と注す。

第三段 柏木、侍従を招いて語る

 大臣、かしこき行なひ人、葛城山より請じ出でたる、待ち受けたまひて、加持参らせむとしたまふ。御修法、読経なども、いとおどろおどろしう騷ぎたり。人の申すままに、さまざま聖だつ験者などの、をさをさ世にも聞こえず、深き山に籠もりたるなどをも、弟の君たちを遣はしつつ、尋ね召すに、けにくく心づきなき山伏どもなども、いと多く参る。患ひたまふさまの、そこはかとなくものを心細く思ひて、音をのみ、時々泣きたまふ。

  Otodo, kasikoki okonahibito, Kadurakiyama yori sauzi ide taru, matiuke tamahi te, kadi mawira se m to sitamahu. Mi-suhohu, dokyau nado mo, ito odoroodorosiu sawagi tari. Hito no mausu mama ni, samazama hiziri-datu genza nado no, wosawosa yo ni mo kikoye zu, hukaki yama ni komori taru nado wo mo, otouto no Kimi-tati wo tukahasi tutu, tadune mesu ni, kenikuku kokorodukinaki yamabusi-domo nado mo, ito ohoku mawiru. Wadurahi tamahu sama no, sokohakatonaku mono wo kokorobosoku omohi te, ne wo nomi, tokidoki naki tamahu.

 大臣は、優れた行者で、葛城山から招き迎えたのを、お待ち受けになって、加持をして上げようとなさる。御修法、読経なども、まことに大声で行なっていた。誰彼のお勧め申すがままに、いろいろと聖めいた験者などで、ほとんど世間では知られず、深い山中に籠もっている者などをも、弟の公達をお遣わしお遣わしになって、探し出して召し出しになるので、無愛想で気にくわない山伏連中なども、たいそう大勢参上する。お病みになっているご様子が、ただ何となく物心細く思って、声を上げて時々お泣きになる。

 大臣は大和やまと葛城かつらぎ山から呼んだ上手じょうずな評判のある修験者にこの晩はかみ加持かじをさせようとしていた。祈祷きとう読経どきょうの声も騒がしく病室へはいって来た。人が勧めるままに、世の中へ出ることをしない高僧などで、世間からもまたあまり知られていないような人も、遠い土地へ息子むすこたちを派遣などして呼び迎えて衛門督の病気に効験の現われることを期している大臣であるから、見て感じの悪いような野卑な僧などがあとへあとへとこのごろはたくさん来るのである。病人は何という名の病患でもなくて、ただ心細いふうに時々泣き入っていたりするのを、

39 大臣 定家筆本と大島本は「おとゝ」とある。明融臨模本は「おとゝ(ゝ+は)」と、「は」を補入する。『集成』『新大系』は底本(定家筆本・大島本)のままとする。『完本』は明融臨模本の補訂と諸本に従って「大臣は」と校訂する。

 陰陽師なども、多くは女の霊とのみ占ひ申しければ、さることもやと思せど、さらにもののけの現はれ出で来るもなきに、思ほしわづらひて、かかる隈々をも尋ねたまふなりけり。

  Omyauzi nado mo, ohoku ha womna no ryau to nomi uranahi mausi kere ba, saru koto mo ya to obose do, sarani mononoke no arahare ide kuru mo naki ni, omohosi wadurahi te, kakaru kumaguma wo mo tadune tamahu nari keri.

 陰陽師なども、多くは女の霊だとばかり占い申したので、そういう事かも知れないとお考えになるが、まったく物の怪が現れ出て来るものがないので、お困り果てになって、こうした辺鄙な山々にまでお探しになったのであった。

 陰陽師おんようじなども多くは女の霊がいていると占っているので、そうかもしれぬと大臣は思い、他へ憑きものを移そうとしてもなんら物怪もののけの手がかりが得られないのに困り、こうして遠国の修験者などを呼び集めることもするのであった。

40 さることもやと思せど 主語は大臣。

 この聖も、丈高やかに、まぶしつべたましくて、荒らかにおどろおどろしく陀羅尼読むを、

  Kono hiziri mo, take takayaka ni, mabusi tubetamasiku te, araraka ni odoroodorosiku darani yomu wo,

 この聖も、背丈が高く、眼光が鋭くて、荒々しい大声で陀羅尼を読むのを、

 今度山から来た僧も大男で、恐ろしい目つきをして荒々しく陀羅尼だらにを読んでいるのを、衛門督は、

41 まぶしつべたましくて 明融臨模本「つへたましくて」に傍書「ツヘツヘシキナト云心」とあり、大島本にも「つへつへしきなといふ心なり」という傍書がある。『集成』は「まなざしも冷酷な光を放って」。『完訳』は「まなざしがけわしくて」と訳す。

 「いで、あな憎や。罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の声高きは、いと気恐ろしくて、いよいよ死ぬべくこそおぼゆれ」

  "Ide, ana niku ya! Tumi no hukaki mi ni ya ara m, darani no kowe takaki ha, ito ke-osorosiku te, iyoiyo sinu beku koso oboyure."

 「ええ、嫌なことだ。罪障の深い身だからであろうか、陀羅尼の大声が聞こえて来るのは、まことに恐ろしくて、ますます死んでしまいそうな気がする」

 「ああいやになる。私は罪が深いせいなのか、陀羅尼を大声で読まれると恐ろしくて、ますますそれで死ぬ気がする」

42 いであな憎や 以下「こそおぼゆれ」まで、柏木の独語。

43 いよいよ死ぬべくこそ 大島本に「時平卿御子あつたゝの中納言事」という傍書がある。敦忠は誤りで保忠が正しい。『大鏡』時平伝に見え、大島本の傍書や『花鳥余情』の説は誤り。

 とて、やをらすべり出でて、この侍従と語らひたまふ。

  tote, yawora suberi ide te, kono Zizyuu to katarahi tamahu.

 と言って、そっと病床を抜け出して、この侍従とお話し合いになる。

 と言いながら病床を出て、小侍従のいる所へ来た。

 大臣は、さも知りたまはず、うち休みたると、人びとして申させたまへば、さ思して、忍びやかにこの聖と物語したまふ。おとなびたまへれど、なほはなやぎたるところつきて、もの笑ひしたまふ大臣の、かかる者どもと向ひゐて、この患ひそめたまひしありさま、何ともなくうちたゆみつつ、重りたまへること、

  Otodo ha, samo siri tamaha zu, uti-yasumi taru to, hitobito site mausa se tamahe ba, sa obosi te, sinobiyaka ni kono Hiziri to monogatari si tamahu. Otonabi tamahe re do, naho hanayagi taru tokoro tuki te, mono-warahi si tamahu Otodo no, kakaru mono-domo to mukahi wi te, kono wadurahi some tamahi si arisama, nani to mo naku uti-tayumi tutu, omori tamahe ru koto,

 大臣は、そうともご存知でなく、お休みになっていると、女房たちに申し上げさせなさったので、そうお思いになって、小声でこの聖とお話なさっている。お年は召していらっしゃるが、相変わらず陽気なところがおありで、よくお笑いになる大臣が、このような山伏どもと対座して、この病気におなりになった当初からの様子、どうということもなくはっきりしないままに、重くおなりになったこと、

 大臣はそんなことを知らず、病人は寝入っていると女房たちに言わせてあったのでそう信じて、ひそかにこの山の僧と語っていた。大臣は年がいってもなおはなやかな派手はでな人で、よく笑う性質なのであるが、こうした侮蔑ぶべつするにあたいする山の修験僧と向き合って、衛門督の病気の当初から、その後なんということなしに重くばかりなってゆくことなどをこまごまと語っていた。

44 人びとして申させたまへば 柏木が女房たちをして父大臣に。

45 おとなびたまへれど 大臣の性格。お年は召していらっしゃるが。

 「まことに、このもののけ、現はるべう念じたまへ」

  "Makoto ni, kono mononoke, araharu beu nenzi tamahe."

 「本当に、この物の怪の正体が、現れるよう祈祷して下さい」

 「どうかあなたの力で物怪が正体を現わして来るようにやってほしいものです」

46 まことにこのもののけ現はるべう念じたまへ 大臣の山伏への詞。柏木平癒の懇願。

 など、こまやかに語らひたまふも、いとあはれなり。

  nado, komayaka ni katarahi tamahu mo, ito ahare nari.

 などと、心からお頼みなさるのも、まことにいたいたしい。

 とも信頼したふうで言っているのも哀れであった。

47 いとあはれなり 語り手の評言。『万水一露』は「草子の地也」と指摘。『完訳』は「大臣がわが子の延命のため身分いやしい行者に対面する場面を、語り手の勘当をもって結び、次に柏木と小侍従の対面場面へと転じる」と注す。

 「かれ聞きたまへ。何の罪とも思し寄らぬに、占ひよりけむ女の霊こそ、まことにさる御執の身に添ひたるならば、厭はしき身をひきかへ、やむごとなくこそなりぬべけれ。

  "Kare kiki tamahe. Nani no tumi to mo obosi yora nu ni, uranahi yori kem womna no ryau koso, makoto ni saru ohom-sihu no mi ni sohi taru nara ba, itohasiki mi wo hikikahe, yamgotonaku koso nari nu bekere.

 「あれをお聞きなさい。何の罪咎ともご存じならないのに。占い当てたという女の霊、本当にそのようなあの方のご執念がわたしの身に取りついているならば、愛想の尽きたこの身もうって変わって、大切なものとなるだろう。

 「小侍従、聞いてごらん。何の罪で私がこうなっているかをご存じないものだから、女の霊がいているなどとごまかされておいでになるが、あの方以外に女としてくもののない私の心へ、あの方の霊が真実憑いていてくれるのなら、いやでならない自分の身もありがたくなるだろうよ。

48 かれ聞きたまへ 以下「結びとどめたまへよ」まで、柏木の小侍従に対しての詞。しかし、途中やや心中文的また独語的性格をおびた発言。

49 御執の身に添ひたるならば 明融臨模本、付箋「諸佛既離我執」。『集成』は「本当に、そんな女三の宮のご執心がこの身に取り憑いているのなら」と注す。

 さてもおほけなき心ありて、さるまじき過ちを引き出でて、人の御名をも立て、身をも顧みぬたぐひ、昔の世にもなくやはありける、と思ひ直すに、なほけはひわづらはしう、かの御心に、かかる咎を知られたてまつりて、世にながらへむことも、いとまばゆくおぼゆるは、げに異なる御光なるべし。

  Sate mo ohokenaki kokoro ari te, sarumaziki ayamati wo hikiide te, hito no ohom-na wo mo tate, mi wo mo kaherimi nu taguhi, mukasi no yo ni mo naku yaha ari keru, to omohi nahosu ni, naho kehahi wadurahasiu, kano mi-kokoro ni, kakaru toga wo sira re tatematuri te, yo ni nagarahe m koto mo, ito mabayuku oboyuru ha, geni koto naru ohom-hikari naru besi.

 それにしても身分不相応な望みを抱いて、とんでもない過ちをしでかして、相手のお方の浮名をも立て、身の破滅を顧みないといった例は、昔の世にもないではなかった、と考え直してみるが、どうしても様子が何となく恐ろしくて、かのお心に、このような過失をお知られ申したからには、この世に生き永らえることも、まことに顔向けができなく思われるのは、なるほど特別なご威光なのだろう。

 それにしてもだいそれた恋をして、あるまじい過失を引き起こして、人のお名をけがし、自身を顧みないようになる人は自分だけではない、昔の人にもあった罪なのだとみずから慰めようとするがね、そんなことで私の心は救われないのだよ。相手があの方なのだから、自責の念に堪えられまいではないか。生きていることももうまぶしくてならなくなったというのは、昔から世の中の人が言うように、一種特別な光の添った方らしい。

50 昔の世にもなくやはありける 明融臨模本、付箋「伊物かゝるほとにみかときこしめしつけて此男をはなかしつかはしてけれは此女のいとこの宮す所(五条后)女をはまかてさせてくらにこめてしほりけれはこもりてなくあまのかるもにすむ虫のー」と注す。

51 いとまばゆくおぼゆるは 『集成』は「大それた分不相応のことと思われるのは」。『完訳』は「じつに目のくらむほど恥ずかしい気持になるのは」と訳す。

52 げに異なる御光なるべし 『完訳』は「源氏の威光にいまさらのごとく恐懼。「光」は「まばゆく」と照応」と注す。

 深き過ちもなきに、見合はせたてまつりし夕べのほどより、やがてかき乱り、惑ひそめにし魂の、身にも返らずなりにしを、かの院のうちにあくがれありかば、結びとどめたまへよ」

  Hukaki ayamati mo naki ni, mi ahase tatematuri si yuhube no hodo yori, yagate kaki-midari, madohi some ni si tamasihi no, mi ni mo kahera zu nari ni si wo, kano Win no uti ni akugare arika ba, musubi todome tamahe yo."

 大きな過失でもないのに、目をお合わせした夕方から、そのまま気分がおかしくなって、抜け出した魂が、戻って来なくなってしまったのですが、あの院の中で彷徨っていたら、魂結びをして下さいよ」

 大罪人でもないのに、お顔を見合わせた瞬間から私の心は混乱してしまって、け出した魂魄が六条院をさまよっているようなことに気がついた時には君、まじないをしてくれたまえ」

53 深き過ちもなきに 『集成』は「ひどい間違いを犯したというわけでもないのに。相手は后妃というわけでもないのに、という思い」。『完訳』は「后を犯した大罪でもないのに、源氏への裏切りはそれ以上と思う」と注す。

54 見合はせたてまつりし夕べのほど 六条院で行われた試楽の夕の宴席。

55 かの院のうちにあくがれありかば 明融臨模本、付箋「思あまり出にし玉の有ならむよふかくみえは玉結せよ/恋侘てよるよるまとふわか玉は中々身にもかへらさりけり/玉はみつ主は誰ともしらね共結ひとむる下かひのつま」と指摘。最初の和歌は『伊勢物語』第百十段の和歌。『源氏釈』が「なけきあま(わひ)りいてにしたまのあるな覧よふかくみえはむすひとゝめよ」(前田家本)と指摘。現行の注釈書でも指摘する。第二首目の和歌は出典未詳。『異本紫明抄』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。最後の和歌も出典未詳。『異本紫明抄』が指摘し、現行の注釈書では、『大系』が指摘するのみである。

56 結びとどめたまへ 大島本、朱合点、行間書入「伊 思あまりいてにし玉のあるならん夜ふかく見へは玉むすひせよ」(伊勢物語、一八九)と指摘。

 など、いと弱げに、殻のやうなるさまして、泣きみ笑ひみ語らひたまふ。

  nado, ito yowage ni, kara no yau naru sama si te, nakimi warahimi katarahi tamahu.

 などと、とても弱々しく、脱殻のような様子で、泣いたり笑ったりしてお話しになる。

 などと、衰弱してからのようになった姿で、泣きも笑いもして衛門督えもんのかみは語るのであった。

57 殻のやうなる 明融臨模本、付箋「うつせみはからをみつゝも」。大島本、朱合点、行間書入「うつせみはからを見つゝもなくさめつ」。「うつ蝉は殻を見つつもなぐさめつ深草の山煙だに立て」(古今集哀傷、八三一、僧都勝延)を指摘。現行の注釈書では指摘されない。

第四段 女三の宮の返歌を見る

 宮もものをのみ恥づかしうつつましと思したるさまを語る。さてうちしめり、面痩せたまへらむ御さまの、面影に見たてまつる心地して、思ひやられたまへば、げにあくがるらむ魂や、行き通ふらむなど、いとどしき心地も乱るれば、

  Miya mo mono wo nomi hadukasiu tutumasi to obosi taru sama wo kataru. Sate uti-simeri, omoyase tamahe ra m ohom-sama no, omokage ni mi tatematuru kokoti si te, omohiyara re tamahe ba, geni akugaru ram tama ya, yukikayohu ram nado, itodosiki kokoti mo midarure ba,

 宮も何かと恥ずかしく顔向けできない思いでいられる様子を話す。そのようにうち沈んで、痩せていらっしゃるだろうご様子が、目の前にありありと拝見できるような気がして、ご想像されるので、なるほど抜け出した霊魂は、あちらに行き通うのだろうかなどと、ますます気分もひどくなるので、

 宮が非常にお恥じになっている御様子、物思いばかりをしておいでになるということも小侍従は告げた。自身が今冗談じょうだんで言い出したことではあるが、その宮をおいたわしく、恋しく思う魂魄はそちらへ行くかもしれぬというような気も衛門督はしていっそう思い乱れた。

58 ものをのみ恥づかしうつつましと思したるさま 『集成』は「何かにつけて空恐ろしく顔向けもできぬ思いでいられる様子を」。『完訳』は「ただ何かにつけて後ろめたく気がねしていらっしゃるご様子を」と訳す。

59 げにあくがるらむ魂や行き通ふらむ 柏木の心中。間接的叙述。『集成』は「もの思へば沢の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(後拾遺集、神祇、和泉式部)を指摘。

 「今さらに、この御ことよ、かけても聞こえじ。この世はかうはかなくて過ぎぬるを、長き世のほだしにもこそと思ふなむ、いとほしき。心苦しき御ことを、平らかにとだにいかで聞き置いたてまつらむ。見し夢を心一つに思ひ合はせて、また語る人もなきが、いみじういぶせくもあるかな」

  "Imasara ni, kono ohom-koto yo, kakete mo kikoye zi. Konoyo ha kau hakanaku te sugi nuru wo, nagaki yo no hodasi ni mo koso to omohu nam, itohosiki. Kokorogurusiki ohom-koto wo, tahiraka ni to dani ikade kikioi tatematura m. Mi si yume wo kokoro hitotu ni omohi ahase te, mata kataru hito mo naki ga, imiziu ibuseku mo aru kana!"

 「今となっては、もう宮の御事は、いっさい申し上げますまい。この世はこうしてはかなく過ぎてしまったが、未来永劫の成仏する障りになるかもしれないと思うと、お気の毒だ。気にかかるお産の事を、せめてご無事に済んだとお聞き申しておきたい。見た夢を独り合点して、また他に語る相手もいないのが、たいそう堪らないことであるなあ」

 「もう宮様のお話はいっさいすまい。不幸で短命な生涯しょうがいに続いて、その執着が残るために未来をまた台なしにすると思うのがつらい。心苦しいあのことを無事にお済ましになったとだけはせめて聞いて死にたい気もするがね、私たちをつなぎ合わせた目に見えぬものを私が夢で見た話なども申し上げることができないままになるのが苦痛だよ」

60 今さらに 以下「いぶせくもあるかな」まで、柏木の独語。小侍従に向かっての発言ではないだろう。

61 長き世のほだしにもこそ 明融臨模本、付箋「一念五百生ー」とある。連語「もこそ」は危惧の気持ちを表す。『集成』は「これから先来世をかけていつまでも成仏の障りになるであろうと思うと、つらいことだ」。『完訳』は「この思いが未来永劫成仏の妨げになるかもしれないと思うと、まったくせつないのです」と訳す。

62 いとほしき 定家筆本と明融臨模本は「いとおしき」とある。大島本は「いといとおしき」とある。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本(定家筆本・大島本)のままとする。『完本』は大島本及び諸本に従って「いといとほしき」と「いと」を補訂する。

63 心苦しき御ことを お産のこと。

64 平らかにとだにいかで 副助詞「だに」最小限の願望。副詞「いかで」願望の意。柏木の女三の宮のお産の報を聞いてから死にたいという切なる願い。

65 見し夢を 猫の夢。懐妊の予兆という俗信がある。

66 また語る人もなきがいみじういぶせくもあるかな 『集成』は「女三の宮が自分の胤を宿していることを、誰にも知らせることができないのをいう」「ほかに打ち明ける人もいないのが、何とも心残りでならないことだ」。『完訳』は「ほかの誰にも打ち明ける人のいないのが、ひどく胸のふさがる思いなのです」と訳す。『完訳』などのように小侍従を前にした発言とするよりも、小侍従の存在は無視して独語または心中文のほうが面白みがある。

 など、取り集め思ひしみたまへるさまの深きを、かつはいとうたて恐ろしう思へど、あはれはた、え忍ばず、この人もいみじう泣く。

  nado, toriatume omohisimi tamahe ru sama no hukaki wo, katu ha ito utate osorosiu omohe do, ahare hata, e sinoba zu, kono hito mo imiziu naku.

 などと、あれこれと思い詰めていらっしゃる執着の深いことを、一方では嫌で恐ろしく思うが、おいたわしい気持ちは、抑え難く、この人もひどく泣く。

 と言って深くかみの悲しむ様子を見ていては、小侍従も堪えきれずなって泣きだすと、その人もまた泣く。

 紙燭召して、御返り見たまへば、御手もなほいとはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、

  Sisoku mesi te, ohom-kaheri mi tamahe ba, ohom-te mo naho ito hakanage ni, wokasiki hodo ni kai tamahi te,

 紙燭を取り寄せて、お返事を御覧になると、ご筆跡もたいそう弱々しいが、きれいにお書きになって、

 蝋燭ろうそくをともさせてお返事を読むのであったが、それは今も弱々しいはかない筆の跡で、美しくは書かれてあった。

 「心苦しう聞きながら、いかでかは。ただ推し量り。『残らむ』とあるは、

  "Kokorogurusiu kiki nagara, ikadekaha. Tada osihakari. "Nokora m" to aru ha,

 「お気の毒に聞いていますが、どうしてお伺いできましょう。ただお察しするばかりです。お歌に『残ろう』とありますが、

 御病気を心苦しく聞いていながらも、私からお尋ねなどのできないことは推察ができるでしょう。「残るだろう」とお言いになりますが、

67 心苦しう聞きながら 以下「後るべうやはある」まで、女三の宮の手紙文。

68 残らむとあるは 柏木の和歌(第一章二段)をさす。

  立ち添ひて消えやしなまし憂きことを
  思ひ乱るる煙比べに

    Tati-sohi te kiye ya si na masi uki koto wo
    omohi midaruru keburi kurabe ni

  わたしも一緒に煙となって消えてしまいたいほどです
  辛いことを思い嘆く悩みの競いに

  立ち添ひて消えやしなましうきことを
  思ひ乱るる煙くらべに

69 立ち添ひて消えやしなまし憂きことを--思ひ乱るる煙比べに 明融臨模本、付箋「柏木 今はとてもえむ煙もむすほゝれたへぬ思ひの猶や残らん」という、作中の柏木の歌を貼付する。『完訳』は「「煙比べ」には、柏木の理不尽な恋への抗議も含まれるか」と注す。

 後るべうやは」

  Okuru beu yaha!"

 後れをとれましょうか」

 私はもう長く生きてはいないでしょう。

70 後るべうやは 「やは」反語。後れをとれようか、いや後れはとらぬ、の意。

 とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。

  to bakari aru wo, ahare ni katazikenasi to omohu.

 とだけあるのを、しみじみともったいないと思う。

 内容はこんなのであった。衛門督は宮のお手紙を非常にありがたく思った。

 「いでや、この煙ばかりこそは、この世の思ひ出でならめ。はかなくもありけるかな」

  "Ideya, kono keburi bakari koso ha, konoyo no omohiide nara me. Hakanaku mo ari keru kana!"

 「いやもう、この煙だけが、この世の思い出であろう。はかないことであったな」

 「このお言葉だけがこの世にいるうちのもっともうれしいことになるだろう。はかない私だね」

71 いでやこの煙ばかりこそ 以下「ありけるかな」まで、柏木の心中。

 と、いとど泣きまさりたまひて、御返り、臥しながら、うち休みつつ書いたまふ。言の葉の続きもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、

  to, itodo naki masari tamahi te, ohom-kaheri, husi nagara, uti-yasumi tutu kai tamahu. Kotonoha no tuduki mo nau, ayasiki tori no ato no yau nite,

 と、ますますお泣きになって、お返事、横に臥せりながら、筆を置き置きしてお書きになる。文句の続きもおぼつかなく、筆跡も妙な鳥の脚跡のようになって、

 いっそう強く督は泣き入って、またこちらからのお返事を、横になりながら休み休み書いた。鳥の足跡のような字ができる。

 「行方なき空の煙となりぬとも
  思ふあたりを立ちは離れじ

    "Yukuhe naki sora no keburi to nari nu tomo
    omohu atari wo tati ha hanare zi

 「行く方もない空の煙となったとしても
  思うお方のあたりは離れまいと思う

  「行くへなき空の煙となりぬとも
  思ふあたりを立ちは離れじ

72 行方なき空の煙となりぬとも--思ふあたりを立ちは離れじ 柏木の女三の宮への贈歌。「煙」と「立ち」は縁語。

 夕べはわきて眺めさせたまへ。咎めきこえさせたまはむ人目をも、今は心やすく思しなりて、かひなきあはれをだにも、絶えずかけさせたまへ」

  Yuhube ha waki te nagame sase tamahe. Togame kikoye sase tamaha m hitome wo mo, ima ha kokoroyasuku obosi nari te, kahinaki ahare wo dani mo, taye zu kake sase tamahe."

 夕方は特にお眺め下さい。咎め立て申されるお方の目も、今はもうお気になさらずに、せめて何にもならないことですが、憐みだけは絶えず懸けて下さいませ」

 とりわけ夕方には空をおながめください。人目をおはばかりになりますことも、対象が実在のものでなくなるのですからいいわけでしょう。そうしてせめて永久に私をお忘れにならぬようにしてください」

73 咎めきこえさせたまはむ人目 源氏をさす。

74 今は心やすく思しなりてかひなきあはれをだにも絶えずかけさせたまへ 「あはれ」について、『集成』は「今はもうお気になさらず、死んでしまっては詮ないことですが、かわいそうな者よとだけでもいつまでもお心をおかけ下さい」。『完訳』は「私の亡き後はご心配にならないで、いまさらかいのないことですが、せめてもの憐れみだけはおかけくださいまし」と訳す。

 など書き乱りて、心地の苦しさまさりければ、

  nado kaki midari te, kokoti no kurusisa masari kere ba,

 などと乱れ書きして、気分の悪さがつのって来たので、

 などと乱れ書きにした。病苦に堪えられなくなって、

 「よし。いたう更けぬさきに、帰り参りたまひて、かく限りのさまになむとも聞こえたまへ。今さらに、人あやしと思ひ合はせむを、わが世の後さへ思ふこそ口惜しけれ。いかなる昔の契りにて、いとかかることしも心にしみけむ」

  "Yosi. Itau huke nu saki ni, kaheri mawiri tamahi te, kaku kagiri no sama ni nam to mo kikoye tamahe. Imasara ni, hito ayasi to omohi ahase m wo, waga yo no noti sahe omohu koso kutiwosikere. Ikanaru mukasi no tigiri nite, ito kakaru koto simo kokoro ni simi kem?"

 「もうよい。あまり夜が更けないうちに、お帰りになって、このように最期の様子であったと申し上げて下さい。今となって、人が変だと感づくのを、自分の死んだ後まで想像するのは情けないことだ。どのような前世からの因縁で、このような事が心に取り憑いたのだろうか」

 「ではもういいから、あまりふけないうちに帰って行って、宮様に、こんなふうに死が迫っているということを申し上げてください。どうした前生の因縁からこんなに道にはずれた思いが心にみついた私だろう」

75 よしいたう更けぬさきに 以下「心にしみけむ」まで、柏木の詞。

76 今さらに人あやしと 『集成』は「女三の宮への恋ゆえに死んだのだと、疑惑を招くかもしれないが、の意」と注す。

77 いかなる昔の契りにて 明融臨模本、付箋「別てふことは色にもあらなくに心にしみてわひしかるらむ」(古今集離別、三八一、貫之)。

 と、泣く泣くゐざり入りたまひぬれば、例は無期に迎へ据ゑて、すずろ言をさへ言はせまほしうしたまふを、言少なにても、と思ふがあはれなるに、えも出でやらず。御ありさまを乳母も語りて、いみじく泣き惑ふ。大臣などの思したるけしきぞいみじきや。

  to, nakunaku wizari iri tamahi nure ba, rei ha mugo ni mukahe suwe te, suzurogoto wo sahe iha se mahosiu si tamahu wo, kotozukuna nite mo, to omohu ga ahare naru ni, e mo ide yara zu. Ohom-arisama wo Menoto mo katari te, imiziku naki madohu. Otodo nado no obosi taru kesiki zo imiziki ya!

 と、泣き泣きいざってお入りになったので、いつもはいつまでも前に座らせて、とりとめもない話までをおさせになりたくなさっていたのに、お言葉の数も少ない、と思うと悲しくてならないので、帰ることも出来ない。ご様子を乳母も話して、ひどく泣きうろたえる。大臣などがご心配された有様は大変なことであるよ。

 泣く泣く病床へ衛門督は膝行いざり入るのであった。平生はいつまでもいつまでも小侍従を前に置いて、宮のおうわさを一つでも多く話させたいようにする人であるのに、今日は言葉も少ないではないかと思うのも物哀れで、小侍従は出て行けない気がした。容体を伯母おば乳母めのとも話して大泣きに泣いていた。大臣などの心痛は非常なもので、

78 ゐざり入りたまひぬれば 床の中へ。

79 例は無期に 以下「言少なにも」まで、小侍従の心中に即した叙述。

80 御ありさまを乳母も 柏木の容態について、柏木の乳母が姪に当たる小侍従に話してきかせる。

81 大臣などの思したるけしきぞいみじきや 語り手の評言。

 「昨日今日、すこしよろしかりつるを、などかいと弱げには見えたまふ」

  "Kinohu kehu, sukosi yorosikari turu wo, nadoka ito yowage ni ha miye tamahu."

 「昨日今日と、少し好かったのだが、どうしてたいそう弱々しくお見えなのだろう」

 「昨日今日少しよかったようだったのに、どうしてこんなにまた弱ったのだろう」

82 昨日今日 以下「見えたまふ」まで、大臣の詞。

 と騷ぎたまふ。

  to sawagi tamahu.

 とお騷ぎになる。

 と騒いでいた。

 「何か、なほとまりはべるまじきなめり」

  "Nanika, naho tomari haberu maziki na' meri."

 「いいえもう、生きていられそうにないようです」

 「そんなに御心配をなさることはありません。どうせもう私は死ぬのですから」

83 何かなほとまりはべるまじきなめり 柏木の詞。

 と聞こえたまひて、みづからも泣いたまふ。

  to kikoye tamahi te, midukara mo nai tamahu.

 と申し上げなさって、ご自身もお泣きになる。

 と衛門督えもんのかみは父に言って、自身もまた泣いていた。

第五段 女三の宮、男子を出産

 宮は、この暮れつ方より悩ましうしたまひけるを、その御けしきと、見たてまつり知りたる人びと、騷ぎみちて、大殿にも聞こえたりければ、驚きて渡りたまへり。御心のうちは、

  Miya ha, kono kure tu kata yori nayamasiu si tamahi keru wo, sono mi-kesiki to, mi tatematuri siri taru hitobito, sawagi miti te, Otodo ni mo kikoye tari kere ba, odoroki te watari tamahe ri. Mi-kokoro no uti ha,

 宮は、この日の夕方から苦しそうになさったが、産気づかれた様子だと、お気づき申した女房たち、一同に騷ぎ立って、大殿にも申し上げたので、驚いてお越しになった。ご心中では、

 女三の宮はこの日の夕方ごろから御異常のきざしが見え出して悩んでおいでになるので、経験のある人たちがそれと気づき、騒ぎ出して院へ御報告をしたので、院は驚いてこちらの御殿へおいでになった。お心のうちでは

84 驚きて渡りたまへり 主語は源氏。紫の上のいる東の対から女三の宮いる寝殿の西面へ。

 「あな、口惜しや。思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし」

  "Ana, kutiwosi ya! Omohi mazuru kata naku te mi tatematura masika ba, medurasiku uresikara masi."

 「ああ、残念なことよ。疑わしい点もなくてお世話申すのであったら、おめでたく喜ばしい事であろうに」

 なんら不純なことがなくて、こうしたことにあうのであったら、珍しくてうれしいであろう

85 あな口惜しや 以下「うれしからまし」まで、源氏の心中。反実仮想の構文。『集成』は「柏木の子という疑いがなければ、正室の腹でもあり、子供の少ない源氏にとって晩年の慶事であるはず」と注す。

 と思せど、人にはけしき漏らさじと思せば、験者など召し、御修法はいつとなく不断にせらるれば、僧どもの中に験ある限り皆参りて、加持参り騒ぐ。

  to obose do, hito ni ha kesiki morasa zi to obose ba, genza nado mesi, mi-suhohu ha itu to naku hudan ni se rarure ba, Sou-domo no naka ni gen aru kagiri mina mawiri te, kadi mawiri sawagu.

 とお思いになるが、他人には気づかれまいとお考えになるので、験者などを召し、御修法はいつとなく休みなく続けてしていられるので、僧侶たちの中で効験あらたかな僧は皆参上して、加持を大騷ぎして差し上げる。

 と思召おぼしめされるのであったが、人にはそれを気どらすまいと思召すので、修験の僧などを急に迎えることを命じたりしておいでになった。修法のほうはずっと前から続いて行なわれているので、祈祷きとうの効験をよく現わすものばかりを今度はお集めになって加持をさせておいでになった。

 夜一夜悩み明かさせたまひて、日さし上がるほどに生まれたまひぬ。男君と聞きたまふに、

  Yo hitoyo nayami akasa se tamahi te, hi sasi-agaru hodo ni mumare tamahi nu. Wotokogimi to kiki tamahu ni,

 一晩中お苦しみあそばして、日がさし昇るころにお生まれになった。男君とお聞きになると、

 一晩じゅうお苦しみになって日の昇るころにお産があった。男君であるということをお聞きになって、

 「かく忍びたることの、あやにくに、いちじるき顔つきにてさし出でたまへらむこそ苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見るものならねばやすけれ」

  "Kaku sinobi taru koto no, ayaniku ni, itiziruki kahotuki ni te sasiide tamahe ra m koso kurusikaru bekere. Womna koso, nani to naku magire, amata no hito no miru mono nara ne ba yasukere."

 「このように内証事が、あいにくなことに、父親に大変よく似た顔つきでお生まれになることは困ったことだ。女なら、何かと人目につかず、大勢の人が見ることはないので心配ないのだが」

 また院は隠れた秘密を容貌ようぼうの似た点などでだれの目にも映りやすい男であることが、苦しい、女はよく紛らすこともできるし、多くの人が顔を見るのでないからいいのであるがと

86 かく忍びたることの 以下「やすけれ」まで、源氏の心中。男の子であると、人前に出ることが多い。女の子であると、深窓にあって顔を見られることもなくてすむ。

 と思すに、また、

  to obosu ni, mata,

 とお思いになるが、また一方では、

 お思いになった。しかし素姓の紛らわしいことは男の身にあってもよいが、

 「かく、心苦しき疑ひ混じりたるにては、心やすき方にものしたまふもいとよしかし。さても、あやしや。わが世とともに恐ろしと思ひしことの報いなめり。この世にて、かく思ひかけぬことにむかはりぬれば、後の世の罪も、すこし軽みなむや」

  "Kaku, kokorogurusiki utagahi maziri taru nite ha, kokoroyasuki kata ni monosi tamahu mo ito yosi kasi. Sate mo, ayasi ya! Waga yo to tomoni osorosi to omohi si koto no mukuyi na' meri. Kono yo nite, kaku omohikake nu koto ni mukahari nure ba, noti no yo no tumi mo, sukosi karomi na m ya?"

 「このように、つらい疑いがつきまとっていては、世話のいらない男子でいらしたのも良かったことだ。それにしても、不思議なことだなあ。自分が一生涯恐ろしいと思っていた事の報いのようだ。この世で、このような思いもかけなかった応報を受けたのだから、来世での罪も、少しは軽くなったろうか」

 どんな高貴な方の母になるかもしれぬ女性は生まれが確かでなければならぬ点から言えば、これがかえってよいかもしれぬとまたお思い返しになった。忘れることもない自分の罪のこれが報いであろう、この世でこうした思いがけぬ罰にあっておけば、後世ごせで受けるとがは少し軽くなるかもしれぬ

87 かく心苦しき 以下「すこし軽みなむや」まで、源氏の心中。「心苦しき」は源氏自身の胸の痛み、疑念。『集成』は「こんな胸の痛む疑惑のかかったお子であるからには」。『完訳』は「こうした気がかりな疑念がつきまとうのでは」と訳す。

88 むかはりぬれば 明融臨模本、付箋「要集云有智之人以智恵力能令地獄極重之業現世軽受愚癡之人現世軽業獄重轉重軽受住也出弥鉢経」とある。『新大系』は「以前と同じことが起きる」と注す。

 と思す。

  to obosu.

 とお思いになる。

 などとお考えになった。

 人はた知らぬことなれば、かく心ことなる御腹にて、末に出でおはしたる御おぼえいみじかりなむと、思ひいとなみ仕うまつる。

  Hito hata sira nu koto nare ba, kaku kokoro koto naru ohom-hara nite, suwe ni ide ohasi taru ohom-oboye imizikari na m to, omohi itonami tukaumaturu.

 周囲の人は他に誰も知らない事なので、このように特別なお方のご出産で、晩年にお生まれになったご寵愛はきっと大変なものだろうと、思って大事にお世話申し上げる。

 宮の秘密はだれ一人知らぬことであったから、尊貴な内親王を母にして最後にお設けになった若君を、院はどんなにお愛しになるだろうという想像をして、家司けいしたちは大がかりな仕度したくを御出産祝いにした。

89 かく心ことなる御腹にて 以下「いみじかりなむ」まで、一般の人々の心中を忖度して間接的に叙述。

 御産屋の儀式、いかめしうおどろおどろし。御方々、さまざまにし出でたまふ御産養、世の常の折敷、衝重、高坏などの心ばへも、ことさらに心々に挑ましさ見えつつなむ。

  Ohom-ubuya no gisiki, ikamesiu odoroodorosi. Ohom-katagata, samazama ni siide tamahu ohom-ubuyasinahi, yo no tune no wosiki, tuigasane, takatuki nado no kokorobahe mo, kotosara ni kokorogokoro ni idomasisa miye tutu nam.

 御産屋の儀式は、盛大で仰々しい。ご夫人方が、さまざまにお祝いなさる御産養、世間一般の折敷、衝重、高坏などの趣向も、特別に競い合っている様子が見えるのであった。

 六条院の各夫人から産室への見舞い品、祝品はさまざまに意匠の凝らされたものであった。折敷おしき衝重ついがさね高杯たかつきなどの作らせようにも皆それぞれの個性が見えた。

90 いかめしうおどろおどろし 池田利夫氏は定家本「いかめしう」(尊経閣文庫本、一二丁ウ5行)までを定家自筆という。以下は定家風の書で別人である。

 五日の夜、中宮の御方より、子持ちの御前の物、女房の中にも、品々に思ひ当てたる際々、公事にいかめしうせさせたまへり。御粥、屯食五十具、所々の饗、院の下部、庁の召次所、何かの隈まで、いかめしくせさせたまへり。宮司、大夫よりはじめて、院の殿上人、皆参れり。

  Ituka no yoru, Tyuuguu no ohom-kata yori, Komoti no o-mahe no mono, nyoubau no naka ni mo, sinazina ni omohi ate taru kihagiha, ohoyakegoto ni ikamesiu se sase tamahe ri. Ohom-kayu, tonziki gozihu-gu, tokorodokoro no kyau, Win no simobe, Tyau no mesitugi-dokoro, nanika no kuma made, ikamesiku se sase tamahe ri. Miyadukasa, Daibu yori hazime te, Win no Tenzyaubito, mina mawire ri.

 五日の夜、中宮の御方から、御産婦のお召し上がり物、女房の中にも、身分相応の饗応の物を、公式のお祝いとして盛大に調えさせなさった。御粥、屯食を五十具、あちらこちらの饗応は、六条院の下部、院庁の召次所の下々の者たちまで、堂々としたなさり方であった。中宮の宮司、大夫をはじめとして、冷泉院の殿上人が、皆参上した。

 五日の夜には中宮ちゅうぐうのお産養うぶやしないがあった。母宮のお召し料をはじめとして、それぞれの階級の女房たちへ分配される物までも、おきさきのあそばすことらしく派手はでにそろえておつかわしになったのである。産婦の宮への御かゆ、五十組の弁当、参会した諸官吏への饗応きょうおう酒肴しゅこう、六条院に奉仕する人々、院の庁の役人、その他にまでも差等のあるお料理を交付された。院の殿上人とともに中宮職の諸員は大夫たゆうをはじめ皆参っていた。

91 子持ちの御前の 女三の宮をさす。

92 御粥 定家筆本、明融臨模本、大島本は「御かゆて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御粥」と「て」を削除する。『新大系』は底本(大島本)のまま「御粥て」とし、「「て」が難解。「ごて(碁手)の脱字という見方がある。うつほ及び宿木に「碁手(の銭)」が見える」と脚注を付ける。

 七夜は、内裏より、それも公ざまなり。致仕の大臣など、心ことに仕うまつりたまふべきに、このころは、何ごとも思されで、おほぞうの御訪らひのみぞありける。

  Sitiya ha, Uti yori, sore mo ohoyakezama nari. Tizi-no-Otodo nado, kokoro kotoni tukaumaturi tamahu beki ni, kono koro ha, nanigoto mo obosa re de, ohozou no ohom-toburahi nomi zo ari keru.

 お七夜は、帝から、それも公事に行われた。致仕の大臣などは、格別念を入れてご奉仕なさるはずのところだが、最近は、何を考えるお気持ちのゆとりもなく、一通りのお祝いだけがあった。

 七日の夜には宮中からのお産養があった。これも朝廷のお催しで重々しく行なわれたのである。太政大臣などはこの祝賀に喜んで奔走するはずの人であったが、子息の大病のためにほかのことを思う間もないふうで、ただ普通に祝品を贈って来ただけであった。宮がたや高官の参賀も多かった。

 宮たち、上達部など、あまた参りたまふ。おほかたのけしきも、世になきまでかしづききこえたまへど、大殿の御心のうちに、心苦しと思すことありて、いたうももてはやしきこえたまはず、御遊びなどはなかりけり。

  Miya-tati, Kamdatime nado, amata mawiri tamahu. Ohokata no kesiki mo, yo ni naki made kasiduki kikoye tamahe do, Otodo no mi-kokoro no uti ni, kokorogurusi to obosu koto ari te, itau mo mote-hayasi kikoye tamaha zu, ohom-asobi nado ha nakari keri.

 親王方、上達部などが、大勢お祝いに参上する。表向きのお祝いの様子にも、世にまたとないほど立派にお世話して差し上げなさるが、大殿のご心中に、辛くお思いになることがあって、そう大して賑やかなお祝いもしてお上げにならず、管弦のお遊びなどはなかったのであった。

 院内にもこの若君を珍重する空気が濃厚に作られていながら、院のお心にだけは羞恥しゅうちをお感じになるようなところがあって、宴席をはなやかにすることなどはお望みになれないで、音楽の遊びなどは何もなかった。

93 おほかたのけしきも、世になきまでかしづききこえたまへど 『完訳』は「世間の噂を集めるような盛儀。それとは対蹠的な源氏の苦衷」と注す。

第六段 女三の宮、出家を決意

 宮は、さばかりひはづなる御さまにて、いとむくつけう、ならはぬことの恐ろしう思されけるに、御湯などもきこしめさず、身の心憂きことを、かかるにつけても思し入れば、

  Miya ha, sabakari hihadu naru ohom-sama nite, ito mukutukeu, naraha nu koto no osorosiu obosa re keru ni, ohom-yu nado mo kikosimesa zu, mi no kokorouki koto wo, kakaru ni tuke te mo obosi ire ba,

 宮は、あれほどか弱いご様子で、とても気味の悪い、初めてのご出産で、恐く思われなさったので、御薬湯などもお召し上がりにならず、わが身の辛い運命を、こうしたことにつけても心底お悲しみになって、

 女三の宮は弱いお身体からだで恐ろしい大役の出産をあそばしたあとであったから、まだ米湯おもゆなどさえお取りになることができなかった。御自身の薄命であることをこの際にもまた深くお思われになって、

94 身の心憂きことを 『完訳』は「わが身の不運を、不義の子の出生によって思い知らされる」と注す。

 「さはれ、このついでにも死なばや」

  "Sahare, kono tuide ni mo sina baya!"

 「いっそのこと、この機会に死んでしまいたい」

 この衰弱の中で死んでしまいたいともお思いになるのであった。

95 さはれこのついでにも死なばや 女三の宮の心中を客観的に地の文で叙述。

 と思す。大殿は、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、取り分きても見たてまつりたまはずなどあれば、老いしらへる人などは、

  to obosu. Otodo ha, ito you hitome wo kazari obose do, mada mutukasige ni ohasuru nado wo, toriwaki te mo mi tatematuri tamaha zu nado are ba, oyisirahe ru hito nado ha,

 とお思いになる。大殿は、まことにうまく表面を飾って見せていらっしゃるが、まだ生まれたばかりの扱いにくい状態でいらっしゃるのを、特別にはお世話申されるというでもないので、年老いた女房などは、

 院は人から不審を起こさせないことを期して、上手じょうずに表面は繕っておいでになるが、生まれたばかりの若君を特に見ようともなされないのを、老いた女房などは、

96 老いしらへる人などは 『集成』は「年取って遠慮のない女房」と訳す。

 「いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさし出でたまへる御ありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」

  "Ideya, orosoka ni mo ohasimasu kana! Medurasiu sasi-ide tamahe ru ohom-arisama no, kabakari yuyusiki made ni ohasimasu wo."

 「何とまあ、お冷たくていらっしゃること。おめでたくお生まれになったお子様が、こんなにこわいほどお美しくていらっしゃるのに」

 「御愛情が薄いではありませんか。久しぶりにお持ちになった若様が、こんなにまできれいでいらっしゃるのに」

97 いでやおろそかにも 以下「おはしますめるものを」まで、女房の詞。

 と、うつくしみきこゆれば、片耳に聞きたまひて、

  to, utukusimi kikoyure ba, katamimi ni kiki tamahi te,

 と、おいとしみ申し上げるので、小耳におはさみなさって、

 などと言っているのを、宮は片耳におはさみになって、

98 片耳に聞きたまひて 主語は女三の宮。

 「さのみこそは、思し隔つることもまさらめ」

  "Sa nomi koso ha, obosi hedaturu koto mo masara me."

 「そんなにもよそよそしいことは、これから先もっと増えて行くことになるのだろう」

 この薄いと言われておいでになる愛情は、成長するにつれてますます薄くなるであろう

99 さのみこそは思し隔つることもまさらめ 女三の宮の心中。

 と恨めしう、わが身つらくて、尼にもなりなばや、の御心尽きぬ。

  to uramesiu, waga mi turaku te, ama ni mo nari na baya, no mi-kokoro tuki nu.

 と恨めしく、わが身も辛くて、尼にもなってしまいたい、というお気持ちになられた。

 と、院がお恨めしく、過去の御自身も恨めしくて、尼になろうというお心が起こった。

 夜なども、こなたには大殿籠もらず、昼つ方などぞさしのぞきたまふ。

  Yoru nado mo, konata ni ha ohotonogomora zu, hiru tu kata nado zo sasi-nozoki tamahu.

 夜なども、こちらにはお寝みにならず、昼間などにちょっとお顔をお見せになる。

 夜などもこちらの御殿で院はおやすみにならずに、昼の間に時々お顔をお見せになるだけであった。

 「世の中のはかなきを見るままに、行く末短う、もの心細くて、行なひがちになりにてはべれば、かかるほどのらうがはしき心地するにより、え参り来ぬを、いかが、御心地はさはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」

  "Yononaka no hakanaki wo miru mama ni, yukusuwe midikau, mono-kokorobosoku te, okonahi-gati ni nari nite habere ba, kakaru hodo no raugahasiki kokoti suru ni yori, e mawiri ko nu wo, ikaga, mi-kokoti ha sahayaka ni obosi nari ni tari ya? Kokorogurusiu koso."

 「世の中の無常な有様を見ていると、この先も短く、何となく頼りなくて、勤行に励むことが多くなっておりますので、このようなご出産の後は騒がしい気がするので、参りませんが、いかがですか、ご気分はさわやかになりましたか。おいたわしいことです」

 「人生の無常をいろんな形で見ていて、もう自分は未来が短くなっているのだからと思うと心細くて、仏勤めばかりをする癖がついて、産屋うぶやの騒がしい空気と自分とはしっくり合わない気がされてたびたびは来ないのですが、気分はどうですか。少しさっぱりしたように思いますか。気の毒ですね」

100 世の中のはかなきを 以下「心苦しうこそ」まで、源氏から女三の宮への詞。

 とて、御几帳の側よりさしのぞきたまへり。御頭もたげたまひて、

  tote, mi-kityau no soba yori sasi-nozoki tamahe ri. Mi-gusi motage tamahi te,

 と言って、御几帳の側からお覗き込みになった。御髪をお上げになって、

 と、お言いになりながら院は几帳きちょうの上から宮をおのぞきになった。宮はかしらを少しお上げになって、

 「なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを、かかる人は罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、また亡くなるとも、罪を失ふこともやとなむ思ひはべる」

  "Naho, e iki taru maziki kokoti nam si haberu wo, kakaru hito ha tumi mo omoka' nari. Ama ni nari te, mosi sore ni ya iki tomaru to kokoromi, mata nakunaru to mo, tumi wo usinahu koto mo ya to nam omohi haberu."

 「やはり、生きていられない気が致しますが、こうしたわたしは罪障も重いことです。尼になって、もしやそのために生き残れるかどうか試してみて、また死んだとしても、罪障をなくすことができるかと存じます」

 「まだ私には快くなる自信ができません。でね、こんな際に死んでは罪が深いと聞いておりますから、尼になりまして、その功徳であるいは生きることができるかどうかためしたくもありますし、また死にましても罪が軽くなるでしょうからと思われまして、そういたしたくなりました」

101 なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを 以下「なむ思ひはべる」まで、女三の宮から源氏への詞。

102 かかる人は罪も重かなり 「かかる人」について、『集成』は「こういう人は罪も重いと申します」。『完訳』は「こうしたことで死ぬ人は罪も重いと申しますから」と訳す。

103 罪を失ふこともや 定家筆本、明融臨模本、大島本は「こともや」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『完本』は諸本に従って「ことにもや」と「に」を補訂する。

 と、常の御けはひよりは、いとおとなびて聞こえたまふを、

  to, tune no ohom-kehahi yori ha, ito otonabi te kikoye tamahu wo,

 と、いつものご様子よりは、とても大人らしく申し上げなさるので、

 平生にも似ずおとなびてお言いになった。

 「いとうたて、ゆゆしき御ことなり。などてか、さまでは思す。かかることは、さのみこそ恐ろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ」

  "Ito utate, yuyusiki ohom-koto nari. Nadote ka, sa made ha obosu. Kakaru koto ha, sa nomi koso osorosika' nare do, sate nagarahe nu waza nara ba koso ara me."

 「まことに嫌な、縁起でもないお言葉です。どうして、そんなにまでお考えになるのですか。このようなことは、そのように恐ろしい事でしょうが、それだからと言って命が永らえないというなら別ですが」

 「とんでもないことですよ。なぜそうまで悲観するのですか、産をするとだれも皆そんなふうに恐ろしく不安になるものですが、子を産んだ人が皆死ぬものではありませんからね。気を静めるようになさい。そんなことは言わずに」

104 いとうたて 以下「こそあらめ」まで、源氏の詞。女三の宮の出家の希望を諌める。

 と聞こえたまふ。御心のうちには、

  to kikoye tamahu. Mi-kokoro no uti ni ha,

 とお申し上げなさる。ご心中では、

 と院はお言いになった。お心の中では

 「まことにさも思し寄りてのたまはば、さやうにて見たてまつらむは、あはれなりなむかし。かつ見つつも、ことに触れて心置かれたまはむが心苦しう、我ながらも、え思ひ直すまじう、憂きことうち混じりぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むることもあらむが、いといとほしう、院などの聞こし召さむことも、わがおこたりにのみこそはならめ。御悩みにことづけて、さもやなしたてまつりてまし」

  "Makoto ni samo obosi yori te notamaha ba, sayau nite mi tatematura m ha, ahare nari na m kasi. Katu mi tutu mo, koto ni hure te kokoro oka re tamaha m ga kokorogurusiu, ware nagara mo, e omohi nahosu maziu, uki koto uti-maziri nu beki wo, onodukara oroka ni hito no mi togamuru koto mo ara m ga, ito itohosiu, Win nado no kikosimesa m koto mo, waga okotari ni nomi koso ha nara me. Ohom-nayami ni kotoduke te, samoya nasi tatematuri te masi."

 「本当にそのようにお考えになっておっしゃるのならば、出家をさせてお世話申し上げるのも、思いやりのあることだろう。このように連れ添っていても、何かにつけて疎ましく思われなさるのがおいたわしいし、自分自身でも、気持ちも改められそうになく、辛い仕打ちが折々まじるだろうから、自然と冷淡な態度だと人目に立つこともあろうことが、まことに困ったことで、院などがお耳になさることも、すべて自分の至らなさからとなるであろう。ご病気にかこつけて、そのようにして差し上げようかしら」

 その希望が自発的に起こったのなら、そうさせてしまったほうが自分の心が楽になって、深く今後もこの人を愛することが可能かもしれぬ、今までと同じように取り扱っていても、同じにならぬものが自分の心にあってはおかわいそうである、自分ながらも以前の愛情がこのまままた帰って来ようとは思われない、自分はどんなに努めても暗い霧が心を横切ることは免れまい、自然宮への愛が薄くなったように他人が思うことも予想され、その時の宮のお立場も苦しかろうと思われる。法皇がお聞きになっても自分が悪いことにばかりなるであろう、病気に託してそうおさせしようか

105 まことにさも 以下「なしたてまつりてまし」まで、源氏の心中。『完訳』は「源氏は、言葉でこそ出家を諌止しながら、心中これを容認」と注す。

106 あはれなりなむかし 『集成』は「しみじみと心深いことであろう」。『完訳』は「それが思いやりということになるのだろう」と訳す。

107 心置かれたまはむが心苦しう 「れ」受身の助動詞。女三の宮が源氏から疎ましく思われる意。

108 憂きことうち混じりぬべきを 定家筆本と明融臨模本は「うきこと」とある。大島本は「うき(き+事<朱>)の」と「事」を朱筆で補入する。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本(定家筆本・大島本)のまま「憂きこと」「うき事の」とする。『完本』は諸本に従って「うきことの」と「の」を補訂する。

 など思し寄れど、また、いとあたらしう、あはれに、かばかり遠き御髪の生ひ先を、しかやつさむことも心苦しければ、

  nado obosi yore do, mata, ito atarasiu, ahare ni, kabakari tohoki mi-gusi no ohisaki wo, sika yatusa m koto mo kokorogurusikere ba,

 などとお考えになるが、また一方では、大変惜しくていたわしく、これほど若く生い先長いお髪を、尼姿に削ぎ捨てるのはお気の毒なので、

 とお思われになるのであったが、またそれを実現させるのが惜しくも哀れにもお思われになり、若盛りの姿を尼に変えさせるのも残酷に思召おぼしめされて、

109 生ひ先 『集成』は「「生ひ先」は、人生の将来の意と、髪の延びて行く先の意を掛ける」と注す。

 「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ、さすがに頼みある世になむ」

  "Naho, tuyoku obosi nare. Kesiu ha ohase zi. Kagiri to miyuru hito mo, tahira naru tamesi tikakere ba, sasuga ni tanomi aru yo ni nam."

 「やはり、気をしっかりお持ちなさい。心配なさることはありますまい。最期かと思われた人も、平癒した例が身近にあるので、やはり頼みになる世の中です」

 「ぜひとも強く生きようとお努めなさい。この上そうまで悪くなるわけはありませんよ。もうだめかと思われていた人さえなおってきた例が近い所にあるのですから、それを思うとまだこの世は頼みになりますよ」

110 なほ強く思しなれ 以下「頼みある世になむ」まで、源氏の詞。女三の宮に気をしっかり持つように言う。

111 けしうはおはせじ 『集成』は「大したことはないと思います」。『完訳』は「ご心配なことはございません」と訳す。

112 限りと見ゆる人も 紫の上をさす。

113 たひらなる 定家筆本と明融臨模本は「たひらなる」とある。大島本は「たいらかなる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たひらかなる」と「ら」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。

 など聞こえたまひて、御湯参りたまふ。いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにてうち臥したまへる御さま、おほどき、うつくしげなれば、

  nado kikoye tamahi te, ohom-yu mawiri tamahu. Ito itau awomi yase te, asamasiu hakanage nite uti-husi tamahe ru ohom-sama, ohodoki, utukusige nare ba,

 などと申し上げなさって、御薬湯を差し上げなさる。とてもひどく青く痩せて、何とも言いようもなく頼りなげな状態で臥せっていらっしゃるご様子、おっとりして、いじらしいので、

 などとお言いになって、白湯さゆを勧めたりして院はおいでになるのであった。宮のお顔色は非常に青くて力もないふうに寝ておいでになるが、たよりない美しさをなしているのを御覧になっては、

 「いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな」

  "Imiziki ayamati ari tomo, kokoroyowaku yurusi tu beki ohom-sama kana!"

 「大層な過失があったにしても、心弱く許してしまいそうなご様子だな」

 どんな過失があっても自分のうちの愛の力が勝って許しうるに違いないのはこの人である

114 いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな 源氏の心中。

 と見たてまつりたまふ。

  to mi tatematuri tamahu.

 と拝見なさる。

 と院は思召した。

第二章 女三の宮の物語 女三の宮の出家

第一段 朱雀院、夜闇に六条院へ参上

 山の帝は、めづらしき御こと平かなりと聞こし召して、あはれにゆかしう思ほすに、

  Yama-no-Mikado ha, medurasiki ohom-koto tahiraka nari to kikosimesi te, ahare ni yukasiu omohosu ni,

 山の帝は、初めてのご出産が無事であったとお聞きあそばして、しみじみとお会いになりたくお思いになるが、

 御寺みてらの院は、珍しい出産を女三にょさんみやが無事にお済ませになったという報をお聞きになって、非常においになりたく思召したところへ、

 「かく悩みたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにか」

  "Kaku nayami tamahu yosi nomi are ba, ikani monosi tamahu beki ni ka?"

 「このようにご病気でいらっしゃるという知らせばかりなので、どうおなりになることか」

 続いて御容体のよろしくないたよりばかりがあるために、

 と、御行なひも乱れて思しけり。

  to, ohom-okonahi mo midare te obosi keri.

 と、御勤行も乱れて御心配あそばすのであった。

 専心に仏勤めもおできにならなくなった。

 さばかり弱りたまへる人の、ものを聞こし召さで、日ごろ経たまへば、いと頼もしげなくなりたまひて、年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、

  Sabakari yowari tamahe ru hito no, mono wo kikosimesa de, higoro he tamahe ba, ito tanomosige naku nari tamahi te, tosigoro mi tatematura zari si hodo yori mo, Win no ito kohisiku oboye tamahu wo,

 あれほどお弱りになった方が、何もお召し上がりにならないで、何日もお過ごしになったので、まことに頼りなくおなりになって、幾年月もお目にかからなかった時よりも、院を大変恋しく思われなさるので、

 衰弱しきった方がまた幾日も物を召し上がらないでおいでになったのであるから、いっそう頼み少なくお見えになる宮が、

115 年ごろ見たてまつらざりしほどよりも 『集成』は「宮は源氏に嫁して七年、父院との対面がなかったが、昨年暮れの御賀でお会いして、恋しさがかえってつのるという気持」と注す。

116 院のいと恋しくおぼえたまふを 『集成』は「「たまふ」は、院に対する敬語」「父院がとても恋しく思われなさるのに」。『完訳』は「宮は、対面後かえって父院が。一説には、「おぼえたまふ」の主語を院と解し、前の「年ごろ」以下を宮の言葉とする」と注す。

 「またも見たてまつらずなりぬるにや」

  "Mata mo mi tatematura zu nari nuru ni ya?"

 「再びお目にかかれないで終わってしまうのだろうか」

 「長いことお目にかかれずに暮らしておりましたころよりも、もっともっと私はお父様が恋しくてなりませんのに、もうお目にかかれないまま死んでしまうのでしょうか」

117 またも見たてまつらずなりぬるにや 女三の宮の心中。

 と、いたう泣いたまふ。かく聞こえたまふさま、さるべき人して伝へ奏せさせたまひければ、いと堪へがたう悲しと思して、あるまじきこととは思し召しながら、夜に隠れて出でさせたまへり。

  to, itau nai tamahu. Kaku kikoye tamahu sama, sarubeki hito site tutahe souse sase tamahi kere ba, ito tahe gatau kanasi to obosi te, arumaziki koto to ha obosimesi nagara, yo ni kakure te ide sase tamahe ri.

 と、ひどくお泣きになる。このように申し上げなさるご様子、しかるべき人からお伝え申し上げさせなさったので、とても我慢できず悲しくお思いになって、あってはならないこととはお思いになりながら、夜の闇に隠れてお出ましになった。

 と言って、非常にお泣きになったので、六条院はそのことを人から法皇にお伝えさせになると、法皇は堪えがたく悲しく思召して、よろしくない行動であるとは思召しながら、人目をはばかって夜になってから六条院へにわかに御幸あそばされた。

118 かく聞こえたまふさま 『完訳』は「「かく」は前行「またも--なりぬるにや」の内容か。一説には、出家を訴えたこと」と注す。

119 あるまじきこととは思し召しながら 出家の身でありながら親子の情の執着に引かれることをいう。

 かねてさる御消息もなくて、にはかにかく渡りおはしまいたれば、主人の院、おどろきかしこまりきこえたまふ。

  Kanete saru ohom-seusoko mo naku te, nihakani kaku watari ohasimai tare ba, Aruzi-no-Win, odoroki kasikomari kikoye tamahu.

 前もってそのようなお手紙もなくて、急にこのようにお越しになったので、主人の院、驚いて恐縮申し上げなさる。

 御主人の院はお驚きになって、恐懼きょうくの意を表しておいでになった。

 「世の中を顧みすまじう思ひはべりしかど、なほ惑ひ覚めがたきものは、子の道の闇になむはべりければ、行なひも懈怠して、もし後れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむと、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものしはべる」

  "Yononaka wo kaherimi su maziu omohi haberi sika do, naho madohi same gataki mono ha, ko no miti no yami ni nam haberi kere ba, okonahi mo ketai si te, mosi okure sakidatu miti no dauri no mama nara de wakare na ba, yagate kono urami mo ya katami ni nokora m to, adikinasa ni, konoyo no sosiri wo ba sira de, kaku monosi haberu."

 「世俗の事を顧みすまいと思っておりましたが、やはり煩悩を捨て切れないのは、子を思う親心の闇でございましたが、勤行も懈怠して、もしも親子の順が逆になって先立たれるようなことになったら、そのまま会わずに終わった怨みがお互いに残りはせぬかと、情けなく思われたので、世間の非難を顧みず、こうして参ったのです」

 「もうこの世のことは顧みますまいと決心していたのですが、こうなってもまだ迷うのは子を思う道のやみだけで宮が重態だと聞くと仏のお勤めも怠るばかりで恥ずかしくてなりませんが、だれが先ともあととも定まらない人の命であれば、逢いたがる子に逢ってやらずに死なせましたら、親の心残りが道の妨げになる気がするので、人間世界のそしりも無視して出て来たのです」

120 世の中を 以下「ものしはべる」まで、朱雀院の詞。

121 子の道の闇になむ 大島本、朱合点。『異本紫明抄』は「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、兼輔朝臣)を指摘し、現行の注釈書でも指摘する。

122 後れ先立つ道の道理 『異本紫明抄』は「末の露もとの雫や後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、露・和漢朗詠集、無常、良僧正)を指摘。

 と聞こえたまふ。御容貌、異にても、なまめかしうなつかしきさまに、うち忍びやつれたまひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしうきよらなるも、うらやましく見たてまつりたまふ。例の、まづ涙落としたまふ。

  to kikoye tamahu. Ohom-katati, koto nite mo, namamekasiu natukasiki sama ni, uti-sinobi yature tamahi te, uruhasiki ohom-hohubuku nara zu, sumizome no ohom-sugata, aramahosiu kiyora naru mo, urayamasiku mi tatematuri tamahu. Rei no, madu namida otosi tamahu.

 とお申し上げになる。御姿、僧形であるが、優雅で親しみやすいお姿で、目立たないように質素な身なりをなさって、正式な法服ではなく、墨染の御法服姿で、申し分なく素晴らしいのにつけても、羨ましく拝見なさる。例によって、まっさきに涙がこぼれなさる。

 法皇はこう仰せられた。御僧形ではあるがえんなところがなお残ってなつかしいお姿にたいそうな御法服などは召さずに墨染め衣の簡単なのを御身にお着けあそばされたのがことに感じよくお美しいのを、院はうらやましく拝見されて、例のようにまず落涙をあそばされた。

 「患ひたまふ御さま、ことなる御悩みにもはべらず。ただ月ごろ弱りたまへる御ありさまに、はかばかしう物なども参らぬ積もりにや、かくものしたまふにこそ」

  "Wadurahi tamahu ohom-sama, koto naru ohom-nayami ni mo habera zu. Tada tuki-goro yowari tamahe ru ohom-arisama ni, hakabakasiu mono nado mo mawira nu tumori ni ya, kaku monosi tamahu ni koso."

 「患っていらっしゃるご様子、特別どうというご病気ではありません。ただここ数月お弱りになったご様子で、きちんとお食事なども召し上がらない日が続いたせいか、このようなことでいらっしゃるのです」

 「御容体は何という名のある病気ではないのでございますが、今まで衰弱がはなはだしゅうございましたところへ、お食慾のないことが重態に導いたのでございます」

123 患ひたまふ御さま 以下「かくものしたまふ」まで、源氏の詞。女三の宮の容態をさしていう。

 など聞こえたまふ。

  nado kikoye tamahu.

 などと申し上げなさる。

 などと六条院はお話しになって、

第二段 朱雀院、女三の宮の希望を入れる

 「かたはらいたき御座なれども」

  "Kataharaitaki o-masi nare do mo."

 「はなはだ恐縮な御座所ではありますが」

 「失礼な場所でございますが」

124 かたはらいたき御座なれど 源氏の詞。朱雀院を女三の宮の病床近くに招き入れる。

 とて、御帳の前に、御茵参りて入れたてまつりたまふ。宮をも、とかう人びと繕ひきこえて、床のしもに下ろしたてまつる。御几帳すこし押しやらせたまひて、

  tote, mi-tyau no mahe ni, ohom-sitone mawiri te ire tatematuri tamahu. Miya wo mo, tokau hitobito tukurohi kikoye te, yuka no simo ni orosi tatematuru. Mi-kityau sukosi osi-yara se tamahi te,

 と言って、御帳台の前に、御褥を差し上げてお入れ申し上げなさる。宮を、あれこれと女房たちが身なりをお整い申して、浜床の下方にお下ろし申し上げる。御几帳を少し押し除けさせなさって、

 と、宮のおやすみになった帳台の前へお敷き物の座を作って法皇を御案内された。宮を女房たちがいろいろとお引き繕いして御介抱をしながら、宮をもお床の下へお降ろしした。法皇は間の几帳きちょうを少し横へお押しになって、

125 床のしもに 御帳台の下の浜床に。

 「夜居加持僧などの心地すれど、まだ験つくばかりの行なひにもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなくおぼえたまふらむさまを、さながら見たまふべきなり」

  "Yowi kadisou nado no kokoti sure do, mada gen tuku bakari no okonahi ni mo ara ne ba, kataharaitakere do, tada obotukanaku oboye tamahu ram sama wo, sanagara mi tamahu beki nari."

 「夜居の加持僧などのような気がするが、まだ効験が現れるほどの修業もしていないので、恥ずかしいけれど、ただお会いしたく思っていらっしゃるわたしの姿を、そのままとくと御覧になるがよい」

 「夜居の加持かじの僧のような気はしても、まだ効験を現わすだけの修行ができていないから恥ずかしいが、逢いたがっておいでになった顔をそこでよく見るがいい」

126 夜居加持僧などの 以下「さながら見たまふべきなり」まで、朱雀院の詞。

127 おぼえたまふらむ 主語は女三の宮。

 とて、御目おし拭はせたまふ。宮も、いと弱げに泣いたまひて、

  tote, ohom-me osi-nogoha se tamahu. Miya mo, ito yowage ni nai tamahi te,

 とおっしゃって、お目をお拭いあそばす。宮も、とても弱々しくお泣きになって、

 と法皇は仰せられて目をおふきになった。宮も弱々しくお泣きになって、

 「生くべうもおぼえはべらぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせたまひてよ」

  "Iku beu mo oboye habera nu wo, kaku ohasimai taru tuide ni, ama ni nasa se tamahi te yo."

 「生き永らえそうにも思われませんので、このようにお越しになった機会に、尼になさって下さいませ」

 「私の命はもう助かるとは思えないのでございますから、おいでくださいましたこの機会に私を尼にあそばしてくださいませ」

128 生くべうも 以下「尼になさせたまひてよ」まで、女三の宮の詞。僧形姿の父に出家の受戒を懇願。

 と聞こえたまふ。

  to kikoye tamahu.

 と申し上げなさる。

 こうお言いになるのであった。

 「さる御本意あらば、いと尊きことなるを、さすがに、限らぬ命のほどにて、行く末遠き人は、かへりてことの乱れあり、世の人に誹らるるやうありぬべき」

  "Saru ohom-ho'i ara ba, ito tahutoki koto naru wo, sasuga ni, kagira nu inoti no hodo nite, yukusuwe tohoki hito ha, kaheri te koto no midare ari, yo no hito ni sosira ruru yau ari nu beki."

 「そのようなご希望があるならば、まことに尊いことであるが、そうはいえ、人の寿命は分からないものゆえ、生き先長い人は、かえって後で間違いを起こして、世間の非難を受けるようなことになりかねないだろう」

 「その志は結構だが、命は予測することを許されないものだから、あなたのような若い人は今後長く生きているうちに、迷いが起こって、世間の人にそしられるようなことにならぬとは限らない。慎重に考えてからのことにしては」

129 さる御本意あらば 以下「やうありぬべき」まで、朱雀院の詞。

130 ありぬべき--など 定家筆本と明融臨模本は「ありぬへきなと」とある。大島本は「ありぬへきなんと」とある。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本のまま「…ありうべき」など」「…ありぬべき」なんど」とする。『完本』は諸本に従って「…ありぬべきことになん、なほ憚りぬべき」など」と「ことになんなほ憚りぬべき」を補訂する。

 などのたまはせて、大殿の君に、

  nado notamaha se te, Otodo-no-Kimi ni,

 などと仰せられて、大殿の君に、

 などと法皇はお言いになって、六条院に、

 「かくなむ進みのたまふを、今は限りのさまならば、片時のほどにても、その助けあるべきさまにてとなむ、思ひたまふる」

  "Kaku nam susumi notamahu wo, ima ha kagiri no sama nara ba, katatoki no hodo nite mo, sono tasuke aru beki sama nite to nam, omohi tamahuru."

 「このように自分から進んでおっしゃるので、もうこれが最期の様子ならば、ちょっとの間でも、その功徳があるようにして上げたい、と存じます」

 「こう進んで言いますが、すでに危篤な場合とすれば、しばらくもその志を実現させることによって仏の冥助みょうじょを得させたいと私は思う」

131 かくなむ進み 以下「となむ思ひたまふる」まで、朱雀院の詞。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 と仰せになるので、

 と仰せられた。

 「日ごろもかくなむのたまへど、邪気などの、人の心たぶろかして、かかる方にて進むるやうもはべなるをとて、聞きも入れはべらぬなり」

  "Higoro mo kaku nam notamahe do, zake nado no, hito no kokoro taburokasi te, kakaru kata nite susumuru yau mo habe' naru wo tote, kiki mo ire habera nu nari."

 「この日頃もそのようにおっしゃいますが、物の怪などが、宮のお心を惑わして、このような方面に勧めるようなこともございますこととて、お聞き入れ致さないのです」

 「この間からそのことをよくお話しになるのですが、物怪もののけが人の心をたぶらかして、そんなふうのことを勧めるのでしょうと申して私は御同意をしないのでございます」

132 日ごろもかく 以下「聞きも入れはべらぬなり」まで、源氏の詞。

133 かかる方にて 定家筆本と明融臨模本、大島本は「かゝるかたにて」とある。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本のままとする。『完本』は諸本に従って「かかる方に」と「て」を削除する。

 と聞こえたまふ。

  to kikoye tamahu.

 とお申し上げになる。


 「もののけの教へにても、それに負けぬとて、悪しかるべきことならばこそ憚らめ、弱りにたる人の、限りとてものしたまはむことを、聞き過ぐさむは、後の悔い心苦しうや」

  "Mononoke no wosihe nite mo, sore ni make nu tote, asikaru beki koto nara ba koso habakara me, yowari ni taru hito no, kagiri tote monosi tamaha m koto wo, kiki sugusa m ha, noti no kuyi kokorogurusiu ya!"

 「物の怪の教えであっても、それに負けたからといって、悪いことになるのならば控えねばならないが、衰弱した人が、最期と思って願っていらっしゃるのを、聞き過ごすのは、後々になって悔やまれ辛い思いをするのではないか」

 「物怪の勧めでそれを行なうと言っても、悪いことはとめなければなりませんが、衰弱してしまった人が最後の希望として言っていることを無視しては、後悔することがあるかもしれぬと私は思う」

134 もののけの 以下「心苦しうや」まで、朱雀院の詞。

 とのたまふ。

  to notamahu.

 と仰せになる。

 法皇の仰せはこうであった。

第三段 源氏、女三の宮の出家に狼狽

 御心の内、限りなううしろやすく譲りおきし御ことを、受けとりたまひて、さしも心ざし深からず、わが思ふやうにはあらぬ御けしきを、ことに触れつつ、年ごろ聞こし召し思しつめけること、色に出でて恨みきこえたまふべきにもあらねば、世の人の思ひ言ふらむところも口惜しう思しわたるに、

  Mi-kokoro no uti, kagirinau usiroyasuku yuduri oki si ohom-koto wo, uketori tamahi te, sasimo kokorozasi hukakara zu, waga omohu yau ni ha ara nu mi-kesiki wo, koto ni hure tutu, tosigoro kikosimesi obosi tume keru koto, iro ni ide te urami kikoye tamahu beki ni mo ara ne ba, yo no hito no omohi ihu ram tokoro mo kutiwosiu obosi wataru ni,

 御心中、この上なく安心に思ってお任せ申した姫宮の御ことを、お引き受けなさったが、それほど愛情も深くなく、自分の思っていたのとは違ったご様子を、何かにつけて、ここ幾年もお聞きあそばして積もりに積もったご不満、顔色に現してお恨み申し上げなさるべきことでもないので、世間の人が想像したり噂したりすることも残念にお思い続けていられたので、

 お心のうちでは限りもない信頼をもって託しておいた内親王を妻にしてからのこの院の愛情に飽き足らぬところのあるのを何かの場合によく自分は聞いていたが、恨みを自分から言い出すこともできぬ問題であって、しかも世間に取り沙汰されるのも忍ばねばならぬことを始終残念に思っているのであるから、

135 限りなう 以下「その心ばへをも見果てむ」まで、朱雀院の心中に即した文章。

136 世の人の思ひ言ふらむところも 源氏と女三の宮の結婚について。

 「かかる折に、もて離れなむも、何かは、人笑へに、世を恨みたるけしきならで、さもあらざらむ。おほかたの後見には、なほ頼まれぬべき御おきてなるを、ただ預けおきたてまつりししるしには思ひなして、憎げに背くさまにはあらずとも、御処分に広くおもしろき宮賜はりたまへるを、繕ひて住ませたてまつらむ。

  "Kakaru wori ni, mote-hanare na m mo, nanikaha, hitowarahe ni, yo wo urami taru kesiki nara de, samo ara zara m? Ohokata no usiromi ni ha, naho tanoma re nu beki ohom-okite naru wo, tada aduke oki tatematuri si sirusi ni ha omohi nasi te, nikuge ni somuku sama ni ha ara zu tomo, ohom-soubun ni hiroku omosiroki miya tamahari tamahe ru wo, tukurohi te suma se tatematura m.

 「このような機会に、出家するのが、どうしてか、物笑いになるような、夫婦仲を恨んでのことのようでなく、それで不都合があろうか。一通りのお世話は、やはり頼りになれそうなお気持ちであるから、ただそれだけをお預け申し上げた甲斐と思うことにして、面当てつけがましく出家した恰好ではなくとも、ご遺産に広くて美しい宮邸をご伝領なさっていたのを、修繕してお住ませ申そう。

 この機会に決断して尼にさせてしまうとしても、良人おっとに捨てられたのだと、世間から嘲罵ちょうばされるわけのものではない。少しも遠慮はいらぬ。現在において宮の望みは遂げさせなくてはならない、夫婦関係の解消したのちに、単に兄の子として保護してくれる好意はあるはずであるから、せめてそれだけを自分から寄託された最後の義務に負ってもらうことにして反抗的にここを出て行くふうでなくして、自分からかつて宮に分配した財産のうちに広くてりっぱな邸宅もあるのであるから、そこを修繕して住ませよう、

137 かかる折にもて離れなむも 『完訳』は「どうせ離れるのなら、重病の現在出家するのが最良、の気持」と注す。

138 人笑へに 『完訳』は「健康の身で出家しては、世間の物笑いにもなり、源氏を恨んで行為ともみられようが、の気持」と注す。

139 広くおもしろき宮賜はりたまへるを 三条宮(院)をさす。『集成』は「女三の宮が朱雀院から」。『完訳』は「父桐壺院からの伝領」と注す。

140 繕ひて住ませたてまつらむ 朱雀院は女三の宮を六条院から三条宮に引き取って別居させようとする。

 わがおはします世に、さる方にても、うしろめたからず聞きおき、またかの大殿も、さいふとも、いとおろかにはよも思ひ放ちたまはじ、その心ばへをも見果てむ」

  Waga ohasimasu yo ni, saru kata nite mo, usirometakara zu kiki oki, mata kano Otodo mo, sa ihu tomo, ito oroka ni ha yo mo omohi hanati tamaha zi, sono kokorobahe wo mo mi hate m."

 自分の生きている間に、そのようにしてでも、不安がないようにしておき、またあの大殿も、そうは言っても、冷淡には決してお見捨てなさるまい。その気持ちも見届けよう」

 自分がまだ生きておられるうちにそれらの処置を皆しておくことにしたい。この院も妻としては冷ややかに見ても、今からの宮を不人情に放ってはおくまい。自分はその態度を見きわめておく必要がある

141 わがおはします世に 『集成』は「「おはします」は、筆者の朱雀院に対する敬意が文面に現れたもの」と注す。

 と思ほし取りて、

  to omohosi tori te,

 とお考え決めなさって、

 と思召して、

 「さらば、かくものしたるついでに、忌むこと受けたまはむをだに、結縁にせむかし」

  "Saraba, kaku monosi taru tuide ni, imu koto uke tamaha m wo dani, ketien ni se m kasi."

 「それでは、このように参った機会に、せめて出家の戒をお受けになることだけでもして、仏縁を結ぶことにしよう」

 「では私がこちらへ来たついでにあなたの授戒を実行させることにして、それを私は御仏みほとけから義務の一つを果たしたことと見ていただくことにする」

142 さらばかく 以下「結縁にせむかし」まで、朱雀院の詞。

 とのたまはす。

  to notamaha su.

 と仰せになる。

 と仰せられた。

 大殿の君、憂しと思す方も忘れて、こはいかなるべきことぞと、悲しく口惜しければ、え堪へたまはず、内に入りて、

  Otodo-no-Kimi, usi to obosu kata mo wasure te, ko ha ikanaru beki koto zo to, kanasiku kutiwosi kere ba, e tahe tamaha zu, uti ni iri te,

 大殿の君、厭わしいとお思いになる事も忘れて、これはどうなることかと、悲しく残念でもあったので、堪えることがおできになれず、御几帳の中に入って、

 六条院は遺憾にお思いになった宮の御過失のこともお忘れになって、なんとなることかと心をお騒がせになって、悲しみにお堪えにならずに、几帳の中へおはいりになって、

143 憂しと思す方も忘れて 柏木と女三の宮の密通事件をさす。かつて六条御息所の生霊事件も源氏にとって「憂し」とあった。

 「などか、いくばくもはべるまじき身をふり捨てて、かうは思しなりにける。なほ、しばし心を静めたまひて、御湯参り、物などをも聞こし召せ。尊きことなりとも、御身弱うては、行なひもしたまひてむや。かつは、つくろひたまひてこそ」

  "Nadoka, ikubaku mo haberu maziki mi wo huri-sute te, kau ha obosi nari ni keru? Naho, sibasi kokoro wo sidume tamahi te, ohom-yu mawiri, mono nado wo mo kikosimese. Tahutoki koto nari tomo, ohom-mi yowau te ha, okonahi mo si tamahi te m ya? Katu ha, tukurohi tamahi te koso."

 「どうしてか、そう長くはないわたしを捨てて、そのようにお考えになったのですか。やはり、もう暫く心を落ち着けなさって、御薬湯を上がり、食べ物を召し上がりなさい。尊い事ではあるが、お身体が弱くては、勤行もおできになれようか。ともかくも、養生なさってから」

 「なぜそういうことをなさろうというのですか。もう長くも生きていない老いた良人おっとをお捨てになって、尼になどなる気になぜおなりになったのですか。もうしばらく気を静めて、湯をお飲みになったり、物を召し上がったりすることに努力なさい。出家をすることは尊いことでも、身体からだが弱ければ仏勤めもよくできないではありませんか。ともかくも病気の回復をお計りになった上でのことになさい」

144 などかいくばくも 明融臨模本、付箋「いく世しもあらしわか身をなそもかくあまのかるもに思みたるゝ」(古今集雑下、九三四、読人しらず)。大島本、行間書入れ「古今 いく世しもあらし我身をなそもかく海人のかるもに思みたるゝ」とある。古注では『河海抄』が指摘する。現行の注釈書では指摘されない。以下「つくろひたまひてこそ」まで、源氏から女三の宮への詞。

 と聞こえたまへど、頭ふりて、いとつらうのたまふと思したり。つれなくて、恨めしと思すこともありけるにやと見たてまつりたまふに、いとほしうあはれなり。とかく聞こえ返さひ、思しやすらふほどに、夜明け方になりぬ。

  to kikoye tamahe do, kasira huri te, ito turau notamahu to obosi tari. Turenaku te, uramesi to obosu koto mo ari keru ni ya to mi tatematuri tamahu ni, itohosiu ahare nari. Tokaku kikoye kahesahi, obosi yasurahu hodo ni, yo ake-gata ni nari nu.

 と申し上げなさるが、頭を振って、とても辛いことをおっしゃると思っておいでである。表面ではさりげなく振る舞っているが、心中恨めしいとお思いになっていらしたことがあったのかと拝見なさると、不憫でおいたわしい。あれやこれやと反対を申して、ためらっていらっしゃるうちに、夜明け近くなってしまいまった。

 とお話しになるのであるが、宮はかしらをお振りになって、おとめになるのを恨めしくお思いになるふうであった。何もお言いにはならなかったが、自分を恨めしくお思いになったこともあるのではないかとお気がつくと、かわいそうでならない気があそばされたのであった。いろいろと宮の御意志をひるがえさせようと院が言葉を尽くしておいでになるうちに夜明け方になった。

145 つれなくて 以下「ありけるにや」まで、源氏の心中を間接的に叙述。『集成』は「宮の思い詰めた様子に、源氏も悔恨に似た思いを抱く」と注す。

第四段 朱雀院、夜明け方に山へ帰る

 帰り入らむに、道も昼ははしたなかるべしと急がせたまひて、御祈りにさぶらふ中に、やむごとなう尊き限り召し入れて、御髪下ろさせたまふ。いと盛りにきよらなる御髪を削ぎ捨てて、忌むこと受けたまふ作法、悲しう口惜しければ、大殿はえ忍びあへたまはず、いみじう泣いたまふ。

  Kaheri ira m ni, miti mo hiru ha hasitanakaru besi to isoga se tamahi te, ohom-inori ni saburahu naka ni, yamgotonau tahutoki kagiri mesi ire te, mi-gusi orosa se tamahu. Ito sakari ni kiyora naru mi-gusi wo sogi sute te, imu koto uke tamahu sahohu, kanasiu kutiwosikere ba, Otodo ha e sinobi ahe tamaha zu, imiziu nai tamahu.

 山に帰って行くのに、道中が昼間では不体裁であろうとお急がせあそばして、御祈祷に伺候している中で、位が高く有徳の僧だけを召し入れて、お髪を下ろさせなさる。まことに女盛りで美しいお髪を削ぎ落として、戒をお受けになる儀式、悲しく残念なので、大殿は堪えることがおできになれず、ひどくお泣きになる。

 御寺みてらへお帰りになるのが明るくなってからでは見苦しいと法皇はお急ぎになって、祈祷きとうのために侍している僧の中から尊敬してよい人格者ばかりをお選びになり、産室うぶやへお呼びになって、宮のおぐしを切ることをお命じになった。若い盛りの美しいおぐしを切って仏のかいをお受けになる光景は悲しいものであった。残念に思召して六条院は非常にお泣きになった。

 院はた、もとより取り分きてやむごとなう、人よりもすぐれて見たてまつらむと思ししを、この世には甲斐なきやうにないたてまつるも、飽かず悲しければ、うちしほたれたまふ。

  Win hata, motoyori toriwaki te yamgotonau, hito yori mo sugure te mi tatematura m to obosi si wo, konoyo ni ha kahinaki yau ni nai tatematuru mo, aka zu kanasikere ba, uti-sihotare tamahu.

 院は院で、もとから特別大切に、誰よりも幸福にしてさし上げたいとお思いになっていたのだが、この世ではその甲斐もないようにおさせ申し上げるのも、どんなに考えても悲しいので、涙ぐみなさる。

 また法皇におかせられては、御子の中でもとりわけお大事に思召された内親王で、だれよりも幸福な生涯しょうがいを得させたいとお思いあそばされた方を、未来の世は別としてこの世でははかない姿にお変えさせになったことでしおれておいでになって、

146 人よりも 『集成』は「誰よりもしあわあせな生涯を送らせようとお思いだったのに。そのために、源氏を婿に選んだのである」と注す。

 「かくても、平かにて、同じうは念誦をも勤めたまへ」

  "Kakute mo, tahiraka nite, onaziu ha nenzu wo mo tutome tamahe."

 「こうした姿にしたが、健康になって、同じことなら念仏誦経をもお勤めなさい」

 「たとえこうおなりになっても、健康が回復すればそれを幸福にお思いになって、できれば念誦ねんずだけでもよくお唱えしているようになさい」

147 かくても 以下「念誦をも勤めたまへ」まで、朱雀院の詞。

148 同じうは 出家姿でいるなら、何もせずにいるのでなく、の気持。『完訳』は「出家したうえは来世の救済に期待して精進しなさい」と訳す。

 と聞こえ置きたまひて、明け果てぬるに、急ぎて出でさせたまひぬ。

  to kikoye oki tamahi te, ake hate nuru ni, isogi te ide sase tamahi nu.

 と申し上げなさって、夜が明けてしまうので、急いでお帰りになった。

 とお言いになった院は、まだ暗いうちに六条院をお去りになることにあそばされた。

 宮は、なほ弱う消え入るやうにしたまひて、はかばかしうもえ見たてまつらず、ものなども聞こえたまはず。大殿も、

  Miya ha, naho yowau kiye iru yau ni si tamahi te, hakabakasiu mo e mi tatematura zu, mono nado mo kikoye tamaha zu. Otodo mo,

 宮は、今も弱々しく息も絶えそうでいらっしゃって、はっきりともお顔も拝見なさらず、ご挨拶も申し上げなさらない。大殿も、

 宮は今もなおお命がおぼつかない御様子で、はかばかしく御父法皇を目送あそばすこともおできにならず、ものもお言われにならなかった。

 「夢のやうに思ひたまへ乱るる心惑ひに、かう昔おぼえたる御幸のかしこまりをも、え御覧ぜられぬらうがはしさは、ことさらに参りはべりてなむ」

  "Yume no yau ni omohi tamahe midaruru kokoromadohi ni, kau mukasi oboye taru miyuki no kasikomari wo mo, e goranze rare nu raugahasisa ha, kotosarani mawiri haberi te nam."

 「夢のように存じられて心が乱れておりますので、このように昔を思い出させます御幸のお礼を、御覧に入れられない御無礼は、後日改めて参上致しまして」

 「夢を見ておりますようなことが起こりまして、心が混乱しております際で、昔の御厚情をまたお見せくださいました御幸みゆきに感謝の意もまだ表してお目にかけることができませんような不都合さも、また私が伺っておびすることにいたしましょう」

149 夢のやうに 以下「参りはべりてなむ」まで、源氏の詞。

150 昔おぼえたる御幸 九年前の六条院行幸をさす。「藤裏葉」巻に語られていた。

151 かしこまり 『集成』は「恐懼の気持。具体的には、饗応、贈り物その他のしかるべきもてなしをいう」と注す。

 と聞こえたまふ。御送りに人びと参らせたまふ。

  to kikoye tamahu. Ohom-okuri ni hitobito mawira se tamahu.

 と申し上げなさる。お帰りのお供に家臣を差し上げなさる。

 と六条院は御挨拶あいさつをあそばされた。そしてこの院の役人たちを御寺へお見送りにお出しになるのであった。

 「世の中の、今日か明日かにおぼえはべりしほどに、また知る人もなくて、漂はむことの、あはれに避りがたうおぼえはべしかば、御本意にはあらざりけめど、かく聞こえつけて、年ごろは心やすく思ひたまへつるを、もしも生きとまりはべらば、さま異に変りて、人しげき住まひはつきなかるべきを、さるべき山里などにかけ離れたらむありさまも、またさすがに心細かるべくや。さまに従ひて、なほ、思し放つまじく」

  "Yononaka no, kehu ka asu ka ni oboye haberi si hodo ni, mata siru hito mo naku te, tadayoha m koto no, ahare ni sari gatau oboye haberi sika ba, ohom-ho'i ni ha ara zari keme do, kaku kikoye tuke te, tosigoro ha kokoroyasuku omohi tamahe turu wo, mosi mo iki tomari habera ba, sama koto ni kahari te, hito sigeki sumahi ha tuki nakaru beki wo, sarubeki yamazato nado ni kake-hanare tara m arisama mo, mata sasuga ni kokorobosokaru beku ya! Sama ni sitagahi te, naho, obosi hanatu maziku."

 「わたしの寿命も、今日か明日かと思われました時に、また他に面倒を見る人もなくて、寄るべもなく暮らすことが、気の毒で放っておけないように思われましたので、あなたの本意ではなかったでしょうが、このようにお願い申して、今まではずっと安心しておりましたが、もしも宮が命を取り留めましたら、普通とは変わった尼姿で、人の大勢いる中で生活するのは不都合でしょうが、適当な山里などに離れ住む様子も、またそうはいっても心細いことでしょう。尼の身の上相応に、やはり、今まで通りお見捨てなさらずに」

 「もう今日か明日かに終わるように自分の命の危険さが思われた際に、あとに残して保護者もなく寂しくこの世を渡らせることがあわれまれてならぬ時に、御本意ではなかったでしょうが、あなたへお託しさせていただいて、今までは安心していたのですが、万一かれの命の助かることがありますれば、もう普通の人ではなくなりました者が、人出入りの多い宮殿にいますことは似合わしく思われませんし、郊外の寂しい所へ住ませるのもさすがにまた心細く思うことでしょうから、その点をあなたがお考えくだすって住居すまいを移させることにしていただきたい。どうか今後もかれを念頭にお置きください」

152 世の中の 以下「思し放つまじうなむ」まで、朱雀院の詞。

153 また知る人もなくて 大島本、朱合点、行間書入「古今 枕より又しる人も」とある。古注では『異本紫明抄』が「枕よりまた知る人もなき恋を涙せきあへず漏らしつるかな」(古今集恋三、六七〇、平貞文)を指摘。女三の宮の身の上をさす。

154 御本意にはあらざりけめど 『完訳』は「この言葉、院自身には他意がなくとも、源氏には痛烈な皮肉」と注す。

155 もしも生きとまりはべらば 主語は女三の宮。

 など聞こえたまへば、

  nado kikoye tamahe ba,

 などとお頼み申し上げなさると、

 と法皇がお言いになると、

 「さらにかくまで仰せらるるなむ、かへりて恥づかしう思ひたまへらるる。乱り心地、とかく乱れはべりて、何事もえわきまへはべらず」

  "Sarani kaku made ohose raruru nam, kaheri te hadukasiu omohi tamahe raruru. Midarigokoti, tokaku midare haberi te, nanigoto mo e wakimahe habera zu."

 「改めてこのようにまで仰せ下さいましたことが、かえってこちらが恥ずかしく存じられます。乱れ心地に、何やかやと思い乱れまして、何事も判断がつきかねております」

 「そんな仰せまでも受けましてはかえって私が恥じ入ります。自分の精神がよく統一されていくのを待ちましてすべてのことに善処いたしましょう」

156 さらにかくまで 以下「えわきまへはべらず」まで、源氏の詞。

 とて、げに、いと堪へがたげに思したり。

  tote, geni, ito tahe gatage ni obosi tari.

 と答えて、なるほど、とても辛そうに思っていらっしゃった。

 院は実際悲しみに堪えぬ御様子であった。

 後夜の御加持に、御もののけ出で来て、

  Goya no ohom-kadi ni, ohom-mononoke ideki te,

 後夜の御加持に、御物の怪が現れ出て、

 後夜ごやの加持の時に物怪もののけが人にうつって来て、

 「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしが、いとねたかりしかば、このわたりに、さりげなくてなむ、日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」

  "Kau zo aru yo! Ito kasikou torikahesi tu to, hitori woba obosi tari si ga, ito netakari sika ba, kono watari ni, sarigenaku te nam, higoro saburahi turu. Ima ha kaheri na m."

 「それごらん。みごとに取り返したと、一人はそうお思いになったのが、まことに悔しかったので、この辺に、気づかれないようにして、ずっと控えていたのだ。今はもう帰ろう」

 「どう、こんなことになってしまったではないか。上手じょうずに一人を取り返したと思っておいでになる様子がくやしかったから、それからは気のつかぬようにしてこちらへ私は来ていたのだ。もう帰りますよ」

157 かうぞあるよ 以下「今は帰りなむ」まで、物の怪の詞。女三の宮の出家は物の怪のしわざであった。

158 一人をば思したりしが 「一人」は紫の上をさし、「思す」の主語は源氏。

 とて、うち笑ふ。いとあさましう、

  tote, uti-warahu. Ito asamasiu,

 と言って、ちょっと笑う。まことに驚きあきれて、

 と笑った。

159 うち笑ふ 明融臨模本、付箋「栄花小一条院女御<顕光女>の邪気にて御堂の御女のひさしく患給ひてつゐに御くしおろさせ給ふその時邪気人に付て今こそうれしけれとて手をうちて笑けるよしみえたり」とある。『河海抄』にほぼ同文の内容が見える。小一条院女御(道長女、寛子)が危篤に陥ったとき、藤原顕光とその女小一条院女御延子が死霊となって現れ出て、手を打って喝采をさけんだという話。『栄華物語』「峰の月」に見える。

 「さは、このもののけのここにも、離れざりけるにやあらむ」

  "Saha, kono mononoke no koko ni mo, hanare zari keru ni ya ara m?"

 「それでは、この物の怪がここにも、離れずにいたのか」

 これによれば紫夫人を悩ました物怪が、それ以来こちらへ憑いていたのであったか、

160 さは、このもののけのここにも、離れざりけるにやあらむ 源氏の心中。物の怪の正体を六条御息所と知る。

 と思すに、いとほしう悔しう思さる。宮、すこし生き出でたまふやうなれど、なほ頼みがたげに見えたまふ。さぶらふ人びとも、いといふかひなうおぼゆれど、「かうても、平かにだにおはしまさば」と、念じつつ、御修法また延べて、たゆみなく行なはせなど、よろづにせさせたまふ。

  to obosu ni, itohosiu kuyasiu obosa ru. Miya, sukosi iki ide tamahu yau nare do, naho tanomi-gatage ni miye tamahu. Saburahu hitobito mo, ito ihukahinau oboyure do, "Kau te mo, tahiraka ni dani ohasimasa ba." to, nenzi tutu, mi-suhohu mata nobe te, tayumi naku okonaha se nado, yorodu ni se sase tamahu.

 とお思いになると、お気の毒に悔しく思わずにはいらっしゃれない。宮は、少し生き返ったようだが、やはり頼りなさそうにお見えになる。伺候する女房たちも、まことに何とも言いようもなく思われるが、「こうしてでも、せめてご無事でいらっしゃったならば」と、祈りながら、御修法をさらに延長して、休みなく行わせたりなど、いろいろとおさせになる。

 あらゆる不祥事はかれがなさしめたのかもしれぬとお気づきになった時、女三の宮がおかわいそうでならぬ気のされる院でおありになった。宮の御容体は少し持ち直したようであったが、まだ危険状態を脱したとはお見えにならないのである。女房たちも御出家をあそばしたことで失望した様子であったが、たとえこうおなりになっても御健康さえ取りもどすことができればと、今はそれを院もお念じになって、修法もまた延ばさせて、油断なく祈らせることもあそばしたし、そのほかのあらゆる方法もおとりになって、宮のお命の助かるようにとばかり苦心あそばされるのであった。

161 いとほしう悔しう思さる 『集成』は「おいたわしく残念にお思いになる」。『完訳』は「宮がいじらしくもあり、また尼にしてさしあげたことを悔まずにはいらっしゃれない」「物の怪の出現は、宮出家の種明かしでもあるが、源氏の人生を根源的に捉え直す視点ともなろう」と注す。

第三章 柏木の物語 夕霧の見舞いと死去

第一段 柏木、権大納言となる

 かの衛門督は、かかる御事を聞きたまふに、いとど消え入るやうにしたまひて、むげに頼む方少なうなりたまひにたり。女宮のあはれにおぼえたまへば、ここに渡りたまはむことは、今さらに軽々しきやうにもあらむを、上も大臣も、かくつと添ひおはすれば、おのづからとりはづして見たてまつりたまふやうもあらむに、あぢきなしと思して、

  Kano Wemon-no-Kami ha, kakaru ohom-koto wo kiki tamahu ni, itodo kiye iru yau ni si tamahi te, mugeni tanomu kata sukunau nari tamahi ni tari. Womnamiya no ahare ni oboye tamahe ba, koko ni watari tamaha m koto ha, imasara ni karugarusiki yau ni mo ara m wo, Uhe mo Otodo mo, kaku tuto sohi ohasure ba, onodukara tori-hadusi te mi tatematuri tamahu yau mo ara m ni, adikinasi to obosi te,

 あの衛門督は、このような御事をお聞きになって、ますます死んでしまいそうな気がなさって、まるきり回復の見込みもなさそうになってしまわれた。女宮がしみじみと思われなさるので、こちらにお越しになることは、今さら軽々しいようにも思われますが、母上も大臣もこのようにぴったり付き添っていらっしゃるので、何かの折にうっかりお顔を拝見なさるようなことがあっては、困るとお思いになって、

 右衛門督うえもんのかみは六条院の宮の御出産から出家と続いての出来事を病床に聞いて、いっそう頼み少ない容体になってしまった。夫人の女二にょにみやをおかわいそうにばかり思われる衛門督は、助からぬ命にきまった今になって、ここへ宮がおいでになることは軽々しく世間が見ることであろうし、父母が始終近くへ来ている病室では、自然お姿をそれらの近親者に見られておしまいになるすきができることになってはもったいないと思って、

162 かかる御事を聞きたまふに 女三の宮の出家をさす。

163 女宮のあはれにおぼえたまへば 落葉の宮をさす。「おぼえたまふ」の主体は柏木、その対象は落葉の宮。『集成』は「北の方の女二の宮(落葉の宮)がおいたわしく思われなさるので。「おぼえたまふ」の「たまふ」は、落葉の宮に対する敬語」と注す。

164 ここに渡りたまはむことは 『集成』は「以下、柏木の心中」と注す。間接的叙述。

165 上も大臣も 柏木の母北の方と父大臣。

 「かの宮に、とかくして今一度参うでむ」

  "Kano Miya ni, tokaku si te ima hito-tabi maude m."

 「あちらの宮邸に、何とかしてもう一度参りたい」

 「どんな無理をしてでも一条の宮へもう一度行ってみたいのです」

166 かの宮にとかくして今一度参うでむ 柏木の詞。

 とのたまふを、さらに許しきこえたまはず。誰にも、この宮の御ことを聞こえつけたまふ。はじめより母御息所は、をさをさ心ゆきたまはざりしを、この大臣の居立ちねむごろに聞こえたまひて、心ざし深かりしに負けたまひて、院にも、いかがはせむと思し許しけるを、二品の宮の御こと思ほし乱れけるついでに、

  to notamahu wo, sarani yurusi kikoye tamaha zu. Tare ni mo, kono Miya no ohom-koto wo kikoye tuke tamahu. Hazime yori haha-Miyasumdokoro ha, wosawosa kokoroyuki tamaha zari si wo, kono Otodo no witati nemgoro ni kikoye tamahi te, kokorozasi hukakari si ni make tamahi te, Win ni mo, ikaga ha se m to obosi yurusi keru wo, Nihon-no-Miya no ohom-koto omohosi midare keru tuide ni,

 とおっしゃるが、まったくお許し申し上げなさらない。皆にも、この宮の御事をお頼みなさる。最初から母御息所は、あまりお気が進みでなかったのだが、この大臣自身が奔走して熱心に懇請申し上げなさって、そのお気持ちの深いことにお折れになって、院におかれても、しかたないとお許しになったのだが、二品の宮の御事にお心をお痛めになっていた折に、

 と言い続けるのであるが、両親は許さなかった。衛門督はだれにも自分の死後はこの宮を御保護申すようにということを頼んでいた。もともと宮の母君の御息所みやすどころはこの結婚に不賛成であったのが、衛門督の父の大臣の熱心な懇望が法皇を動かしたてまつって、お許しになることになったものであって、六条院の二品にほんみやの御幸福のかんばしくないうわさなどがお耳にはいったころには、

167 許しきこえたまはず 主語は柏木の両親。

168 二品の宮 女三の宮をさす。

 「なかなか、この宮は行く先うしろやすく、まめやかなる後見まうけたまへり」

  "Nakanaka, kono Miya ha yukusaki usiroyasuku, mameyaka naru usiromi mauke tamahe ri."

 「かえって、この宮は将来安心で、実直な夫をお持ちになったことだ」

 「かえって二の宮のほうが将来の頼もしい良人おっとを得たというものだ」

169 なかなかこの宮は 以下「後見まうけたまへり」まで、朱雀院の詞。引用。

 と、のたまはすと聞きたまひしを、かたじけなう思ひ出づ。

  to, notamahasu to kiki tamahi si wo, katazikenau omohi idu.

 と、仰せられたとお聞きになったのを、恐れ多いことだと思い出す。

 と法皇が仰せられると聞いたこともあったのに、なんという成り行きになることかと今は悲しむばかりであった。

 「かくて、見捨てたてまつりぬるなめりと思ふにつけては、さまざまにいとほしけれど、心よりほかなる命なれば、堪へぬ契り恨めしうて、思し嘆かれむが、心苦しきこと。御心ざしありて訪らひものせさせたまへ」

  "Kakute, misute tatematuri nuru na' meri to omohu ni tuke te ha, samazama ni itohosikere do, kokoro yori hoka naru inoti nare ba, tahe nu tigiri uramesiu te, obosi nageka re m ga, kokorogurusiki koto. Mi-kokorozasi ari te toburahi monose sase tamahe."

 「こうして、後にお残し申し上げてしまうようだと思うにつけても、いろいろとお気の毒だが、思う通りには行かない命なので、添い遂げられない夫婦の仲が恨めしくて、お嘆きになるだろうことがお気の毒なこと。どうか気をつけてお世話してさし上げて下さい」

 「こんなふうで宮様を未亡人にしてしまうのかと思いますと堪えられません。あちらにもこちらにもお気の毒なことばかりですが、自分の心に任せないのが命ですからしかたもありません。宮様の今後の寂しい生活を思いますと心苦しくてなりませんから、お母様は親切にしてあげてください。始終お世話をしてあげてくださいお母様」

170 かくて 以下「ものせさせたまへ」まで、柏木の詞。

171 さまざまにいとほしけれど 『集成』は「どなたに対してもおいたわしいことですが。父院や母御息所のお嘆きも思われるが、というほどの意」と注す。

 と、母上にも聞こえたまふ。

  to, Hahauhe ni mo kikoye tamahu.

 と、母上にもお頼み申し上げなさる。

 とかみは母夫人にも言っていた。

 「いで、あなゆゆし。後れたてまつりては、いくばく世に経べき身とて、かうまで行く先のことをばのたまふ」

  "Ide, ana yuyusi. Okure tatematuri te ha, ikubaku yo ni hu beki mi tote, kau made yukusaki no koto wo ba notamahu."

 「まあ、何と縁起でもないことを。あなたに先立たれては、どれほど生きていられるわたしだと思って、こうまで先々の事をおっしゃるの」

 「縁起の悪い話をしますね。あなたに死なれたあとで、お母様はどれだけ生きておられると思ってそんな未来のことまでも言うのですか」

172 いで、あなゆゆし 以下「ことをばのたまふ」まで、母北の方の詞。

 とて、泣きにのみ泣きたまへば、え聞こえやりたまはず。右大弁の君にぞ、大方の事どもは詳しう聞こえたまふ。

  tote, naki ni nomi naki tamahe ba, e kikoye yaritamaha zu. Udaiben-no-Kimi ni zo, ohokata no koto-domo ha kuhasiu kikoye tamahu.

 と言って、ただもうお泣きになるばかりなので、十分にお頼み申し上げになることができない。右大弁の君に、一通りの事は詳しくお頼み申し上げなさる。

 と言って、母はまず泣き入ってしまうので、衛門督はよく話すこともできないのである。すぐ下の弟である左大弁に兄はくわしく宮の御事は遺言しておいた。

173 右大弁の君 柏木の弟。もし次弟と考えれば、「若菜下」巻に「左大弁」とあった人物と同一人となり、いずれかに誤写があろう。

 心ばへののどかによくおはしつる君なれば、弟の君たちも、まだ末々の若きは、親とのみ頼みきこえたまへるに、かう心細うのたまふを、悲しと思はぬ人なく、殿のうちの人も嘆く。

  Kokorobahe no nodoka ni yoku ohasi turu Kimi nare ba, otouto no Kimi-tati mo, mada suwezuwe no wakaki ha, oya to nomi tanomi kikoye tamahe ru ni, kau kokorobosou notamahu wo, kanasi to omoha nu hito naku, tono no uti no hito mo nageku.

 気性が穏やかでよくできたお方なので、弟の君たちも、まだ下の方の幼い君たちは、まるで親のようにお頼り申していらっしゃったのに、このように心細くおっしゃるのを、悲しいと思わない人はなく、お邸中の人達も嘆いている。

 善良な性質の人であったから、弟たちにも皆親しまれていて、末のほうの弟などは親のように頼みにしているこの人が、遺言をしたりするようになったのを、だれも心細がらぬ者はなくて、家の使用人なども皆悲しんでいるのである。

174 心ばへののどかに 定家筆本と明融臨模本、大島本は「心はへの」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『完本』は諸本に従って「心ばへ」と「の」を削除する。

 公も、惜しみ口惜しがらせたまふ。かく限りと聞こし召して、にはかに権大納言になさせたまへり。よろこびに思ひ起こして、今一度も参りたまふやうもやあると、思しのたまはせけれど、さらにえためらひやりたまはで、苦しきなかにも、かしこまり申したまふ。大臣も、かく重き御おぼえを見たまふにつけても、いよいよ悲しうあたらしと思し惑ふ。

  Ohoyake mo, wosimi kutiwosigara se tamahu. Kaku kagiri to kikosimesi te, nihaka ni Gon-no-Dainagon ni nasa se tamahe ri. Yorokobi ni omohi okosi te, ima hitotabi mo mawiri tamahu yau mo ya aru to, obosi notamaha se kere do, sarani e tamerahi yari tamaha de, kurusiki naka ni mo, kasikomari mausi tamahu. Otodo mo, kaku omoki ohom-oboye wo mi tamahu ni tuke te mo, iyoiyo kanasiu atarasi to obosi madohu.

 帝も、惜しがり残念がりあそばす。このように最期とお聞きあそばして、急に権大納言にお任じあそばした。喜びに気を取り戻して、もう一度参内なさるようなこともあろうかと、お考えになって仰せになったが、一向に病気が好くおなりにならず、苦しい中ながら、丁重にお礼申し上げなさる。大臣も、このようにご信任の厚いのを御覧になるにつけても、ますます悲しく惜しいとお思い乱れなさる。

 朝廷でも非常にお惜しみになって、いよいよ危篤ということが天聴に達すると、にわかに権大納言に昇任おさせになった。この感激によって元気が出てもう一度だけは参内をするかとみかどは期しておいでになったのであるが、それをすることがもう衛門督にはできなかった。ただ病苦の中で拝任の表だけを草して奉った。大臣はこの朝恩の厚さを見てもさらに惜しく悲しくわが子が思われるのであった。

175 さらにえためらひやりたまはで 一向に病勢がとどまらず、よくならない、の意。

第二段 夕霧、柏木を見舞う

 大将の君、常にいと深う思ひ嘆き、訪らひきこえたまふ。御喜びにもまづ参うでたまへり。このおはする対のほとり、こなたの御門は、馬、車たち込み、人騒がしう騷ぎ満ちたり。今年となりては、起き上がることもをさをさしたまはねば、重々しき御さまに、乱れながらは、え対面したまはで、思ひつつ弱りぬること、と思ふに口惜しければ、

  Daisyau-no-Kimi, tuneni ito hukau omohi nageki, toburahi kikoye tamahu. Ohom-yorokobi ni mo madu maude tamahe ri. Kono ohasuru tai no hotori, konata no mi-kado ha, muma, kuruma tatikomi, hito sawagasiu sawagi miti tari. Kotosi to nari te ha, okiagaru koto mo wosawosa si tamaha ne ba, omoomosiki ohom-sama ni, midare nagara ha, e taimen si tamaha de, omohi tutu yowari nuru koto, to omohu ni kutiwosikere ba,

 大将の君、いつも大変に心配して、お見舞い申し上げなさる。ご昇進のお祝いにも早速参上なさった。このいらっしゃる対の屋の辺り、こちらの御門は、馬や、車がいっぱいで、人々が騒がしいほど混雑しあっていた。今年になってからは、起き上がることもほとんどなさらないので、重々しいご様子に、取り乱した恰好では、お会いすることがおできになれないで、そう思いながら会えずに衰弱してしまったこと、と思うと残念なので、

 左大将は常に親友の病をいたんで見舞いを書き送っているのであるが、昇任の祝いを述べに真先まっさきに大臣家を訪問したのもこの人であった。衛門督の住んでいるほうの対の門内には馬や車がたくさん来ていて、せわしそうに人々が出入りしていた。今年にはいってからは起き上がることもあまりできない衛門督であったから、大官の親友を病室に招くことが遠慮されて恋しく思いながら逢えないことを思うと残念で、かみは、

176 馬車たち込み 「馬」は身分低い者の乗り物。「車」は高い者の乗り物。

177 重々しき御さまに 夕霧の「大将」という身分の重さをいう。

 「なほ、こなたに入らせたまへ。いとらうがはしきさまにはべる罪は、おのづから思し許されなむ」

  "Naho, konata ni ira se tamahe. Ito raugahasiki sama ni haberu tumi ha, onodukara obosi yurusa re na m."

 「どうぞ、こちらへお入り下さい。まことに失礼な恰好でおりますご無礼は、何とぞお許し下さい」

 「失礼ですがやはりここへ来ていただくことにします。この場合のことでやむをえないとお許しくださるでしょう」

178 なほこなたに 以下「思し許されなむ」まで、柏木の詞。

179 おのづから思し許されなむ 『集成』は「事情お察しの上大目に見て頂けましょう」。『完訳』は「もしやお許しくださることかと存じまして」と訳す。

 とて、臥したまへる枕上の方に、僧などしばし出だしたまひて、入れたてまつりたまふ。

  tote, husi tamahe ru makuragami no kata ni, sou nado sibasi idasi tamahi te, ire tatematuri tamahu.

 と言って、臥せっていらっしゃる枕元に、僧たちを暫く外にお出しになって、お入れ申し上げなさる。

 と挨拶あいさつをさせて、病室の床の近くに侍している僧などをしばらく外のほうへ出して大将を迎えた。

 早うより、いささか隔てたまふことなう、睦び交はしたまふ御仲なれば、別れむことの悲しう恋しかるべき嘆き、親兄弟の御思ひにも劣らず。今日は喜びとて、心地よげならましをと思ふに、いと口惜しう、かひなし。

  Hayau yori, isasaka hedate tamahu koto nau, mutubi kahasi tamahu ohom-naka nare ba, wakare m koto no kanasiu kohisikaru beki nageki, oya harakara no ohom-omohi ni mo otora zu. Kehu ha yorokobi tote, kokotiyoge nara masi wo to omohu ni, ito kutiwosiu, kahinasi.

 幼少のころから、少しも分け隔てなさることなく、仲好くしていらっしゃったお二方なので、別れることの悲しく恋しいに違いない嘆きは、親兄弟の思いにも負けない。今日はお祝いということで、元気になっていたらどんなによかろうと思うが、まことに残念に、その甲斐もない。

 少年時代から隔てなく交際して来た間柄であったから、近く迫った死別の悲しみは大将にとって親兄弟の思いに劣らないのである。今日だけは昇任のよろこびで気分もよくなっているであろうとこの人は想像していたのであるが、期待ははずれてしまった。

180 早うより 明融臨模本、付箋「栄 粟田殿(道兼也)御病(母同道長公)の中に関白になり給御よろこひに小野宮殿参給へりたるをもやのみすおろしてよひいれ奉り給へりふしなからたいめんありてみたり心ちいとあしう侍てとにはまかりいてねはかく申侍なりし」とある。付箋の位置は、「こなたに入らせたまへ」が適切である。『河海抄』には「栄花物語粟田殿御病の中に関白になり給御よろこひに小野宮殿まいり給へりけるをもやの御すおろしてよひいれたてまつり給へりふしなから御対面ありてみたり心ちいとあしう侍てとにはまかりいてねはかくて申侍なり(以下略)」というさらに詳細な注記がある。

181 今日は喜びとて心地よげならましを 夕霧の心中を間接的に叙述。「まし」反実仮想の助動詞。

 「などかく頼もしげなくはなりたまひにける。今日は、かかる御喜びに、いささかすくよかにもやとこそ思ひはべりつれ」

  "Nado kaku tanomosige naku ha nari tamahi ni keru. Kehu ha, kakaru ohom-yorokobi ni, isasaka sukuyoka ni mo ya to koso omohi haberi ture."

 「どうしてこんなにお弱りになってしまわれたのですか。今日は、このようなお祝いに、少しでも元気になったろうかと思っておりましたのに」

 「どうしてこんなにまた悪くおなりになったのでしょう。今日だけはめでたいのですから少し気分でもよくなっておられるかと思って来ましたよ」

182 などかく頼もしげなく 以下「思ひはべれ」まで、夕霧の詞。

183 こそ思ひはべりつれ 『完訳』は「「--こ--已然形」は逆接の文脈。下に、しかし--と無念の気持」と注す。

 とて、几帳のつま引き上げたまへれば、

  tote, kityau no tuma hikiage tamahe re ba,

 と言って、几帳の端を引き上げなさったところ、

 と言って、病床に添えた几帳きちょうの端を上げて中を見ると、

184 几帳のつま 定家筆本と明融臨模本は「木丁のつま」とある。大島本は「木丁のつまを」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本(定家筆本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「几帳のつまを」と「を」を補訂する。

 「いと口惜しう、その人にもあらずなりにてはべりや」

  "Ito kutiwosiu, sono hito ni mo ara zu nari ni te haberi ya!"

 「まことに残念なことに、本来の自分ではなくなってしまいましたよ」

 「全然私のようでなくなってしまいましたよ」

185 いと口惜しう 以下「はべりや」まで、柏木の返事。

 とて、烏帽子ばかりおし入れて、すこし起き上がらむとしたまへど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥したまへり。御座のあたりものきよげに、けはひ香うばしう、心にくくぞ住みなしたまへる。

  tote, ebousi bakari osi-ire te, sukosi okiagara m to si tamahe do, ito kurusige nari. Siroki kinu-domo no, natukasiu nayoyoka naru wo amata kasane te, husuma hiki-kake te husi tamahe ri. Omasi no atari mono kiyoge ni, kehahi kaubasiu, kokoronikuku zo sumi nasi tamahe ru.

 と言って、烏帽子だけを押し入れるように被って、少し起き上がろうとなさるが、とても苦しそうである。白い着物で、柔らかそうなのをたくさん重ね着して、衾を引き掛けて臥していらっしゃる。御座所の辺りをこぎれいにしていて、あたりに香が薫っていて、奥ゆかしい感じにお過ごしになっていた。

 と言いながら、衛門督は烏帽子えぼしだけを身体からだの下へかって、少し起き上がろうとしたが、苦しそうであった。柔らかい白の着物を幾枚も重ねて、夜着を上に掛けているのである。病床の置かれた室は清潔に整理がされてあって感じがよい。

186 烏帽子ばかりおし入れて 『完訳』は「烏帽子をとらぬのが、当時の礼儀。髪を押し入れるべくかぶる」と注す。源氏物語絵巻「柏木」第二段、参照。

 うちとけながら、用意ありと見ゆ。重く患ひたる人は、おのづから髪髭も乱れ、ものむつかしきけはひも添ふわざなるを、痩せさらぼひたるしも、いよいよ白うあてなるさまして、枕をそばだてて、ものなど聞こえたまふけはひ、いと弱げに、息も絶えつつ、あはれげなり。

  Utitoke nagara, youi ari to miyu. Omoku wadurahi taru hito ha, onodukara kami hige mo midare, mono-mutukasiki kehahi mo sohu waza naru wo, yase sarabohi taru simo, iyoiyo sirou ate naru sama si te, makura wo sobadate te, mono nado kikoye tamahu kehahi, ito yowage ni, iki mo taye tutu, aharege nari.

 くつろいだままながら、嗜みがあると見える。重病人というものは、自然と髪や髭も乱れ、むさくるしい様子がするものだが、痩せてはいるが、かえって、ますます白く上品な感じがして、枕を立ててお話を申し上げなさる様子、とても弱々しそうで、息も絶え絶えで、見ていて気の毒そうである。

 こんな場合にも規律の正しい病人の性格がうかがえるようであった。病人というものは髪やひげも乱れるにまかせて気味の悪い所もできてくるものであるが、この人のせ細った姿はいよいよ品のよい気がされて、まくらから少し顔を上げてものを言う時には息も今絶えそうに見えるのが非常に哀れであった。

187 うちとけながら用意ありと見ゆ 『集成』は「くつろいだままながら、たしなみありげに」。『完訳』は「遠慮のいらぬ病人ながら嗜みを忘れていないと見える」と訳す。

188 あてなるさまして 定家筆本と明融臨模本、大島本は「あてなる」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『完本』は諸本に従って「あてはかなる」と「はか」を補訂する。

第三段 柏木、夕霧に遺言

 「久しう患ひたまへるほどよりは、ことにいたうもそこなはれたまはざりけり。常の御容貌よりも、なかなかまさりてなむ見えたまふ」

  "Hisasiu wadurahi tamahe ru hodo yori ha, koto ni itau mo sokonaha re tamaha zari keri. Tune no ohom-katati yori mo, nakanaka masari te nam miye tamahu."

 「長らくご病気でいらっしゃったわりには、ことにひどくもやつれていらっしゃらないね。いつものご容貌よりも、かえって素晴らしくお見えになります」

 「御病気の長かったことから言えば、特別ひどく病人らしいお顔になったとも言えませんよ。平生よりも美男に見えますよ」

189 久しう患ひたまへる 以下「見えたまふ」まで、夕霧の詞。

190 そこなはれたまはざりけり 過去の助動詞「けり」詠嘆の意。

 とのたまふものから、涙おし拭ひて、

  to notamahu monokara, namida osi-nogohi te,

 とおっしゃるものの、涙を拭って

 こんなことを口では言いながらも大将は涙をぬぐっていた。

 「後れ先立つ隔てなくとこそ契りきこえしか。いみじうもあるかな。この御心地のさまを、何事にて重りたまふとだに、え聞き分きはべらず。かく親しきほどながら、おぼつかなくのみ」

  "Okure sakidatu hedate naku to koso tigiri kikoye sika. Imiziu mo aru kana! Kono mi-kokoti no sama wo, nanigoto nite omori tamahu to dani, e kikiwaki habera zu. Kaku sitasiki hodo nagara, obotukanaku nomi."

 「後れたり先立ったりすることなく死ぬ時は一緒にとお約束申していたのに。ひどいことだな。このご病気の様子を、何が原因でこうもご重態になられたのかと、それさえ伺うことができないでおります。こんなに親しい間柄ながら、もどかしく思うばかりです」

 「同じ時に死のうなどと約束もしたではありませんか。悲しいことですよ。あなたの症状は何がどうして悪くなったのだということも言ってくれる者がありませんから、親しい私でさえ何の御病気だか知らないのがたよりないことですよ」

191 後れ先立つ 明融臨模本、朱合点。大島本、朱合点。古注では『異本紫明抄』が「末の露もとの雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫。五九三)を指摘。現行の注釈書では『評釈』が指摘する。以下「おぼつかなくのみ」まで、夕霧の詞。

192 何事にて重りたまふとだにえ聞き分きはべらず 『完訳』は「何が原因でこうも重態になられたのか、それさえうかがえない。後に柏木の告白を引き出す契機」と注す。

 などのたまふに、

  nado notamahu ni,

 などとおっしゃると、


 「心には、重くなるけぢめもおぼえはべらず。そこどころと苦しきこともなければ、たちまちにかうも思ひたまへざりしほどに、月日も経で弱りはべりにければ、今はうつし心も失せたるやうになむ。

  "Kokoro ni ha, omoku naru kedime mo oboye habera zu. Soko dokoro to kurusiki koto mo nakere ba, tatimati ni kau mo omohi tamahe zari si hodo ni, tukihi mo he de yowari haberi ni kere ba, ima ha utusigokoro mo use taru yau ni nam.

 「わたし自身には、いつから重くなったのか分かりません。どこといって苦しいこともありませんで、急にこのようになろうとは思ってもおりませんでしたうちに、月日を経ずに衰弱してしまいましたので、今では正気も失せたような有様で。

 「自分ではいつ悪くなって行くかわからずに来ましたよ。どこか苦しいときまった患部もないものですから、病がこうまで早く進行するとも思わないうちに重態になってしまったのですから、私はもう今では何が何やら知覚もなくなっている気がしています。

193 心には 以下「御徳にはべるべき」まで、柏木の詞。

194 うつし心も失せたるやうに 『完訳』は「生きている心地もしないような有様で」と訳す。

 惜しげなき身を、さまざまにひき留めらるる祈り、願などの力にや、さすがにかかづらふも、なかなか苦しうはべれば、心もてなむ、急ぎ立つ心地しはべる。

  Wosige naki mi wo, samazama ni hiki-todome raruru inori, gwan nado no tikara ni ya, sasuga ni kakadurahu mo, nakanaka kurusiu habere ba, kokoro mote nam, isogi tatu kokoti si haberu.

 惜しくもない身を、いろいろとこの世に引き止められる祈祷や、願などの力でしょうか、そうはいっても生き永らえるのも、かえって苦しいものですから、自分から進んで、早く死出の道へ旅立ちたく思っております。

 惜しくもない私の命が祈りとか、願とかの力でさすがに引きとめられていることは苦痛なものですから、自身から早くなるのを望むようにもなって変なものですよ。

 さるは、この世の別れ、避りがたきことは、いと多うなむ。親にも仕うまつりさして、今さらに御心どもを悩まし、君に仕うまつることも半ばのほどにて、身を顧みる方、はた、ましてはかばかしからぬ恨みを留めつる大方の嘆きをば、さるものにて。

  Saruha, konoyo no wakare, sari gataki koto ha, ito ohou nam. Oya ni mo tukaumaturi sasi te, imasara ni mi-kokoro-domo wo nayamasi, Kimi ni tukaumaturu koto mo nakaba no hodo nite, mi wo kaherimiru kata, hata, masite hakabakasikara nu urami wo todome turu ohokata no nageki wo ba, saru mono nite.

 そうは言うものの、この世の別れに、捨て難いことが数多くあります。親にも孝行を十分せずに、今になって両親にご心配をおかけし、主君にお仕えすることも中途半端な有様で、わが身の立身出世を顧みると、また、なおさら大したこともない恨みを残すような世間一般の嘆きは、それはそれとして。

 私とすればこの世から去ってしまうことで、いろいろな堪えがたい気持ちのすることもそれは少なくありません。親への孝行も中途までしかしてありませんし、私自身のためにも遺憾なことはありますが、

195 親にも仕うまつりさし 「夫孝始於事親 中於事君 終於立身」(孝経)による表現。

196 身を顧みる 『集成』「わが身を修めるという面ではもちろん」。『完訳』は「立身出世」と注す。

197 大方の嘆き 『完訳』は「前述の孝・忠・立身の儒教的な徳目。権門の長子らしい発想だが、それをしりぞけ、あらためて心中の惑乱を告白しようとする」と注す。

 また心の内に思ひたまへ乱るることのはべるを、かかる今はのきざみにて、何かは漏らすべきと思ひはべれど、なほ忍びがたきことを、誰にかは愁へはべらむ。これかれあまたものすれど、さまざまなることにて、さらにかすめはべらむも、あいなしかし。

  Mata kokoro no uti ni omohi tamahe midaruru koto no haberu wo, kakaru ima ha no kizami nite, nanikaha morasu beki to omohi habere do, naho sinobi gataki koto wo, tare ni kaha urehe habera m. Kore kare amata monosure do, samazama naru koto nite, sarani kasume habera m mo, ainasi kasi.

 また、心中に思い悩んでおりますことがございますが、このような臨終の時になって、どうして口に出そうかと思っておりましたが、やはり堪えきれないことを、あなたの他に誰に訴えられましょう。誰彼と兄弟は多くいますが、いろいろと事情があって、まったく仄めかしたところで、何にもなりません。

 そうしたいっさいのことよりも大事な煩悶はんもんを私はいだいているのです。この命の末になってほかへらす必要はないとも思いますが、やはり自分一人だけで思っているには堪えられないのでもあるのです。身内の者はあっても、その人たちに言い出す勇気を私は持っていません。それであなたにだけ言わせていただきますが、

198 何かは漏らすべきと思ひはべれど 「何かは--べき」反語表現。『集成』は「何で人に打ち明けてよいものかと思いますけれども」。『完訳』は「どうして口にすべきことかと存じますものの」と訳す。

 六条院にいささかなる事の違ひ目ありて、月ごろ、心の内にかしこまり申すことなむはべりしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病づきぬとおぼえはべしに、召しありて、院の御賀の楽所の試みの日参りて、御けしきを賜はりしに、なほ許されぬ御心ばへあるさまに、御目尻を見たてまつりはべりて、いとど世にながらへむことも憚り多うおぼえなりはべりて、あぢきなう思ひたまへしに、心の騷ぎそめて、かく静まらずなりぬるになむ。

  Rokudeu-no-Win ni isasaka naru koto no tagahime ari te, tukigoro, kokoro no uti ni kasikomari mausu koto nam haberi si wo, ito ho'i nau, yononaka kokorobosou omohi nari te, yamahiduki nu to oboye habe si ni, mesi ari te, Win no ohom-ga no gakuso no kokoromi no hi mawiri te, mi-kesiki wo tamahari si ni, naho yurusa re nu mi-kokorobahe aru sama ni, ohom-maziri wo mi tatematuri haberi te, itodo yo ni nagarahe m koto mo habakari ohou oboye nari haberi te, adikinau omohi tamahe si ni, kokoro no sawagi some te, kaku sidumara zu nari nuru ni nam.

 六条院にちょっとした不都合なことがありまして、ここ幾月、心中密かに恐縮申していることがございましたが、まことに不本意なことで、世の中に生きて行くのも心細くなって、病気になったと思われたのですが、お招きがあって、朱雀院の御賀の楽所の試楽の日に参上して、ご機嫌を伺いましたところ、やはりお許しなさらないお気持ちの様子に、御目差しを拝見致しまして、ますますこの世に生き永らえることも憚り多く思われまして、どうにもならなく存じられましたが、魂がうろうろ離れ出しまして、このように鎮まらなくなってしまいました。

 私が六条院様の感情をそこねているらしいことがありましてね、それを苦しんで心の中でおびをして暮らすうちに病気のようになってしまったのですが、お招きがありまして、あの法皇様の賀宴の試楽の日に伺いました時に、お目にかかったのですが、なお許していただけない御感情のあるのをお顔で私は知って、それからの私はもう生きていることがはばかりのあることのように思われ出して、憂鬱ゆううつな気持ちで暮らして来たのですが、その際に受けた衝動が強かったために、ちがたい衰弱に自分で自分を導いてしまったのですよ。

199 あぢきなう思ひたまへしに 『集成』は「何もかも終りだと思いましたのがもとで」。『完訳』は「もうどうにもならぬといった気持になりましたが」と訳す。

 人数には思し入れざりけめど、いはけなうはべし時より、深く頼み申す心のはべりしを、いかなる讒言などのありけるにかと、これなむ、この世の愁へにて残りはべるべければ、論なうかの後の世の妨げにもやと思ひたまふるを、ことのついではべらば、御耳留めて、よろしう明らめ申させたまへ。

  Hitokazu ni ha obosi ire zari keme do, ihakenau habe' si toki yori, hukaku tanomi mausu kokoro no haberi si wo, ikanaru zaugen nado no ari keru ni ka to, kore nam, konoyo no urehe nite nokori haberu bekere ba, ron nau kano notinoyo no samatage ni mo ya to omohi tamahuru wo, koto no tuide habera ba, ohom-mimi todome te, yorosiu akirame mausa se tamahe.

 一人前とはお考え下さいませんでしたでしょうが、幼うございました時から、深くお頼り申す気持ちがございましたが、どのような中傷などがあったのかと、このことが、この世の恨みとして残りましょうから、きっと来世への往生の妨げになろうかと存じますので、何かの機会がございましたら、お耳に止めて下さって、よろしく申し開きなさって下さい。

 自身の無能なことは承知しながらも少年時代から深く御信頼して、誠心誠意この方のためにお尽くししようと決心していた私ですが、中傷した者でもあったろうかと、死んで残るこの問題への関心はむろん後世ごせの往生の妨げになるだろうと思っていますが、何かの機会にこの話をあなたは覚えていてくださって六条院へ弁明の労を取ってください。

 亡からむ後ろにも、この勘事許されたらむなむ、御徳にはべるべき」

  Nakara m usiro ni mo, kono kauzi yurusa re tara m nam, ohom-toku ni haberu beki."

 死んだ後にも、このお咎めが許されたらば、あなたのお蔭でございましょう」

 死にましてからでもこのお取りなしがいただければ私はあなたに感謝します」

 などのたまふままに、いと苦しげにのみ見えまされば、いみじうて、心の内に思ひ合はすることどもあれど、さして確かには、えしも推し量らず。

  nado notamahu mama ni, ito kurusige ni nomi miye masare ba, imiziu te, kokoro no uti ni omohi ahasuru koto-domo are do, sasite tasikani ha, e simo osihakara zu.

 などとおっしゃるうちに、たいそう苦しそうになって行くばかりなので、おいたわしくて、心中に思い当たることもいくつかあるが、どうしたことなのか、はっきりとは推量できない。

 新大納言はこう語るうちにも病苦の堪えがたいもののある様子も見えて、大将は悲しんだのであるが、その話について思いあたることが、この人にあっても、不確かな断定はそれでできない気がした。

 「いかなる御心の鬼にかは。さらに、さやうなる御けしきもなく、かく重りたまへる由をも聞きおどろき嘆きたまふこと、限りなうこそ口惜しがり申したまふめりしか。など、かく思すことあるにては、今まで残いたまひつらむ。こなたかなた明らめ申すべかりけるものを。今はいふかひなしや」

  "Ikanaru mi-kokoro no oni ni ka ha. Sarani, sayau naru mi-kesiki mo naku, kaku omori tamahe ru yosi wo mo kiki odoroki nageki tamahu koto, kagirinau koso kutiwosigari mausi tamahu meri sika. Nado, kaku obosu koto aru nite ha, ima made nokoi tamahi tu ram? Konata kanata akirame mausu bekari keru mono wo. Ima ha ihukahinasi ya!"

 「どのような良心の呵責なのでしょうか。全然、そのようなご様子もなく、このように重態になられた由を聞いて驚きお嘆きになっていること、この上もなく残念がり申されていたようでした。どうして、このようにお悩みになることがあって、今まで打ち明けて下さらなかったのでしょうか。こちらとあちらとの間に立って弁解して差し上げられたでしょうに。今となってはどうしようもありません」

「あなた自身の誤解ではないのですか、少しもそんな御様子を私は見受けませんよ。あなたの御病気の重くなったことで御心配をしておられて、いつも遺憾がっておいでになりますよ。そんな煩悶はんもんをあなたがしておいでになるのなら、なぜ今までに私へ言ってくださらなかったのでしょう。私が及ばずながら双方の誤解を解いてあげるのでした。もう間に合いませんね」

200 いかなる御心の鬼にかは 以下「今はいふかひなしや」まで、夕霧の詞。「かは」疑問の意。

201 御けしき 「源氏物語絵巻」詞書に仮名表記で「おほむけしき」とある。「御けしき」を「おほむ--」と読む例。源氏の態度表情をさす。

202 聞きおどろき嘆きたまふこと 主語は源氏。

 とて、取り返さまほしう悲しく思さる。

  tote, torikahesa mahosiu kanasiku obosa ru.

 と言って、昔を今に取り戻したくお思いになる。

 取り返したいように大将は残念がった。

 「げに、いささかも隙ありつる折、聞こえうけたまはるべうこそはべりけれ。されど、いとかう今日明日としもやはと、みづからながら知らぬ命のほどを、思ひのどめはべりけるもはかなくなむ。このことは、さらに御心より漏らしたまふまじ。さるべきついではべらむ折には、御用意加へたまへとて、聞こえおくになむ。

  "Geni, isasaka mo hima ari turu wori, kikoye uketamaharu beu koso haberi kere. Saredo, ito kau kehu asu to simo yaha to, midukara nagara sira nu inoti no hodo wo, omohi nodome haberi keru mo hakanaku nam. Kono koto ha, sarani mi-kokoro yori morasi tamahu mazi. Sarubeki tuide habera m wori ni ha, ohom-youi kuhahe tamahe tote, kikoye oku ni nam.

 「おっしゃる通り、少しでも具合の良い時に、申し上げてご意見を承るべきでございました。けれども、ほんとうに今日か明日かの命になろうとは、自分ながら分からない寿命のことを、悠長に考えておりましたのも、はかないことでした。このことは、決してあなた以外にお漏らしなさらないで下さい。適当な機会がございました折には、ご配慮戴きたいと申し上げて置くのです。

「そうですよ。少しい時もあったのですから、そんな時に御相談をすればよかったのです。自分自身でわからないのが命にもせよ、まさかこんなに早く終わろうとは思わなかったというのもはかないわけですね。このことは絶対にだれへもお話しにならないでください。よい機会に私のために御好意のある弁解をしていただきたいと思ってお話ししただけです。

203 げにいささかも 以下「つくろひたまへ」まで、柏木の詞。

204 今日明日としもやはと 明融臨模本、付箋「今日不知死明日不知死何故造作栖安穏無常身」とある。大島本、朱合点、行間書入「つゐにゆく道と」。古注では、『源氏釈』が「ついにゆくみちとはかねてきゝしかと昨日今日とはおもはさりしを」(古今集哀傷、八六一、業平朝臣)を指摘。現行の注釈書では指摘しない。

 一条にものしたまふ宮、ことに触れて訪らひきこえたまへ。心苦しきさまにて、院などにも聞こし召されたまはむを、つくろひたまへ」

  Itideu ni monosi tamahu Miya, koto ni hure te toburahi kikoye tamahe. Kokorogurusiki sama nite, Win nado ni mo kikosimesa re tamaha m wo, tukurohi tamahe."

 一条の邸にいらっしゃる宮を、何かの折にはお見舞い申し上げて下さい。お気の毒な様子で、父院などにおかれても御心配あそばされるでしょうが、よろしく計らって上げて下さい」

 一条にいらっしゃる宮様には何かの時に御好意を寄せてあげてください。お聞きになって法皇様が御心配をあそばさないように、御生活の上のことも気をつけてあげてください」

 などのたまふ。言はまほしきことは多かるべけれど、心地せむかたなくなりにければ、

  nado notamahu. Iha mahosiki koto ha ohokaru bekere do, kokoti semkatanaku nari ni kere ba,

 などとおっしゃる。言いたいことは多くあるに違いないようだが、気分がどうにもならなくなってきたので、

 などとも大納言は言った。もっと言いたいことは多かったであろうが、我慢のならぬほど苦しくなった衛門督えもんのかみは、

 「出でさせたまひね」

  "Ide sase tamahi ne."

 「お出になって下さい」

 もう帰れ

205 出でさせたまひね 柏木の詞。『完訳』は「臨終の近さを知り、夕霧への失礼がないように帰邸を促す」と注す。

 と、手かききこえたまふ。加持参る僧ども近う参り、上、大臣などおはし集りて、人びとも立ち騒げば、泣く泣く出でたまひぬ。

  to, te kaki kikoye tamahu. Kadi mawiru sou-domo tikau mawiri, Uhe, Otodo nado ohasi atumari te, hitobito mo tati-sawage ba, nakunaku ide tamahi nu.

 と、手真似で申し上げなさる。加持を致す僧たちが近くに参って、母上、大臣などがお集まりになって、女房たちも立ち騒ぐので、泣く泣くお立ちになった。

 と手を振って見せた。加持かじをする僧などが近くへ来て、母の夫人や大臣も出てくるふうで、騒がしくなったので大将は泣く泣く辞し去った。

206 と手かききこえたまふ と、手真似でお促し申し上げなさる、意。

第四段 柏木、泡の消えるように死去

 女御をばさらにも聞こえず、この大将の御方などもいみじう嘆きたまふ。心おきての、あまねく人のこのかみ心にものしたまひければ、右の大殿の北の方も、この君をのみぞ、睦ましきものに思ひきこえたまひければ、よろづに思ひ嘆きたまひて、御祈りなど取り分きてせさせたまひけれど、やむ薬ならねば、かひなきわざになむありける。女宮にも、つひにえ対面しきこえたまはで、泡の消え入るやうにて亡せたまひぬ。

  Nyougo wo ba sarani mo kikoye zu, kono Daisyau no ohom-Kata nado mo imiziu nageki tamahu. Kokorookite no, amaneku hito no konokamigokoro ni monosi tamahi kere ba, Migi-no-Ohotono no Kitanokata mo, kono Kimi wo nomi zo, mutumasiki mono ni omohi kikoye tamahi kere ba, yorodu ni omohi-nageki tamahi te, ohom-inori nado toriwaki te se sase tamahi kere do, yamu kusuri nara ne ba, kahinaki waza ni nam ari keru. Womnamiya ni mo, tuhini e taimen si kikoye tamaha de, awa no kiye iru yau nite use tamahi nu.

 女御は申し上げるまでもなく、この大将の御方などもひどくお嘆きになる。思ひやりが、誰に対しても兄としての面倒見がよくていらっしゃったので、右の大殿の北の方も、この君だけを親しい人とお思い申し上げていらしたので、万事にお嘆きになって、ご祈祷などを特別におさせになったが、薬では治らない病気なので、何の役にも立たないことであった。女宮にも、とうとうお目にかかることがおできになれないで、泡が消えるようにしてお亡くなりになった。

 同胞である院の女御にょごはもとより、妹の一人である大将夫人も衛門督のことを非常になげいていた。だれのためにもよき兄であろうとする善良な性格であったから、右大臣夫人などもこの人とだけは今まで非常に親しんでいて、今度も玉鬘たまかずらは心配のあまり自身の手でも祈祷きとうをさせていたが、そうしたことも不死の薬ではなかったから効果は見えなかった。夫人の宮にもしまいにお逢いできないままで、あわが消えたように衛門督は死んでしまった。

207 女御をばさらにも聞こえず、この大将の御方なども 柏木と同腹の弘徽殿女御はいうまでもなく、異腹の雲居雁も、のニュアンス。

208 心おきてのあまねく 『集成』は「柏木は、気立てが、誰にも分け隔てせず、兄貴分然とした面倒見のいいお方だったので」と訳す。

209 右の大殿の北の方 鬚黒右大臣。その北の方、玉鬘をいう。

210 やむ薬ならねば 定家本、付箋「我こそや見ぬ人こふるくせつけれあふよりほかのやむくすりなし」(拾遺集恋一、六六五、読人しらず)。明融臨模本、朱合点、付箋「我こそや(は)みぬ人こふるくせつけれあふより外のやむくすりなし」。大島本、朱合点、行間書入、朱「われこそはみぬ人こふるくせつけれ」とある。中山家本、朱合点、奥入、同歌指摘。『源氏釈』(抄・前)が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。

211 泡の消え入るやうに 明融臨模本、朱合点、付箋「水の泡のきえてうき身と知なから流て猶もたのまるゝ哉/世皆不牢固如水沫泡□法花/幻世春来夢浮世水上泡白氏」。大島本、朱合点、行間書入「古今 水の泡の消てうき世とありなからなかれて猶もたのまるゝかな」(古今集恋五、七九二、友則)。『異本紫明抄』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。

 年ごろ、下の心こそねむごろに深くもなかりしか、大方には、いとあらまほしくもてなしかしづききこえて、気なつかしう、心ばへをかしう、うちとけぬさまにて過ぐいたまひければ、つらき節もことになし。ただ、

  Tosigoro, sita no kokoro koso nemgoro ni hukaku mo nakari sika, ohokata ni ha, ito aramahosiku motenasi kasiduki kikoye te, ke natukasiu, kokorobahe wokasiu, utitoke nu sama nite sugui tamahi kere ba, turaki husi mo koto ni nasi. Tada,

 長年の間、心底から真心こめて愛していたのではなかったが、表面的には、まことに申し分なく大事にお世話申し上げて、素振りもお優しく、気立てもよく、礼節をわきまえてお過ごしになられたので、辛いと思った事も特にない。ただ、

 今まで愛情の点では批議すべき点もあったが、形式的にはよく御待遇をして、あくまで御降嫁を得た夫人として敬意を失わない優しい良人おっとであったのであるから、恨めしい思いを格別宮は抱いておいでにならなかった。

212 年ごろ 『完訳』は「以下、宮が柏木との結婚生活を回顧。柏木が心からは宮を愛さなかったが」と注す。

213 うちとけぬさまにて 『集成』は「けじめ正しい態度で終始されたので。柏木の、落葉の宮に対して礼を失わなかったさま」。『完訳』は「礼儀をわきまえたお扱いを受けてお過しになったのだから」と注す。

 「かく短かりける御身にて、あやしくなべての世すさまじう思ひたまへけるなりけり」

  "Kaku mizikakari keru ohom-mi nite, ayasiku nabete no yo no susamaziu omohi tamahe keru nari keri."

 「このように短命なお方だったので、不思議なことに普通の生活を面白くなくお思いであったのだわ」

 こんな短命で終わる人であったから何にも興味が持てない寂しいふうを見せたのであったか

214 かく短かりける御身にて 以下「思ひたまへけるなりけり」まで、落葉の宮の心中。

215 なべての世すさまじう思ひたまへけるなりけり 「世」について、『集成』は「何でもこの世の中のことをおもしろくなくお思いだったのだろう」。『完訳』は「世間並の夫婦仲をおもしろくなくお思いだったのかと」と訳す。

 と思ひ出でたまふに、いみじうて、思し入りたるさま、いと心苦し。

  to omohi ide tamahu ni, imiziu te, obosi iri taru sama, ito kokorogurusi.

 とお思い出されると、悲しくて、沈み込んでいらっしゃる様子、ほんとうにおいたわしい。

 と追想あそばされるのが悲しかった。

 御息所も、「いみじう人笑へに口惜し」と、見たてまつり嘆きたまふこと、限りなし。

  Miyasumdokoro mo, "Imiziu hitowarahe ni kutiwosi." to, mi tatematuri nageki tamahu koto, kagirinasi.

 母御息所も、「大変に外聞が悪く残念だ」と、拝見しお嘆きになること、この上もない。

 御息所みやすどころも早く不幸な未亡人に宮のおなりになったことを悲しんでいた。

 大臣、北の方などは、ましていはむかたなく、

  Otodo, Kitanokata nado ha, masite ihamkatanaku,

 大臣や、北の方などは、それ以上に何とも言いようがなく、

 衛門督の死で大臣と夫人はまして言いようもない、悲歎ひたんに沈んでいた。

216 大臣北の方 明融臨模本、付箋「或説清慎公(致仕大臣)の敦敏(柏木)の少将にをくれ給へるに准す末の御子廉義公の□をは廉義公に准世継に東のかたより敦忠少将のうせ給へるともしらて馬を奉たりけれはおとゝ清慎公(小野宮)またしらぬ人もありけり東ちに我も行てそすむへかりける」と指摘。

 「我こそ先立ため。世のことわりなうつらいこと」

  "Ware koso sakidata me. Yo no kotowari nau turai koto."

 「自分こそ先に死にたいものだ。世間の道理もあったものでなく辛いことよ」

 自分が先に死ぬのが当然なことであるのに、あまりにも道理にはずれた死である

217 我こそ 以下「つらいこと」まで、両親の嘆きの詞。

 と焦がれたまへど、何のかひなし。

  to kogare tamahe do, nani no kahinasi.

 と恋い焦がれなさったが、何にもならない。

 と泣きこがれているが、それが何のかいのあることとも見えなかった。

 尼宮は、おほけなき心もうたてのみ思されて、世に長かれとしも思さざりしを、かくなむと聞きたまふは、さすがにいとあはれなりかし。

  Amamiya ha, ohokenaki kokoro mo utate nomi obosa re te, yo ni nagakare to simo obosa zari si wo, kaku nam to kiki tamahu ha, sasuga ni ito ahare nari kasi.

 尼宮は、大それた恋心も不愉快なこととばかりお思いなされて、長生きして欲しいともお思いではなかったが、このように亡くなったとお聞きになると、さすがにかわいそうな気がした。

 女三にょさんみや衛門督えもんのかみの恋を苦しくばかりお思いになって、長く生きていようとお望みにならなかったのであるが、死の報をお得になってはさすがに物哀れなお気持ちになった。

218 かくなむと 柏木が死んだということをさす。

219 いとあはれなりかし 『完訳』は「柏木逝去の報に接すると、さすがに愛憐の情が起る」と注す。

 「若君の御ことを、さぞと思ひたりしも、げに、かかるべき契りにてや、思ひのほかに心憂きこともありけむ」と思し寄るに、さまざまもの心細うて、うち泣かれたまひぬ。

  "Wakagimi no ohom-koto wo, sa zo to omohi tari simo, geni, kakaru beki tigiri nite ya, omohi no hoka ni kokorouki koto mo ari kem." to obosi yoru ni, samazama mono-kokorobosou te, uti-naka re tamahi nu.

 「若君のご誕生を、自分の子だと思っていたのも、なるほど、こうなるはずの運命であってか、思いがけない辛い事もあったのだろう」とお考えいたると、あれこれと心細い気がして、お泣きになった。

 若君を自身の子のように衛門督は思っていたが、衛門督の死におあいになってみると、神秘なかかわりもある気があそばされて、衛門督が信じていたことがほんとうであったかもしれぬとお思われになり、いよいよ御自身の運命の悲しさにお泣きになるのであった。

220 若君の御ことを 以下「こともありけむ」まで、女三の宮の心中。

221 さぞと 自分(柏木)の子だと、の意。

第四章 光る源氏の物語 若君の五十日の祝い

第一段 三月、若君の五十日の祝い

 弥生になれば、空のけしきもものうららかにて、この君、五十日のほどになりたまひて、いと白ううつくしう、ほどよりはおよすけて、物語などしたまふ。大殿渡りたまひて、

  Yayohi ni nare ba, sora no kesiki mo mono-uraraka nite, kono Kimi, ika no hodo ni nari tamahi te, ito sirou utukusiu, hodo yori ha oyosuke te, monogatari nado si tamahu. Otodo watari tamahi te,

 三月になると、空の様子もどことなく麗かな感じがして、この若君、五十日のほどにおなりになって、とても色白くかわいらしくて、日数の割に大きくなって、おしゃべりなどなさる。大殿がお越しになって、

 三月になると空もうららかな日が続き、六条院の若君の五十日いかの祝い日も来た。色が白くて、美しいかわいい子でもう声を出して笑ったりするのであった。院がおいでになって、

222 弥生になれば空のけしきもものうららかにて 季節は晩春三月になる。『完訳』は「晩春のはなやぐ情景に転じる」と注す。

223 五十日のほどになりたまひて 柏木、生後五十日ほどになる。五十日の祝いがある。

 「御心地は、さはやかになりたまひにたりや。いでや、いとかひなくもはべるかな。例の御ありさまにて、かく見なしたてまつらましかば、いかにうれしうはべらまし。心憂く、思し捨てけること」

  "Mi-kokoti ha, sahayaka ni nari tamahi ni tari ya? Ideya, ito kahinaku mo haberu kana! Rei no ohom-arisama nite, kaku minasi tatematura masika ba, ikani uresiu habera masi. Kokorouku, obosi sute keru koto."

 「ご気分は、さっぱりなさいましたか。いやもう、何とも張り合いのないことだな。普通のお姿で、このようにお祝い申し上げるのであるならば、どんなにか嬉しいことであろうに。残念なことに、ご出家なさったことよ」

 「もうさっぱりした気分になりましたか。でも御恢復かいふくになったかいもありませんね。今までのあなたでこうしてくおなりになったのを見ることができたらどんなにうれしいだろう。あなたは冷酷に私を捨てておしまいになりましたね」

224 御心地は 以下「思し捨てけること」まで、源氏の詞。

225 見なしたてまつらましかば 「ましかば--まし」の反実仮想の構文。

 と、涙ぐみて怨みきこえたまふ。日々に渡りたまひて、今しも、やむごとなく限りなきさまにもてなしきこえたまふ。

  to, namidagumi te urami kikoye tamahu. Hibi ni watari tamahi te, ima simo, yamgotonaku kagiri naki sama ni motenasi kikoye tamahu.

 と、涙ぐんでお恨み申し上げなさる。毎日お越しになって、今になって、この上なく大切にお世話申し上げなさる。

 と涙ぐんで恨みをお言いになった。毎日こちらの御殿へおいでにならぬ日はなくなって、こうした今になって最上のお扱いをあそばされるのであった。

 御五十日に餅参らせたまはむとて、容貌異なる御さまを、人びと、「いかに」など聞こえやすらへど、院渡らせたまひて、

  Ohom-ika ni motihi mawira se tamaha m tote, katati koto naru ohom-sama wo, hitobito, "Ikani?" nado kikoye yasurahe do, Win watara se tamahi te,

 五十日の御祝いに餅を差し上げなさろうとして、尼姿でいられるご様子を、女房たちは、「どうしたものか」とお思い申して躊躇するが、院がお越しあそばして、

 五十日の儀式に母君が尼姿でおいでになるのは、若君の将来を祝うことに不都合ではないかという意見をもつ女房たちもあって、どうしようかと言われているところへ院がおいでになって、

 「何か。女にものしたまはばこそ、同じ筋にて、いまいましくもあらめ」

  "Nanika! Womna ni monosi tamaha ba koso, onazi sudi ni te, imaimasiku mo ara me."

 「何のかまうことはない。女の子でいらっしゃったら、同じ事で、縁起でもなかろうが」

 「少しもさしつかえない。若君が女であれば母君の運命にあやかってはならないとも考慮すべきだが」

226 何か 以下「あらめ」まで、源氏の詞。

 とて、南面に小さき御座などよそひて、参らせたまふ。御乳母、いとはなやかに装束きて、御前のもの、いろいろを尽くしたる籠物、桧破籠の心ばへどもを、内にも外にも、もとの心を知らぬことなれば、取り散らし、何心もなきを、「いと心苦しうまばゆきわざなりや」と思す。

  tote, minamiomote ni tihisaki omasi nado yosohi te, mawira se tamahu. Ohom-menoto, ito hanayaka ni sauzoki te, omahe no mono, iroiro wo tukusi taru komono, hiwarigo no kokorobahe-domo wo, uti ni mo to ni mo, moto no kokoro wo sira nu koto nare ba, toritirasi, nanigokoro mo naki wo, "Ito kokorogurusiu mabayuki waza nari ya!" to obosu.

 と言って、南面に小さい御座所などを設定して、差し上げなさる。御乳母は、とても派手に衣装を着飾って、御前の物、色々な色彩を尽くした籠物、桧破子の趣向の数々を、御簾の中でも外でも、本当の事は知らないことなので、とり散らかして、無心にお祝いしているのを、「まことに辛く目を背けたい」とお思いになる。

 とお言いになり、南向きの座敷に若君の小さい席を設けて祝いぜんが供えられた。新しい乳母めのとたちは皆はなやかな服装をしていて、お膳部から女房たちのためのお料理の盛られた器まで皆きれいな感じのする式場であった。真相を知らぬ人々の寄贈したおびただしい祝品のあるのを御覧になっても、この誤りを正しくしがたい心苦しさから恥ずかしくばかりおなりになる院であった。

227 もとの心 『完訳』は「若君が柏木の実子という真相」と注す。

228 いと心苦しう 明融臨模本、付箋「柏木喪の説入ホカ也不用ー」と指摘。以下「わざなりや」まで、源氏の心中。『集成』は「とても見るに見かねる面映ゆいことよ」。『完訳』は「つらく、目をそむけたい思い。盛儀に酔う人々のなかで、源氏の心は醒めて、宮の罪をも許せない」と注す。

第二段 源氏と女三の宮の夫婦の会話

 宮も起きゐたまひて、御髪の末の所狭う広ごりたるを、いと苦しと思して、額など撫でつけておはするに、几帳を引きやりてゐたまへば、いと恥づかしうて背きたまへるを、いとど小さう細りたまひて、御髪は惜しみきこえて、長う削ぎたりければ、後ろは異にけぢめも見えたまはぬほどなり。

  Miya mo okiwi tamahi te, migusi no suwe no tokoroseu hirogori taru wo, ito kurusi to obosi te, hitahi nado nadetuke te ohasuru ni, kityau wo hiki-yari te wi tamahe ba, ito hadukasiu te somuki tamahe ru wo, itodo tihisau hosori tamahi te, migusi ha wosimi kikoye te, nagau sogi tari kere ba, usiro ha koto ni kedime mo miye tamaha nu hodo nari.

 宮もお起きなさって、御髪の裾がいっぱいに広がっているのを、とてもうるさくお思いになって、額髪などを撫でつけていらっしゃる時に、御几帳を引き動かしてお座りになると、とても恥ずかしい思いで顔を背けていらっしゃるが、ますます小さく痩せ細りなさって、御髪は惜しみ申されて、長くお削ぎになってあるので、後姿は格別普通の人と違ってお見えにならない程である。

 尼宮も起きておいでになった。切りそろえられた髪のさきが厚くいっぱいにひろがるのを苦しくお思いになり、額の毛などを後ろへなでつけておいでになる時に、院は几帳きちょうを横へ寄せてそこへおすわりになると、宮はじて横のほうへお向きになったが、以前よりもいっそう小柄にお見えになって、髪は授戒の日にお扱いした僧が惜しんで長く残すようにして切ったのであるから、ちょっと見ては普通の方のように思われた。

229 御髪の末の所狭う広ごりたるを 尼削ぎの裾が広がっている様子。

230 背きたまへるを 定家筆本と明融臨模本は「そむきたまへるを」とある。大島本は「そむかせ給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「背きたまへる」と「を」を削除する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。

 すぎすぎ見ゆる鈍色ども、黄がちなる今様色など着たまひて、まだありつかぬ御かたはらめ、かくてしもうつくしき子どもの心地して、なまめかしうをかしげなり。

  Sugisugi miyuru nibiiro-domo, kigati naru imayauiro nado ki tamahi te, mada arituka nu ohom-kataharame, kaku te simo utukusiki kodomo no kokoti si te, namamekasiu wokasige nari.

 次々と重なって見える鈍色の袿に、黄色みのある今流行の紅色などをお召しになって、まだ尼姿が身につかない御横顔は、こうなっても可憐な少女のような気がして、優雅で美しそうである。

 次々に濃くしたにびの幾枚かをお重ねになった下には黄味を含んだうす色の単衣ひとえをお着になって、まだ尼姿になりきってはお見えにならず、美しい子供のような気がしてこれが最もよくお似合いになる姿であるともえんに見えた。

 「いで、あな心憂。墨染こそ、なほ、いとうたて目もくるる色なりけれ。かやうにても、見たてまつることは、絶ゆまじきぞかしと、思ひ慰めはべれど、古りがたうわりなき心地する涙の人悪ろさを、いとかう思ひ捨てられたてまつる身の咎に思ひなすも、さまざまに胸いたう口惜しくなむ。取り返すものにもがなや」

  "Ide, ana kokorou! Sumizome koso, naho, ito utate me mo kururu iro nari kere! Kayau nite mo, mi tatematuru koto ha, tayu maziki zo kasi to, omohi nagusame habere do, huri gatau warinaki kokoti suru namida no hitowarosa wo, ito kau omohi sute rare tatematuru mi no toga ni omohi nasu mo, samazama ni mune itau kutiwosiku nam. Torikahesu mono ni mo gana ya!"

 「まあ、何と情けない。墨染の衣は、やはり、まことに目の前が暗くなる色だな。このようになられても、お目にかかることは変わるまいと、心を慰めておりますが、相変わらず抑え難い心地がする涙もろい体裁の悪さを、実にこのように見捨てられ申したわたしの悪い点として思ってみますにつけても、いろいろと胸が痛く残念です。昔を今に取り返すことができたらな」

 「墨染めという色は少し困りますね。どうしても悲しい色でね、目がくらむ気がします。こうおなりになってもいっしょに暮らすことができるのだからと思って、みずから慰めようとしていますが、まだ今でも涙だけはあきらめてくれずに流れ出すので困りますよ。こんなふうにあなたに捨てられたのも、私自身の罪であると考えられることも苦痛のきわみですよ。取り返せないものだろうか」

231 いであな心憂 以下「取り返す物にもがなや」まで、源氏の詞。

232 思ひ捨てられたてまつる身の咎に思ひなすも 『集成』は「ほんとにこうして見捨てられ申した私の悪い点と思ってみますにつけても。未練がましいところがあるから、あなたから見捨てられたのだろう、の意」と注す。

233 取り返すものにもがなや 明融臨模本、朱合点。大島本、朱合点、行間書入「古今とりかへす物にもかなや世中を」。中山家本、朱合点、奥入「とりかへすものにもかなやよのなかを」。『源氏釈』が「とりかへすものにもかなやいにしへをありしなからのわか身と思はん」(前田家本所引、出典未詳)と指摘する。

 と、うち嘆きたまひて、

  to, uti-nageki tamahi te,

 とお嘆きになって、

 と院は御歎息たんそくをあそばして、

 「今はとて思し離れば、まことに御心と厭ひ捨てたまひけると、恥づかしう心憂くなむおぼゆべき。なほ、あはれと思せ」

  "Ima ha tote obosi hanare ba, makoto ni mi-kokoro to itohi sute tamahi keru to, hadukasiu kokorouku nam oboyu beki. Naho, ahare to obose."

 「もうこれっきりとお見限りなさるならば、本当に本心からお捨てになったのだと、顔向けもできず情けなく思われることです。やはり、いとしい者と思って下さい」

 「ほんとうの尼の気持ちになっておしまいになれば、それは病気のためでなく、私がいやにおなりになったためにそうおなりになった気もして、私は情けないでしょうよ。やはり私を愛してください」

234 今はとて 以下「あはれと思せ」まで、源氏の詞。『完訳』は「宮が六条院から他所へ出る不都合さを思う。源氏には朱雀院への義理、宮への執着がある」と注す。

235 なほあはれと思せ 『完訳』は「自分を捨てないでほしい気持」と注す。

 と聞こえたまへば、

  to kikoye tamahe ba,

 と申し上げなさると、

 こうお言いになると、

 「かかるさまの人は、もののあはれも知らぬものと聞きしを、ましてもとより知らぬことにて、いかがは聞こゆべからむ」

  "Kakaru sama no hito ha, mono no ahare mo sira nu mono to kiki si wo, masite motoyori sira nu koto nite, ikaga ha kikoyu bekara m."

 「このような出家の身には、もののあわれもわきまえないものと聞いておりましたが、ましてもともと知らないことなので、どのようにお答え申し上げたらよいでしょうか」

 「この境地にいては人を愛したりすることができないものだと聞いていますもの、まして私などは初めから愛するということがわからなかったのですから、どうお返事を申し上げればいいか存じません」

236 かかるさまの人は 以下「いかがは聞こゆべからむ」まで、女三の宮の返事。反語表現。何とも申し上げようがない、意。

 とのたまへば、

  to notamahe ba,

 とおっしゃるので、

 と宮はお返辞をあそばされる。

 「かひなのことや。思し知る方もあらむものを」

  "Kahina' no koto ya! Obosi siru kata mo ara m mono wo."

 「情けないことだ。お分りになることがおありでしょうに」

 「しかたのない方ですね、おわかりになることもあるでしょうが」

237 かひなのことや 以下「あらむものを」まで、源氏の詞。痛烈な皮肉がまじる。

238 思し知る方もあらむものを 『集成』は「柏木とは愛を交わしたではないか、という気持」。『完訳』は「柏木と心交したのに、の気持」と注す。

 とばかりのたまひさして、若君を見たてまつりたまふ。

  to bakari notamahi sasi te, Wakagimi wo mi tatematuri tamahu.

 とだけ途中までおっしゃって、若君を拝見なさる。

 と言いさしたまま院は言葉をお切りになって、若君を見ようとあそばされた。

第三段 源氏、老後の感懐

 御乳母たちは、やむごとなく、めやすき限りあまたさぶらふ。召し出でて、仕うまつるべき心おきてなどのたまふ。

  Ohom-Menoto-tati ha, yamgotonaku, meyasuki kagiri amata saburahu. Mesiide te, tukaumaturu beki kokorookite nado notamahu.

 御乳母たちは、家柄が高く、見た目にも無難な人たちばかりが大勢伺候している。お呼び出しになって、お世話申すべき心得などをおっしゃる。

 乳母めのとには貴族の出の人ばかりが何人も選ばれて付いていた。その人たちを呼び出して、若君の取り扱いについての注意をお与えに院はなるのであった。

 「あはれ、残り少なき世に、生ひ出づべき人にこそ」

  "Ahare, nokori sukunaki yo ni, ohiidu beki hito ni koso."

 「ああかわいそうに、残り少ない晩年に、ご成人して行くのだな」

 「かわいそうに未来の少ない老いた父を持って、おくればせに大きくなってゆこうとするのだね」

239 あはれ残り少なき世に生ひ出づべき人にこそ 源氏の詞。独言。
【生ひ出づべき人に】-明融臨模本、朱合点。『孟津抄』は「いまさらに何生ひ出づらむ竹の子の憂きふししげきよとは知らずや」(古今集雑下、九五七、凡河内躬恒)を指摘。

 とて、抱き取りたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。大将などの稚児生ひ、ほのかに思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、父帝の御方ざまに、王気づきて気高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。

  tote, idaki tori tamahe ba, ito kokoroyasuku uti-wemi te, tubutubu to koye te sirou utukusi. Daisyau nado no tigoohi, honoka ni obosi iduru ni ha ni tamaha zu. Nyougo no ohom-Miya-tati, hata, titi-Mikado no ohom-katazama ni, waukeduki te kedakau koso ohasimase, koto ni sugure te medetau simo ohase zu.

 と言って、お抱きになると、とても人見知りせずに笑って、まるまると太っていて色白でかわいらしい。大将などが幼い時の様子、かすかにお思い出しなさるのには似ていらっしゃらない。明石女御の宮たちは、それはそれで、父帝のお血筋を引いて、皇族らしく高貴ではいらっしゃるが、特別優れて美しいというわけでもいらっしゃらない。

 と言って、お抱き取りになると、若君は快いみをお見せした。よくふとって色が白い。大将の幼児時代に思い比べてごらんになっても似ていない。女御にょごの宮方は皆父帝のほうによく似ておいでになって、王者らしい相貌そうぼう気高けだかいところはあるが、ことさらお美しいということもないのに、

 この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみの薫りて、笑がちなるなどを、いとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほ、いとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかに恥づかしきさまも、やう離れて、薫りをかしき顔ざまなり。

  Kono Kimi, ito ate naru ni sohe te, aigyauduki, mami no kawori te, wegati naru nado wo, ito ahare to mi tamahu. Omohinasi ni ya, naho, ito you oboye tari kasi. Tada ima nagara, manakowi no nodoka ni hadukasiki sama mo, yau hanare te, kawori wokasiki kaho zama nari.

 この若君、とても上品な上に加えて、かわいらしく、目もとがほんのりとして、笑顔がちでいるのなどを、とてもかわいらしいと御覧になる。気のせいか、やはり、とてもよく似ていた。もう今から、まなざしが穏やかで人に優れた感じも、普通の人とは違って、匂い立つような美しいお顔である。

 この若君は貴族らしい上品なところに愛嬌あいきょうも添っていて、目つきが美しくよく笑うのを御覧になりながら院は愛情をお感じになった。思いなしか知らぬが故衛門督えもんのかみによく似ていた。これほどの幼児でいてすでに貴公子らしいりっぱな眼眸めつきをしてえんな感じを持っていることも普通の子供に違っているのである。

240 思ひなしにやなほいとようおぼえたりかし 『集成』は「そう思って見るせいか、やはりとてもよく柏木に似ていることだ。源氏の心をそのまま地の文としたもの」。『完訳』は「気のせいか、やはり柏木に似ている。源氏の心中に即した叙述」と注す。

 宮はさしも思し分かず。人はた、さらに知らぬことなれば、ただ一所の御心の内にのみぞ、

  Miya ha sasimo obosi waka zu. Hito hata, sarani sira nu koto nare ba, tada hito-tokoro no mi-kokoro no uti ni nomi zo,

 宮はそんなにもお分りにならず、女房たちもまた、全然知らないことなので、ただお一方のご心中だけが、

 母の宮はそうであるとも確かにはわかっておいでにならなかったし、その他の人はもとより気のつかぬことであったから、ただ院お一人の心の中だけで、

241 ただ一所の御心 源氏をさす。

 「あはれ、はかなかりける人の契りかな」

  "Ahare, hakanakari keru hito no tigiri kana!"

 「ああ、はかない運命の人であったな」

 哀れな因縁である

242 あはれはかなかりける人の契りかな 源氏の心中。

 と見たまふに、大方の世の定めなさも思し続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌みすべき日をと、おし拭ひ隠したまふ。

  to mi tamahu ni, ohokata no yo no sadame nasa mo obosi tuduke rare te, namida no horohoro to kobore nuru wo, kehu ha kotoimi su beki hi wo to, osi-nogohi kakusi tamahu.

 とお思いになると、世間一般の無常の世も思い続けられなさって、涙がほろほろとこぼれたのを、今日の祝いの日には禁物だと、拭ってお隠しになる。

 と故人のことを考えておいでになると、人生の無常さも次々に思われて涙のほろほろとこぼれるのを、今日は祝いの式ではないかと恥じてお隠しになり

243 今日は言忌みすべき日を 源氏の心中。

 「静かに思ひて嗟くに堪へたり」

  "Siduka ni omohi te nageku ni tahe tari"

 「静かに思って嘆くことに堪へた」

 『五十八翁方有後をうまさにのちあり静思堪喜しづかにおもふによろこびにたへたり亦堪嗟またなげくにたへたり

244 静かに思ひて嗟くに堪へたり 明融臨模本、朱合点、付箋「いとふにたえんとかきたり不用之」、付箋「五十八翁方有後静思堪喜亦堪嗟持盃祝願無他語慎勿頑愚似汝爺白」(白氏文集巻二十八、自嘲)。尊経閣文庫本奥入・明融臨模本奥入・自筆本奥入、同詩句を指摘。ただし、尊経閣文庫本系統奥入は「白楽天は子なくして老にのそむ人也五十八にてはしめて男子むまれたりむまるゝ事をそきによりて生遅と名つくその子にむかひてつくりける詩也」(尊・明・大・中)、自筆本奥入は「白楽天は子なくして老にのそむ人也おいのゝちはしめて生遅といふ子いてきてむまるゝ事をそきによりて(名を傍書)生遅とつけたりその子にむかひてつくりける詩也」とある。『源氏釈』は「此身何足恋万劫煩悩之恨此身何足厭一聚虚空之庵/文集/又云堪□云」(白氏文集巻十一、逍遥詠)と指摘。

 と、うち誦うじたまふ。五十八を十取り捨てたる御齢なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。「汝が爺に」とも、諌めまほしう思しけむかし。

  to, uti-zuuzi tamahu. Gozihu-hati wo towo tori sute taru ohom-yohahi nare do, suwe ni nari taru kokoti si tamahi te, ito mono ahare ni obosa ru. "Nandi ga titi ni" to mo, isame mahosiu obosi kem kasi.

 と、朗誦なさる。五十八から十とったお年齢だが、晩年になった心地がなさって、まことにしみじみとお感じになる。「おまえの父親に似るな」とでも、お諌めなさりたかったのであろうよ。

 とお歌いになった。五十八から十を引いたお年なのであるが、もう晩年になった気があそばされて白楽天のその詩の続きの『慎勿頑愚似汝爺つつしみてぐわんぐなんぢのちちににるなかれ』を歌いたく思召したかもしれない。

245 心地したまひて 大島本、行間書入「白楽天子生遅にむかひてつくれる詩云五十八翁方有後静思堪喜又堪嗟持盃祝願無他語慎勿頑愚似汝爺」とある。

246 汝が爺にとも諌めまほしう思しけむかし 明融臨模本、朱合点。『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「「汝が爺に」(そちの実の父、柏木の轍を踏むでないぞ)とでも、いましめたくお思いになったことであろうよ。前引の詩中の句による草子地」。『完訳』は「実父柏木に似てはならぬと、源氏は思ったはず。前引の漢詩によって、語り手が推測」と注す。

第四段 源氏、女三の宮に嫌味を言う

 「このことの心知れる人、女房の中にもあらむかし。知らぬこそ、ねたけれ。烏滸なりと見るらむ」と、安からず思せど、「わが御咎あることはあへなむ。二つ言はむには、女の御ためこそ、いとほしけれ」

  "Kono koto no kokorosire ru hito, nyoubau no naka ni mo ara m kasi. Sira nu koso, netakere. Woko nari to miru ram." to, yasukara zu obose do, "Waga ohom-toga aru koto ha ahe na m. Hutatu iha m ni ha, Womna no ohom-tame koso, itohosikere."

 「この事情を知って人、女房の中にもきっといることだろう。知らないのは、悔しい。馬鹿だと思っているだろう」、と穏やかならずお思いになるが、「自分の落度になることは堪えよう。二つを問題にすれば、女宮のお立場が、気の毒だ」

 あの秘密にあずかった者がここの女房の中にいるはずである。その人たちは自分を愚人として侮蔑ぶべつしているのであろうとお思われになることは不快であったが、自分のことは忍んでもよいが、宮をその人たちはどう思っているかという点までを思うと、宮のためにおかわいそうである

247 このことの心知れる人 以下「見るらむ」まで、源氏の心中。

248 わが御咎ある 以下「いとほしけれ」まで、源氏の心中。

249 二つ言はむには女の御ため 『集成』は「男と女、双方どちらかと言おうなら」。『完訳』は「自分と宮のどちらかといえば」と訳す。

 など思して、色にも出だしたまはず。いと何心なう物語して笑ひたまへるまみ、口つきのうつくしきも、「心知らざらむ人はいかがあらむ。なほ、いとよく似通ひたりけり」と見たまふに、「親たちの、子だにあれかしと、泣いたまふらむにも、え見せず、人知れずはかなき形見ばかりをとどめ置きて、さばかり思ひ上がり、およすけたりし身を、心もて失ひつるよ」

  nado obosi te, iro ni mo idasi tamaha zu. Ito nanigokoro nau monogatari si te warahi tamahe ru mami, kutituki no utukusiki mo, "Kokorosira zara m hito ha ikaga ara m? Naho, ito yoku nikayohi tari keri." to mi tamahu ni, "Oya-tati no, ko dani are kasi to, nai tamahu ram ni mo, e mise zu, hito sire zu hakanaki katami bakari wo todome oki te, sabakari omohiagari, oyosuke tari si mi wo, kokoro mote usinahi turu yo."

 などとお思いになって、顔色にもお出しにならない。とても無邪気にしゃべって笑っていらっしゃる目もとや、口もとのかわいらしさも、「事情を知らない人はどう思うだろう。やはり、父親にとてもよく似ている」、と御覧になると、「ご両親が、せめて子供だけでも残してくれていたらと、お泣きになっていようにも、見せることもできず、誰にも知られずはかない形見だけを残して、あれほど高い望みをもって、優れていた身を、自分から滅ぼしてしまったことよ」

 などと院はお思いになって、あくまでも知らぬ顔を続けておいでになるのであった。無邪気にうれしそうな声をたてる若君の目つき、口つきは知らぬ人にわからぬことであろうが、自分が見れば全くよく似ているとお思いになる院は、親たちが子供でもあればよかったと言って悲しんでいるのに、これを見せてやることもできず、秘密な所にこの子だけを形見に残して、あの思い上がった男が、自身の心から命を縮めて死んだかと衛門督が哀れ

250 いと何心なう 若君(薫)の無邪気な表情。

251 心知らざらむ人は 以下「似通ひたりけり」まで、源氏の心中。

252 親たちの 以下「失ひつるよ」まで、源氏の心中。

253 子だにあれかしと 明融臨模本、付箋「結をくかたみの子たに」と指摘。「結び置きし形見のこだになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」(後撰集雑二、一一八七、兼忠朝臣の母の乳母)。

254 さばかり思ひ上がり 『完訳』は「柏木の気位高くすぐれた人柄を回想し、その自滅の運命を思う」と注す。

 と、あはれに惜しければ、めざましと思ふ心もひき返し、うち泣かれたまひぬ。

  to, ahare ni wosikere ba, mezamasi to omohu kokoro mo hiki-kahesi, uti-naka re tamahi nu.

 と、しみじみと惜しまれるので、けしからぬと思う気持ちも思い直されて、つい涙がおこぼれになった。

 にお思われになって、失敬なことであると罪を憎んでおいでになった感情も消え、泣かれておしまいになるのであった。

 人びとすべり隠れたるほどに、宮の御もとに寄りたまひて、

  Hitobito suberi kakure taru hodo ni, Miya no ohom-moto ni yori tamahi te,

 女房たちがそっと席をはずした間に、宮のお側に近寄りなさって、

 女房たちがいつの間にかお居間を出てしまったのを御覧になってから、院は宮の近くへお寄りになって、

 「この人をば、いかが見たまふや。かかる人を捨てて、背き果てたまひぬべき世にやありける。あな、心憂」

  "Kono hito woba, ikaga mi tamahu ya? Kakaru hito wo sute te, somuki hate tamahi nu beki yo ni ya ari keru. Ana, kokorou!"

 「この子を、どのようにお思いになりますか。このような子を見捨てて、出家なさらねばならなかったものでしょうか。何とも、情けない」

 「この人を何と思うのですか、こんなにかわいい人を置いて、この世をよくも捨てられましたね。冷酷ですよ」

255 この人をば 以下「あな心憂」まで、源氏の詞。

 と、おどろかしきこえたまへば、顔うち赤めておはす。

  to, odorokasi kikoye tamahe ba, kaho uti-akame te ohasu.

 と、ご注意をお引き申し上げなさると、顔を赤くしていらっしゃる。

 と不意にお言いかけになった。宮は顔を赤めておいでになった。

 「誰が世にか種は蒔きしと人問はば
  いかが岩根の松は答へむ

    "Taga yo ni ka tane ha maki si to hito toha ba
    ikaga ihane no matu ha kotahe m

 「いったい誰が種を蒔いたのでしょうと人が尋ねたら
  誰と答えてよいのでしょう、岩根の松は

  たが世にか種はきしと人問はば
  いかが岩根の松は答へん

256 誰が世にか種は蒔きしと人問はば--いかが岩根の松は答へむ 源氏の贈歌。「岩根」に「言はね」を響かす。「松」は若君(薫)を喩える。明融臨模本、付箋「あつさ弓いそへの小松たか世にか万代かけて種をまきけむ」(古今集雑上、九〇七、読人しらず)。『異本紫明抄』が指摘する。

 あはれなり」

  Ahare nari."

 不憫なことだ」

 かわいそうですよ」

 など、忍びて聞こえたまふに、御いらへもなうて、ひれふしたまへり。ことわりと思せば、しひても聞こえたまはず。

  nado, sinobi te kikoye tamahu ni, ohom-irahe mo nau te, hirehusi tamahe ri. Kotowari to obose ba, sihite mo kikoye tamaha zu.

 などと、そっと申し上げなさると、お返事もなくて、うつ臥しておしまいになった。もっともなことだとお思いになるので、無理に催促申し上げなさらない。

 ともそっとお言いになったが、宮はお返辞もあそばさずにひれ伏しておしまいになった。もっともであるとお思いになって、しいてものをお言わせしようともあそばされない。

 「いかに思すらむ。もの深うなどはおはせねど、いかでかはただには」

  "Ikani obosu ram? Mono hukau nado ha ohase ne do, ikadeka ha tada ni ha."

 「どうお思いでいるのだろう。思慮深い方ではいらっしゃらないが、どうして平静でいられようか」

 どんなお気持ちでおられるのであろう、奥深い感情などは持っておられぬが、虚心平気でおいでにはなれないはずである

257 いかに思すらむ 以下「いかでかはただには」まで、源氏の心中。女三の宮の心中を推測。『集成』は「どうして平気でおいでになれよう。柏木の死に悲しい思いでいられるだろう、というほどの意」。『完訳』は「宮が柏木の死を平静に受けとめているはずがない、の意」と注す。

 と、推し量りきこえたまふも、いと心苦しうなむ。

  to, osihakari kikoye tamahu mo, ito kurusiu nam.

 と、ご推察申し上げなさるのも、とてもおいたわしい思いである。

 と想像ができるのも心苦しいことであった。

258 いと心苦しうなむ 『集成』は「とてもおいたわしい思いだ」。『完訳』は「まったくせつないことではある」と訳す。

第五段 夕霧、事の真相に関心

 大将の君は、かの心に余りて、ほのめかし出でたりしを、

  Daisyau-no-Kimi ha, kano kokoro ni amari te, honomekasi ide tari si wo,

 大将の君は、あの思い余って、ちらっと言い出した事を、

 大将は衛門督えもんのかみが思い余って自分にらしたことはどんな訳のあることであろう。

 「いかなることにかありけむ。すこしものおぼえたるさまならましかば、さばかりうち出でそめたりしに、いとようけしきは見てましを。いふかひなきとぢめにて、折悪しういぶせくて、あはれにもありしかな」

  "Ikanaru koto ni ka ari kem? Sukosi mono oboye taru sama nara masika ba, sabakari uti-ide some tari si ni, ito you kesiki ha mi te masi wo. Ihu kahi naki todime nite, wori asiu ibuseku te, ahare ni mo ari si kana!"

 「どのような事であったのだろうか。もう少し意識がはっきりしている状態であったならば、あれほど言い出した事なのだから、十分に事情が察せられたろうに。何とも言いようのない最期であったので、折も悪くはっきりしないままで、残念なことであったな」

 故人があれほどまで弱っていない時であったなら、自身から言い出したことなのであるから、もう少し核心に触れたことも聞き出せたであろうが、もうあの際であったのがおりを得ないことで残念であった

259 いかなることにか 以下「ありしかな」まで、夕霧の心中。

260 ましかば--ましを 反実仮想の構文。

 と、面影忘れがたうて、兄弟の君たちよりも、しひて悲しとおぼえたまひけり。

  to, omokage wasure gatau te, harakara no Kimi-tati yori mo, sihite kanasi to oboye tamahi keri.

 と、その面影が忘れることができなくて、兄弟の君たちよりも、特に悲しく思っていらっしゃった。

 などと考えていて、兄弟たち以上にこの人は故人を恋しがっていた。

 「女宮のかく世を背きたまへるありさま、おどろおどろしき御悩みにもあらで、すがやかに思し立ちけるほどよ。また、さりとも、許しきこえたまふべきことかは。

  "Womnamiya no kaku yo wo somuki tamahe ru arisama, odoroodorosiki ohom-nayami ni mo ara de, sugayaka ni obosi tati keru hodo yo. Mata, saritomo, yurusi kikoye tamahu beki koto kaha.

 「女宮がこのように出家なさった様子、大したご病気でもなくて、きれいさっぱりとご決心なさったものよ。また、そうだからといって、お許し申し上げなさってよいことだろうか。

 女三の宮がにわかに出家を遂げられたことも何か訳のあることらしい、そう大病でもおありにならなかった方を、院が何の抗議もあそばされずに尼にさせておしまいになってよいはずはないのである。

261 女宮のかく世を 以下「たまへるものを」まで、夕霧の心中。

 二条の上の、さばかり限りにて、泣く泣く申したまふと聞きしをば、いみじきことに思して、つひにかくかけとどめたてまつりたまへるものを」

  Nideu-no-Uhe no, sabakari kagiri nite, nakunaku mausi tamahu to kiki si wo ba, imiziki koto ni obosi te, tuhini kaku kake todome tatematuri tamahe ru mono wo."

 二条の上が、あれほど最期に見えて、泣く泣くお願い申し上げなさったと聞いたのは、とんでもないことだとお考えになって、とうとうあのようにお引き留め申し上げなさったものを」

 二条の院の夫人があの重態になっていられた場合に、泣く泣く許しをわれたのさえもお拒みになったのであるから

 など、取り集めて思ひくだくに、

  nado, tori-atume te omohi kudaku ni,

 などと、あれこれと思案をこらしてみると、

 というようなことも大将は考えられ、衛門督の問題と女三の宮の御出家とは関連したことに違いないということに思いは帰着した。

262 取り集めて思ひくだくに 『集成』は「あれこれと思案をこらしてみるのに。敬語を使わず、夕霧の心理に密着した地の文」と注す。

 「なほ、昔より絶えず見ゆる心ばへ、え忍ばぬ折々ありきかし。いとようもて静めたるうはべは、人よりけに用意あり、のどかに、何ごとをこの人の心のうちに思ふらむと、見る人も苦しきまでありしかど、すこし弱きところつきて、なよび過ぎたりしけぞかし。

  "Naho, mukasi yori taye zu miyuru kokorobahe, e sinoba nu woriwori ari ki kasi. Ito you mote-sidume taru uhabe ha, hito yori keni youi ari, nodoka ni, nanigoto wo kono hito no kokoro no uti ni omohu ram to, miru hito mo kurusiki made ari sika do, sukosi yowaki tokoro tuki te, nayobi sugi tari si ke zo kasi.

 「やはり、昔からずっと抱き続けていた気持ちが、抑え切れない時々があったのだ。とてもよく静かに落ち着いた表面は、誰よりもほんとうに嗜みがあり、穏やかで、どのようなことをこの人は考えているのだろうかと、周囲の人も気づまりなほどであったが、少し感情に溺れやすいところがあって、もの柔らか過ぎたためだ。

 昔から宮をお思いしていて、忍び余るような物思いの影を自分などに見せたこともある人である、自制していて表面うわべだけはあくまでも冷静で、この人の心には何を思っているのかとうかがうのに苦しむほどであったが、感情に負けるところがあって、あまりに彼は弱い男であった、

263 なほ昔より 以下「あぢきなきことなりかし」まで、夕霧の心中。

264 もて静めたる 明融臨模本、付箋「夕霧ノ上ニミル説不用」と指摘。

265 すこし弱きところつきて 『集成』は「すこし情に溺れるところがあって」。『完訳』は「すこし情に負けるところがあって」と訳す。

 いみじうとも、さるまじきことに心を乱りて、かくしも身に代ふべきことにやはありける。人のためにもいとほしう、わが身はいたづらにやなすべき。さるべき昔の契りといひながら、いと軽々しう、あぢきなきことなりかし」

  Imiziu tomo, sarumaziki koto ni kokoro wo midari te, kaku simo mi ni kahu beki koto ni yaha ari keru. Hito no tame ni mo itohosiu, waga mi ha itadura ni ya nasu beki. Sarubeki mukasi no tigiri to ihi nagara, ito karugarusiu, adikinaki koto nari kasi."

 どんなにせつなく思い込んだとしても、あってはならないことに心を乱して、このように命を引き換えにしてよいことだろうか。相手のためにもお気の毒であるし、わが身は滅ぼすことではないか。そのようになるはずの前世からの因縁と言っても、まことに軽率で、つまらないことであるぞ」

 どんなにすぐれた恋人であっても、許されない恋に狂熱を傾け、最後に身をあやまるようなことをしてはならないのである、一方の人のためにも気の毒なことであるし、彼が自身の命をそれに捨てたのも賢明なことではない、皆前生の因縁とはいいながらも、やはり軽率なことであったと、

266 いみじうともさるまじきことに心を乱りて 『完訳』は「柏木の不義密通を推測」と注す。

267 やはありける 『完訳』は「「--やはありける」「--やなすべき」と、柏木への強い批判」と注す。

 など、心一つに思へど、女君にだに聞こえ出でたまはず。さるべきついでなくて、院にもまだえ申したまはざりけり。さるは、かかることをなむかすめし、と申し出でて、御けしきも見まほしかりけり。

  nado, kokoro hitotu ni omohe do, Womnagimi ni dani kikoye ide tamaha zu. Sarubeki tuide naku te, Win ni mo mada e mausi tamaha zari keri. Saruha, kakaru koto wo nam kasume si, to mausi ide te, mi-kesiki mo mi mahosikari keri.

 などと、自分独りで思うが、女君にさえ申し上げなさらない。適当な機会がなくて、院にもまだ申し上げることができなかった。とはいえ、このようなことを小耳にはさみました、と申し出て、ご様子も窺って見てみたい気持ちでもあった。

 大将は自身一人で思っていて夫人にも話さなかった。またよい機会もなくて院に故人の心をお伝えすることもまだ果たさなかった。大将としてはまたそれを話し出した時に秘密の全貌ぜんぼうの見られることも願っているのであるから好機は容易に見いだせないのであるらしい。

268 女君にだに 副助詞「だに」最小限のニュアンス。最も気を許してよい妻(雲居雁)にさえ話さない。

 父大臣、母北の方は、涙のいとまなく思し沈みて、はかなく過ぐる日数をも知りたまはず、御わざの法服、御装束、何くれのいそぎをも、君たち、御方々、とりどりになむ、せさせたまひける。

  Titi-Otodo, haha-Kitanokata ha, namida no itoma naku obosi sidumi te, hakanaku suguru hikazu wo mo siri tamaha zu, ohom-waza no hohubuku, ohom-sauzoku, nani kure no isogi wo mo, Kimi-tati, ohom-katagata, toridori ni nam, se sase tamahi keru.

 父大臣と、母北の方は、涙の乾かぬ間なく悲しみにお沈みになって、いつの間にか過ぎて行く日数をもお分かりにならず、ご法要の法服、ご衣装、何やかやの準備も、弟の君たち、姉妹の方々が、それぞれ準備なさるのであった。

故大納言の父母は涙の晴れ間もないほど悲しみにおぼれて暮らしているのであって、日のたつ数もわからなかった。法事などの用意も子息たちや婿君たちの手でするばかりであった。

269 過ぐる日数 大島本、朱合点、行間書入「物おもふすくる月日もしらぬまに雁こそ鳴て秋とつけくれ」(後撰集秋下、三五八、読人しらず)と指摘。『異本紫明抄』が指摘するが、『岷江入楚』に「私不及此歌」と批判され、現行の注釈書では指摘しない。

270 君たち御方々 柏木の弟たち姉妹たちをいう。

 経仏のおきてなども、右大弁の君せさせたまふ。七日七日の御誦経などを、人の聞こえおどろかすにも、

  Kyau Hotoke no okite nado mo, Udaiben-no-Kimi se sase tamahu. Nanukananuka no mi-zukyau nado wo, hito no kikoye odorokasu ni mo,

 経や仏像の指図なども、右大弁の君がおさせになる。七日七日ごとの御誦経などを、周囲の人が注意を促すにつけても、

 供養する経巻や仏像も二男の左大弁が主になって作らせていた。七日七日の誦経ずきょうの日が次々来るたびに、その注意を子息たちがすると、

 「我にな聞かせそ。かくいみじと思ひ惑ふに、なかなか道妨げにもこそ」

  "Ware ni na kika se so. Kaku imizi to omohi madohu ni, nakanaka miti samatage ni mo koso."

 「わたしに何も聞かせるな。このようにひどく悲しい思いに暮れているのに、かえって往生の妨げとなってはいけない」

 「もういっさい何も聞かせないようにしてくれ。あれに関した話をけばまた悲しみがくばかりだから、かえってあれの行く道を妨げることになる」

271 我にな聞かせそ 以下「道妨げにもこそ」まで、大臣の詞。

272 道妨げにも 大島本、朱合点、行間書入「拾 おもふ事ありてこそ行け春かすみみちさまたけに立ちなかくしそ」(拾遺集雑春、一〇一七、紀貫之)を指摘。

 とて、亡きやうに思し惚れたり。

  tote, naki yau ni obosi hore tari.

 と言って、死んだ人のようにぼんやりしていらっしゃる。

 と言うだけで、大臣も死んだ人のようになっていた。

第五章 夕霧の物語 柏木哀惜

第一段 夕霧、一条宮邸を訪問

 一条の宮には、まして、おぼつかなうて別れたまひにし恨みさへ添ひて、日ごろ経るままに、広き宮の内、人気少なう心細げにて、親しく使ひ慣らしたまひし人は、なほ参り訪らひきこゆ。

  Itideu-no-Miya ni ha, masite, obotukanau te wakare tamahi ni si urami sahe sohi te, higoro huru mama ni, hiroki miya no uti, hitoke sukunau kokorobosoge nite, sitasiku tukahi narasi tamahi si hito ha, naho mawiri toburahi kikoyu.

 一条宮におかれては、それ以上に、お目にかかれぬままご逝去なさった心残りまでが加わって、日数が過ぎるにつれて、広い宮の邸内も、人数少なく心細げになって、親しく使い馴らしていらした人は、やはりお見舞いに参上する。

 一条の宮はまして終わりの病床に見ることもおできにならないままで良人おっとを死なせておしまいになったというお悲しみもあって、その後の日の重なるにつけて広いおやしきはますます寂しいものになって、お召使いの人たちも減っていくばかりであった。大納言の恩顧を受けていた人たちだけは、故人の未亡人の宮に今も敬意を表しに来ることを忘れなかった。

273 親しく使ひ慣らしたまひし 主語は柏木。

 好みたまひし鷹、馬など、その方の預りどもも、皆つくところなう思ひ倦じて、かすかに出で入るを見たまふも、ことに触れてあはれは尽きぬものになむありける。もて使ひたまひし御調度ども、常に弾きたまひし琵琶、和琴などの緒も取り放ちやつされて、音を立てぬも、いと埋れいたきわざなりや。

  Konomi tamahi si taka, muma nado, sono kata no adukari-domo mo, mina tuku tokoro nau omohi u'zi te, kasukani ide iru wo mi tamahu mo, koto ni hure te ahare ha tuki nu mono ni nam ari keru. Mote-tukahi tamahi si ohom-deudo-domo, tuneni hiki tamahi si biha, wagon nado no wo mo tori-hanati yatusa re te, ne wo tate nu mo, ito mumore itaki waza nari ya.

 お好きであった鷹、馬など、その係の者たちも、皆主人を失ってしょんぼりとして、ひっそりと出入りしているのを御覧になるにつけても、何かにつけてしみじみと悲しみの尽きないものであった。お使いになっていらしたご調度類で、いつもお弾きになった琵琶、和琴などの絃も取り外されて、音を立てないのも、あまりにも引き籠もり過ぎていることであるよ。

 愛していたたか狩りの鷹とか、馬とかを預かっていた侍たちはたよる所を失ったように力を落としながらも寂しい姿で出仕しているのがお目にはいったりすることなども宮のお心を悲しくさせた。手らしていた居間の道具類、始終いていた琵琶びわ和琴わごんなどの、今はいとの張られていないものなども御覧になるのが苦しかった。

274 出で入るを見たまふも 主語は落葉宮。

275 あはれは尽きぬものになむ ありける 過去の助動詞「ける」詠嘆の意。『完訳』は「「ける」に注意。邸内の返歌一つ一つに、はっと気づかせられる」と注す。

276 いと埋れいたきわざなりや 終助詞「や」詠嘆。語り手の感慨。

 御前の木立いたう煙りて、花は時を忘れぬけしきなるを眺めつつ、もの悲しく、さぶらふ人びとも、鈍色にやつれつつ、寂しうつれづれなる昼つ方、前駆はなやかに追ふ音して、ここに止まりぬる人あり。

  Omahe no kodati itau keburi te, hana ha toki wo wasure nu kesiki naru wo nagame tutu, mono-ganasiku, saburahu hitobito mo, nibiiro ni yature tutu, sabisiu turedure naru hiru tu kata, saki hanayaka ni ohu oto si te, koko ni tomari nuru hito ari.

 御前の木立がすっかり芽をふいて、花は季節を忘れない様子なのを眺めながら、何となく悲しく、伺候する女房たちも、鈍色の喪服に身をやつしながら、寂しく所在ない昼間に、先払いを派手にする声がして、この邸の前に止まる人がいる。

 庭の木立ちがけむり、時を忘れずに花の咲こうとするのをおながめになっていて寂しかった。女房たちも皆喪服姿になっていて、あらゆるものから受ける印象が物哀れであったある日の昼ごろに、高い前駆の声がしておやしきの門にとまった車があった。

277 御前の木立いたう煙りて、花は時を忘れぬけしきなるを 『完訳』は「梢の芽ぶく様子。このあたり三月の情景に寂寥の気分が際だつ。季節の甦りに対して、不帰の生命のはかなさが痛感される」と注す。

 「あはれ、故殿の御けはひとこそ、うち忘れては思ひつれ」

  "Ahare, ko-Tono no ohom-kehahi to koso, uti-wasure te ha omohi ture."

 「ああ、亡くなられた殿のおいでかと、ついうっかり思ってしまいました」

 「ぼんやりしていますとおくなりになった殿様がおいでになったのかと思いますよ」

278 あはれ故殿の 以下「思ひつれ」まで、女房の詞。

 とて、泣くもあり。大将殿のおはしたるなりけり。御消息聞こえ入れたまへり。例の弁の君、宰相などのおはしたると思しつるを、いと恥づかしげにきよらなるもてなしにて入りたまへり。

  tote, naku mo ari. Daisyau-dono no ohasi taru nari keri. Ohom-seusoko kikoye ire tamahe ri. Rei no Ben-no-Kimi, Saisyau nado no ohasi taru to obosi turu wo, ito hadukasige ni kiyora naru motenasi nite iri tamahe ri.

 と言って、泣く者もいる。大将殿がいらっしゃったのであった。ご案内を申し入れなさった。いつものように弁の君や、宰相などがいらっしゃったものかとお思いになったが、たいそう気おくれのするほど立派な美しい物腰でお入りになった。

 と言って泣く女房もあった。それは左大将が訪問して来たのであった。まず訪問の意を通じて来た。いつものように大納言の弟の左大弁とか、参議とかの来訪したのかと邸の人は思っていた所へ、品がよくてきれいな風采ふうさいで身の取りなしのすぐれてりっぱな大将がはいって来たのであった。

279 大将殿のおはしたるなりけり 『弄花抄』は「注の心也」と指摘。『集成』も「草子地」と指摘。

280 弁の君宰相などのおはしたると 『集成』は「柏木の弟たち。柏木の遺言で、今までに何度か弔問に訪れている趣」と注す。

 母屋の廂に御座よそひて入れたてまつる。おしなべたるやうに、人びとのあへしらひきこえむは、かたじけなきさまのしたまへれば、御息所ぞ対面したまへる。

  Moya no hisasi ni omasi yosohi te ire tatematuru. Osinabe taru yau ni, hitobito no ahe sirahi kikoye m ha, katazikenaki sama no si tamahe re ba, Miyasumdokoro zo taimen si tamahe ru.

 母屋の廂間に御座所を設けてお入れ申し上げなさる。普通の客人と同様に、女房たちがご応対申し上げるのでは、恐れ多い感じのなさる方でいらっしゃるので、御息所がご対面なさった。

 中央のに続いた南向きの座敷に席を作って客は迎えられた。普通の人たちのように女房だけが出て応接をするのは失礼であるといって、宮の母君の御息所みやすどころが逢った。

281 母屋の廂に御座よそひて入れたてまつる 寝殿の南廂の間。

282 御息所ぞ対面したまへる 一条宮邸の主人、母御息所。

 「いみじきことを思ひたまへ嘆く心は、さるべき人びとにも越えてはべれど、限りあれば、聞こえさせやる方なうて、世の常になりはべりにけり。今はのほどにも、のたまひ置くことはべりしかば、おろかならずなむ。

  "Imiziki koto wo omohi tamahe nageku kokoro ha, sarubeki hitobito ni mo koye te habere do, kagiri are ba, kikoyesase yaru kata nau te, yo no tune ni nari haberi ni keri. Imaha no hodo ni mo, notamahi oku koto haberi sika ba, orokanara zu nam.

 「悲しい気持ちでおりますことは、身内の方々以上のものがございますが、世のしきたりもありますから、お見舞いの申し上げようもなくて、世間並になってしまいました。臨終の折にも、ご遺言なさったことがございましたので、いいかげんな気持ちでいたわけではありません。

 「あの不幸な友人を悲しみます心は身内の人たち以上ですが、形式的にはそれだけの志も見せられないのでございました。臨終のころ私へ託しましたこともありますから、宮様に対して十分の好意を私はお持ちしております。

283 いみじきことを 以下「いと尽きせずなむ」まで、夕霧の詞。

284 さるべき人びと 『集成』は「身内の人々」。『完訳』は「死を当然悲しむ血縁の者」と注す。

285 世の常に 明融臨模本、付箋「恋しさもうき世のつねに成行を心は猶そもの思ひける」(出典未詳)。大島本、合点、行間書入「恋しきはうき世のつねに成ゆくを心は猶そ物思ひける」。古注では、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。

 誰ものどめがたき世なれど、後れ先立つほどのけぢめには、思ひたまへ及ばむに従ひて、深き心のほどをも御覧ぜられにしがなとなむ。神事などのしげきころほひ、私の心ざしにまかせて、つくづくと籠もりゐはべらむも、例ならぬことなりければ、立ちながらはた、なかなかに飽かず思ひたまへらるべうてなむ、日ごろを過ぐしはべりにける。

  Tare mo nodome gataki yo nare do, okure sakidatu hodo no kedime ni ha, omohi tamahe oyoba m ni sitagahi te, hukaki kokoro no hodo wo mo goranze rare ni si gana to nam. Kamiwaza nado no sigeki korohohi, watakusi no kokorozasi ni makase te, tukuduku to komori wi habera m mo, rei nara nu koto nari kere ba, tati nagara hata, nakanaka ni aka zu omohi tamahe raru beu te nam, higoro wo sugusi haberi ni keru.

 誰でも安心してはいられない人生ですが、生き死にの境目までは、自分の考えが及ぶ限りは、浅からぬ気持ちを御覧いただきたいものだと思っております。神事などの忙しいころは、私的な感情にまかせて、家に籠もっておりますことも、例のないことでしたので、立ったままではこれまた、かえって物足りなく存じられましょうと思いまして、日頃ご無沙汰してしまったのです。

 だれにも死はめぐってくるはずですが、しばらくでもあとへ残りました以上は友人の縁故でできますだけのお世話を申し上げたいと思いまして、もう少し早く伺うつもりだったのですが神事などで御所の中の忙しいころに触穢しょくえのはばかりに引きこもらなければならなくなりますのもいかがと遠慮がいたされましたし、またお庭へ立たせていただくような伺い方は私の心も満足できることでないと思いまして、つい日をたたせてしまったのでございます。

286 神事などのしげきころほひ 二月には春日祭、大原野祭、祈年祭などの神事がある。今、三月になった。

287 立ちながらはた 『集成』は「お庭先で失礼いたしますのでは、これまた。「立ちながら」は上にあがらないこと。神事に出仕する身として、その時期に訪問しても、死の穢れに触れるのを避けねばならない、という意」と注す。

 大臣などの心を乱りたまふさま、見聞きはべるにつけても、親子の道の闇をばさるものにて、かかる御仲らひの、深く思ひとどめたまひけむほどを、推し量りきこえさするに、いと尽きせずなむ」

  Otodo nado no kokoro wo midari tamahu sama, mi kiki haberu ni tuke te mo, oyako no miti no yami wo ba saru mono nite, kakaru ohom-nakarahi no, hukaku omohi todome tamahi kem hodo wo, osihakari kikoyesasuru ni, ito tuki se zu nam."

 大臣などが悲嘆に暮れていらっしゃるご様子、見たり聞いたり致すにつけても、親子の恩愛の情は当然のことですが、ご夫婦の仲では、深いご無念がおありだったでしょうことを、推量致しますと、まことにご同情に堪えません」

 大臣などのおなげきの深いのを聞いておりますが、親子の愛情とは別な御夫婦の間でいらっしゃった宮様を、故人があんなに気がかりに考えておりましたことを思いますと、宮様のほうでもお悲しみになっていらっしゃる程度もどれほどのことかと恐察されまして御同情に堪えません」

 とて、しばしばおし拭ひ、鼻うちかみたまふ。あざやかに気高きものから、なつかしうなまめいたり。

  tote, sibasiba osi-nogohi, hana uti-kami tamahu. Azayaka ni kedakaki monokara, natukasiu namamei tari.

 と言って、しばしば涙を拭って、鼻をおかみになる。きわだって気高い一方で、親しみが感じられ優雅な物腰である。

 こう語っているうちにも大将はたびたび流れる涙をふいていた。清明な気高けだかさがあって、しかも美しくえんな姿を大将は持っていた。

第二段 母御息所の嘆き

 御息所も鼻声になりたまひて、

  Miyasumdokoro mo hanagowe ni nari tamahi te,

 御息所も鼻声におなりになって、

 御息所も鼻声になって、

 「あはれなることは、その常なき世のさがにこそは。いみじとても、またたぐひなきことにやはと、年積もりぬる人は、しひて心強うさましはべるを、さらに思し入りたるさまの、いとゆゆしきまで、しばしも立ち後れたまふまじきやうに見えはべれば、すべていと心憂かりける身の、今までながらへはべりて、かくかたがたにはかなき世の末のありさまを見たまへ過ぐすべきにやと、いと静心なくなむ。

  "Ahare naru koto ha, sono tune naki yo no saga ni koso ha. Imizi tote mo, mata taguhi naki koto ni yaha to, tosi tumori nuru hito ha, sihite kokoroduyou samasi haberu wo, sarani obosi iri taru sama no, ito yuyusiki made, sibasi mo tati-okure tamahu maziki yau ni miye habere ba, subete ito kokoroukari keru mi no, ima made nagarahe haberi te, kaku katagata ni hakanaki yo no suwe no arisama wo mi tamahe sugusu beki ni ya to, ito sidukokoro naku nam.

 「死別の悲しみは、この無常の世の習いでございましょう。どんなに悲しいといっても、世間に例のないことではないと、この年寄りは、無理に気強く冷静に致しておりますが、すっかり悲しみに暮れたご様子が、とても不吉なまでに、今にも後を追いなさるように見えますので、すべてまことに辛い身の上であったわたしが、今まで生き永らえまして、このようにそれぞれに無常な世の末の様子を拝見致して行くのかと、まことに落ち着かない気持ちでございます。

 「悲しいのが無常の世の常と存じまして、悲しいことはまだほかにもいろいろあるのを思いまして、私たち年のいった者はしいて気を強く持とうと努めることもいたしますが、宮様はまだお若いのでございますから、悲しみに沈みきっておしまいになりまして、同じ世界へ行っておしまいになるのではないかと危険でなりませんほどのお歎きをしておいでになります。不幸な生まれの私が今まで生きておりまして、大納言をお死なせしたり、宮様を未亡人におさせしたりしていく運命をじっとそばでながめていねばならぬかと苦しゅうございます。

288 あはれなることは 以下「瀬はまじりはべりける」まで、御息所の詞。

289 年積もりぬる人は 自分のことを謙遜していう。

290 さらに思し入りたる 自分以上に。落葉宮をさしていう。

291 すべていと心憂かりける身の 『完訳』は「以下、娘の不幸をもかみしめながら、わが身を回顧。朱雀院の更衣として苦悩が多かったか」と注す。

292 かくかたがたに 『完訳』は「柏木が早世し、宮は気力を失う。自分も朱雀院出家後は孤独な晩年を送る」と注す。

 おのづから近き御仲らひにて、聞き及ばせたまふやうもはべりけむ。初めつ方より、をさをさうけひききこえざりし御ことを、大臣の御心むけも心苦しう、院にもよろしきやうに思し許いたる御けしきなどのはべしかば、さらばみづからの心おきての及ばぬなりけりと、思ひたまへなしてなむ、見たてまつりつるを、かく夢のやうなることを見たまふるに、思ひたまへ合はすれば、みづからの心のほどなむ、同じうは強うもあらがひきこえましを、と思ひはべるに、なほいと悔しう。それは、かやうにしも思ひ寄りはべらざりきかし。

  Onodukara tikaki ohom-nakarahi nite, kiki oyoba se tamahu yau mo haberi kem. Hazime tu kata yori, wosawosa ukehiki kikoye zari si ohom-koto wo, Otodo no mi-kokoromuke mo kokorogurusiu, Win ni mo yorosiki yau ni obosi yurui taru mi-kesiki nado no habe' sika ba, saraba midukara no kokorookite no oyoba nu nari keri to, omohi tamahe nasi te nam, mi tatematuri turu wo, kaku yume no yau naru koto wo mi tamahuru ni, omohi tamahe ahasure ba, midukara no kokoro no hodo nam, onaziu ha tuyou mo aragahi kikoye masi wo, to omohi haberu ni, naho ito kuyasiu. Sore ha, kayau ni simo omohiyori habera zari ki kasi.

 自然と親しいお間柄ゆえで、お聞き及んでいらっしゃるようなこともございましたでしょう。最初のころから、なかなかご承知申し上げなかったご縁組でしたが、大臣のご意向もおいたわしく、院におかれても結構な縁組のようにお考えであった御様子などがございましたので、それではわたしの考えが至らなかったのだと、自ら思い込ませまして、お迎え申し上げたのですが、このように夢のような出来事を目に致しまして、考え会わせてみますと、自分の考えを、同じことなら強く押し通し反対申せばよかったものを、と思いますと、やはりとても残念で。それは、こんなに早くとは思いも寄りませんでした。

 近い御親戚しんせき関係でいらっしゃいますから、もうお聞き及びでもございましょうが、私はこの御結婚談の最初から御賛成は申し上げていなかったのでございますが、大臣が熱心に御運動をなさいましたし、また法皇様もお許しになる様子でございましたから、それではそのほうがよろしいことで、私の考え方は間違っていたのかと考え直しまして、とうとう御結婚をおさせ申したのでございますが、こんな夢のような不幸が起こってくるのでございましたら、もっと自分の信じましたところを強く主張しておれば、宮様をこうした目におあわせせずに済んだはずであると残念でなりません。

293 をさをさうけひききこえざりし御ことを 宮と柏木の縁組をさす。

294 見たてまつりつるを 『集成』は「お世話申し上げたのですが。柏木を夫として迎えた宮をお世話した、の意」と注す。

295 みづからの心のほどなむ 『集成』は「そうした私の存じよりのほどを、どうせなら強く反対して申し上げればよかったのにと思いますと」。『完訳』は「こんなことになるくらいなら、強く反対して、この私の存じよりのほどを申しあげればよかったものをと思いますにつけても」と訳す。

296 あらがひきこえましを 「まし」反実仮想の助動詞。「を」間投助詞、詠嘆の意。

 皇女たちは、おぼろけのことならで、悪しくも善くも、かやうに世づきたまふことは、え心にくからぬことなりと、古めき心には思ひはべしを、いづかたにもよらず、中空に憂き御宿世なりければ、何かは、かかるついでに煙にも紛れたまひなむは、この御身のための人聞きなどは、ことに口惜しかるまじけれど、さりとても、しかすくよかに、え思ひ静むまじう、悲しう見たてまつりはべるに、いとうれしう、浅からぬ御訪らひのたびたびになりはべめるを、有り難うもと聞こえはべるも、さらば、かの御契りありけるにこそはと、思ふやうにしも見えざりし御心ばへなれど、今はとて、これかれにつけおきたまひける御遺言の、あはれなるになむ、憂きにもうれしき瀬はまじりはべりける」

  Miko-tati ha, oboroke no koto nara de, asiku mo yoku mo, kayau ni yoduki tamahu koto ha, e kokoronikukara nu koto nari to, hurumeki gokoro ni ha omohi habe' si wo, idukata ni mo yora zu, nakazora ni uki ohom-sukuse nari kere ba, nanikaha, kakaru tuide ni keburi ni mo magire tamahi na m ha, kono ohom-mi no tame no hitogiki nado ha, kotoni kutiwosikaru mazikere do, saritote mo, sika sukuyoka ni, e omohi sidumu maziu, kanasiu mi tatematuri haberu ni, ito uresiu, asakara nu ohom-toburahi no tabitabi ni nari habe' meru wo, arigatau mo to kikoye haberu mo, saraba, kano ohom-tigiri ari keru ni koso ha to, omohu yau ni simo miye zari si mi-kokorobahe nare do, imaha tote, korekare ni tuke oki tamahi keru ohom-yuigon no, ahare naru ni nam, uki ni mo uresiki se ha maziri haberi keru."

 内親王たちは、並大抵のことでは、よかれあしかれ、このように結婚なさることは、感心しないことだと、老人の考えでは思っていましたが、結婚するしないにかかわらず、中途半端な中空にさまよった辛い運命のお方であったので、いっそのこと、このような時にでも後をお慕い申したところで、このお方にとって外聞などは、特に気にしないでよろしいでしょうが、そうかといっても、そのようにあっさりとも、諦め切れず、悲しく拝し上げておりますが、まことに嬉しいことに、懇ろなお見舞いを重ね重ね頂戴しましたようで、有り難いこととお礼申し上げますが、それでは、あのお方とのお約束があったゆえと、願っていたようには見えなかったお気持ちでしたが、今はの際に、誰彼にお頼みなさったご遺言が、身にしみまして、辛い中にも嬉しいことはあるものでございました」

私は初めから宮様がたはよくよくの御因縁のあることでなければ結婚などはあそばしてはならないものである、神聖なものとしてお置き申し上げたいと昔風な心に願っていたのでございますから、こんなどちらつかずの御不幸なお身の上におなりあそばした以上は、いっそ悲しみでおくなりになるのもよろしかろう、不幸な宮様としてお残りになるよりはなどとも思いますが、さてそうもあきらめきれるものではございませんから、やはり悲しんでばかりおりましたうちにも、御親切な御慰問のお手紙を始終おいただきになるようでございますから、ありがたいことと存じておりまして、こうしていただけるのも故人が特に宮様のことでお頼みされたことがあったのかと、必ずしも御愛情の見える御良人ごりょうじんではなかったのですが、最後にどなたへも宮様についての遺言をなさいましたことで、悲しみにもまた慰めというもののあるのを発見いたしたのでございます」

297 え心にくからぬこと 定家筆本と明融臨模本は「え心にくからぬこと」とある。大島本は「心にくからぬこと」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本(定家本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「心にくからぬこと」と「え」を削除する。

298 御訪らひのたびたびになりはべめるを 『集成』は「自身の訪問ははじめてだが、今まで何度も弔問の使者がさし向けられていた趣」と注す。

299 御心ばへ 柏木の気持をさす。

300 憂きにもうれしき瀬は 明融臨模本、朱合点、付箋「うれしきもうきも心はひとつにて別ぬものは泪なりけり」(後撰集雑二、一一八九、読人しらず)。大島本、朱合点、行間書入「うれしきもうきも心は一にてわすれぬ物は涙なりけり」とある。古注では、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。

 とて、いといたう泣いたまふけはひなり。

  tote, ito itau nai tamahu kehahi nari.

 と言って、とてもひどくお泣きになる様子である。

 と言って、御息所みやすどころはひどく泣き入る様子であった。

第三段 夕霧、御息所と和歌を詠み交わす

 大将も、とみにえためらひたまはず。

  Daisyau mo, tomi ni e tamerahi tamaha zu.

 大将も、すぐには涙をお止めになれない。

 大将もそぞろに誘われて泣いた。

 「あやしう、いとこよなくおよすけたまへりし人の、かかるべうてや、この二、三年のこなたなむ、いたうしめりて、もの心細げに見えたまひしかば、あまり世のことわりを思ひ知り、もの深うなりぬる人の、澄み過ぎて、かかる例、心うつくしからず、かへりては、あざやかなる方のおぼえ薄らぐものなりとなむ、常にはかばかしからぬ心に諌めきこえしかば、心浅しと思ひたまへりし。よろづよりも、人にまさりて、げに、かの思し嘆くらむ御心の内の、かたじけなけれど、いと心苦しうもはべるかな」

  "Ayasiu, ito koyonaku oyosuke tamahe ri si hito no, kakaru beu te ya, kono ni, sam-nen no konata nam, itau simeri te, mono-kokorobosoge ni miye tamahi sika ba, amari yo no kotowari wo omohi siri, monohukau nari nuru hito no, sumi sugi te, kakaru tamesi, kokoro utukusikara zu, kaherite ha, azayaka naru kata no oboye usuragu mono nari to nam, tuneni hakabakasikara nu kokoro ni isame kikoye sika ba, kokoroasasi to omohi tamahe ri si. Yorodu yori mo, hito ni masari te, geni, kano obosi nageku ram mi-kokoro no uti no, katazikenakere do, ito kokorogurusiu mo haberu kana!"

 「どうしたわけか、実に申し分なく老成していらっしゃった方が、このようになる運命だったからでしょうか、ここ二、三年の間、ひどく沈み込んで、どことなく心細げにお見えになったので、あまりに世の無常を知り、考え深くなった人が、悟りすまし過ぎて、このような例で、心が素直でなくなり、かえって逆に、てきぱきしたところがないように人に思われるものだと、いつも至らない自分ながらお諌め申していたので、思慮が浅いとお思いのようでした。何事にもまして、人に優れて、おっしゃる通り、宮のお悲しみのご心中、恐れ多いことですが、まことにおいたわしゅうございます」

 「昔は不思議な冷静な人でしたが、短命で亡くなるせいか、この二、三年は非常にめいって見える時が多くて、心細いふうを見せられましたから、あまりに人生を考えた末に悟ってしまった清澄な心境というものかもしれぬが、それでは今までに持っていたすぐれたよさが消えてしまうことにならないかとも不安に思われると、小賢しく私が時々忠告らしいことをしますと、あの人は私をあわれむような表情で見ていました。何よりも宮様のお悲しみになっていらっしゃいます御様子を伺いまして、もったいないことですが、おいたわしく存じ上げます」

301 あやしういとこよなく 以下「心苦しうもはべるかな」まで、夕霧の詞。

302 およすけたまへりし人 柏木をさす。

303 澄み過ぎて 明融臨模本、付箋「とにかくに物は思はすひたゝくみうつすみなはのたゝ一筋に」(拾遺集恋五、九六〇、人麿)。大島本、朱合点、行間書入「とにかくに物はおもはすひたゝくみうつすみなはのたゝ一すちに」とある。古注では、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。

304 あざやかなる方のおぼえ薄らぐものなりとなむ 『集成』は「はきはきしたところがないように人に思われるようになるものだと」。『完訳』は「その人らしいと噂される面が」「かえってその人らしさが見えなくなってしまうものだと」と注す。

305 心浅しと思ひたまへりし 主語は柏木。柏木は夕霧を。

306 かの思し嘆くらむ御心の内の 落葉宮の心をさす。

 など、なつかしうこまやかに聞こえたまひて、ややほど経てぞ出でたまふ。

  nado, natukasiu komayaka ni kikoye tamahi te, yaya hodo he te zo ide tamahu.

 などと、優しく情愛こまやかに申し上げなさって、やや長居してお帰りになる。

 などとなつかしいふうに話して、しばらくして大将は去って行こうとした。

 かの君は、五、六年のほどのこのかみなりしかど、なほ、いと若やかに、なまめき、あいだれてものしたまひし。これは、いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる。若き人びとは、もの悲しさもすこし紛れて見出だしたてまつる。

  Kano-Kimi ha, go, roku-nen no hodo no konokami nari sika do, naho, ito wakayaka ni, namameki, aidare te monosi tamahi si. Kore ha, ito sukuyoka ni omoomosiku, wowosiki kehahi si te, kaho nomi zo ito wakau kiyora naru koto, hito ni sugure tamahe ru. Wakaki hitobito ha, mono-ganasisa mo sukosi magire te miidasi tatematuru.

 あの方は、五、六歳くらい年上であったが、それでも、とても若々しく、優雅で、人なつっこいところがおありであった。この方は、実にきまじめで重々しく、男性的な感じがして、お顔だけがとても若々しく美しいことは、誰にも勝っていらっしゃった。若い女房たちは、もの悲しい気持ちも少し紛れてお見送り申し上げる。

 衛門督えもんのかみはこの人より五つ六つの年長であったが、彼はきわめて若々しく見えて、女性的な柔らかさの見える人であったが、これは重々しく端正で、しかも顔だけはあくまでも美しいのを、若女房などは悲しさも少し紛れたように興奮して、帰って行こうとする大将の姿にながめ入った。

307 かの君は五六年のほどのこのかみなりしかど 柏木は夕霧よりも五、六歳年長であった意。夕霧、二十七歳。柏木、三十二、三歳。

308 これはいとすくよかに 夕霧をさす。『集成』は「きりりとして」。『完訳』は「じつにきまじめで」と訳す。

 御前近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」と、うちおぼゆるも、いまいましき筋なりければ、

  Omahe tikaki sakura no ito omosiroki wo, "Kotosi bakari ha" to, uti-oboyuru mo, imaimasiki sudi nari kere ba,

 御前に近い桜がたいそう美しく咲いているのを、「今年ばかりは」と、ふと思われるのも、縁起でもないことなので、

 前の庭の桜の美しいのをながめて、「深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と口へ出てくる大将であったが、尼姿を言うようなことはここで言うべきでないと遠慮がされて、

309 今年ばかりは 明融臨模本、朱合点、付箋「深草の野への桜し心あらはことしはかりは墨染にさけ」(古今集哀傷、八三二、上野岑雄)。大島本、朱合点、行間書入「古今深草野ゝへの」。中山家本、朱合点。古注では、『源氏釈』(吉川家本勘物)が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。

 「あひ見むことは」

  "Ahi mi m koto ha"

 「再びお目にかかれるのは」

 「春ごとに花の盛りはありなめどひ見んことは命なりける」

310 あひ見むことは 夕霧の詞。口ずさみ。尊経閣文庫本、付箋「春ことに花のさかりはありなめとあひみん事は命なりけり」(古今集春下、九七、読人しらず)。明融臨模本、朱合点、付箋「春毎に花のさかりはありなめとあひ見むことはいのちなりけり」。大島本、朱合点、行間書入「古今春ことに花のさかりは」。中山家本、朱合点、奥入に同歌を指摘。古注では『源氏釈』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。

 と口ずさびて、

  to kutizusabi te,

 と口ずさみなさって、

 と歌って、

 「時しあれば変はらぬ色に匂ひけり
  片枝枯れにし宿の桜も」

    "Toki si are ba kahara nu iro ni nihohi keri
    Katae kare ni si yado no sakura mo

 「季節が廻って来たので変わらない色に咲きました
  片方の枝は枯れてしまったこの桜の木にも」

  時しあれば変はらぬ色ににほひけり
  片枝かたえ折れたる宿の桜も

311 時しあれば変はらぬ色に匂ひけり--片枝枯れにし宿の桜も 夕霧の贈歌。

 わざとならず誦じなして立ちたまふに、いととう、

  Wazato nara zu zuzi nasi te tati tamahu ni, ito tou,

 さりげないふうに口ずさんでお立ちになると、とても素早く、

 と自然なふうに口ずさんで、花の下に立ちどまっていると、御息所はすぐに、

 「この春は柳の芽にぞ玉はぬく
  咲き散る花の行方知らねば」

    "Kono haru ha yanagi no me ni zo tama ha nuku
    saki tiru hana no yukuhe sira ne ba

 「今年の春は柳の芽に露の玉が貫いているように泣いております
  咲いて散る桜の花の行く方も知りませんので」

  この春は柳の芽にぞ玉は
  咲き散る花の行くへ知らねば

312 この春は柳の芽にぞ玉はぬく--咲き散る花の行方知らねば 御息所の返歌。贈歌の「時」「桜」を「春」「柳」と趣向を変えて返す。「芽」に「目」を響かす。尊経閣文庫本、付箋「よりあはせてなくなるこゑをいとにしてわかなみたをはたまにぬかなむ」(伊勢集)。明融臨模本、付箋「あさみとり糸よりかけてー/よりあはせてなくなる聲をいとにしてわか涙をは玉にぬかなん」。古注では『源氏釈』が指摘。

 と聞こえたまふ。いと深きよしにはあらねど、今めかしう、かどありとは言はれたまひし更衣なりけり。「げに、めやすきほどの用意なめり」と見たまふ。

  to kikoye tamahu. Ito hukaki yosi ni ha ara ne do, imamekasiu, kado ari to ha iha re tamahi si Kaui nari keri. "Geni, meyasuki hodo no youi na' meri" to mi tamahu.

 と申し上げなさる。格別深い情趣があるわけではないが、当世風で、才能があると言われていらした更衣だったのである。「なるほど、無難なお心づかいのようだ」と御覧になる。

 という返しを書いてきた。高い才識の見えるほどの人ではないが、前には才女と言われた更衣こういであったのを思って、評判どおりに気のきいた人であると大将は思った。

313 いと深きよしにはあらねど 『完訳』は「即座に返歌しえた嗜みを評す」と注す。

314 げにめやすきほどの用意なめり 夕霧の一条御息所の返歌に対する感想。

第四段 夕霧、太政大臣邸を訪問

 致仕の大殿に、やがて参りたまへれば、君たちあまたものしたまひけり。

   Tizi-no-Ohotono ni, yagate mawiri tamahe re ba, Kimi-tati amata monosi tamahi keri.

 致仕の大殿に、そのまま参上なさったところ、弟君たちが大勢いらっしゃっていた。

 大将はそれから太政大臣家を訪問したが、子息たちの幾人かが出て、

 「こなたに入らせたまへ」

  "Konata ni ira se tamahe."

 「こちらにお入りあそばせ」

 こちらへと案内をしたので、

315 こなたに入らせたまへ 「君たち」(柏木の弟たち)の詞。

 とあれば、大臣の御出居の方に入りたまへり。ためらひて対面したまへり。古りがたうきよげなる御容貌、いたう痩せ衰へて、御髭などもとりつくろひたまはねば、しげりて、親の孝よりも、けにやつれたまへり。見たてまつりたまふより、いと忍びがたければ、「あまりにをさまらず乱れ落つる涙こそ、はしたなけれ」と思へば、せめてぞもて隠したまふ。

  to are ba, Otodo no ohom-idewi no kata ni iri tamahe ri. Tamerahi te taimen si tamahe ri. Huri gatau kiyoge naru ohom-katati, itau yase otorohe te, ohom-hige nado mo tori-tukurohi tamaha ne ba, sigeri te, oya no keu yori mo, keni yature tamahe ri. Mi tatematuri tamahu yori, ito sinobi gatakere ba, "Amari ni wosamara zu midare oturu namida koso, hasitanakere." to omohe ba, semete zo mote-kakusi tamahu.

 と言うので、大臣の御客間の方にお入りになった。悲しみを抑えてご対面なさった。いつまでも若く美しいご容貌、ひどく痩せ衰えて、お髭などもお手入れなさらないので、いっぱい生えて、親の喪に服するよりも憔悴していらっしゃった。お会いなさるや、とても堪え切れないので、「あまりだらしなくこぼす涙は体裁が悪い」と思うので、無理にお隠しになる。

 大臣の離れ座敷のほうへ行っては無遠慮でないかと躊躇ちゅうちょをしながらはいって行ってしゅうとに逢った。いつまでも端麗な大臣の顔も非常にせ細ってしまって、ひげなどもらせないで伸びて、親を失った時に比べて子を死なせたあとの大臣は衰え方がひどいと世間で言われるとおりに見えた。顔を見た瞬間から悲しくなって流れ出した涙がいつまでも続いて流れてくるのを恥ずかしく思って大将は押し隠しながら、

316 大臣の御出居の方 『集成』は「主人の、来客との対面所のような所。廂の間である」。『完訳』は「寝殿の表座敷のほうに」と注す。

317 ためらひて対面したまへり 『集成』は「かたちを改めて。悲嘆にくれていた涙を収めて、の意」。『完訳』は「大臣は悲しいお気持を静めて大将とご対面になった」と訳す。

318 親の孝よりも、 けにやつれたまへり 子が親の喪に服する以上のお悲しみようである、の意。
【けにやつれたまへり】-明融臨模本、付箋「孝経/哭弗依礼亡容」とある。

319 見たてまつりたまふより 主語は夕霧。夕霧が致仕太政大臣を。

320 あまりにをさまらず 以下「はしたなけれ」まで、夕霧の心中。

 大臣も、「取り分きて御仲よくものしたまひしを」と見たまふに、ただ降りに降り落ちて、えとどめたまはず、尽きせぬ御事どもを聞こえ交はしたまふ。

  Otodo mo, "Toriwaki te ohom-naka yoku monosi tamahi si wo." to mi tamahu ni, tada huri ni huri oti te, e todome tamaha zu, tuki se nu ohom-koto-domo wo kikoye kahasi tamahu.

 大臣も、「特別仲好くいらしたのに」とお思いになると、ただ涙がこぼれこぼれて、お止めになることができず、語り尽きせぬ悲しみを互いにお話しなさる。

 

321 取り分きて御仲よくものしたまひしを 定家筆本と明融臨模本は「とりわきて」とある。大島本は「とりわき」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本定家筆本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「とりわき」と「て」を削除する。大臣の心中。夕霧と柏木の仲を思う。

 一条の宮に参でたりつるありさまなど聞こえたまふ。いとどしう、春雨かと見ゆるまで、軒の雫に異ならず、濡らし添へたまふ。畳紙に、かの「柳の芽にぞ」とありつるを、書いたまへるをたてまつりたまへば、「目も見えずや」と、おし絞りつつ見たまふ。

  Itideu-no-Miya ni ma'de tari turu arisama nado kikoye tamahu. Itodosiu, harusame ka to miyuru made, noki no siduku ni kotonara zu, nurasi sohe tamahu. Tatamgami ni, kano "Yanagi no me ni zo" to ari turu wo, kai tamahe ru wo tatematuri tamahe ba, "Me mo miye zu ya" to, osi-sibori tutu mi tamahu.

 一条宮邸に参上した様子などを申し上げなさる。ますます、春雨かと思われるまで、軒の雫と違わないほど、いっそう涙をお流しになる。畳紙に、あの「柳の芽に」とあったのを、お書き留めになっていたのを差し上げなさると、「目も見えませんよ」と、涙を絞りながら御覧になる。

 一条の宮をおたずねして来た話などをした。初めからしめっぽいふうであった大臣はさらに多くの涙を見せて、故人の話を婿とし合った。懐紙ふところがみへ一条の御息所が書いて渡した歌を大将が見せようとすると、「目もよく見えないが」と涙の目をしばたたきながらそれを読もうとした。

322 春雨かと見ゆるまで軒の雫に 『集成』は「「春雨」「軒の雫」は歌語」。『完訳』は「「ただ降りに降り落ちて」とある縁で、涙を季節の雨と見立てた」と注す。

323 畳紙に 夕霧は御息所の返歌を自分の畳紙に書付けておいた。

324 柳の芽にぞ 御息所の返歌の第二句の文句。

325 目も見えずや 大臣の詞。終助詞「や」詠嘆。

 うちひそみつつぞ見たまふ御さま、例は心強うあざやかに、誇りかなる御けしき名残なく、人悪ろし。さるは、異なることなかめれど、この「玉はぬく」とある節の、げにと思さるるに、心乱れて、久しうえためらひたまはず。

  Uti-hisomi tutu zo mi tamahu ohom-sama, rei ha kokoroduyou azayaka ni, hokorika naru mi-kesiki nagori naku, hitowarosi. Saruha, koto naru koto naka' mere do, kono "Tama ha nuku" to aru husi no, geni to obosa ruru ni, kokoro midare te, hisasiu e tamerahi tamaha zu.

 泣き顔をして御覧になるご様子、いつもは気丈できっぱりして、自信たっぷりのご様子もすっかり消えて、体裁が悪い。実のところ、特別良い歌ではないようだが、この「玉が貫く」とあるところが、なるほどと思わずにはいらっしゃれないので、心が乱れて、暫くの間、涙を堪えることができない。

 見栄みえも思わず目のためにしかめている顔は、平生の誇りに輝いた時の面影を失って見苦しかった。歌は平凡なものであったが、「玉はく」ということばは大臣自身にも痛切に感じていることであったから、相あわれむ涙が流れ出るふうで、すぐにまた言うのであった。

326 玉はぬく 御息所の返歌の第三句の文句。

 「君の御母君の隠れたまへりし秋なむ、世に悲しきことの際にはおぼえはべりしを、女は限りありて、見る人少なう、とあることもかかることもあらはならねば、悲しびも隠ろへてなむありける。

  "Kimi no ohom-Hahagimi no kakure tamahe ri si aki nam, yo ni kanasiki koto no kiha ni ha oboye haberi si wo, womna ha kagiri ari te, miru hito sukunau, to aru koto mo kakaru koto mo ara ha nara ne ba, kanasibi mo kakurohe te nam ari keru.

 「あなたの母上がお亡くなりになった秋は、本当に悲しみの極みに思われましたが、女性というものはきまりがって、知る人も少なく、あれこれと目立つこともないので、悲しみも表立つことはないのであった。

 「あなたのお母さんがくなられた時に、私はこれほど悲しいことはないと思ったが、女の人は世間と交渉を持つことが少ないために、不意にいろんな言葉が自分の痛い傷にさわるというようなこともなくて、今度のような苦しみをそのあとで感じることはなかったものです。

327 君の御母君の 以下「思ひさますべからむ」まで、大臣の詞。夕霧の母葵の上の死去の際を回想。

 はかばかしからねど、朝廷も捨てたまはず、やうやう人となり、官位につけて、あひ頼む人びと、おのづから次々に多うなりなどして、おどろき口惜しがるも、類に触れてあるべし。

  Hakabakasikara ne do, Ohoyake mo sute tamaha zu, yauyau hito to nari, tukasa kurawi ni tuke te, ahi tanomu hitobito, onodukara tugitugini ohou nari nado si te, odoroki kutiwosigaru mo, rui ni hure te aru besi.

 ふつつかな者でしたが、帝もお見捨てにならず、だんだんと一人前になって、官位も昇るにつれて、頼りとする人々が、自然と次々に多くなってきたりして、驚いたり残念に思う者も、いろいろな関係でいることでしょう。

 賢くもありませんでしたが、朝廷の御恩を受けて地位を得てゆくにしたがって彼の庇護を受けようとするものが次第に多くなっていたのですから、彼の死に失望をした者もずいぶんあるでしょう。

328 はかばかしからねど 話題転じて、柏木についていう。

329 あひ頼む人びと 『完訳』は「追従する者の多いのは、柏木が権勢家の道を歩んでいた証拠」と注す。

 かう深き思ひは、その大方の世のおぼえも、官位も思ほえず。ただことなることなかりしみづからのありさまのみこそ、堪へがたく恋しかりけれ。何ばかりのことにてか、思ひさますべからむ」

  Kau hukaki omohi ha, sono ohokata no yo no oboye mo, tukasa kurawi mo omohoye zu. Tada koto naru koto nakari si midukara no arisama nomi koso, tahe gataku kohisikari kere. Nani bakari no koto nite ka, omohi samasu bekara m."

 このように深い嘆きは、その世間一般の評判も、官位のことは考えていません。ただ格別人と変わったところもなかった本人の有様だけが、堪え難く恋しいのです。いったいどのようにして、この悲しみが忘れられるのでしょう」

 しかし親である私は、そんなふうに勢力を得ていたのに惜しいとか、官位がどうなっていたかというようなことではなくて、平凡な息子むすこである裸の彼が堪えがたく恋しいのです。どんなことが私のこの悲しみを慰めるようになるのでしょう。それはありうることとは思われません」

330 みづからのありさま 柏木の身の上をいう。

331 何ばかりのことにてか 定家筆本と明融臨模本、大島本は「ことにてか」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『完本』は諸本に従って「ことにてかは」と「は」を補訂する。

 と、空を仰ぎて眺めたまふ。

  to, sora wo ahugi te nagame tamahu.

 と言って、空を仰いで物思いに耽っていらっしゃる。

 大臣は空間に向いて歎息たんそくをした。

 夕暮の雲のけしき、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもをも、今日ぞ目とどめたまふ。この御畳紙に、

  Yuhugure no kumo no kesiki, nibiiro ni kasumi te, hana no tiri taru kozuwe-domo wo mo, kehu zo me todome tamahu. Kono ohom-tatamgami ni,

 夕暮の雲の様子、鈍色に霞んで、花の散った梢々を、今日初めて目をお止めになる。さきほどの御畳紙に、

 夕方の雲がにび色にかすんで、桜の散ったあとのこずえにもこの時はじめて大臣は気づいたくらいである。御息所の歌の紙へ、

332 夕暮の雲のけしき 明融臨模本、朱合点、付箋「夕暮の雲の気色を見るからになかめしとそおもふ心こそつけ/大空は恋しき人のかたみかは物おもふことに詠らるらん」(新古今集雑下、一八〇六、和泉式部と古今集恋四、七四三、酒井人真)。大島本、朱合点、行間書入「夕暮の雲の気しきをみるからになかめしとそおもふ心こそつけ」。古注では、新古今集歌は、『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。古今集歌は旧注の『休聞抄』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。

333 この御畳紙 夕霧が差し上げた御息所の和歌を書いてある懐紙。

 「木の下の雫に濡れてさかさまに
  霞の衣着たる春かな」

    "Ko no sita no siduku ni nure te sakasama ni
    kasumi no koromo ki taru haru kana

 「木の下の雫に濡れて逆様に
  親が子の喪に服している春です」

  このもとの雪にれつつさかしまに
  かすみの衣着たる春かな

334 木の下の雫に濡れてさかさまに--霞の衣着たる春かな 大臣の歌。親が子の喪に服すことを「さかさまに」と言った。「霞の衣」は喪服を喩える。「木の下の雫」は亡き子を偲ぶ涙の意をこめる。

 大将の君、

  Daisyau-no-Kimi,

 大将の君、

 と書いた。大将も、

 「亡き人も思はざりけむうち捨てて
  夕べの霞君着たれとは」

    "Naki hito mo omoha zari kem uti-sute te
    yuhube no kasumi Kimi ki tare to ha

 「亡くなった人も思わなかったことでしょう
  親に先立って父君に喪服を着て戴こうとは」

  き人も思はざりけん打ち捨てて
  夕べの霞君着たれとは

335 亡き人も思はざりけむうち捨てて--夕べの霞君着たれとは 夕霧の唱和歌。「亡き人」は柏木、「君」は父の大臣をさす。「着る」はそのまま用いるが、「霞の衣」を「夕の霞」と趣向を変える。

 弁の君、

  Ben-no-Kimi,

 弁の君、

 と書く。左大弁も、

 「恨めしや霞の衣誰れ着よと
  春よりさきに花の散りけむ」

    "Uramesi ya kasumi no koromo tare ki yo to
    haru yori saki ni hana no tiri kem

 「恨めしいことよ、墨染の衣を誰が着ようと思って
  春より先に花は散ってしまったのでしょう」

  恨めしや霞の衣たれ着よと
  春よりさきに花の散りけん

336 恨めしや霞の衣誰れ着よと--春よりさきに花の散りけむ 柏木の弟の弁の君の唱和歌。大臣の「霞の衣」「着る」「春」をそのまま用いるが、夕霧の「君」は「誰」と趣向を変える。「花」に柏木を喩える。

 御わざなど、世の常ならず、いかめしうなむありける。大将殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことに、誦経なども、あはれに深き心ばへを加へたまふ。

  Ohom-waza nado, yo no tune nara zu, ikamesiu nam ari keru. Daisyau-dono no Kitanokata wo ba saru mono nite, Tono ha kokoro koto ni, zukyau nado mo, ahare ni hukaki kokorobahe wo kuhahe tamahu.

 ご法要などは、世間並でなく、立派に催されたのであった。大将殿の北の方はもちろんのこと、殿は特別に、誦経なども手厚くご趣向をお加えなさる。

 と書いた。大納言の法事は非常に盛んなものであった。左大将夫人が兄のためにささげ物をしたのはいうまでもないが、大将自身も真心のこもったささげ物をしたし、誦経ずきょうの寄付などにも並み並みならぬ友情を示した。

337 大将殿の北の方 雲居雁をさす。

第五段 四月、夕霧の一条宮邸を訪問

 かの一条の宮にも、常に訪らひきこえたまふ。卯月ばかりの卯の花は、そこはかとなう心地よげに、一つ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづのことにつけて静かに心細う、暮らしかねたまふに、例の渡りたまへり。

  Kano Itideu-no-Miya ni mo, tuneni toburahi kikoye tamahu. Uduki bakari no unohana ha, sokohakatonau kokoti yoge ni, hitotuiro naru yomo no kozuwe mo wokasiu miye wataru wo, mono omohu yado ha, yorodu no koto ni tuke te siduka ni kokorobosou, kurasi kane tamahu ni, rei no watari tamahe ri.

 あの一条宮邸にも、常にお見舞い申し上げなさる。四月ごろの卯の花は、どこそことなく心地よく、一面新緑に覆われた四方の木々の梢が美しく見わたされるが、物思いに沈んでいる家は、何につけてもひっそりと心細く、暮らしかねていらっしゃるところに、いつものように、お越しになった。

 左大将は一条の宮へ始終見舞いを言い送っていた。四月の初夏の空はどことなくさわやかで、あらゆる木立ちが一色の緑をつくっているのも、寂しい家ではすべて心細いことに見られて、宮の御母子おんぼしが悲しい退屈を覚えておいでになるころにまた左大将が来訪した。

338 常に訪らひきこえたまふ 主語は夕霧。

339 卯月ばかりの卯の花は 定家筆本と明融臨模本、大島本は「う月はかりのうのはなは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「四月ばかりの空は」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。

340 一つ色なる 大島本、合点、行間書入「みとりなる一色とそ春はみし」。「緑なるひとつ草とぞ春は見し秋は色々の花にぞありける」(古今集秋上、二四五、読人しらず)。古注では『河海抄』が指摘する。現行の注釈書では指摘しない。『完訳』は「一面新緑に彩られる。以下、その初夏の明るさが、悲傷のうちに荒廃した邸内を照らし出す趣」と注す。

341 もの思ふ宿は 大島本、朱合点、行間書入「古今 鳴わたるかりの涙や」と指摘。「鳴きわたる雁の涙や落ちつらむもの思ふ宿の萩の上の露」(古今集秋上、二二一、読人しらず)。古注では『異本紫明抄』が指摘する。

 庭もやうやう青み出づる若草見えわたり、ここかしこの砂子薄きものの隠れの方に、蓬も所得顔なり。前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、一村薄も頼もしげに広ごりて、虫の音添へむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。

  Niha mo yauyau awomi iduru wakakusa miye watari, kokokasiko no sunago usuki mono no kakure no kata ni, yomogi mo tokoroegaho nari. Sensai ni kokoro ire te tukurohi tamahi si mo, kokoro ni makase te sigeriahi, hitomura-susuki mo tanomosige ni hirogori te, musi no ne sohe m aki omohiyara ruru yori, ito mono ahare ni tuyukeku te, wakeiri tamahu.

 庭もだんだんと青い芽を出した若草が一面に見えて、あちらこちらの白砂の薄くなった物蔭の所に、雑草がわが物顔に茂っている。前栽を熱心に手入れなさっていたのも、かって放題に茂りあって、一むらの薄も思う存分に延び広がって、虫の音が加わる秋が想像されると、もうとても悲しく涙ぐまれて、草を分けてお入りになる。

 植え込みの草などもすでに青く伸びて、敷き砂の間々には強いよもぎが広がりかえっていた。林泉に対する趣味を大納言は持っていて、美しくさせていたものであるが、そうした植え込みの灌木かんぼく類や花草の類もがさつに枝を伸ばすばかりになって、一むらすすきはそのかげに鳴く秋の虫のが今から想像されるほどはびこって見えるのも、大将の目には物哀れでしめっぽい気分がまず味わわれた。

342 一村薄も 明融臨模本、朱合点、付箋「夕暮の一村薄露ちりて虫のねそはぬ秋かせそ吹□□僧正」。大島本、朱合点、行間書入「古今 君かうへし一むらすゝき虫の音の」と指摘。「君が植ゑし一むら薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」(古今集哀傷、八五三、御春有輔)。古注では『異本紫明抄』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。

343 思ひやらるるより 「るる」自発の助動詞。格助詞「より」起点を表す。『集成』は「思いやられるともう」。『完訳』は「さぞかしと思いやらずにはいられないので」と訳す。

 伊予簾かけ渡して、鈍色の几帳の衣更へしたる透影、涼しげに見えて、よき童女の、こまやかに鈍ばめる汗衫のつま、頭つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし。

  Iyosu kake watasi te, nibiiro no kityau no koromogahe si taru sukikage, suzusige ni miye te, yoki waraha no, komayaka ni nibame ru kazami no tuma, kasiratuki nado hono-miye taru, wokasikere do, naho me odoroka ruru iro nari kasi.

 伊予簾を一面に掛けて、鈍色の几帳を衣更えした透き影が、涼しそうに見えて、けっこうな童女の、濃い鈍色の汗衫の端、頭の恰好などがちらっと見えているのも、趣があるが、やはりはっとさせられる色である。

 喪の家として御簾みすに代えて伊予簾いよすが掛け渡され夏のに代えられたのもにび色の几帳きちょうがそれに透いて見えるのが目には涼しかった。姿のよいきれいな童女などの濃い鈍色の汗袗かざみの端とか、後ろ向きの頭とかが少しずつ見えるのは感じよく思われたが、何にもせよ鈍色というものは人をはっとさせる色であると思われた。

344 鈍色の几帳の衣更へしたる透影涼しげに見えて 『集成』は「ここは几帳の帷を夏向きにしたのが、伊予簾の隙から見える趣」と注す。

 今日は簀子にゐたまへば、茵さし出でたり。「いと軽らかなる御座なり」とて、例の、御息所おどろかしきこゆれど、このごろ、悩ましとて寄り臥したまへり。とかく聞こえ紛らはすほど、御前の木立ども、思ふことなげなるけしきを見たまふも、いとものあはれなり。

  Kehu ha sunoko ni wi tamahe ba, sitone sasi-ide tari. "Ito karuraka naru omasi nari." tote, rei no, Miyasudokoro odorokasi kikoyure do, konogoro, nayamasi tote yori husi tamahe ri. Tokaku kikoye magirahasu hodo, omahe no kodati-domo, omohu koto nage naru kesiki wo mi tamahu mo, ito mono-ahare nari.

 今日は簀子にお座りになったので、褥をさし出した。「まことに軽々しいお座席です」と言って、いつものように、御息所に応対をお促し申し上げるが、最近、気分が悪いといって物に寄り臥していらっしゃった。あれこれと座をお取り持ちする間、御前の木立が、何の悩みもなさそうに茂っている様子を御覧になるにつけても、とてもしみじみとした思いがする。

 今日は宮のお座敷の縁側にすわろうとしたので敷き物が内から出された。例の話し相手をする御息所みやすどころに出てくれと女房たちは勧めているのであったが、このころは身体からだが悪くて今日も寝ていた。御息所の出て来るまで、何かと女房が挨拶あいさつをしている時に、人間の思いとは関係のないふうに快く青々とした庭の木立ちに大将はながめ入っていたが、気持ちは悲しかった。

345 いと軽らかなる御座なり 女房の詞。

346 思ふことなげなるけしきを 擬人法。木立が何の悩みもなさそうに生い茂る風情を夕霧がご覧になるにつけても、の意。

 柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して、枝さし交はしたるを、

  Kasihagi to kahede to no, mono yori keni wakayaka naru iro si te, eda sasi-kahasi taru wo,

 柏木と楓とが、他の木々よりも一段と若々しい色をして、枝をさし交わしているのを、

 かしわの木とかえでが若々しい色をして枝を差しかわして立っているのを指さして、大将は女房に、

 「いかなる契りにか、末逢へる頼もしさよ」

  "Ikanaru tigiri ni ka, suwe ahe ru tanomosisa yo!"

 「どのような前世の縁でか、枝先が繋がっている頼もしさだ」

 「どんな因縁のある木どうしでしょう。枝が交じり合って信頼をしきっているようなのがいい」

347 いかなる契りにか末逢へる頼もしさよ 夕霧の詞。独言。連理の枝を見ての感想。

 などのたまひて、忍びやかにさし寄りて、

  nado notamahi te, sinobiyaka ni sasi-yori te,

 などとおっしゃって、目立たないように近寄って、

 などと言い、さらにみすのほうへ寄って、

348 さし寄りて 御簾の際に近づいて、の意。

 「ことならば馴らしの枝にならさなむ
  葉守の神の許しありきと

    "Koto nara ba narasi no eda ni narasa nam
    Hamori-no-Kami no yurusi ari ki to

 「同じことならばこの連理の枝のように親しくして下さい
  葉守の神の亡き方のお許があったのですからと

  「ことならばならしの枝にならさなん
  葉守はもりの神の許しありきと

349 ことならば馴らしの枝にならさなむ--葉守の神の許しありきと 明融臨模本、付箋「柏木に葉守の神のましけるをしらてそおりしたゝりなさるな/大和ニ枇杷殿<左大臣仲平>よりとしこか家に柏木のありけるを折におこせたりけるを/我やとはいつならしてかならのはのならしかほには折にをこする」。大島本、行間書入「我やとをいつかは君かならの葉のならしかほにもおりにおこするとしこ返事/かしは木に葉もりの神のましけるをしらてそおりしたゝりなさるな左大臣仲平」と指摘。「我が宿をいつならしてか楢の葉をならし顔には折りておこする」(後撰集雑二、一一八三、俊子)「楢の葉の葉守の神のましけるを知らで折りしたたりなさるな」(後撰集雑二、一一八四、枇杷左大臣)。古注では『異本紫明抄』が指摘する。

 御簾の外の隔てあるほどこそ、恨めしけれ」

  Misu no to no hedate aru hodo koso, uramesikere."

 御簾の外に隔てられているのは、恨めしい気がします」

 まだ御簾みすの隔てをお除きくださらないのが遺憾です」

 とて、長押に寄りゐたまへり。

  tote, nagesi ni yoriwi tamahe ri.

 と言って、長押に寄りかかっていらっしゃった。

 と言った。一段高くなったへや長押なげしへ外から寄りかかっているのである。

 「なよび姿はた、いといたうたをやぎけるをや」

  "Nayobi sugata hata, ito itau tawoyagi keru wo ya!"

 「くだけたお姿もまた、とてもたいそうしなやかでいらっしゃること」

 「柔らかい形をしていらっしゃる時に、また別な美しさがおありになりますよ」

350 なよび姿 以下「たをやぎけるをや」まで、女房の噂。

 と、これかれつきしろふ。この御あへしらひきこゆる少将の君といふ人して、

  to, korekare tukisirohu. Kono ohom-ahesirahi kikoyuru Seusyau-no-Kimi to ihu hito site,

 と、お互いにつつき合っている。お相手を申し上げる少将の君という人を使って、

 と女房らはささやき合うのであった。今まで話していた少将という女房を取り次ぎにして宮はお返辞をおさせになった。

 「柏木に葉守の神はまさずとも
  人ならすべき宿の梢か

    "Kasihagi ni Hamori-no-Kami ha masa zu tomo
    hito narasu beki yado no kozuwe ka

 「柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても
  みだりに人を近づけてよい梢でしょうか

  「柏木に葉守の神はいますとも
  人らすべき宿のこずゑ

351 柏木に葉守の神はまさずとも--人ならすべき宿の梢か 少将の君の返歌。「葉守の神」は柏木に宿るということから、「柏木」「葉守の神」を用い、「神の許し」に対して、「神はまさずとも」「なさすべき」という反語表現で切り返す。

 うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひたまへなりぬる」

  Utituke naru ohom-kotonoha ni nam, asau omohi tamahe nari nuru."

 唐突なお言葉で、いい加減なお方と思えるようになりました」

 突然にそうしたお恨みをお言いかけになりますことで御好意が疑われます」

352 うちつけなる 以下「思ひたまへなりぬる」まで、歌に添えた詞。

 と聞こゆれば、げにと思すに、すこしほほ笑みたまひぬ。

  to kikoyure ba, geni to obosu ni, sukosi hohowemi tamahi nu.

 と申し上げたので、なるほどとお思いになると、少し苦笑なさった。

 と伝えられたお言葉に道理があると思って大将は微笑した。

第六段 夕霧、御息所と対話

 御息所ゐざり出でたまふけはひすれば、やをらゐ直りたまひぬ。

  Miyasumdokoro wizari ide tamahu kehahi sure ba, yawora winahori tamahi nu.

 御息所のいざり出でなさるご様子がするので、静かに居ずまいを正しなさった。

 その時に御息所がいざって来る気配けはいがしたので大将は少しいずまいを直した。

 「憂き世の中を、思ひたまへ沈む月日の積もるけぢめにや、乱り心地も、あやしうほれぼれしうて過ぐしはべるを、かくたびたび重ねさせたまふ御訪らひの、いとかたじけなきに、思ひたまへ起こしてなむ」

  "Uki yononaka wo, omohi tamahe sidumu tukihi no tumoru kedime ni ya, midarigokoti mo, ayasiu horeboresiu te sugusi haberu wo, kaku tabitabi kasane sase tamahu ohom-toburahi no, ito katazikenaki ni, omohi tamahe okosi te nam."

 「嫌な世の中を、悲しみに沈んで月日を重ねてきたせいでしょうか、気分の悪いのも、妙にぼうっとして過ごしておりますが、このように度々重ねてお見舞い下さるのが、まことにもったいので、元気を奮い起こしまして」

 「世の中のことをあまりに悲しく思い過ぐしますせいですか、身体からだのぐあいが悪うございまして、ぼけたようにもなって暮らしておりますが、こうしてたびたびの御親切な御訪問に力づけられまして出てまいりました」

353 憂き世の中を 以下「思ひたまへ起こしてなむ」まで、御息所の詞。

 とて、げに悩ましげなる御けはひなり。

  tote, geni nayamasige naru ohom-kehahi nari.

 と言って、本当に苦しそうなご様子である。

 と御息所は言ったが、言葉どおりに病気らしく感じられた。

 「思ほし嘆くは、世のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそはべめれ。さすがに限りある世になむ」

  "Omohosi nageku ha, yo no kotowari nare do, mata ito sa nomi ha ikaga? Yorodu no koto, sarubeki ni koso habe' mere. Sasugani kagiri aru yo ni nam."

 「お嘆きになるのは、世間の道理ですが、またそんなに悲しんでばかりいられるのもいかがなものかと。何事も、前世からの約束事でございましょう。何といっても限りのある世の中です」

 「故人をお悲しみになりますことはごもっとも至極なことですが、しかしそんなにまで深くおなげきになってはよろしくないでしょう。この世のことはみな前生からのきまっている因縁の現われですから、そう思えばさすがに際限もなく悲しみばかりの続くものでないことがわかると思いますが」

354 思ほし嘆くは 以下「限りある世になむ」まで、夕霧の詞。

355 世のことわりなれど 大島本、朱合点、行間書入「松風のふけはさすかにわひしはた世のことはりと思ふ物から」と指摘。「秋風の吹けばさすがに侘しきは世のことわりと思ふ物から」(後撰集秋上、二五〇、読人しらず)。古注では『異本紫明抄』が指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。

356 さすがに限りある世になむ 『集成』は「やはり世間とはそうしたものでございます。いくら悲しくても、いつまでも悲しんではいられない、というほどの意」と注す。

 と、慰めきこえたまふ。

  to, nagusame kikoye tamahu.

 と、お慰め申し上げなさる。

 などと大将は慰めていた。

 「この宮こそ、聞きしよりは心の奥見えたまへ、あはれ、げに、いかに人笑はれなることを取り添へて思すらむ」

  "Kono Miya koso, kiki si yori ha kokoro no oku miye tamahe, ahare, geni, ikani hitowaraha re naru koto wo torisohe te obosu ram."

 「この宮は、聞いていたよりも奥ゆかしいところがお見えになるが、お気の毒に、なるほど、どんなにか外聞の悪い事を加えてお嘆きになっていられることだろう」

 この宮は以前うわさに聞いていたよりも優美な女性らしいが、お気の毒にも良人おっとにお別れになった悲しみのほかに、世間から不幸な人におなりになったことをあわれまれるのを苦しく思っておいでになるのであろう

357 この宮こそ 以下「取り添へて思すらむ」まで、夕霧の心中。落葉宮を思う。

358 げにいかに人笑はれなることを取り添へて思すらむ 『集成』は「ほんとに、どんなにか世間の笑いものになることを、死別の悲しみに加えて、お悩みのことだろう。皇女としての体面を苦にしておいでだろう、の意」と注す。

 と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御ありさまも問ひきこえたまひけり。

  to omohu mo tadanara ne ba, itau kokoro todome te, ohom-arisama mo tohi kikoye tamahi keri.

 と思うと心が動くので、たいそう心をこめて、ご様子をもお尋ね申し上げなさった。

 と思う同情の念がいつかその方を恋しく思う心に変わってゆくのをみずから認めるようになった大将は熱心に宮の御近状などを御息所に尋ねていた。

 「容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、などて、見る目により人をも思ひ飽き、また、さるまじきに心をも惑はすべきぞ。さま悪しや。ただ、心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。

  "Katati zo ito maho ni ha e monosi tamahu mazikere do, ito migurusiu kataharaitaki hodo ni dani ara zu ha, nadote, mirume ni yori hito wo mo omohi-aki, mata, sarumaziki ni kokoro wo mo madohasu beki zo. Sama asi ya! Tada, kokorobase nomi koso, ihi mote yuka m ni ha, yamgotonakaru bekere." to omohosu.

 「器量などはとても十人並でいらっしゃるまいけれども、ひどくみっともなくて見ていられない程でなければ、どうして、見た目が悪いといって相手を嫌いになったり、また、大それたことに心を迷わすことがあってよいものか。みっともないことだ。ただ、気立てだけが、結局は、大切なのだ」とお考えになる。

 御容貌きりょうはそうよくはおありでならないであろうが、醜くて気の毒な気持ちのする程度でさえなければ、外見だけのことでその人がいやになるようなことがあったり、ほかの人に心を移すようなことは自分にできるはずがない、そんな恥知らずなことは自分の趣味でない、性格のよしあしで尊重すべき女と、そうでない女はけらるべきであるなどと思っていた。

359 容貌ぞいとまほには 以下「やむごとなかるべけれ」まで、夕霧の心中。『完訳』は「ご器量はそれほど申し分のないというほどではいらっしゃらないようだけれど」「柏木の情愛の薄さを根拠に推量」と注す。

360 見る目により 明融臨模本、朱合点。大島本、朱合点、行間書入「伊勢の海人の朝な夕なに」。「伊勢の海人の朝な夕なにかづくてふみるめに人をあくよしもがな」(古今集恋四、六八三、読人しらず)。古注では『異本紫明抄』が指摘する。

361 人をも思ひ飽き、また、さるまじきに心をも惑はすべきぞ 『集成』は「柏木のことを思うのである」と注す。

 「今はなほ昔に思ほしなずらへて、疎からずもてなさせたまへ」

  "Ima ha naho mukasi ni omohosi nazurahe te, utokara zu motenasa se tamahe."

 「今はやはり故人と同様にお考え下さって、親しくお付き合い下さいませ」

 「もうお心安くなったのですから、衛門督えもんのかみをお取り扱いになりましたごとく、私を他人らしくなく御待遇くださいますように」

362 今はなほ 以下「もてなさせたまへ」まで、夕霧の詞。

 など、わざと懸想びてはあらねど、ねむごろにけしきばみて聞こえたまふ。直衣姿いとあざやかにて、丈だちものものしう、そぞろかにぞ見えたまひける。

  nado, wazato kesaubi te ha ara ne do, nemgoro ni kesikibami te kikoye tamahu. Nahosi sugata ito azayaka nite, takedati monomonosiu, sozoroka ni zo miye tamahi keru.

 などと、特に色めいたおっしゃりようではないが、心を込めて気のある申し上げ方をなさる。直衣姿がとても鮮やかで、背丈も堂々と、すらりと高くお見えであった。

 などと、恋を現わして言うのではないが、持ってほしい好意をねんごろに要求する大将であった。

363 そぞろかに 定家筆本と明融臨模本は「そろゝかに」とある。大島本は「そゝろかに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「そぞろかに」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。

 「かの大殿は、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬づきたまへることの並びなきなり」

  "Kano Otodo ha, yorodu no koto natukasiu namameki, ate ni aigyauduki tamahe ru koto no narabinaki nari."

 「お亡くなりになった殿は、何事にもお優しく美しく、上品で魅力的なところがおありだったことは無類でした」

 その直衣のうし姿は清楚せいそで、背が高くりっぱに見えた。六条院様はなつかしくえん美貌びぼうで、そしてお品のよい愛嬌あいきょうが無類なのですよ。

364 かの大殿は 以下「人に似ぬや」まで、女房の詞。「かの大殿」は柏木をさす。夕霧との比較。

 「これは、男々しうはなやかに、あなきよらと、ふと見えたまふにほひぞ、人に似ぬや」

  "Kore ha, wowosiu hanayaka ni, ana kiyora to, huto miye tamahu nihohi zo, hito ni ni nu ya!"

 「こちらは、男性的で派手で、何と美しいのだろうと、直ぐにお見えになる美しさは、ずば抜けています」

 この方は男らしくはなやかで、ああきれいだと思う第一印象がだれよりもすぐれておいでになりますよ」

 と、うちささめきて、

  to, uti sasameki te,

 と、ささやいて、

 などと女房たちは言って、

 「同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば」

  "Onaziu ha, kayau nite mo ideiri tamaha masika ba."

 「同じことなら、このようにしてお出入りして下さったならば」

 「かなうことなら宮様の殿様におなりになって始終おいでくださることになればいい」

365 同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば 女房の詞。反実仮想がやがて本物の事態となる。

 など、人びと言ふめり。

  nado, hitobito ihu meri.

 などと、女房たちは言っているようである。

 こんなことまでも思ったに違いない。

 「右将軍が墓に草初めて青し」

  "Iusyaugun ga tuka ni kusa hazime te awosi"

 「右将軍の墓に草初めて青し」

 「右将軍が墓に草はじめて青し」

366 右将軍が墓に草初めて青し 夕霧の詞。口ずさみ。明融臨模本、付箋「右大将保忠カ事ヲ作レル也/天與善人吾不信/右将軍墓草初青(秋)紀在昌」。大島本、行間書入「時平子右大将保忠墓ヲシテ紀在昌作詩右将軍カ墓草初秋ナリ」。中山家本、朱合点、奥入「天與善人吾不信右将軍墓草初青」と指摘。古注では『源氏釈』が「天與善人吾不信右将軍墓草初青(秋)」と指摘する。紀在昌の詩句は『本朝秀句』所収。現在逸書。『河海抄』所引によれば、原詩は「初青」ではなく「初秋」とあった。夕霧が言い換えたものか。

 と、うち口ずさびて、それもいと近き世のことなれば、さまざまに近う遠う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬはなきも、むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情けを立てたる人にぞものしたまひければ、さしもあるまじき公人、女房などの年古めきたるどもさへ、恋ひ悲しびきこゆる。まして、上には、御遊びなどの折ごとにも、まづ思し出でてなむ、しのばせたまひける。

  to, uti-kutizusabi te, sore mo ito tikaki yo no koto nare ba, samazama ni tikau tohou, kokoro midaru yau nari si yononaka ni, takaki mo kudare ru mo, wosimi atarasigara nu ha naki mo, mubemubesiki kata wo ba saru mono nite, ayasiu nasake wo tate taru hito ni zo monosi tamahi kere ba, sasimo arumaziki ohoyakebito, nyoubau nado no tosi hurumeki taru domo sahe, kohi kanasibi kikoyuru. Masite, Uhe ni ha, ohom-asobi nado no wori goto ni mo, madu obosi ide te nam, sinoba se tamahi keru.

 と口ずさんで、それも最近の事だったので、あれこれと近頃も昔も、人の心を悲しませるような世の中の出来事に、身分の高い人も低い人も、惜しみ残念がらない者がないのも、もっともらしく格式ばった事柄はそれとして、不思議と人情の厚い方でいらっしゃったので、大したこともない役人、女房などの年取った者たちまでが、恋い悲しみ申し上げた。それ以上に、主上におかせられては、管弦の御遊などの折毎に、まっさきにお思い出しになって、お偲びあそばされた。

 と大将は口ずさみながらも、この詩も近ごろった人をいたんだ詩であることから、詩の中の右将軍の惜しまれたと同じように、世人が上下こぞって惜しんだ幾月か前の友人の死を思うのであった。みかども音楽の遊びを催される時などには、いつの場合にも衛門督えもんのかみを御追憶あそばすのであった。

367 それもいと近き世のことなれば 右大将藤原保忠の死去は朱雀天皇の承平六年(九三六)七月十四日。四十七歳。

368 むべむべしき方をばさるものにて 『集成』は「人柄の表立った面は言うまでもないとして」「公人としての才幹、学識、技芸といった面をいう」。『完訳』は「もっともらしく格式ばった事柄。公人としての才学、技芸」と注す。

 「あはれ、衛門督」

  "Ahare, Wemon-no-Kami!"

 「ああ、衛門督よ」

 「ああ衛門督が」

369 あはれ衛門督 『新し大系』は「あああ、衛門督よ。物語の読者は前の女三宮へことづけた柏木の「あはれとだにのたまはせよ」という遺志が残されたみなに行き渡っている感じを受け取る」と注す。

 といふ言種、何ごとにつけても言はぬ人なし。六条院には、ましてあはれと思し出づること、月日に添へて多かり。

  to ihu kotogusa, nanigoto ni tuke te mo iha nu hito nasi. Rokudeu-no-Win ni ha, masite ahare to obosi iduru koto, tukihi ni sohe te ohokari.

 と言う口癖を、何事につけても言わない人はいない。六条院におかれては、まして気の毒にとお思い出しになること、月日の経つにつれて多くなっていく。

 という言葉を何につけても言わない人はないのである。六条院はまして故人をおあわれみになることが月日に添えてまさっていった。

 この若君を、御心一つには形見と見なしたまへど、人の思ひ寄らぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君は、ゐざりなど。

  Kono Wakagimi wo, ohom-kokoro hitotu ni ha katami to mi nasi tamahe do, hito no omohiyora nu koto nare ba, ito kahinasi. Aki tu kata ni nare ba, kono Kimi ha, wizari nado.

 この若君を、お心の中では形見と御覧になるが、誰も知らないことなので、まことに何の張り合いもない。秋頃になると、この若君は、這い這いをし出したりなどして。

 宮の若君を院のお心だけでは衛門督の形見と見ておいでになるのであるが、だれも、この形見のあるのは知らぬことであったから、何ものからも面影をとらえることは不可能だと思って衛門督を悲しんでいるのであった。秋になったころからこの若君はいなどなさる様子が言いようもないくらいかわいいので、院は人前ばかりでなく、しんからいとしくて、いつも抱いて大事になさるのであった。

370 この君はゐざりなど 河内本はこの後にさらに五十八字の文章が続く。別本では御物本と保坂本に同文がある。大島本は切り裂いて削除した跡が見られる。言いさした終わり方である。